#5
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覚者とは何なのか。
俺が質問すると、フレディオール氏は目を丸くした。そしてレティ公とアイコンタクトをとりながら、しばらく沈黙する。
……あれ、俺なんか変な事聞いた?
「君は、己が〝覚者〟であるという自覚がないのかい?」
「いやっ、自覚もなにも〝覚者〟なんて言葉を初めて聞きましたし」
え、ええい、この際だ。
聞きたい事を全て聞いてみる事にしよう。今の俺に、相手の顔色なんか伺っているゆとりはない。俺の貧弱な頭脳と精神は、降りかかる災難のせいで、とっくに許容限界を超えているのだ。
「ってか、ここって一体どこなんですか。変なダンゴムシはいるし、ヤバい面構えの悪魔は空から降ってくるし。なんなんですか、あの生き物たちは。何がどうなっているんですか、いったい!」
とにかく、この謎だらけの現状に俺はもう我慢できず、疑問を手当たり次第ぶちまけた。
レティ公が短い眉をひそめる。
「貴方、先ほど『一つ聞いてもいいか』と言っておきながら、いくつも連続して質問するとはどういう了見ですの?」
「んなこたぁどうだっていいんだよ!」
妹の口癖をこんな所で披露するとは思わなかったが、実際に言葉の通りなので仕方がない。
「どうだって良くありませんわ」
なおも食って掛かるレティ公を無視して、俺はフレディオール氏に懇願した。
「お、教えて下さい。ここは……ここは日本、なんですか?」
フレディオール氏は真っ直ぐ俺を見つめてくる。先ほどまでの余裕そうな表情は消え、真面目な顔で俺と目を合わせる。そして、俺にとっては非常に無慈悲な台詞を、長い睫毛を伏せながら、申し訳なさそうに吐露した。
「すまないが、そのような地名は聞いた事がないな。町の名前かい?」
今度は俺が目を見開く番だ。
日本を知らない?
てか、世界的経済大国の日本を、町名か何かと思っているのか。
「わ、悪い冗談ですよ。だっ、だってあなたたち、流暢な日本語使ってますし、か、顔だってほら、日本人顔というかハーフ系というか……と、とにかく日本をベースにした赴きがありますし」
「僕らはセフィリアの民だ。残念だが、君の言うニホン人ではないよ。言葉も、世界の共有言語のドレアム語を、使ってるつもりだったのだが」
「セフィリアの、たみ? どれあむ、ご?」
俺は反芻する。セフィリアの民……そんな人種、見た事も聞いた事もない。島国日本の言葉が、いつ『ドレアム語』という英国テイストな呼ばれ方になったのだろうか。しかも、いつの間に日本語が、世界の共通言語になったのだろうか……ワールドワイドに活躍するランゲージと言えば英語なはずだ。
「そう、僕たちはセフィリアの民だ。ここ〝夢幻界〟に住まう民族の一つだ」
堂々とした態度のフレディオール氏の放った言葉に、ようやく聞き覚えのあるワードが上がった。
「むげんかい、だって!」
俺は叫ぶように尋ね返す。納得のいくものではなかったからだ。フレディオール氏が面食らいながらも、首を縦に振った。
「それは知っているのかい?」
俺は頭が変になりそうだった。
「そうだ、『悠久のシャングリラ』の舞台となる世界の名前だ」
「シャングリラ? なんだい、それは?」
フレディオール氏が聞いてきたが、俺の脳は返事ができない程こんがらがっていた。
悠久のシャングリラ。俺がプレイしようとしていた、スマホ用のゲームの事だ。俺は『悠シャン』のプロローグを思い出す。
──貴方の住む星とは異なる世界。魔法と精霊が存在する、幻想の世界。それが、『夢幻界』です。
異なる世界。異世界。夢幻界。
スマホに表示された、『他世界接続システム』という文章。
じゃあ、何か?
俺は、やはり異世界──しかもゲームの世界に入り込んでしまったって言うのか?
『悠久のシャングリラ』というクソゲーに?
いや、そんなはずはない。
ゲームだったら痛みは感じないはすだ。匂いも、血の味も、何よりこんなリアリティー溢れる──そう、まるで生きているような感覚はしないはずだ。数字とデータが管理するバーチャルの空間では、このような実体のある経験は出来ないに決まってる。
……そう決めつけたいのに、そう決めつけなければ──ようするに、ゲームの世界として、地球とは理屈が違う別の大地と認識してしまえば──合点のいくモノと、俺は対峙し過ぎた。
悪魔、魔法、浮世離れした体験。
「どうなってんだよ、これは……」
ああ、もうっ。
頭が割れそうだ!
もう、何を信じていいのやら!
「若さま、この方は……」
「ああ、そうだな。記憶を失っているというわけではなさそうだし、すると──」
例によってフレディオール氏とレティ公は、二人で意思を通じ合わせている。二人を遠巻きに見ていると、今度はフレディオール氏が俺に問い掛けてきた。
「僕からも、君に質問していいかい?」
俺は投げ槍に返事をする。「はあ。構いませんが」
するとフレディオール氏は目を輝かせた。「君は、外の国から来たのではないか?」
「外?」
「つまり、〝夢幻界〟ではない、別の世界から来訪したのではないのかい?」
確かに、こちら側から見れば、そうなるのかもしれない。しかし、どうにも飲み込めない。
だから俺は曖昧に答えた。
「まあ、そうなるんですかねぇ。ここが地球じゃないってんなら、俺は外からの来訪者って事になりま──」
「やはり、そうか!」
俺が言い終わるよりも早く、フレディオール氏は叫んだ。
突然の反応に拍子抜けする俺に対して、フレディオール氏はサプライズでプレゼントを渡された子供のように嬉々としていた。クールな印象を持っていただけに、その感情の変化は少し意外だった。
「やはり、と言うのはどういう意味です?」
「うむ! 君は僕に〝覚者〟とは何かと、初めに質問したね!」
「は、はあ。確かに質問しましたが」
「〝覚者〟というのは、この世界における救い手を指す言葉だ。世界に陰りが迫りし時、外の国から〝夢幻界〟へと降臨する、神の使いなんだ」
「えっと……神の使い、ですか」
俺は顔をひきつらせた。
救い手、降臨、神の使い──何から何まで作り話にしか聞こえない。むしろ、悪徳な宗教の匂いがしてきた。そのうち、あなたも幸せになりたかったら我々と一緒に神様を崇め奉りませんか、などと契約書をちらつかせながら迫ってきそうで怖い。神だの救い手だのと宣い、良いように宗教へ言いくるめられているような気がしてならない。
俺が苦い顔をしていると、すっかり外野に追いやられていた少女がしゃしゃり出てきた。
「貴方、いま若さまの仰った事を胡散臭いとお思いになられましたわね」
図星だった。レティ公に思考を読まれた。
いや、あのような嘘臭いワードを盛りに盛り込んだ台詞を聞かされ、そうか、自分は救世主なんだ! と手放しで信じられる奴など、漫画や小説の中の、楽天的な主人公くらいしかいないだろう。現実の世界にそんなやつがいたら、永遠に人から騙され続け、年金を貰える前にはもう財産や内臓なんて残されちゃいない。それまで命が残っているかどうかさえ怪しい。
人なんて、簡単に信じてはいけないのだ。
ましてや、出会ったばかりで、名前しか知らない人間を、どうやって信じられようか。ゲームに登場するキャラクターは押し付けがましいやつが多いと昔から感じていたが、実際に本物のNPCと対峙してみて、やはりその感覚は間違っていなかったと立証する事が出来そうだ。
……てか、俺、いま何気にこの世界がゲームだと信じていたな。
まあ。何にせよ。
現状、フレディオール氏に逆らわない方が良いのは確かだ。流れに身を任せすぎて、腎臓や角膜を提供する書類にサインを書いてしまわないよう注意しておくべきなのは確かだ。
これからは、相手の動向に注意して、かつ波風を立てないように質問していこう。




