#3
☆
夢を見ている気分だ。
ふわふわと雲の上で目を瞑って寝転んでいるように、実感が湧かない。
黒一色の視界。タールの海のような景色に、一つだけ浮かび上がる物体がある。婆ちゃん達から貰った――と言うより無理やり手渡された、あのスマホだ。暗闇の中、画面に純白の光を湛えている。
思えば、あのスマホが原因なのだ。
『悠久のシャングリラ』というゲームをプレイしていたら突如としてスマホが異変をきたし、気が付けば死地に立たされていた。この不思議な場所に来てから、既に何時間も経過したように感じられる。今までの日常が、双眼鏡を逆から覗いたように遠く、手の届かない場所にあるような気がする。
もう二度と、向こう側――元の暮らしには、戻れないのだろうか。
そう考えていると、ふと頭の中が鮮明になっていく。曖昧な夢から目覚めるように、光が目の前に広がっていく。
気を失っていたのは短い間だったらしい。
俺が目を覚ました時には、悪魔の腕によって巻き上げられた粉塵と石の破片が、既に風に乗ってどこかへ飛ばされていた。
仰向けに倒れていた身体を起こすと、唐突に目眩が襲った。
しかも視界が赤い。左瞼が開かず、目の上の額に違和感がある。手を伸ばすと、生温い液体が指を濡らした。月明かりで確かめると、それは額から吹き出した血であった。
男というものは、血に対してまるで抵抗力がない。どんなに血気盛んなスポーツマンであろうとも、頭では気丈に振る舞えると信じ込んでいても、実際に本物の血液を見れば、存外すんなりと気分を害するものである。
俺だって例外じゃない。
失った血と、視覚から来る潜在的ダメージで、自分でもみっともないと感じるくらい、俺はだらしなく再びその場に倒れた。痛みは無い。ただ、体が妙に冷えている。
傾いた視線の先には、あの悪魔がいる。状況が飲み込めないのは悪魔も同じらしい。空振りした腕を見て、首を傾げている。
――俺の攻撃が外れた? なぜ? こんな雑魚が相手なのに?
そんな疑問の念が伝わってくる行動をを取っていた悪魔は、しばらくすると地面に突っ伏している俺に気が付いた。血と同じ色をした悪魔の瞳が見開かれる。
「ギィアアアアアアアア!」
ぶちギレた。鼓膜をぶち抜かんばかりの奇声を俺にぶつけてくる。
――いやいや、もう勘弁してくれよ。
起き上がる気力すら無くしていた俺は、ライブ用のスピーカー並に爆音を放つ悪魔へ、内心で辟易した。
悪魔の口から蒸気が溢れる。怒りをそんな風に表現できる生物なんて、俺は知らない。地球上にすらいないだろう。今の今まで頑なに拒んでいた結論が、否応なしに頭の中で踊る。
――ここは、やはり異世界なのか?
そのように考えると、全てがしっくりくる。
木の実に擬態した巨大ダンゴムシも、尋常じゃない輝きを地上に落とす大きな満月も、時間が緩やかに流れた体験も、目の前の化け物も……全て合点がいく。
そうなってくると、猿と獅子を足してウン百倍も狂暴にさせたような寓話的存在に殺されるのだって、別に変じゃない。異世界ならデーモンの一人や二人いたって、何もおかしな話ではないだろう。しかも俺は機械音痴で、そして何処にでもいる市井の学生。映画や漫画なら、いの一番に殺されるタイプだ。
悪魔が地響きを立てながら近寄ってくる。手の指をぱきぱき鳴らして、不良の学生みたく俺を威嚇する。
ああ、やはり俺は死ぬ運命らしい。
一度は悪魔の攻撃をかわしてみせたが、もうそんな元気はない。また時間がゆっくり流れても、今の俺に攻撃を避けるだけの体力も気力も残ってない。陸に揚げられた魚のように、いや、それともまな板の鯉か。どのような表現をしようとも、俺の運命の決定権を握っているのが、目の前の悪魔である事に変わりはない。
……ああ、呆気ないな、人生ってヤツは。
……まあ、楽しい人生だったのは確かだ。
願わくはもうちょっと生きていたかった。金髪巨乳の彼女を作って良い感じの展開にまでいたかったが、まあ、所詮は願望。それに死は誰にでも訪れるもの。このような幕引きになるとは想像もしていなかったが、これも定め、受け入れよう。
声の人には、顔向けできないな。せっかく不思議な力で俺を救ってくれたのに。それを無駄な延命行為にさせて本当にすまん。
きちんとお礼を言ってから死のう。
ありがとう、声の人。
『安心しろ、もう大丈夫だ』
俺の考えが伝わっているのだろうか。直接脳へ伝達される声が、そう言った。
「いやいや……全然、大丈夫じゃないだろ」
力なく俺は呻く。死の足音が読んで字のごとく聴こえるのだ。
そんな励ましを受けても――
「いいえ。心配は無用ですわ」
頭の中で幾度か聴いた、少女の声。それが今度は耳から聞こえたのだ。俺は閉じようとしていた瞼を、大きく見開いた。しんと静まり返った森の中、その声は凛として響いた。
今までの受話器から発せられるような籠った音ではなく、より明瞭に、より綺麗な声色で、少女は唱う。
「ですので、あなたは即刻、若さまの恩情に土下座を以てして感謝すべきですわ」
悪魔の後ろ。森で一際背が高い杉の木のてっぺんに、人影があった。
白い月を後光に、いつの間にか人が佇んでいる。身長と同じくらいの長さの刃を取り付けた、巨大な鎌を持って。
死神。
シルエットは、まさに神話やおとぎ話に登場する死神を彷彿とさせた。風で靡くローブの裾、深々と被ったフード。見てくれは子供でも描けそうなほど死神の姿をしていた。
目を見張り、唾を飲み込む俺。
悪魔の次は死神か。もう何が現れても驚かないと思っていたが、流石にこの流れでの死神の登場は予想してなかった。
いや、別に場違いというわけではない。
何しろ俺は命運ここに尽きる、という瀬戸際のポジションにいるのだ。そんな俺を死神さんが見下ろしていたって、何もおかしくはない。「人は死ぬ間際、見えないモノが見える」と婆ちゃんが言っていたのを思い出す。なるほど、確かに婆ちゃんは正しかった。幽霊や神という存在は今まで半信半疑だったけど、それらの仲間入りを果たそうとしている今だったら納得できる。悪魔もいるのだ。神はいる。
悪魔も死神の声が聞こえたらしく、後方を振り返った。どうにも、この悪魔は時おり人間くさい動きをする。首を傾げたり、指を鳴らしたり、ひょっとしたら元は人間だったのかも知れん。どんな罪を犯したら、このような『ザ・悪魔』みたいな姿になるのだろうか。
悪魔が死神を目視しようとした、その時だ。
死神が、鎌で宙を薙いだ。
同時に、引き延ばした金属のワイヤーを切ったような音が森に木霊する。
すると、悪魔の左腕が胴体から離れた。
ばっさりと、一瞬のうちに。
トカゲが尻尾を切るように、付け根から左腕が分離する。途端に上がる悪魔の悲痛な叫び。鮮血が夜空に散る。丸太のような腕が、俺の近くに無造作に転げ落ちた。
死神がフードの下から覗く口を、ぱくぱくと動かす。何かを呟いているらしいが、悪魔の雄叫びが喧しすぎて全然きき取れない。悪魔は失った腕の傷口を、もう片方の腕で押さえている。血雨は止んだが、悪魔の、ワニのような口から発せられる憎しみの込められたサイレンは、今も鳴りっぱなしだ。
悪魔の傷口周辺の皮膚が、沸騰する水のように泡立つ。すると、左腕と思わしき部位ががみるみる伸びていく。唖然とする俺。出会った時から冗談じみたヤツだと思っていたが、ここまで常識を否定してくるとは想像すらしていなかった……不死身かよ、こいつは。
まるで映画のワンシーンだ。さしずめ、あの死神はエクソシスト役か。いや、どちらかというと『化け物、対、化け物』のパニック系だな。ヒーローなんてこの場にいやしねぇ。
手を再生中の悪魔は、近くに転がっていた甲虫の躯を右手でおもむろに引ったくると、死神へ力任せにぶん投げた。片手を故障しているにも関わらずそのピッチングは正確で、虫の死骸は杉の木の頂きに立つ死神へ砲弾のように飛んでいった。
死神が腰を屈める。直後、その場から死神が消えた。無情にも元生物のボールは標的を失って、速度はそのままに森の奥へと消えた。
悪魔は周囲を見渡す。野球選手のごとき綺麗なフォームで虫をぶん投げた悪魔はターゲットを見失ってしまったみたいだが、ずっと死神を観察し続けていた俺は、そいつがどこに向かったかを知っている。
悪魔の真上だ。
星々の光に紛れて、黒い影が急降下してくる。悪魔は前後左右を世話しなく確めているが、問題の頭上は全く意識していなかった。或いは先ほどのように俺の視線に注意を向ければ、挽回の余地は合ったかもしれない。しかし悪魔の思考回路では、俺はその辺に転がっているダンゴムシの死骸と同じ扱いらしかった。一瞬たりとも見てくれやしない。
悪魔がようやく空に顔を向けた。
だが、もう遅い。
その時には、既に決着が着いていたのだから。
落下してきた死神の持つ鎌の刃が、悪魔の首に触れる。悪魔の首元で残光が煌めいた。瞬きするだけで全て見逃してしまうような、刹那の出来事だった。
猫のごとくしなやかに、音もなく路面に着地する死神。
その拍子に死神の被っていたフードがはだけ、新雪のように白い肌の少女の顔が、月明かりに照らされた。
息を飲んで、俺は死神の尊顔を拝んだ。
見た目は、十五歳かそこら。大きなワインレッドの瞳が、じっと地べたに寝転がる俺を無感情に見下ろしている。小さな唇と筋の通った鼻は、まるでアンティークドールのように、可愛らしくも少々不気味という二面性を兼ね備えていた。後頭部から回してきたらしい三つ編みの白い髪が、首から胸元に向かって垂れている。良く観ると、黒いローブのボタンは外されており、へその下辺りまで大きく露になっている。あばらのラインが表皮に浮かぶ貧相な胸を見ていると、こちらが背徳感を抱いてしまう。実に犯罪的な曲線を描いていた。
しかしこれだけは言える。一切の色気は無くとも、黒装束を纏った人物は、誰もが認める美少女だった。
何よりも、俺の目を引いたのは彼女の耳だ。
鋭く伸びた、長い耳。それはファンタジー作品に登場する、『エルフ』と呼ばれる架空人種の特徴と酷似していた。
「注意して下さいまし」
陶磁器のような白く細い顎を上下させ、死神姿の少女が淡白に警告した。その声色はテレパシーで聴いた、あの幼さの残る声だった。幼げな声ではあるが、感情の籠っていない、どこか冷たさを感じる喋り方だ。
対して俺は何も応えられなかった。何を彼女に伝えるべきなのか、何を彼女から教えてもらうべきなのか……疑問は多いのに、しかし言葉として何一つ出せなかった。少女が鎌を天に向けて、何やら柄の部分を弄っている姿を、俺は茫然と眺めるだけだった。少女が柄から飛び出たトリガーを引くと、柄と刃の間で、布の膜が開いた。それは俺の見慣れたもの――コウモリ傘の帆だった。
「これより、血の雨が降りますので」
その言葉を言い終わるや否や、今の今まで沈黙していた悪魔の頭が、タイミングを見計らったようにぐらりと揺れた。地震によって灯籠が崩れるように、悪魔の頭部が呆気なく地面へ転げ落ちた。
支えていたものを失った首から、血が湧く。
壊れた水道管だ。巻き上げられた血液が周辺の木々に降り注ぐ。もちろん俺にも赤い雨は降りかかる。落下しているうちに冷えたのか、或いは元からなのか、顔にかかる悪魔の血液は霙のように冷たかった。
俺はあんぐりと開口したまま、少女を見上げていた。
見つめ合う二人。
思考の読めない表情で、少女が先に言葉を発した。
「いつまで間抜け面でいるおつもりですか? 正直、見ていられませんわ」
小さな口は随分と挑発的だった。
「……はへっ?」俺は返事でも間抜けな声を出してしまう。
「これからわたくしが言うことを、一字一句、しかとその無能な頭に刻み込みなさい。貴方は助かったのです。若さまの、冴えない豚野郎ですら慈悲を与える献身的な御心によって、豚代表のあなたは〝マンティコア〟の魔の手から五体満足で救われたのですよ。普通、こんな幸運は訪れません。全ては若さまと、その従者であるわたくし――レティーシャのお陰である事を理解なさい」
「は、はあ」
つらづらと呪文のように詠唱する〝ですます〟口調の少女に、曰く豚さんの俺は何も言い返せなかった。
それが、彼女の逆鱗に触れたらしい。平安時代の貴族みたいに眉墨を付けたおでこに、苛立たしげに皺を寄せた。
「『は、はあ』ではありませんわ。そんなお間抜けな返事よりも、まず伝えるべきものがあるのではありませんか?」
「あ、えと。ありがとうございます、助けていただいて。ええっと、レティーシャさん?」
俺は数秒前を思い出す。確かこいつは自分の事をレティーシャと名乗った。西洋諸国でも珍しそうな名前だが、少なくとも日本人ではなさそうだ。でも日本語が超上手い。頑張って勉強したのだろうか。
「はぁ~? なに、わたくしに感謝を述べているのですかぁ?」
感謝の意を伝えたら、何故だか怒られた。
「わたくしより先に、まず若さまに謝辞を述べるべきではありませんか?」
「いやっ、そもそも若さまってだれ――」
「ぅわぁかぁさぁまぁにぃっ! おぉれぇいぃをぉ!」
『ぅわぁかぁさぁまぁにぃっ! おぉれぇいぃをぉ!』
耳から聞こえる声とは別に、脳ミソに直接ひびく少女の声。音とテレパシーが共鳴して、うるさいったらありゃしない。
ハモってて気持ち悪っ!
「わ、分かった! 分かりました! 助けて頂き誠にありがとうございます、若さま!」
堪らず俺は、〝若さま〟という見たことも聴いたこともない――いや、声だけは既に聞いたことがある、もっと突き詰めれば声ではなくテレパシーだが――人物に、その場しのぎで感謝した。土下座は出来ないが、はなっから血みどろの頬を石畳にくっ付けているのだ。態度はこれで許してほしい。
「素直にそう言えば良いのですわ」肩を竦める少女。
「は、はあ。恐縮です」冴えない返答をする俺。
少し前まで化け物に殺されかけていたとは思えない雰囲気に、まるで付いていけない。
「やれやれまったく。これですから、常識の知らない平民は」
ぷりぷりと理不尽にご立腹な少女を、俺は黙って見ていた。きっと俺の顔は今、苦虫を噛み潰したような面白い仕上がりになっているだろう。
少女――いや、レティーシャだったか。腹が立つから今後はレティ公と脳内で呼ぶことにする。
こいつは尚も、貴族の作法だとか、平民の不道徳だとかを、とにかく鳴り止まぬスピーカーのごとく説き続ける。当の平民が聞く耳を全く持っていないにも関わらず、べらべらと喋り続けていた。
俺がこの露出少女の話に耳を傾けないでいるのは、ひとえに腹立たしいというのもあるが、一番の理由は聞き覚えのある動物の鳴き声が何処からともなく聞こえてきたからだ。そちらに俺の意識は集中した。
馬の嘶きが、夜の帳が落ちた森に響き渡る。
同時に、からからと車輪の回る音。鳴き声と車輪の音は、徐々に大きくなってくる。
やがて、道路の下り側から光が現れた。自動車のライトほど明るくはない。炎のようなオレンジ色の光だ。
「さあ、ひれ伏しなさい」レティ公が音のする方向を眺めながら言う。「若さまのご来訪ですわ」
もうひれ伏しているよ。
そう突っ込んでやろうとしたが、気力がないので諦めた。
安心からか、唐突な倦怠感が俺を襲った。とにかく瞼が重い。そう言えば、額から思いっきり出血してたんだっけ。左目は一向に開かないし、何より額の傷が痛い。命の危機を脱したからだろうか。今まではアドレナリンの影響か、痛覚をまったく感じなかったというのに、ここへ来て急に痛みが走り始めた。
樹木の影より姿を表したのは、朱と黒を主色にした一台の馬車だった。
先頭には三頭の黒馬が唾を吐き出しながら車を引いている。見れば馬は額に立派な角を生やしていたが、もはや驚く気力すらない。馬車には二つのランプが固定され、自動車のヘッドライトのように前方の道路を照らしている。
……観察して得られた情報はこれだけだ。それ以上の事は、俺の視力が異常を来たしたために分からずじまいだった。
「さっきから随分と静かですわね。いえ、愚民が沈黙するのはむしろ歓迎されるべき行動ではありますが……どうなされましたの?」
口の悪いレティ公が何かほざいていたが、俺には一々そんな事に突っ込んでいられるほどの余裕が、もはや残ってなかった。
視点がぶれる。ピントが合ったり外れたりを繰り返す。
自分でも分かるくらい息が乱れている。正そうとすればするほど呼吸は荒くなっていく。額の傷がもたらすのは、今や激痛だった。
「か、ハァッ!」
おまけに、血の塊を吐き出してしまった。いつの間にか内蔵もやられていたらしい。
「しっかりなさい。なに勝手にくたばろうとしていますの」
レティ公の声が反響して聞こえる。
馬たちの歩が僅かに遅くなる。俺は藁をもすがる思いで馬車に手を伸ばした。
馬たちが完全に停まったのと同時に、馬車の扉が勢い良く内側から開け放たれ、誰かが飛び出してきた。姿がいまいちはっきりしない。
視界内で動くもの全てが、残像を伴っている。
光はやたら眩しく、四重になって見える。
色覚を失い、世界はモノクロになっていく。
馬車から出てきた人物が、走って俺に近寄ってきた。すると、俺の視界の端にいたレティ公が、慣れた動作で肩肘を路面に突けた。
人影が叫ぶ。「何があった!」
「い、いえ。突然苦しみ出して。わたくしにも何が何だか解らないのです、若さま」
なるほど、こいつが話に聞く〝若さま〟というやつか。おっと、命の恩人にこいつと言っちゃあいけないか。このお方が若さまで御座いますか。でも声に出すほどの力は残っていない。残っているのは、今にも途切れそうな意識だけだ。
――とうとう、俺は瞼を閉じた。身体を誰かに揺すられる。
「この傷はいったい。それに、この紋様は……おい、しっかりしろ! 目を覚ますんだ!」
紋様? 相変わらず、何を言っているのか分からないお方だ。
申し訳ないが、あなたの言葉は聞けない。全身から一気に熱が抜けていく。今日だけで急死に一生を幾度ども経験したわけだが、さすがに疲れた。
もう眠い。寝よう、そうしよう。
そうすれば現実世界に戻れるかもしれない。
今まで見てきたもの全てが実は夢で、だらだらと汗をかいて、俺はベッドの上で目覚めるのだ。外では鳥が囀り、いつもの通り、なんの変哲もない朝を迎える。そして、俺はこう言うのだ。
――ああ、夢で良かった、と。
シャワーを浴びて朝飯たべて、身支度してから駅に向かう。大学でゆるく勉強して、タケナカと昼飯を食いながら世を嘆いて、そんでもって午後のコマをそつなく終わらせ、帰路につく。
いやはや、こうして振り返ってみれば、実に平和な一日じゃないか。
そうだ。幸せな日常に帰ろう。
こんな血みどろの世界とは、おさらばしよう。
だから、もう、おやすみ。




