~恐怖 の 足音~
最初は誰しも、それが人だと思っていたのだろう。
皆が皆、必死に建物から出て来たから。
周囲に気を取られ過ぎて、人と同じく驚いていたそれにも注視しなくて。
でも今やっと気付いた。
気付いてしまった。
その最たる異質とも言える歪な存在に。
それは人と同じく二足で立っている。
しかしその肌は淀んだ燻緑で、背丈も二メートルを越えてそうなくらいに高い。
加えて腕の比率が常人と異なり、少し太く長いという。
そしてその頭部はまさに異質の元凶と言えよう。
口元はまるで裂けているかの様に広く、耳も異様に長い。
眼も常人より大きい様で、遠くからでも目立って見える程だ。
輪郭も明らかに人と異なり、角張った骨格が形から垣間見える。
まさに異形と言わんばかりの出で立ちである。
ただし知能もあるのか衣服を纏ってはいるが。
とはいえ、布を切って縫っただけという粗雑な造りに過ぎないけれど。
その様相を例えるなら〝ファンタジー作品に登場する亜人種〟と言った所か。
それが見えるだけで三人ほど。
「何あれ……人? 怪物?」
でもその正体を誰がわかる訳もなく。
こんな呟きが周囲から漏れ、戸惑いが再び場を賑わせていて。
異形もまたそんな人々を見つめ返している。
時折、釣られて周囲をも見渡しながらも。
彼等も皆と同様、今の異様な状況に驚いているのだろうか。
「あーわかったー!! これってフラッシュモブかなんかっしょ!?」
「マジ~!? じゃあこれ作りモン? 着ぐるみかなんかってコトぉ?」
するとそんな時、喧噪を切り裂く高声が場に響く。
若い女子が両手を挙げて喜びを見せていたのだ。
見た感じでは統也や勇と同年代の、着飾った女子二人組である。
きっと今の状況をサプライズか何かと思ったのだろう。
何を考えてか、その女子二人が嬉しそうに一歩を踏み出していく。
それもあろう事か異形へと歩み寄る為に。
どうやら、サプライズと思えば怖い物など無いらしい。
遂には「ケラケラ」と笑いながら一人の異形の目前へと。
前まで辿り着くや否や、じろじろと緑の体を間近で眺め始めていて。
挙句の果てにはスマートフォンで撮影まで始める始末だ。
それも恐れる所か、状況を楽しみながら。
「あーっ! これマジ作り物っぽくね?」
「やべーッて! 懲り過ぎー! 中の人おっさん? ねぇねぇ?」
女子達の勢いは留まる所を知らない。
相手を加えての自撮りをも構え始め、気分は最高潮に。
誰もが声を殺す中でマイペースを貫き続けるという。
異形が見下ろしていた事になど気付かぬままに。
これが単にサプライズだったらどれだけ良かったか。
何もかもが人々を驚かせる為だけの仕掛けなら。
彼女達がゲスト出演者ならばきっと「微笑ましい」の一言で済んだだろう。
だが、現実はそんな希望を裏返した。
ボギュッ!!
途端、鈍い音が響く。
静観していた人々の耳へ届く程に大きく。
そしてそれと同時に、現実がその眼へと焼き付く事となる。
女子の頭だけが舞っていたのだ。
自撮りが叶う事も無いままに。
ボールの様に軽々しく、その画面から刎ね飛び消えていたのである。
その間も無く、首から先を失った身体は崩れ落ちる事となる。
まるで糸を切られた操り人形の様にだらり、べしゃりと。
「あ、え……?」
その相方は唖然とするばかりだった。
近過ぎたが故に、何が起きたのかわかっていなくて。
起きた惨劇を前に、現実さえ認識出来なくて。
故に、友人の頭部が彼方に落ちるのをただ眺めるだけで。
異形の視線が自分へと移っていた事にさえ気付けはしない。
でも観衆は皆、何が起こっていたのかを知っている。
全てを一部始終目の当たりにしていたからこそ。
そして、異形がもう一人にも同じ事をしようとしているのも。
では一体何が起きたのだろうか。
その答えは実に簡素だ。
ただその腕を持ち上げて、頭目掛けて力一杯に薙ぎっただけ。
たったそれだけである。
たったそれだけで、一人目の女子は体とお別れしてしまったのだ。
そして今、二人目にもまたその殺意が向けられる事に。
なれば事が済むのはもう早かった。
ゴシャッ!!
直後、またしても小さな塊が青空へと刎ね飛んでいく。
鈍い音が周囲に響く中、赤黒い液体をも撒き散らしながら。
それはただ、いとも容易く。
「カッカカカカッ……!」
すると途端、異形の口元が震える様に動いて怪声を成す。
作り物とさえ思えていた広い口がカタカタと。
それはまるで笑っている様だった。
それでいて、まるで動物の特性動作であるかの様に。
具体的に例えるならば〝狼が仲間を呼ぶ為の遠吠え〟の如く。
殺意に塗れた異形が不気味に笑う。
静観していた別の二人も同様にして。
大勢の群衆に囲まれる中であろうと恐れる事無く、一歩を踏みしめながら。
その不気味さ故に、観衆はただ後ずさるしか無い。
徐々に近づこうとする異形から離れる様に。
中には堪らず背を向けて逃げる者も。
でも、きっとそう逃げる事こそが正解だったのかもしれない。
「カカァーーーッ!! 楽ナ獲物ガ狩リタイ放題ダァーーーッ!!」
その叫びと共に、遂に異形が観衆へと向けて駆け始める。
それも腕を振り回しながら前のめりに。
速い。
驚異的な足の速さだ。
太く強靭な足腰が凄まじい加速力を与えたのだろう。
加えて、異形達は明らかに日本語を発している。
聴き取り辛くはあったが、わかる言葉で高らかと叫びを上げたのだ。
それもこれ以上無い殺意を撒き散らしながら。
その事実が、不気味さが、観衆を恐怖へと突き落とす事となる。
「ひ、ひぃぃぃ!?」
「イヤァァァー!!」
こうなればもはやパニック状態で。
たちまち観衆が蜘蛛の子を散らすかの如く逃げ始める事に。
人を軽く殺す異形が襲い掛かってきたのだから当然だ。
「やべェ!! 逃げるぞ!!」
「うわああああああ!!」
もちろん統也も勇も例外ではない。
迫り来る脅威を前に、ただ逃げるしか道は無かったのだ。
だが観衆の大半はもう既に手遅れだった。
近い者は軽く追い付かれた途端に叩き殺されて。
足が遅い者もすぐ捕まっては蹂躙されて。
太い腕を容赦なく振り降ろされ、一撃の名の下に粉砕されていく。
どこに潜んでいたのか、異形達がその数を増やし続ける中で。
殺す相手に容姿・性別・年齢など拘りは無い。
全ての人間が異形達の獲物であるが故に。
これはもはや情け容赦の無い殺戮である。
それも、一瞬にして周囲を血飛沫の赤で染め上げてしまう程に凄惨な。
こうして、街は突如として惨劇に包まれた。
日本語を理解していようが会話に応じる者など居はしない。
ここではもう法も秩序も、理性さえも通用しないのだから。
どの異形もが本能の赴くまま一方的な残虐性を見せつけ、蹂躙し、破壊する。
目に付く人間を片っ端から追い掛け、捕まえ、引き千切り、叩き潰して。
こうなった以上、渋谷はもはや街などではない。
今まさに、彼等異形にとっての―――〝狩場〟へと成り果てたのである。