~横に引けば空に飛びます~
自衛隊のキャンプの合間を通り抜け、勇達の車が【フェノーダラ】の城壁へと向けて走り行く。
追跡の気配も見えない今、彼等を止める障害は何も無い。
とはいえ危機一髪だった事には変わりなく。
必死だった勇はともかく、車の前に座る父親とちゃなは緊張の連続で疲れ果てていて。
「ハァ……ハァ……も、もう撃ってこないよなぁ。 死ぬかと思った……」
父親はハンドルを抱える様に掴み、疲れの余りに瞼すら沈み気味。
絶叫の連続で声も枯れ枯れ、堪らず漏れる声も僅かにトーンが高い。
ちゃなは無言のまま、シートと扉にもたれ掛かり。
ドキドキと高鳴る胸を抑えたくとも、腕が震えて上がらない。
パチリとしていた目もカッ開き、瞳孔が未だに明後日の方向に向かいっぱなしだ。
「ハ、ハハ、ローンまだ終わってないのに……」
見上げれば、視界一杯に青空が広がっていて。
視界を遮る物は何も無い。
変わり果てた愛車の姿に堪らず目元へ涙を浮かばせるが、「男は黙って心で泣け」が彼のモットー。
浮かんだ涙を「ズゴゴ」と涙腺へ戻さんとばかりに、顔をプルプルと震わせていた。
「ま、まぁ、なんとかなったしさ……」
後部座席の二人は、前の二人と違って比較的落ち着いている。
勇は先程の行動のおかげで気持ちを振り切る事が出来たのだろう。
ただ、意気消沈する父親を目前とすれば素直に喜ぶ事も出来ない様で。
しかめ面と苦笑が混ざり合った珍妙な表情が思わず浮かぶ。
「もう攻撃してこねぇみたいだな、よっしゃよっしゃ」
そして剣聖はと言えば―――
既に「ドシリ」と腰を落として座り込んでいた。
天井が無くなったおかげで遮る物はもはや無し。
背筋はすっきりピンと伸びていて、車上からでも張り上げた胸板が「ドドン」と丸見えだ。
大事な車を壊された勇の父親の気苦労などわかる訳も無く、その顔はどこか満足気である。
「このまま城門前まで頼むぜ」
ここまで来ればそう言われずとも目標地点は明白で。
車は真っ直ぐ、正面に聳え立つ巨大な門らしき物の前へと向けて走っていた。
近づくにつれて、城門の姿が次第にはっきりとなっていく。
外壁はおおよそ二十メートル程だろうか。
石が比較的綺麗にレンガ状に積み重ねられていて。
組み上げた後に削ったのか、継ぎ目はしっかりと揃えられている。
それでいて無数の傷跡が刻まれており、『あちら側』の戦いの激しさを物語るかのよう。
そこに備えられた城門の高さは壁の半分程で、両開きの金属製大扉だ。
城壁に埋め込まれる様な形で備えられており、錆びた鉄の赤茶けた鈍い輝きを放っている。
しかしデザイン性はと言えば全くの皆無。
揃えば半円状の形をしているが紋様などの飾りっ気は一切見当たらない。
まさに城を護る為だけに造られた壁という事か。
城自体も壁と同様に石を積み重ねられて造られている様だが詳細は不明。
何せ城門が高い所為で、近づくほど城の姿を隠してしまうからだ。
「よっしゃ、扉の前で止まってくれや」
勇やちゃながそんな壁を眺めている内に、車は門の傍へと辿り着いていて。
車体が「ガクンガクン」と揺れ動いた事で二人にその事を気付かせる。
間も無く、車体がとうとう門の前で動きを止め。
剣聖が見計らっていたかの様に立ち上がり、突如野太い声を張り上げた。
「けぇんせぇいであぁる!! 扉を開けろぉ!!」
それも勇達が堪らず耳を塞いでしまう程の大声で。
するとその時、巨大な門が動きを見せた。
「ゴゴゴ」と地響きを上げながらゆっくりと左右に引き離れ始めたのだ。
その隙間が次第に大きくなり、壁の向こう側の景色がに露わとなっていく。
そしてその隙間から姿を見せたのは―――大勢の人間達。
いずれも容姿は勇達『こちら側』の人間とさほど変わらない。
様相こそ荒々しい皮の鎧や目の粗い衣服を身に纏う者ばかりであるが。
そんな彼等が揃って腕を振り上げ、武器や道具を掲げ、剣聖の帰還に湧き上がっていたのである。
「「「剣聖様! よくご無事で!」」」
―――からの凄まじい喝采が堪らず勇達を驚かせ。
雄叫びにも足る迫力が再びその身を怯ませる。
対して、当の剣聖は「ニヤリ」とした余裕の笑みを浮かべていて。
腕を組んで直立する堂々とした姿を見せていた。
「け、剣聖さん、彼等は?」
「こいつらァ【フェノーダラ】の外壁門を守る兵士共よ。 んまぁ、悪ィ奴等じゃあねぇからよぅ。 そこん所は安心していいぜ」
剣聖の言う事も当然か。
ダッゾ族討伐を依頼したのも彼等なのだ、味方である事は間違いないのだろう。
とはいえ、予想を遥かに超えた熱い歓迎には勇達もさすがにタジタジで。
その所為だろうか、勇の父親はまるで脅えた様にハンドルにしがみ付いている。
元々気が強い方ではない彼らしいと言えばその通りだが、いささか驚き過ぎではないだろうか。
その時、群れ成す兵士達の中から一人の男が躍り出る。
周囲の兵士達と比べて歳を感じさせながらもより屈強な体躯を持った兵士だ。
恐らくは彼等の上官とも言うべき存在と言った所か。
そんな男が剣聖へと堂々とした敬礼を示す。
ヴェイリも見せた、胸元に拳を充てる仕草である。
対する剣聖もまた同様にして見せていて。
きっと彼は立場なども気にしないのだろう。
敬意には敬意を。
向けられた意思には誠実に。
それがこの短い間でも見せてきた剣聖という存在の在り方。
声援のままに両手を掲げて応える様は、まさにそれを余す事無く象徴するかの如く。
例え違う世界でもこうして人が居て。
互いに挨拶を交わし合う。
それは勇達の世界『こちら側』となんら変わりはしない。
明らかになった事実が途端に勇の心へ安堵を呼び込んでいて。
それが思わず生まれたばかりの好奇心を口にさせていた。
「そういえば……城って事は、街や村とかもあるんですか?」
「おう、あるぞ。 位置や規模からすると居住区は範囲外だろうがな。 どうやら【外郭防城】だけが飛ばされちまった様だ」
「ろ、ろういん……?」
「あん? あぁ、外側を守る城っつう意味だよ。 城っつったら普通外側守るモンだろうが」
しかしこんな答えを前に勇が堪らず首を傾げてならない。
それというのも、剣聖の言う「城」の在り方が勇の知るそれと全く異なっていたから。
現代において、本来城とは守るべき拠点であり、街や囲う壁の中腹に在るはずの物だ。
王や領主といった中心人物が控えているのであればなおさらであろう。
でもそれはどうやら『こちら側』だけの考えであり、『あちら側』ではそうとも限らない様だ。
とはいえ勇はそれほど城や歴史に詳しい訳でも無く。
興味深そうに「へぇ~」と頷き応えるばかりであるが。
その様にして二人がやりとりを交わしていると―――
「剣聖様、談笑の最中申し訳ありませぬが急ぎ入城して頂きたい」
先程の敬礼を見せた兵士が会話に割り込み、城へと向けて手を翳す。
その顔には僅かに険しさが混じり、時折遥か景色の先へと鋭い視線を向けていて。
どうやら彼等は自衛隊を警戒しているのだろう。
剣聖もそれに気付き、「あぁ、なるほどな」と頷きを見せる。
「こいつらは俺の知り合いだから丁重に扱えよォ?」
「了承しました。 皆様速やかに城内へ」
兵士の男が城内へと誘う様に踵を返し。
剣聖が「ガハハ」高笑いしながら身を乗り出させた。
しかしその矢先、進もうと上げた足を引かせて動きを止める。
その先にあったのは当然、後部座席の引き扉。
幾ら神経の図太い剣聖でも、車の破損の度に悲鳴を上げられれば抵抗は生まれる訳で。
どうやらうっかり踏み抜きそうになるも、ギリギリで事無きを得た様だ。
今更気を使われたところで、既に後の祭りではあるが。
「おう、これどうすんだ」
「え? あ、横に引けば開きま―――」
そう何気なく答えようと思っていたのだろうが。
ふと勇が咄嗟に扉へ視線を向ければ、思わぬ惨状に言葉が詰まる。
天板が飛んだ事で支えも失い、度重なる揺れで接続部品が歪みに歪み。
辛うじて車体にぶら下がっているという、余りにも酷い状態だったのである。
「引くって、これどうやって引けばいいんだ?」などと思ってやまない程に。
そんな事で勇が言葉を失う中。
剣聖がおもむろに扉の上縁に手を掛ける。
どの様にして開くかは出発時に見ていたから知ってはいた。
開き方こそわかりはしないが。
そして見よう見真似で力一杯に引こうものならば。
銀色の扉が青空に舞っていくのは当然な訳で。
幾多の破片を撒き散らしながらブーメランの様に空を飛んでいく扉。
勇達はその惨状をただただ呆けながら目で追うばかりで。
「取れちまったぞ? いいのかぁこれで!?」
目の前で起きた更なる惨事に、もはや勇も父親も言葉が出ない。
「もう好きにして」と言いたげな遠い目を浮かべ、ただただ頷き返すだけだ。
「どうすりゃ良かったんだってぇの……」
そんな二人を前に、剣聖ももはやお手上げである。
間も無くして、扉だった鉄の板が「ガランガラン」とけたたましい音を立てて荒野を跳ね。
たちまち「ペチョリ」と大地に虚しく倒れ込む。
勇達の車は大型でも大衆車、しかも同一車種でも最も安価である。
使われた部品もきっと大した事無かったのだろう。
奇しくもこんな形でその事実を知ってしまった勇の父親の落胆は計り知れない。
そんな中でようやく剣聖が大地へと足を突き。
誘われるままに城へと向けて歩いていく。
衝撃の光景を前に茫然としていた勇達も、剣聖の気配が離れた事に気付いた様で。
兵士に言われた通り、車から降りようとその身を乗り出した。
だがその時、突如として二人の腕に強い衝撃が走る。
父親が勇とちゃなの腕を掴み取っていたのだ。
「ま、待ちなさい。 な、何をされるかわからないから!」
その声には垣間見える程の怯えが混じり。
二人を掴んだ手は僅かに震えている。
確かに、周囲を囲む兵士達はいずれもが屈強な形を持つ者達ばかり。
大の大人であろうとも、こんな状況を前にすれば臆するのも無理は無いだろう。
とはいえ、それでも丁寧な態度を見せる彼等に怯えるが不思議でならなくて。
勇が思わず「ん?」と首を傾げさせていた。
「何言ってるんだよ。 大丈夫だって」
「そ、そうなのか?」
父親がふと振り向いてみれば、勇と同様にちゃなも頷いていて。
彼女のキョトンとした表情が、たった一人状況を恐れている自身の価値観に疑いを感じさせてならない。
気付けば手から力が抜け、間も無く生まれた隙間から二人の腕がするりとすり抜けた。
「どう見たってそうだろぉ?」
勇が降車しながらも振り向いてそう返すのだが。
父親の心配そうな眉を顰めた表情は一層拍車が掛かるばかり。
そんな煮え切らない態度が勇に僅かな憤りすら呼び込んでいて。
「何? 親父は車で待ってんの?」
「あ、いや……」
半ばイラつきを隠せない態度を前に、父親はたじたじだ。
とはいえ、それは決して勇を恐れている訳ではなく。
ただただ勇やちゃなの自信満々な態度が不思議でならなかったから。
でもそれはむしろ父親の方が必要以上に怯えている様にすら見えなくもないが。
息子達を引き留める事も出来ず、父親も渋々車を降り。
三人は揃って剣聖の後を追い掛けて行った。
そんな勝気の態度を見せた勇であったが、それと同時に僅かな疑念も抱く。
それは【フェノーダラ】にではなく、父親の怯える様な態度に対して。
何故父親が戸惑う態度を見せたのか、それが不思議でならなかったから。
まるでそれは勇と剣聖が初めて出会った時の、相互不理解で生まれた噛み合わない会話と同じ様子だったから。
その細やかな不安と、これから垣間見る『あちら側』の世界への期待を胸に抱きつつ。
勇達はとうとう渦中のフェノーダラ城へとその足を踏み入れたのだった。




