~勇者だなんて柄でも無い~
エウリィという少女が勇の下へと差し出したのは、一本の古こけた茶肌の剣。
全長は切っ先から柄先まででおおよそ一メートル、刃渡り六十センチメートルといった所。
しかし、その形はと言えば異質以外の何者でもない。
まるで七支刀の様に刃が幾つも独立して伸び、鉤爪の様な形を成している。
全体的に見れば剣ではあるのだが、武器として使うにはいささか使い難そうな見た目だ。
斬るというよりも、引っ掛けて千切る方が得意そうな、そんな形状である。
所々に仰々しい古代文字らしき紋様が幾つも描かれており、【エブレ】とは全く造りが異なる事が察せる。
見た目は錆びた剣にしか見えないのだが。
それがどこか凄みを感じさせる存在感を醸し出し、勇の視線を捉えて離さない。
それ程までの異質を、その剣が纏っていたのである。
「オ、オイてめぇ!! こ、こいつぁどういう事だぁ!!」
しかしそれを見掛けた途端、剣聖が突如として叫びにも足る声を荒げて上げる。
それもどこか焦燥感を感じさせる様に一歩身を乗り出させながら。
「それが貰えるなんてなぁ聞いてねぇぞ!?」
「ハハ、当然だとも? 私が今さっき決めた事だからね」
「んぎぎ……てめぇ、後で覚えてろよォ!」
どうやら剣聖はこの剣に関して何か執着がある様だ。
そう思える程に力強く腕を震わせる様な悔しさを全面から滲ませていたのだから。
それを狙っていたのか否か、フェノーダラ王の顔にいじらしいニヤリとした笑みが浮かぶ。
フェノーダラ王という男は見た目の豪胆さ以上にしたたかなのだろう。
相手が剣聖であろうと遠慮も無しに振る舞う様は、さながら友人同士にすら見える程だ。
「途中ですまないね。 これは魔剣【大地の楔】という。 古より伝わる伝説の魔剣の一本で、とても強力な代物だ」
「そ、そんな物を俺が貰っていいんでしょうか……」
そんな仰々しい経歴を持った魔剣を目前に、勇が躊躇し堪らず足を引かせる。
自分の成果と対価が余りにも見合わなさ過ぎると感じてならなくて。
讃えたい彼等と現実を知る勇とのギャップが余りにも掛け離れていたから。
剣聖に命を救われ、魔剣を授かった。
ちゃなに転機を授かり、窮地を脱した。
ヴェイリが追い込み、戦いを継いだ。
それが結果に繋がったからこそ、受け取る事に引け目を感じさせていたのだ。
もし受け取ってしまえば相応の期待を受けなければならない。
勇にはそれを叶える程の力は持っていないという確信があったから。
ヴェイリとダッゾ王の戦いを目の当たりにしたからこそ。
だが、フェノーダラ王は怯む勇に対してなお微笑みを浮かべたままだ。
まるでその挙動そのものが彼の意図した通りであると言わんばかりに。
「君に貰って頂きたいのだ。 まだ君の力はこれを扱える程ではないかもしれない。 しかし君にはそれをいつか扱えるであろう期待を感じるのだよ」
「俺に?」
「ああ。 自身に正直な君だからこそ私はそれを託せるというものだ。 何せ今の君は、かつての若かりし私にそっくりなんだよ。 そう、魔剣使いとして戦いを始めた頃の私とね」
その時フェノーダラ王が見せたのは歯々が覗く程に大きな笑み。
年甲斐も無く無邪気そうな一面を覗かせた、彼そのものと言える笑顔。
きっとフェノーダラ王は例え勇がダッゾ王を討たなくとも【大地の楔】を渡そうとしていただろう。
それは単に、彼が勇という存在の在り方に親近感を持ったから。
若き頃の自身の姿と重ねる勇ならばこの魔剣を託す事が出来る、そう信じてならなかったのだ。
「これはかつて私が魔剣使いだった頃に使っていた魔剣でね、この国の秘宝でもある。 それ故に簡単には人に手放す事が出来ずにいたのだ。 もちろんこれは皆の総意であるがね」
そんな事を述べると、周囲に立つ兵士達もが頷きを見せていて。
「だが君が現れた。 誰よりも素直で、飾る事無く、ありのままを受け入れながらも引く所は引く。 それが出来る者は我々の世界において希有な存在なんだ。 自尊心の塊の様な魔剣使いとは真逆な存在だからね?」
そう口にしつつ、フェノーダラ王の視線がちらりと勇から外れ。
移った先はと言えば、勇の背後でへそを曲げる大男へ。
視線の先が勇には容易に想像出来て、見えない事をいい事に「ニヤリ」とした笑みが浮かぶ。
「安心したまえ。 私が許した相手とあれば皆も認めてくれよう。 きっと君の力になってくれるはずだ」
その一言を最後に、フェノーダラ王がそっと手を勇へと向けて翳して見せ。
想いの詰まった一句一動が勇の躊躇する心を揺らし溶かす。
それが勇の覚悟を引き出し、その手をゆっくりと魔剣へと延ばさせていて。
満を辞して手に取った魔剣の刀身は赤茶に煤けていて鈍い輝きを放つ。
よく見れば表皮にはきめ細かい斑点の様な凹凸が見られ、鉄の様な硬さは感じない。
しかし少なからずとも命力を鍛えた勇にはすぐにわかった。
その魔剣には……【エブレ】は愚か、今までに手に取った魔剣とは比べ物に成らない程に強力な力が秘められているのだと。
その証拠に、魔剣を持った手から異様な感覚が「ゾワゾワ」と這い昇ってくるかの様に伝わってきていたのだ。
それが筋肉を、骨を、神経を、内側から魔剣へ向けて引き込んでいくかの様な錯覚を憶えさせ。
自分自身の何もかもを飲み込まんとせんばかりに手が吸い付いて離さない。
それだけではない。
魔剣そのものから禍々しい気配をゆらゆらと絶え間なく放ち続け、意識に纏わりつく。
そこに生まれる感情―――それは畏怖と嫌悪。
まるで魔剣からではなく、勇自身から拒否させようとする感情を心の奥底から引き上げさせていたのだ。
そこまでの感覚を与える様はまさに〝魔剣〟と言わんばかり。
魔剣から放たれる「あたり」の様なものを感じさせ、気付けば勇の頬に幾筋もの冷や汗が跡を引いていて。
このままでは意識までをも持っていかれない。
そう感じた勇は強いの意思のままに、手に取った魔剣をそっと箱へと戻して蓋を掛ける。
するとたちまち放たれていた禍々しい気配が空気に混じって薄れる様に消え失せていった。
堪らず勇の口から「ふぅ」と落ち着きの溜息が漏れる。
それを前にしたフェノーダラ王やエウリィも微笑みのままに頷きを見せていて。
まるでそうなる事がわかっていたかの様な態度の二人に、勇はどう応じるべきかと顔をしかめて緩まない。
「最初はそういうものだ。 いずれ耐えれる時が来るさ」
「ええ。 私も最初はこの感覚に耐え切れず、気を失い掛けましたから」
「そうなんだ……って、君も魔剣使いなの!?」
思いも寄らぬ事実に気付き、勇が驚きの余りに丸い目を向ける。
目の前に立つか弱そうな少女が既に自分よりも先行く存在であるという事が信じられなくて。
しかしよく見てみれば、腕は細くとも魔剣の箱を携える様は堂々とせんばかりに不動で。
それでいて汗一つ流す事無く、優しい微笑みを勇へと向けていた。
「魔剣使いではありませんが、命力を扱う為の訓練は欠かさずしております。 有事の際には役に立てる様にと」
「へぇ……」
「我が国の伝統の様なものさ。 優秀な若者にきっかけを与えて才能を導く為に魔剣へ触れさせるのだ。 とはいえ中々才者には恵まれなくてね。 先程の理由もあって【大地の楔】は専ら儀式用と成り果ててしまっていたのだよ」
つまりエウリィも同様に儀式を受けて命力に開眼したという訳だ。
魔剣使いではないという所を見るに、彼女もまた才者では無かったのだろうか。
そこを語る様な素振りも見受けられず、尋ねてしまうのも憚れて。
勇自身も曲りなりに剣聖に太鼓判を押されてしまう程の才無き者であるからこそ。
そうであった時の無念さを良く知っていたから。
「でもお父様は私が魔剣使いになる事をお許しくださらないのです! 折角【大地の楔】にも耐えられる様になったというのに」
……と思っていたのも束の間の発言に、思わず勇の頭がガクリと下がる。
どうやらエウリィという少女、才能も力も相当なものの様だ。
ふと蓋を閉めた箱を押してみても、ビクともしない。
フェノーダラ王に睨みをぶつけながら頬を膨れさせるばかり。
当人が押した事に気付かない程に、不動。
再びの思わぬ事実に、勇の胸中は複雑である。
「オホン! そ、そんな事はまぁどうでもいいのだ。 こうしてフジサキユウの様な者に出会えたのだからな!」
その末にそんな誤魔化し発言がうっかり出てしまえば、途端に別の理由を感付かせてしまう訳で。
ふと察してしまった勇はついつい「ああ~」と唸りを上げんばかりに「ウンウン」と頷く様を見せていて。
やはりフェノーダラ王もなんだかんだで人の親という事か。
勇の挙動を察する間も無く、フェノーダラ王の表情が再び僅かな硬さを呼び込み始め。
先程の儀式の続きなのだろう、両手を大きく広げる様に頭上へと掲げる。
「自らが弱者と実感しながらも機会を逃さず、強き意思を以って強者へ立ち向かう。 その勇気を表して、其方に【勇者】の称号を授けん」
その時王より賜りし【勇者】の名。
それは甘美な響きを纏い、勇の心に触れてくすぐる。
だが、勇は知っていた。
自分が彼等の言う程〝勇気を持つ者〟ではない事を。
統也を死なせ、剣聖にみっともない姿を晒し、ちゃなに助けられた。
そんな事実を誰よりも理解しているからこそ、虚栄を張る事すら出来ようも無く。
「勇者ってそんな、俺はそんな柄じゃないです。 親友も、色んな人も死んで、それでも生きようとして、その結果こうなったってだけで。 こんな俺が〝勇気を持つ者〟なら、きっと皆がそうなんです。 こうして俺を助けてくれた人皆が【勇者】なんだって」
こう思えたのは決して謙遜でも謙虚だからでもない。
ただ素直にそう導けたから……そう導きたかったから。
統也もちゃなも、勇の父親でさえも。
勇にとってはずっと前向きで、自分を支え、助けてくれた。
その先に待つ名が〝勇なる者〟ならば、それはきっと個人に与えられる物では無いのだと、そう思ったのだ。
これが今日この日彼等と話を交わした末に導き出した、勇の答えだった。
そしてその答えもまた、フェノーダラ王が予期していたものだったからこそ―――
「そう思う事が出来るのが君なのだな。 それは確かに君らしい素直の形であるだろう。 けれどね、物事を想い、自分を一歩引かせて世界を〝観る〟。 それは間違いなく君の勇気の成せる業だ。 その心を持たぬ者に、自身を引かせる事は出来ん」
王の言葉は自身の心をも昂らせ。
その心の赴くままに、逞しい掌で勇の肩を強く叩く。
「それを私もエウリィもしっかりと感じとる事が出来た。 だからこそ君は我々にとっての【勇者】なのだよ」
「フェノーダラ王……ありがとうございます!」
素直に応えた事を理解してくれたから。
そしてフェノーダラ王の一句一語一動が何よりも励ましの様に聴こえてならなくて。
そこから生まれた喜びは、心の底から礼を言える程に勇にとって何よりも大きかった。
人は本音で話す相手が出来た時、本当の意味で素直になれる。
フェノーダラ王もまた勇がそれに値する存在だと理解出来たから。
だから彼もまた、こうして自身を曝け出すのだ。
「ハハハ、そう、それでいいのだ。 君に勇気と心があるのならば、後は自信を付ける事だ。 今の君に足りないのはきっとそこだからな。 私も昔はよくそう言われたものだよ」
「あはは……」
「それに称号というのはただの名に過ぎんよ。 半分は遊びの様なものさ」
「あ、そ、そうなんだ。 なんだかどぎまぎして損したなぁ」
恐らくはそれもフェノーダラのお茶目な一面が見せた彼なりの歓迎と冗談だったのだろう。
そのフランクさが皆に慕われる要因でもあり、人を纏める為に必要な能力でもあるのだから。
そしてその心は子にも受け継がれるからこそ―――
「フフッ、これからも頑張って励んでくださいね、勇者様っ」
「き、君まで……もう!!」
果てにはエウリィにまでそう茶化されて慌てる様が周囲に笑いを誘う。
たちまち広間一杯に笑い声が響き渡り、ふんわりとした穏やかな雰囲気を纏い。
その心地良さは渦中の勇をも優しく包み込む。
ヴェイリの事もあって最初は不安を抱いていた勇も気付けば打ち解けていて。
「彼等とは仲良くやっていけそう」、そんな想いを感じてならない勇なのであった。
しかしそんな雰囲気の中でも目前に掲げられ続ける魔剣の箱からは僅かな妖気が滲み出続けていて。
勇は異様な気配を示し続ける魔剣の存在感に不安を抱かずにはいられなかった……。