~緩急の意識~
和気藹々とした会話を交わし、充分な程に緊張が解れた頃。
既に周囲の景色は起伏を伴う緑一色へと変わっていた。
操縦席の方へと視線を向ければ、その先に見えたのは〝青の森〟。
そう、もう既に勇達を乗せたヘリコプターは目的地付近へと到達していたのだ。
「間も無く作戦地点です。 お二人共準備願います」
操縦士の声が聴こえて初めて勇達もがその事実を知る。
咄嗟に振り返って外を見てみれば、丁度奇妙な様相を誇る青の森に差し掛かっていて。
そこが変容区域である事など、今の勇とちゃなには考えずとも理解出来る。
気付けば浮かんでいたはずの笑顔は消え。
まるで近づく戦いの時に備えるかの様に、緊張の面持ちが浮かんでならない。
「楽しい時間はそう長く取れないものですねぇ」
そう語る福留に陰りが帯びる。
ここに至るまでの会話では、勇もちゃなも福留も遠慮する事無く笑いを上げ合っていて。
福留もそんな話をする事が好きなのだろうと思える程に盛り上がりを見せていたものだ。
だからこそ残念でならなかったのだろう。
楽しい話が終わりを告げた事と、勇達を戦いに送り届けねばならぬ時が訪れた事を。
福留がそっと勇とちゃなの肩に両手を「ポン」と乗せる。
「お二人に勝利の女神が微笑む事を祈っております。 どうか命だけは失わないよう―――」
乗せられた掌は「グッ」と二人の肩を掴み、じわじわとその想いを伝わらせる。
声を詰まらせてしまう程に強く詰めた想いを。
犠牲者を出してしまったが故の無念を。
勇とちゃなはそんな福留の滲み出る無念と願いを受け止めて。
訪れる戦いに向けてちっぽけな勇気の糧へと換える。
そこから生まれた微笑みは、肩を掴む力を緩ませるだけの安堵を与える事が出来ていた。
また、その勇気は勇にとある考えをも閃かせ。
「あっ」と声を漏らし、隣で寄り添う様に座るちゃなへと素早く顔を向ける。
「田中さん、ちょっと相談があるんだけど」
「はい、なんでしょうか」
「あの火の玉、小さくして沢山撃てたり出来るかな?」
ちゃなが渋谷で見せた光球は確かに威力こそあるだろう。
敵が纏まっていれば一網打尽にする事も十分可能だ。
だがそれと同時に勇自身にも危険が及ぶ可能性がある。
それ程の威力を撃ち込む理由が無い限り、多用は禁物と考えた末の結論だった。
とはいえ、ちゃなもまだそんな攻撃を一発しか撃った事が無い訳で。
思わず自信の無さそうな眉間にシワを寄せた顔を勇へと向ける。
「やってみないとわかりませんが……やってみます」
「うん、頼むよ」
二人がそんな相談をしている間に、ヘリコプターは既に垂直移動へと移行していた。
目下に広がるのは、背の低い草が鬱蒼と覆う平地。
先日和泉が殺された現場でもある予定着陸地点だ。
和泉が命を落としたと思われる場所は赤く染まったままで、ちゃなが堪らずその顔を逸らさせる。
遺体が無い所を見ると【ウィガテ族】が持ち去ったか、あるいは野生動物の餌食になったか。
いずれにせよ人の命が失われた事を改めて実感させ、勇の憤りを再び呼び起こさせていた。
とうとう機体が着陸を果たし、飛び出していた車輪が茂った草地を踏み馴らす。
周囲を覆う茂みもローターの巻き起こす風によって激しく煽られていて。
自衛隊員が真っ先に飛び出し周囲を伺うが、以前の様な魔者の隠れた様子は無く。
安全を意味する手信号を送ると、操縦士が「周囲に驚異無し!」と勇達に合図を送る。
「では行きましょう!」
福留がその合図を待ちかねたかの様に間髪入れず機体の外へと飛び出す。
その姿は老人ながら身軽、まるで乗り馴れたかの様な身のこなしだ。
勇がそんな福留に「凄いな……」などと漏らしつつ、見習う様に続いて躍り出た。
しかしちゃなはどうにも一歩を踏み出せない。
寄ってみると結構大きいヘリコプター。
実はその座高、意外と高いのだ。
二人にとっては大した事の無い高さでも、彼女にとっては躊躇ってしまう程に恐ろしく感じてしまう高さなのだろう。
すると福留がそれをわかっていたかの様にちゃなへと手を指し伸ばす。
その姿はまるで、馬車から降りようとする姫へ手を差し伸べる王子の様にとても紳士的で。
傍で見ていた勇が思わず感嘆の声を漏らし、唖然とその様子を見上げる。
良い大人のお手本とも言える行為が、未だ至らぬ彼の心に一つ刺激を与えた様だ。
福留のエスコートの甲斐もあり、ちゃなが無事着地を果たす。
二人が揃った所でようやく出陣……といった所で突如、勇が左手を広げて福留達を制した。
「ここからは二人で行きます!」
ローターの回転音がなお響く中、勇が大きな声を上げて福留達に意思を伝える。
突然の勇の提言に、福留も自衛隊員も戸惑いを隠せない。
「ですが、サポートは―――」
「俺達には他の人を守れる余裕は無いと思いますから! 俺達二人だけの方が動きやすいんです!」
これは剣聖が勇の父親に言い放った事の復唱に過ぎない。
とはいえ実際の所、自衛隊員はともかく福留はハッキリ言ってお荷物だ。
エスコートは出来ても戦いになれば役に立つはずも無く。
いざという時を考えれば、魔剣を持つ勇とちゃなだけで戦った方が自由に動く事が出来る。
自衛隊員はそんな福留の護衛に回った方がいい、そう思っての発言だった。
「念の為、福留さん達は一旦戻った方がいいかもしれません!」
だが続くその一言は先日和泉が自衛隊員に言い放った言葉と同じ。
それが福留に、その台詞の末に招いた悲劇の記憶を呼び起こさせる。
もし自衛隊員が言われた通りに戻る事を拒否して和泉の傍に居続けていたら。
きっと和泉は間一髪救われて命を落とすまでには至らなかったかもしれない。
その無念が福留に一つの結論を導かせる。
「私達の心配は無用です」
それは大音の中に晒されていながらもハッキリと聴こえる程の地に付いた声で。
思わず振り返った勇が唖然とする姿を見せる程に力強く。
「ここで待たせて頂きますよ。 お二人が戦い終えてすぐに帰られる様にねぇ」
振り向いた勇へ向けられていたのはいつもの福留の微笑み。
一切の嫌味の無い、彼そのものを反映した素顔。
その言葉、その笑顔は勇達の心にまたしても勇気を与える。
その勇気が勇達の心に「福留さんの想いに報いる為にも絶対に帰ってくるんだ」という強い意思をもたらしていた。
「この先に彼等の住処らしき場所がある事が確認されています。 ですが彼等はヘリの音に気が付いてこちらに向かっているかもしれません! 気を付けてください!」
「わかりました。 行ってきます!!」
福留達に見送られながら。
勇達が魔剣を手に、とうとう青と緑が混ざり合う不思議の森へと足を踏み入れる。
いつ何時襲い来るかも知れぬ相手に警戒しながら、目標である【ウィガテ族】を探す為にゆっくりと前進を始めたのだった。




