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時き継幻想フララジカ 第一部 『界逅編』  作者: ひなうさ
第四節 「慢心 先立つ思い 力の拠り所」
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~疾風の二撃~

 勇と池上―――二人の男が激昂を向け合い対峙する。

 もはや一触即発。

 二人の意思に後退の二文字は既に無い。




ビュオッ!!




 その途端、勇の目前に突如として池上の左拳が突き出されていた。

 アウトボクサーたる由縁か。

 空を切る程の鋭い振り抜きは、相手に拳を振らせた事すら認識させない。


 しかしそれは寸止め。

 素人である勇に対する最後通告とも言える行為だった。


 その一撃が勇の足を止めさせ、池上の口元に思わず笑みが零れる。

 打ち出した拳を引き込むと、リズムを刻む様に身体全体を揺らし始めていて。


「オイ何ビビってんだ、今のはただの脅しだぜ? ハハッ!!」


 得意げな表情を浮かべ、両拳を刻む様に振り回す。

 今の一撃に何の反応も見せなかった勇を見て悟ったのだろう。

 「強気だが、コイツは口だけだ」と。

 その認識が挑発に繋がり、勇の感情を刺激する。


 だが勇は視線を外す事無く。

 池上へ変わらぬ闘志をぶつけ続けたままだ。


 それもそのはず。

 勇には全てが見えていたのだから。


 今の一撃の一挙一動を余す所無く。

 筋肉と骨の動きがハッキリと見えてしまう程に。


 それは先程ちゃなを見つけた時の感覚の延長。

 極限にまで高まった集中力がその時よりも更に鋭い感覚を呼び込んでいたのだ。


 見えていれば恐怖は無かった。

 死闘に馴れたというのも理由の一つだろう。


 だから勇は闘志を留める事無く、意思を構えに反映させる。

 格闘技に疎いからこそ適当な形ではあったが、ガシリとした構えにはこれ以上に無い力が籠っていて。


「だからなんだよ。 来いよ……!!」


 勇の引く事の無い強き意思は池上の心に僅かな焦燥感をもたらす。

 構えは素人、体付きも格闘向けではない。

 それが「何故ここまで強気なのか」、「何故引かないのか」といった考えを脳裏にちらつかせていたのだ。


 しかし迷いは戦いにおいて敗北の火種となる。

 ボクシングの世界に身を置いて長い池上もそれを知るからこそ―――


「あァ!? じゃあやってやるよ!!」


 闘志が、戦意が、池上に拳を振るわせる。


 その瞬間、池上の左拳が突き出された。

 鋭い軌跡を描き、勇の頭へ向けて真っ直ぐと。

 彼の持つ力を余す事無く篭めた、容赦の無い一撃を。


 それだけでなく、胸元に添えられていた右拳にもまた力を秘める。

 左拳から右拳のワンツーコンビネーションで勇を沈めるつもりで。


 そう、そのつもりだった。




 だがその一瞬は―――勇にはまるで時が止まったと感じられる程に〝ゆっくり〟だったのだ。 




 人は時折、極限状態に晒されると全ての景色の流れがゆっくりに感じるという。

 極度の緊張状態であったり、決死の場面であったりなど、事案は様々だ。


 勇もまたそれと同等の状態だったのだろう。

 加えて全てを見通せる程の鋭い感覚が拍車を掛け、事象の何もかもをも認識させていた。


 鋭敏に。

 そしてよりリアルに。

 突き出されようとしている拳を指で摘まめてしまえるのではないかと思える程に。


 でもそんな事をするつもりは無い。

 例え力づくであろうとも、例え暴力であろうとも。

 目の前の池上という男が同じ力を行使するならば、勇に加減する理由など何一つ在りはしなかったのだ。




 その時、命力の光が迸る。




 とてもとても淡い光だった。

 でも勇にはそれだけで十分だった。




 たったそれだけで―――勇は、池上の真横へと辿り着く事が出来ていた。




 何が起きたのかなど、池上にわかりはしない。

 ただ突き出そうとしていた腕に纏わりついた様な光の軌跡が描かれていて。


 勇の鋭い頭部の動きが軌跡を描いて移動し、一瞬にして回り込んでいたのだから。


 唯一、池上の意識()()がその動きを僅かに認識していた。

 自慢の左拳は未だ振り抜けていない。

 体は右拳を放たんとすらしていて。


 でも勇は既に自身の横に移動している。


 無意識のままに、池上の目だけがその姿を追っていて。

 しかし体はもう、言う事を聞かない。




 それだけの刹那の中で―――全ての事が起きていた。




 移動の慣性を強引に押し留めんと、勇の左足が地面を力のままに踏み込み。

 拍子にアスファルトの床面に亀裂が走る。


バキキッ―――


 踏み込ませた左足は同時に彼の体を支える軸足と化した。

 その時の勇と池上はまるで背中合わせの様な姿を描き。

 それでいてその相対速度は、勇だけの時間が過ぎていると言わんばかりに一方的。


 右足がたちまち舗装面を削り取らんばかりに弧を描いて滑り込む。

 その時、軸足の左足を中心として体に大きな回転運動をもたらした。




 その姿はまるで―――疾風。




 何もかもをも凌駕したその動きは、池上も、心輝も、少女達も捉えられはしない。

 たった一人、ちゃなを除いては。


 その時、勇の全身の筋肉が引き絞られる。

 筋肉の引き締まる音が全身から「ギュギュ!!」と鳴り響かんばかりに。


 全てはこの()撃の為に。




パパァーーーーーーンッッッ!!!!!




 その瞬間、凄まじい衝撃音が周囲に木霊した。

 たったその一瞬で、勇は渾身の力を込めた右拳を()()振り込んでいたのだ。




 振り込まれた拳は見事なまでに、池上の顎と下腹部へと打ち込まれていた。

 直撃部を抉り取らんばかりの威力を乗せて。


 構えも、動きも何もかもが本場と比べたら素人同然だ。

 だがその二撃は間違いなく池上の意識を刈り取る程に重く鋭い。


 勇の両拳には僅かに命力が籠っていて。

 その拳の強度は常人の拳撃など比較に成らない程に強化されていたのだ。

 殴り合いの素人である勇の拳の威力が、強肩プロボクサーの渾身の一撃並みとなる程に強く。


 しかし振り抜く事は無い。

 振り抜けば池上が死んでしまう可能性もあったから。




 勇はそれ程までの威力の拳を見舞っていたのである。




 たちまち池上が力無く崩れて倒れ込み。

 目を回してピクリとも動かなくなる。

 たったその二撃だけで、意識を飛ばしてしまったのだ。


 先程の粋がっていた姿が嘘だと思える程の無様な姿を晒しながら。


―――魔者と比べたらこんなの、怖い事なんて無いじゃないか―――


 倒れた池上を前に、勇はただただ拳を握り締め。

 人間が如何に脆く弱い存在であるという事を改めてそう実感する。


 強靭で残忍な魔者と比べれば、プロボクサー志望の人間の()()など可愛いもので。


 怪物の権化とも言えるダッゾ王を目前にした事があるからこそ。

 勇は小物とすら見える池上に対して、恐怖などを微塵も感じるはずも無かったのだ。




 余りの衝撃の出来事に、心輝はただただ唖然とするばかりだった。

 気付けば勇が移動していて、強いはずの池上が倒れ掛かっていたのだから。


 池上に頼っていた少女達に至っては開いた口が塞がらず。

 「こんなハズじゃなかったのに」とでも言いたげに肩を落とす様を見せていて。


 すると勇がそんな少女達に視線を向け。

 彼女達もそれに気付き、堪らず「ビクンッ」と畏れを見せる。


「君達、これからはもう田中さんをイジメるのは止めてくれないかな?」


 でもそんな勇の口調は先程までとは違う、いつものゆるりとした声色に戻っていた。

 池上を殴り飛ばして少しスッキリしたのだろうか。

 顔付きこそ僅かに強張りを纏ってはいたが、憤りはもう既に感じられない。


「え……あ……」


「―――じゃないと、こいつみたいに伸されちゃうかもしれないよ。 田中さんにさ」


「え? ええ!?」


「田中さん、多分俺より強いからね」


 その一言は少女達を更なる唖然へと追いやる事となる。

 少女達にとっては池上は最強のボディガードであり、知る限りでも彼ほど強い人間は近隣に存在しない……はずだった。

 しかしこうして返り討ちにあって。

 おまけに実はちゃなが池上や勇より強いとあれば混乱するのは当然だろう。


 ちゃなはと言えば、「はわわ」と慌てて手を震えさせるだけだったが。


 そんな彼女と心輝の手を取り、勇が二人を引きながらその場から立ち去っていく。

 後に残された少女達は、気絶した池上を前にただただ立ち尽くすのみ。


 勇達が去っていく姿をただただ見届ける事しか出来なかった。











 玄関口に戻った勇達が教室に戻らんと下駄箱へ。

 ちゃなとは場所も違うとあってほんの少しだけお別れだ。


 すると二人だけになるのを見計らったかの様に、心輝が「ツンツン」と勇の腕を突く。


「お、おい、お前いつの間にあんな強くなったんだよ」


「え? あ、あぁ。 ほらあれだよ、シンが前言ってたじゃん。 極度の緊張状態で体のリミッターがなんたらってやつだよ」


「お? おう、あれかぁ」


 こんな時こそ心輝の高説(無駄話)を聴いていた甲斐があったというもの。

 以前テレビ番組を見て学んだ心輝が得意気に話していた事をふと思い出したのだ。

 心輝の事だ、仮に本当の事を話せば「俺も命力が欲しいぜ!!」なんて騒ぎかねない。

 そうすれば福留の願いなどあっという間に瓦解してしまうだろう。

 

 福留に嘘はいけないとは言われたが、そんなこんなで真実を話す訳にもいかず。

 こういう嘘だけはきっと許してくれる事だろう。


 そんな話していると、廊下側からちゃなが姿を現して。

 それに気付いた勇達もまた、止めていた手をそそくさと動かし始めた。




 教室に続く道は短くとも、会話を交わす程には長い。

 自分達の教室に続く階段へ向けて歩む中、勇達が軽く話を交わす。

 ちゃなも落ち着いたのだろう、応える程には余裕が出来た様だ。


「今度何かあったら勇気を出して前に出てみなよ、きっと効果的だろうからさ」


「あ、は、はい……でも私、勇さんより強いなんて―――」


 ちゃなが堪らず両指を絡めた仕草を見せる。

 勇の少女達に言い放った事がどうにも信じられず、謙遜が恥ずかしさを呼んでいた様だ。




 ちゃなはそう言うが、勇が言った事もまた決して嘘ではない。

 彼女の魔剣の威力や剣聖の態度の差を見てもそれは明らかである。

 そして命力を使うジャンルこそ違えど、その力の差は勇自身が一番理解していたからこそ。


 命力の強さで本人の力が左右されるのだとしたら、実際にちゃなは勇より強いのだろう。


 命力を殆ど持たない勇の力で池上をあれ程に圧倒する事が出来たのだ。

 ならばとちゃながその力を奮い、先程の勇の様に人へ攻撃しようものならどうなるだろうか。


 ……もしかしたら人の身体自体がどうにかなってしまうかもしれない。


 百を超える魔者を一撃で焼き尽くす力を持つ彼女であれば、〝人間如き〟魔剣が無くてもどうにでもなる。

 そんな彼女をもし怒らせてしまえばどうなる事か。


 もしかしたらあの少女達を一瞬で消し去ってしまうかもしれない。

 もしかしたらこの校舎を焼き尽くしてしまうかもしれない。


 そんな恐れもあったからこそ、勇はああいった発言をしたのだ。

 それは少女達にだけではなく、ちゃなにも向けたメッセ―ジ。




 日常での彼女の力に抑止(リミッター)を働かせる為に。




「ま、まあその事は後で。 もうすぐ昼休みも終わっちゃうし」


 ふと、近くに備えられた時計を覗けば、時刻は『12:55』を指していて。

 もう間も無く昼休みが終わる事に気付いたちゃなが「わわっ」と慌てた声を漏らす。


 その時丁度、勇達の教室がある二階に辿り着いていて。

 勇と心輝と別れを交わしたちゃなは、そのまま自室のある三階へと向けて急ぎ駆け登っていく。

 小刻みで軽快な足取りは迷いの一つも無く。

 どうやら彼女は秘めていた疎いを一つ消し去る事が出来た様だ。


 そんなちゃなの姿を見届けると、勇達もまた続いて自分達の教室へと戻っていったのだった。




挿絵(By みてみん)

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