~国が王に敬意を以って~
遂に勇達がフェノーダラ城へと足を踏み入れた。
ここからは現代人である勇達の知らない領域。
剣聖が前を歩いているからこそ危険は無いだろうが不安は隠せない。
内部へ踏み入れると、今まで城門のヴェールに覆われていた城の姿が遂に露わとなる。
外壁と同じ様な、白の石造りでありながら整えられた外面。
相変わらず飾らずに機能性だけを突き詰めて造られており、小綺麗ではあるが派手さは乏しい。
所々に見える小さな隙間からは内部からの光を淡く放っていて、妙な違和感を醸し出す。
恐らくそれは侵入者を迎撃する為の仕掛けなのだろう。
ちなみに兵士達からは剣や槍といった殺傷力のある武器は殆ど見られない。
大抵はこん棒や縄といった直接的な戦いに寄与しなさそうな道具ばかり。
きっとそういった機構や道具の在り方は全て魔者という特異な相手を想定して造られているのだろう。
相手が命力を使わない直接的な攻撃が通用しないからこそ。
そういった所々に彼等なりの知恵が垣間見える様だ。
勇達が見上げる様にして城を眺めていると、たちまち地響きが響き渡り始める。
びっくりして振り返ると、潜った大扉が再び閉まり始めていて。
複数人の人間が大掛かりで開閉機構を操作している様子が。
それだけではない。
扉が閉まりそうになったのを見計らい、兵士達の半数が周囲へと走り去っていったのだ。
自分達が居るべき持ち場へと戻ったのである。
門が閉じられた事で臨戦態勢が解かれたのだろう。
今の状況は彼等にとっても異常事態であるという事は間違いない様で。
遠くから勇達へ懐疑的な目を向ける者も少なくはない。
迂闊な事をしでかせばすぐにでも飛んできそうな雰囲気である。
続き剣聖が進むのは正面路。
大きな城の中を抜ける様に設けられた大きな通路である。
その正面路は地繋がりの土面が覗き、高さ五メートル程の半円状。
それが体の大きな剣聖が通っても狭さを感じさせない大きな空間を演出していて。
通路はずっと先にまで続き、奥には城門と同じ様な形の扉が見える。
城門と異なるのはサイズと材質といった所か。
木製の本体に鉄板を打ち付けた様な形状だ。
そんな通路の脇にも兵士と思われる者達が。
しかし彼等は表に立っていた者達と様子が異なっていて。
地べたに座り、壁に背を預け、あるいは倒れた疲弊の色をありありと見せている。
中にはピクリとも動かず倒れた者もおり、そんな光景が勇達の視線を引いて離さない。
「随分とまぁボロボロじゃあねぇか」
「これって普通じゃない、ですよね?」
そんな質問でも、答えは返らない。
剣聖も事情を知らず、答えあぐねいているのだろう。
予想すらしえない惨状に、この先で待つモノに対する不安を禁じ得ない。
先程まで堂々としていた勇ですらも、気付けば険しい表情を浮かべていた。
その時、父親が何を思ったのか勇の横から「ズイッ」と前へ身を乗り出し―――
「も、もし交渉とかあるようだったらお父さんに任せなさい。 これでも仕事柄そういう事は慣れているんだ」
「あぁ、うん、なら頼むよ」
先程の汚名返上と言わんばかりに己の胸を打つ。
若干臆し気味なのはもはやご愛敬だ。
【フェノーダラ】が国なのであれば、領主や王様の様な存在が居るのだろう。
この調子であればそんな人物とも対面しかねない。
勇達にとってしてみれば、そんな格式の高い人間に無礼を働けば何をされるかわからないとも思う訳で。
まだまだ敬語が不慣れな勇にとって、父親の助け船がどれだけ心強かった事か。
こうやって進んで前に出てくれた事は少なくとも不安を取り除くには十分だった。
長い通路を歩き抜けた四人の前に中扉が立ち塞がる。
例え城門と比べて小さくとも、目前にすれば見上げんばかりの大きさだ。
だが剣聖は一切の躊躇すら見せはしない。
進むがままに扉へ手を突き―――
ドバァンッ!!
それはあまりにも強引に。
なんとたった一突きで、人の背丈の二倍もあろう扉が勢いよく開いたのである。
「ズズン!」という城を揺らさんばかりの凄まじい衝撃を伴って。
「おう、フェノーダラの!!帰ってきたぜ!!」
途端、通路の先にあった広間の光景が露わとなる。
大きさで言えば、一般的な教室の二倍くらいだろうか。
土面は歩いて来た通路の端で途切れ、床一面を燻りのある白色の石が覆い尽くしていて。
絨毯やラグの様な物は無く、殆どが石肌のままである。
大きな広場を支えるのは四本程の巨大な石柱。
それを沿う様に見上げれば、巨大な木の梁や板が張り巡らされているのが見える。
壁は外部同様に白い石を重ねて造られている様だ。
しかしその様相は表と異なり、継ぎ目が見えない程に整っている。
壁各所や天井には妙な飾られた石が光を放ち。
電灯ではないにも拘らず、広間をくまなく照らし上げていた。
中央辺りには更に三段程の階段が設けられ、自然に視線を上げさせる。
その先中央に佇むのは木製の椅子。
派手さを感じさせないが、大きく象られている様はまさに王座そのもの。
そしてその椅子に座る者こそ―――【フェノーダラ】の代表者たる存在。
「おお剣聖殿、よく帰られた!」
そこに、椅子から身を乗り出した一人の男が居た。
僅かな濁りを含んだ空色の髪に、僅かな光を受けて輝く青の瞳。
鍛えられて引き締まった顔付きは、僅かに細さを感じさせるも力強さも伴う。
背丈は言う程高くはなく、勇達よりも少し高めといった所。
しかしその姿はまさに威風堂々たるもの。
広がった肩幅、伸びた背筋は貫禄をこれでもかという程に押し上げていて。
節々に覗く体付きは全体的に濃く引き締まり、彼自身が屈強な戦士であろう事が容易に想像出来る。
幾重もの装飾布を着飾った姿は、兵士達には見られない様相だ。
その様な身なりで兵達を囲わせる姿はまさに人間側の王である。
「待ち侘びていたよ。 貴方ならきっと窮地を救ってくれるとな」
「一体どうしたってんだ、この困窮具合はよ?」
だがそんな人物に対しての剣聖の開口一番は不穏を帯びていた。
剣聖もずっと気になっていたのだろう。
外の様子は当然の事、通路に倒れていた兵士達の状態が気掛かりで。
何も知らぬ勇達ですら異常と思える程だったのだから。
「それがだね……君達が発った後、実はダッゾの斥候部隊が攻めて来たのだ。 君達がここから出るのを監視していたのだろうな」
「なるほどなぁ、それでか」
「いや、それだけではない。 ダッゾ共は無事に退けられたのだが、その途端に突如として周辺の光景が変わってしまったのだよ。 おかげで居住区も消え、備蓄倉庫も無くなった。 残っているのはこの防衛区だけだ。 疲弊している時にこんな状況では治すものも治せん」
男自身も余裕は無いのだろう、疲れの溜息が後から漏れる。
仮に彼等が渋谷の変容と同時期に転移してきたとして、あれからおよそ二日間が経っている。
確かに通路に倒れた者達は疲弊こそしていたが、怪我をしていた様子は殆ど見られなかった。
だが、人は糧が無ければ生きられない。
彼等は疲弊したままこの二日間をずっと飲まず食わずで耐えて来たのだろう。
「おまけに外で妙な者達が突然現れては周囲を固め始めたのだ。 言葉は通じんし、何をしようとしているかもわからん。 それ故に油断も出来ず、皆揃って根を詰めっきりなのだよ……」
「まぁ奴等は確かに異様だよなぁッハッハ……んん?」
途端、剣聖が何かに気付いて声を途切れさせ。
たちまち王との会話までもが止まり、場を僅かな静寂が包み込んだ。
そしてその静寂が―――男にとある事を気付かせる。
「ところで、彼等は一体何方かな? 見慣れぬ者達だが」
それは当然、剣聖の背後に立っていた勇達の事である。
剣聖の帰還による喜びと、募りに募った不満が今の今まで彼等を気付かせなかった様だ。
剣聖が大き過ぎた所為で見えなかった、というのもあるが。
「実はちぃとしくじってなぁ。 こいつらに助けられたんだぁよ」
剣聖もそこで勇達が背後で隠れたままだった事に気付いたのだろう。
「早く出てこい」と言わんばかりに脇の下から手招きを見せていて。
「ど、どうも……」
どこか申し訳なさそうに頭を下げながら、勇達がゾロゾロと王の前へと姿を現した。
でもその姿はいずれも怯えた様に引き気味で。
何せ勇達は目の前に居る人物が何者であるか全く知らされていないのだ。
王様なのか、領主なのか、それとも兵士の一人なのか。
道中でもこんな会話の最中でも、剣聖は全く教えてくれなかった訳で。
〝粗相があってはいけない〟
そんな気持ちが勇達の心に緊張をもたらしていた。
しかし男はと言えば、そんな彼等を前にも態度を改める事も無く。
先程の剣聖に向けた柔らかな様子のままで静かに微笑みを向けていて。
「そうか、君達が剣聖殿を支えてくれたのだな。 私から礼を言わせてくれ」
「あ、い、いえ、そんな事しなくてもっ!! お、ぼ、僕達も助けられましたしっ!!」
途端の予想もしなかった感謝の言葉が更なる緊張を呼び込んだ。
勇が慌ててそう返してしまう程の緊張を。
慌てる余り、先程父親の助け舟の事などすっかり記憶の彼方である。
もちろん、ちゃなも勇の父親も同様に、であるが。
そんな彼を前に、男も堪らず「フフッ」と笑いを上げていて。
そこからその様な笑いを見せられれば、もはや思考停止は免れない。
緊張の余り、勇は堪らず唇を窄ませながらガチガチに固まっていた。
まるでその様子は鳩に豆鉄砲。
いや、この場合は鳩ではなくアヒルと言った方が正しいだろうか。
さすがに男もこれ以上突くのは憚れたのだろう。
気付けば視線を剣聖へと向けていて。
「しかしまさか剣聖殿ともあろう方が不覚を取るとは。 ダッゾがそこまで力を付けていたのかね?」
「いやそうじゃねぇ。 別の事でちょっとあって、なぁ?」
そんな唐突の質問を前にした剣聖はと言うと―――どうにも気まずそうだ。
恐らく剣聖は『鉄の箱』の事を言いたいのだろう
……が、どことなく言葉を濁していて。
何せ一撃の名の下に重傷を負わされたのだから。
まだ何も知らない者にぺらぺらと話せる事でも無く。
というか、どうやら話したくは無さそうだ。
そういった所に若干のプライドの様なものが垣間見える辺り、やはり剣聖も人だという事か。
「何にせよ恩人には敬意を称さねばな。 私はフェノーダラが王である。 そう固まらずとも気軽にして構わんよ」
「は、はい、ありがとうございますっ!」
とはいえ、そう言われても簡単に緊張が解れる訳も無く。
それが再びフェノーダラ王の嘲笑を呼ぶ訳だが……勇だけがその事に気付いていなくて。
「ビシッ」とした直立し続ける彼の横で、ちゃなまでもが思わず「フフッ」と笑みを零していた。