~化粧までは流石にね~
「出来たぁー!!」
ちゃなの髪のお手入れが始まってからはや一時間。
勇が傍らでテレビとスマートフォンを眺める中、突如として勇の母親が高らかに声を上げた。
「あ、もう終わったんだ?」
「うん、カットだけだしねぇ」
満足そうに笑顔を浮かべ、自前の道具を机の上に置く。
そしてちゃなの首に巻いたシートを丁寧に取り外すと、落ちた髪と一緒に床に敷いていた新聞紙を纏め始めた。
ちゃなはまだ興奮冷めやらず椅子に座って固まったままだ。
「はい、鏡。 どうかしら~」
そんな一言と同時に、ちゃなの前に手鏡が翳され。
ちゃなが好奇心の赴くままに整えられた自身の髪型をまじまじと眺め始める。
「はわぁ……」
「ちゃなちゃん想像以上に素材が良かったから凄い有意義だったわぁ。 お手入れすればきっともっと凄くなるわよぉ~」
ちゃなとしても満足以上の出来栄えだった様で。
思わず驚きのままにただただ惚けるのみ。
そしてそんな声が聞こえれば勇としても気になるのは当然な訳で。
ふと首を回して見てみれば、そんな彼女の横顔が。
先程の粗雑な髪型の面影などもはや欠片も残っていない。
すると勇の母親がまるで図ったかの様に椅子をぐるりと回してちゃなと対面させ。
不意に二人の視線が真っ直ぐ合わさる。
その時、勇の視界に映ったのは、想像もしえない程に美の進化を遂げた少女の姿だった。
前髪が細い眉の辺りまでスッキリと切られ、細かい毛先が動きに合わせてさらさらと靡かせていて。
耳元を覆う髪は落とすのがもったいなかったのだろう、毛先を揃えれば前髪同様にサラリとした質感を保ったまま揺れ動く。
長かった後ろ髪は耳元の髪を強調させる為に僅かに落とし、毛先が緩やかなカーブを伴い。
所々にハネていた髪は何処も落とされ清潔さを助長させる。
そして出来上がったのは、全体的に浮いた様にふわりとした黒髪のストレートヘア。
例えるならば大和撫子の如く、ちゃなの大人しさをお淑やかさへと昇華させる見事な仕上がりとなっていた。
勇はそんな彼女の顔を見た瞬間、思わぬ出来栄えに「ドキッ」と心を揺らす。
きっとそれは勇の母親の思惑通りだったのだろう。
彼女の口元に「にやり」とした不敵な笑みを浮かび上がる。
「髪を切ってわかる女性の色香って奴よ。 ちゃなちゃん結構顔がしっかり出来てるから、お化粧もしたらきっと凄いわよぉ」
「お、おう……」
出会った当初はお世辞でしか可愛いなんて言えなかった。
髪を分けた後も、「思っていたよりも可愛いなぁ」などと思っただけだ。
正直な所、勇は心の奥底では彼女の事を見縊っていたのだろう。
色白の肌がまるで化粧した後なのではないかと思える程に透き通っている様に見えて。
ピンクの唇も小顔と合う様に薄っすらと浮かび、清純ささえ醸し出す。
二重の瞼を持った小さな目も、勇の母親が手を加えたのかと勘違いしてしまう程にバランスよく整えられていたから。
それらが全て合わさった時、勇の脳裏を電撃の様な衝撃が駆け巡る。
今までのちゃなの悪い印象が全て崩れ去る程に強い衝撃が。
気付けば勇は―――彼女の綺麗な素顔に魅入っていた。
しかしちゃな当人はどうやら我慢の限界だった様だ。
白かった肌は次第に赤みを帯び始め、堪らず顔を背ける。
勇もまたそこで見惚れていた事に気付き、恥ずかしがる様に視線を逸らした。
そして勇の母親はと言えば、その一部始終にニヤニヤが止まらない。
「折角だからお化粧やっちゃう?」
「そ、それは遠慮しておきます……」
ちゃな自身もこれ以上に変わるのが何だか怖くて。
勇の母親が「あらぁ」という声を上げて残念がる姿を横目に、恥ずかしさを誤魔化す様に両手の指を絡めさせていた。
さすがの勇の母親も嫌がる子に無理矢理化粧を勧める様な事はしない。
ササっと手馴れた手付きで抱えた新聞紙を丸めていく。
すると何を思ったのか、そのままゴミ箱では無く勇の傍へと歩み寄っていき。
再び鏡を覗き込み始めたちゃなを横目に、ソファーに座る勇の傍で屈んで耳元でそっと囁いた。
「あの子の髪ね、毛先が乱雑でかなり雑に切られてたみたいなのよ」
「え……」
「髪自体も凄い傷んでたから、多分コンディショナーとかも使ってなかったんじゃないかしら。 ここまで痛んでるのを見るのはもしかしたら初めてかも」
髪を切る前にしきりに触れていたのは、そういった事を確認する為だったのだろう。
髪関連のプロであるの勇の母親にしてみれば、そこまでの状態の髪を見抜く事など容易い。
しかしこうも心配するという事は、ちゃなの髪が予想以上に酷い状態だったという事に他ならない。
「今後ちょっとちゃなちゃんの事お願いね? 少し気に掛けてあげて欲しいの」
そう一言添え。
勇の母親は再び立ち上がり、広げてあったゴミ袋へ丸めた新聞紙を放り込む。
心配を掛けぬ様にと、相変わらずの明るい声をちゃなへと向けながら。
ちゃなという娘が今までどの様な人生を送って来たかどうかは勇達にはわからないままだ。
彼女は頑なに身の上話を避けていたから。
しかし事実はどうあれ、勇達にとっては心配である事に変わりはない。
今は曲がりなりにもこうして共に過ごす事となったのだから。
そんな母親の願いを了承するかの如く。
誰に見られる事無く、勇は静かに一人頷いていた。




