~順応、早くないですか~
時刻は昼前……。
ちゃなの髪のお手入れが済み、片付けも勇と母親が協力する事で時間も掛かからず。
リビングはあっという間に元の形を取り戻していた。
場が落ち着くと、勇は再びテレビとスマートフォンを代わり替わりに眺める。
変容事件に関する新しい情報を求めて。
確かに勇にはもう出来る事は無いかもしれない。
しかし事件の最前線で核心に近い戦いを繰り広げた彼だからこそ気にもなる。
まだ渋谷のどこかに魔者が潜んでいるかもしれない。
別の転移でダッゾ族の様な魔者が現れているかもしれない。
そんな一抹の不安が残っているからこそ、気にせずにはいられなかったのである。
『一部変容区域を除き、経済に支障をきたす様な大きな問題はございません。 通常通りの生活を送るようお願いいたします』
先日の謎の生命体消失の発表があってからというものの、この様なテロップがニュース番組の最中に幾度と無く流れていた。
それが人々に普遍的な生活を取り戻させた要因でもあり、現状の真実でもあるのだろう。
混乱に乗じた物資の買い占め等を避ける意図もあるのかもしれない。
実際の所スーパーに行けば普通に食べ物は並び、品揃えこそ従来より少なくはあったが困る程では無く。
変容区域でも何故か電波は通っていたし、電気も流れ信号等も動いていた。
大ホールも光で溢れていた事を考えると照明がしっかり点いていたのだろう。
今の所、送電関係のライフラインには影響が無いという事は察しが付く。
仕組みこそ不明だが。
一方で、無料動画サイトでは魔者らしき姿が映し出された映像も投稿されている。
しかしいずれもハッキリと映ってはおらず信憑性に欠ける物ばかり。
つまり現状で渋谷の様な悲劇は他に起きていないという事だ。
もちろんそれは国内だけの話であり、隠蔽されていないという確証も無いが。
勇がその様な事を考えつつスマートフォンを弄っていると、不意に勇の母親の声がリビングに響く。
「あらこれ、随分近いんじゃない?」
勇がそれに気付いてテレビに意識を向け。
すると先程まで観ていた番組とは異なる、淡泊な背景に緊張感を持ったキャスターが立つ映像が映り込んでいた。
『現在、栃木県南部にて発見された変容区域にて自衛隊が展開されているという情報が入り―――』
そんなニュースが流れると共に、何やら建物の様な物が映っている映像が表示される。
遠方からの写真だろうか。
輪郭はぼんやりとしていてハッキリとはわからない。
だが明らかに日本の建築物とは思えない妙な形を有している。
まるでレンガか石を積み上げて作った様な、古風な城の外観とも言える様相だ。
「これって人の建物……?」
勇がそう呟くのも無理は無い。
それは余りにも文明らし過ぎて。
少なくとも『森』と呼ばれた中に住んでいたダッゾ族と比べれば、限りなく「人間の文明」的雰囲気を纏っていたのだから。
途端、勇が「ハッ」としてスマートフォンで同様の画像を探し出す。
検索エンジンにそれらしいワードを並べてみれば、意外にもそれはすぐに見つかった。
「栃木南部か、ちょっと剣聖さんに訊いてみる!!」
思い立った勇はスマートフォンを握り締めて席を立つ。
ちゃなや母親の視線が追う中で、そのまま剣聖の下へと向けて駆け出していった。
二階に駆け上がれば、すぐに見えたのはゲームに熱中する剣聖の姿。
完全にのめり込んでいるのだろう、プレイする様子は真剣そのものだ。
「剣聖さん、これっ!」
勇がスマートフォンの画面を前に掲げながら駆け寄ると、剣聖が鋭い眼光で睨みつける。
邪魔するなと言わんばかりの剣幕で。
「あぁん!? んだよ今いいトコなんだぁよぉ!! ……んん?」
しかし建物の画像が視界に映ると、途端に画像へと反応を示し。
たちまちゲームの敗北音が流れるが構う事も無く、ジロジロと画像を食い入る様に眺め始める。
「こいつぁ【フェノーダラ】か。 『こちら側』に来てたのかよぉ」
勇の予想は正解だった。
【フェノーダラ】とは、剣聖達をダッゾ族討伐に向かわせた国の名。
その国の建物が変容区域に在るという事は、魔者だけでなく剣聖側の人間もこの世界に転移してきたという事に他ならない。
つまり、変容事件は悪い事ばかりを運んできたのではないという訳だ。
「んじゃまぁ、ちぃと行かなきゃならん様だなぁ。 さすがに寝てるのぁ飽きたぜぇ」
剣聖が足に巻いた包帯を付けたままベッドから降りようと身を乗り出し。
しかし勇が慌てながらも手を翳して制止する。
あれだけ痛がる程の傷を負っていたのだ、身を案じれば慌てるのも当然だ。
「待ってくださいよ剣聖さん、ちゃんと養生しないと骨がくっつくものもくっつかないんじゃ―――」
「んなもんとっくにくっついてらぁ」
だが勇の心配を他所に、その答えは常軌を逸していた。
予想出来なくも無かった事ではあるが、たった一日で骨折を治すなど人間技ではない。
そもそもが年齢が三百を超えているともあって、勇達と同じ人間であるかどうかも怪しい所だが。
とはいえ、どんな事実があろうとも。
勇としては怪我人であるはずの剣聖に無理をさせる訳にもいかず。
「やっぱり無茶はしないでここは大人しくした方がいいですよ。 なんとかして現地へ連れて行きますから」
「んん……おう、んじゃあ頼めるかよぉ?」
さすがの当人も無理はしたくないのだろう。
剣聖が大人しく引き下がると、勇の口から思わず「ふう」と溜息が漏れる。
彼の事だ、止まらず再び空に飛び出しかねない。
次に当たるのがトラックであればまだなんとでもなるだろうが、飛行機にでも当たってしまえば大惨事は免れない。
すんなりと引き下がってくれたのは、そんな心配を持つ勇にとっては幸運だった。
気を落ち着かせると、意を決してスマートフォンの連絡帳を開く。
探す相手は他でもない、父親だ。
コールを掛けて間も無く、聴き慣れた声がスピーカーから聞こえて来た。
「あ、親父?」
『ん、どうした勇、何か問題でもあったか?』
「それがちょっと親父にお願いがあってさ。 実は―――」
仕事中ともあれば事情を知っているはずもなく。
電話を通して今起きた事を簡潔に伝える。
変容事件関連の事ともなれば当事者でも門外漢。
電話先から口を挟む事も無く、静かに聞き耳を立てていた。
「―――という訳でさ、車で剣聖さんを運んでもらいたいんだ」
仕事馴れしている父親でも、さすがの話題に即答出来ず。
『うーん……』という唸り声を皮切りに、僅かな沈黙が二人の間に生まれる。
『……わかった。 じゃあ昼過ぎになるかもしれないけど帰れる様にするよ』
でも勇からの話で事の大事さは十分理解出来たのだろう。
肯定的な答えは勇に「ホッ」とした安堵を与えてならない。
「うん、わかった。 ありがとう」
素っ気ないやりとりで対話は終わり、「通話終了」の文字が画面に浮かび。
思った以上にすんなりと事運んだおかげか、思わず微笑みが零れる。
「親父が帰ってきたら車で連れて行きますから。 それまではゲームでもしててください」
「おう、すまねぇなぁ」
どうやら剣聖も自身の与り知らぬ世界で無茶をするほど無謀ではない様だ。
潔く勇の進言に乗ったのは、この世界が彼にとっては未知過ぎるからこそ。
郷に入れば郷に従え、今は勇に従った方が何かと有利だと理解出来たのだろう。
手渡されたゲーム機も、スマートフォンもしかり。
何もかもが彼にはカルチャーショックの対象でしかないのだから。
しかし、その素の一つであるゲーム機へと再び視線を戻せば―――
「おう? 画面が消えちまったぞ」
先程まで映り込んでいた鮮やかな画像は暗転し、電源ランプも黒に染まっていた。
勇がふとゲーム機そのものへと視線を向けると、とある事に気が付く。
筐体に繋がっていたはずの電源ケーブルが抜け落ちていたのだ。
先程立ち上がろうとした際に抜けたのだろう。
勇がその先端を拾い上げて再びゲーム機へ挿入すると、再びゲームタイトルが画面に映りこんだ。
「おおっ、なるほどなぁ。 こいつが力の源ってぇ訳か」
確かに剣聖は現代の事を何も知らない。
ただし、その理解力は驚く程に高く。
何も知らない所から答えを導く力は、きっとこの世界の人間にも引けを取らないのだろう。
少なくとも剣聖という存在は。
大雑把で肉体派とも思われる体躯だが、意外と頭脳派なのかもしれない。
早速プレイを続行する剣聖。
思った以上のハマりっぷりに、勇が思わずはにかみ笑う。
しかし画面をよく見れば、既に勇が知らない様な高難易度ステージに突入していて。
想像を超えた凄まじい攻略速度に驚き、勇もが思わず首を寄せる様にして画面を眺めていた。
どうやらたった一時間程度で、剣聖は与えられたゲームのコツをも掴んでしまった様だ。




