~先立つ思い~
東京変容区域でちゃなの実家探しを終えた二人が家路へと就く。
まだまだ明るい昼間とあって、道程こそ険しいものの妨げるものは無い。
当然の如く魔者との遭遇も無く。
歩みこそゆっくりではあったが、以前訪れた時よりもずっと身軽だ。
時折姿を見せる小動物が二人の興味を惹き。
不思議な形の木の実を目にして笑い合ったり。
珍妙な虫に出くわしてちゃなが驚き慄いたり。
時には調査中の自衛隊員と遭遇して挨拶を交わし。
変化した街を良い意味で堪能しながら、二人はとうとうその地を後にしようとしていた。
「疲れてない? 大丈夫?」
「だ、だいじょうぶです……」
勇がちゃなの手を引きながら歩き、時折彼女を気遣う。
とはいえ母親の忠告もあった所為か、その頻度は余計だと思える程に多くて。
ちゃなも困り顔を浮かべ、苦笑を返してしまう程だ。
内気な彼女なだけに、気遣いが嬉しい半面でどう応えたらいいか悩ましかった御様子。
そんな二人の旅ももう間も無く終わりを告げる。
政府公認という事もあり、帰りも楽なものだ。
予め決めていた地点へと向かえば警官が待っていて。
既に二人の事を知っているのだろう、誘う様に二人を迎え入れた。
この日、勇とちゃなは良い意味で警察のお世話になりっぱなしだ。
もちろんその辺りの手配も福留の采配。
さすがの政府関係者ともあり、警察機構にもコネがある様で。
父親が仕事だったという事と、自宅からこの地に訪れるまでの足が無いともあり、移動は警察車両による送迎。
そのまま変容区域へ入れるという事もあって、それが一番面倒の無い手段だったからこそ。
近所の目は少しばかり気になりそうではあるが。
二人を乗せた車両が発進していく。
車内で振り向けば、大樹の徐々に遠ざかっていく姿が見え。
先程までその下に居た事を思い出し、感慨に耽る。
〝再び訪れる機会はきっと暫く訪れないだろう〟、そんな想いを胸に。
この地は今や忌むべき場所であり、訪れる理由も何一つ残っていない。
それは二人だけに限らず、多くの人々にとっても。
街としての機能も失った今、嬉々として立ち入る場所ではなくなったのだから。
こうして彼等は変容区域から去っていった。
心なしか、そんな二人の顔に安堵の表情が浮かぶ。
旅路が徒労に終わったにも拘らず……その心はいつか見た空の様に晴れやかだった。
◇◇◇
昼過ぎに帰宅を果たした勇達であったが、それ以上にやる事も無く。
勇がお出掛けを提案するも、ちゃなが乗り気では無かった事もあって結局は家から出る事は無かった。
なんでも、お金を持っていないので引け目を感じるからだとか。
実際彼女は財布も持ち合わせておらず、所持品は制服と生徒手帳のみ。
渋谷に行った時も、何も持たずに家から歩いていったそうだ。
なけなしの小遣いしか持っていない勇も、大しておもてなしが出来る訳でも無いが。
ちゃなの遠慮に甘える形で、二人は日中のゆったりとした時間を屋内で過ごす。
それでも彼女には十分過ぎた様で。
リビングのソファーに寄りかかって眠る姿は穏やかそのものだ。
きっと昼まで歩き詰めで疲れていたのだろう。
勇もそんな彼女の寝顔を見届けると、自室へと上がっていった。
両親が帰り、食事を堪能し、浴槽に浸かる。
そんな普段らしい一日を過ごし、今日この日が終わりを告げようとしていた時。
勇が寝る準備を済ませ、自室へと戻る。
その時ふと、自身のベッドが視界に留まり。
先日までそこに居た人物の姿が薄っすらと浮かび上がっていて。
「あれだけ煩かったけど。 居なくなると逆に静かに感じちゃうな」
一日置いてみると、そんな煩わしさも懐かしく思えてならなくて。
もう既にちゃなも両親も床に就き、夜のしじまと相まって無音の世界が屋内を包む。
それが先日までの剣聖との思い出を鮮明に思い起こせる程に雑念を払っていた。
恩師とも言える剣聖。
かの存在はそれ程までに勇の中に印象強く残り続けているのだ。
「また会えるといいな。 いや、多分また会える気がする」
だからこそ不思議とそう言い切れる。
あれだけ大暴れする程の人物なのだ、ふとした事で突然目の前にでも現れそうでならない。
そうとも思えれば寂しさよりも楽しみの方が断然強くもなろう。
そのままベッドに転がり、天井を仰ぐ。
するとその衝撃でベッドが「ギシギシ」と音を立て、木製フレームにひずみを呼んでいて。
剣聖の体重と乗り降りの衝撃が全体に相当なダメージを与えていたのだ。
「新しいベッドでも買って貰おうかな……」
しかし、そう呟くも勇の心は既にそこには無く。
脳裏に浮かぶのは先日の思い出。
剣聖達と騒ぎ合った、大きな出会いを繰り返したあの日の出来事。
勇にとっても忘れられない一日だった。
あのぶっきらぼうな剣聖が自身を褒めてくれて。
フェノーダラ王が讃えてくれて。
エウリィが好意を寄せてくれた。
福留も多くの協力を願い出てくれたから。
悪い事ばかりあったけれど、良い事もこんなにあったから。
勇はこうして安心のままに眠る事が出来るのだ。
「剣聖さん、今頃何してるかなぁ」
意識が薄れゆく中で、そんな声がポツリと漏れる。
心に思うがままに、かの者を思い出しながら。
脳裏に浮かぶ一人の後ろ姿。
薄い青の髪。
自信に有り触れた背筋。
腰に当てた両手が力強さを物語り。
突いた両足は安定した足腰を体現する。
そして形作られた後ろ姿がそっと振り返った時―――
剣聖……ではなくエウリィの全身像が浮かび上がっていて。
「エウリィさん、可愛かったなぁ……ハァ」
そんなエウリィへの想いが沈み掛けていた意識が突如として浮上させ、たちまち鼻の下を伸ばさせる。
エウリィの魅せた仕草が印象に強く残り、未だ勇の心を捉えて止まない。
彼女一杯に占められた心からはもはや剣聖の面影など欠片も残らず消え去っていて。
彼女への想いが、印象が、彼の思考を暴走させていく。
―――勇様、好きです!―――
理想が妄想上の彼女にそう答えさせる。
妄想でなくとも頼めば言ってくれそうな彼女だからこそ、想像にも容易かったのだろう。
―――勇様……愛しています!―――
次第に見せた事の無いエウリィの姿をも妄想させ、脳裏の中で駆け巡らせ。
それだけに留まらず、勇の思春期脳が暴走するままに彼女をあられもない姿へ変貌させていく。
―――勇様……私、もう……!!―――
最初は見たままのドレスの姿だったのだが。
それがどんどんと薄い服へ移り変わっていき。
次第に下着姿、そして―――
「んはぁ……」
妄想が行き着く所にまで辿り着き、堪らず勇の口から光悦な吐息が溢れ出る。
気付けば掛け布団を力のままに抱き込んでいた。
女性にあれ程までの熱烈なアタックを受けた事など当然無い訳で。
勇も年頃の男の子だ。
そんな想いをしてみたいという願望が少なからず心の隅にあったからこそ。
願いが唐突にでも叶えば浮かれもするだろう。
相手がエウリィの様な可憐な美少女であればなおさらだ。
結局その日、勇は興奮の余りにすぐに寝付く事が出来ず。
軋みを上げるベッドの上でゴロゴロと右往左往に転がりながら上気に耽け続けたのであった。




