~奴等は突然やってくる~
勇が公道からフェンス越しに母校の校庭を眺め観る。
周囲から意識を遠ざけ、数多の想いを駆け巡らせて。
たった二日の出来事はそうさせるまでに重かったから。
その足音が近づいている事にすら気付けない程に。
―――タタタタタタッ!!
細かく刻む軽快な足音。
一定のリズムを崩さない足取り。
それは走りに走り馴れた者だけに許された勇ましき駆け足。
それが周囲の静けさを引き裂き、あろうことか勇へと迫っていたのである。
「ッ!?」
途端、ただならぬ気配が勇の意識に流れ込み、幾多の感情を呼び起こす。
それは恐怖か、悪寒か胸騒ぎか。
幾多の感情がたちまち意識を舞い戻させ。
そして迫り来る気配へと咄嗟に振り向き、本能のままにその体を身構えさせる。
迫り来る子を、勇は知っていたのだ。
「勇くん勇くぅーーーん!!」
ここでその存在を目と耳で初めて認識し、勇の体が感情のままに後へ引く。
突然の出来事、予想外の人物の登場に、首すら引かせ。
堪らずその口から感情の一片がポロリと溢れ出た。
「げっ!?」
その時、勇が佇んでいた場所からそう遠くない曲がり角から人影が一人飛び出した。
身軽に、それでいて力強く、跳ねる様にして。
そのまま駆ける勢いのままに大地を滑り、砂埃を上げながら強引に曲がっていく。
その姿はまさに全力疾走。
力加減など一切見られはしない。
加減など―――微塵もするはず無かったのだ。
「デュフフフ!! 勇くぅーーーん!!!」
両手を掲げ、ワシャワシャと指を動かし迫り来るその人物。
異常なまでのテンションを見せながら勇の目の前に現れたのは小柄な女の子。
そう、彼女こそ噂の「あずー」である。
「クッ!?」
彼女が次に取るであろう行動を勇は知っていた。
堪らずその身を屈め、来るであろう行動に対して身構える。
そして勇の予想通り―――彼女は高々と跳んだのだった。
力強く、本能の赴くままに。
太陽の光を遮らんばかりに大きく両手両足を広げ。
喜びに誘われた大きな笑みと、ほんの僅かなよだれを滴らせて。
その様は別の意味で魔者ですら霞む程に、常軌を逸した者の様。
空から迫り来るあずーに対し、勇が咄嗟にその身を捻らせる。
その動きはもはや卓越した者に等しい程に鋭く速い。
全ては魔剣を得た事で向上した力故か。
自身に宿る力を余す事無くふんだんに奮い、強くアスファルトを蹴り上げた。
その時の勇はまるでつむじ風。
たった一瞬で、あずーの視界からその姿を消し去ったのである。
厳密に言えば、勇が横を逸れる様にして回避しただけだが。
統也と共に鍛えて来た剣道のすり足技術と、命力によって得られた力の賜物である。
そしてそれは勇に抱き着こうとしていた彼女にとって予想外の展開だったのだろう。
「わわっ!?」とその身を空中で暴れさせ、間も無く迫る大地に慌てて足を突く。
それでも飛び込みの勢いは衰えず、転ばぬともつたない足取りでなんとか着地を果たした。
「っとっと、ほっ!」
最後にはしっかり足を揃え、陸上選手の如く両手を「ピンッ」と掲げて。
そのままクルリと振り向き、空かさず勇へと人差し指を「ビシッ」っと向ける。
「会わない内にいつの間にか素早くなったっ、勇くんっ!!」
間髪入れず、負け惜しみの台詞が甲高い声で周囲に響き渡る。
しかし口元はと言えば下唇が上唇を噛む様に「へ」の字を描き、目元もほんのり潤んでいて。
避けられた事がかなり悔しかったのだろう。
こんな彼女があずーこと園部 亜月。
ちょくちょく話題に上がる天然系少女だ。
実は勇を呼び出した園部心輝の妹でもある。
未だ幼い容姿の彼女であるが、勇と同じ白代高校に通う高校一年生。
幼さを助長するのは丸みを感じさせる輪郭と、感情豊かな面立ちによるもの。
ツンツンとした癖毛の目立つ髪を有しており、全体的に短いものの後ろ髪だけは伸ばして二股に結っているのが特徴的だ。
体付きは比較的細身だが、これだけの行動をやってのける程には力強い。
今日はシャツ一枚と短パン、靴はゴムスリッパ……そんな装備でよくこれだけ跳べたものである。
ちなみに胸も殆ど無く、最小サイズのスポーツブラで事足りるので妙な期待を持つのはやめよう。
そんな彼女、何故か勇の事がお気に入りのようで。
出会う度にこの様なアプローチをしてくる事で専ら有名でもある。
勇としてはとても迷惑している事ではあるが。
突然のあずーの登場に勇の焦りが募る。
油断ならない相手を前に体はなお身構えたままだ。
「なんであずーが来るの……シンに呼ばれて来たんだけど―――」
「それは俺が連れてきたからだ!!」
その時、勇の声を遮る様にして突如大きな声が住宅街に轟いた。
その声が聞こえて初めて、勇はその存在に気付く。
あずーに気を取られ過ぎて気付けなかったのだ。
彼女の存在感に隠れて忍び寄っていた人影に。
勇が咄嗟に振り返った先に立つ男、その者こそが勇を呼び出した張本人。
先日より怒涛のメッセージを送り続けていた園部心輝という男だったのだ。
彼は勇と同じクラスであり、私用以外でも絡む事が多い。
比較的整った輪郭の顔立ちではあるが、多少無駄な膨らみで柔らかな丸みを帯びる。
あずーと同じくツンツンとした癖毛を全体的な短髪で仕上げた髪型。
引き締まっている訳では無いが、比較的肩幅が勇より広い大柄感を感じさせる体格。
服を着込んだ姿は筋肉質にも見えるが半分は贅肉か。
あずーと同じ陸上部に所属しているが、それ程打ち込んでもいない。
それと言うのも彼は生粋のアニオタ、いわゆるインドア派である。
身に纏うキャラクターシャツがまさにそれを体現していると言えるだろう。
性格はこの一声からわかる通り、ウザい程に熱血感を漂わせる自称熱い男だ。
こんな男ではあるが、勇にとっては統也に次いで校内でつるむ事の多い親友の一人である。
……と、その隙にあずーが勇の腰へとガシリと抱き着く。
兄妹の隙の無いコンビネーションを前には、もはや勇に成す術など有りはしなかった。
「なーぜお前は俺を無視するんだ! 俺が暇そぉうなお前にあんだけメッセージを送ったってぇーのに!!」
腕を組んで胸を張り、口元を先程のあずーと同じく「へ」の字に曲げる。
それは悔しさというよりも憤りに近い、ツンと突き上げて伸びる様であった。
恐らくは勇が既読無視した事に対して怒っているのだろう。
とはいえ、これは彼にとってただのパフォーマンスの様なもので、実はそれほど怒ってはいない。
何事にも大袈裟な態度を取る彼らしい一面である。
それを理解している勇もただただ苦笑いで返すだけだ。
するとそんな時、心輝の背後からもう一人の人影が姿を現した。
「ちょっと、アンタまた変なメッセージ送ったの?」
それは心輝やあずーと異なり、落ち着きを感じさせてならない佇まいを見せた女性であった。
当然、勇は彼女の事も知っている。
「なんでセリまでここに」
勇の開いた口が塞がらない。
あずーはともかく、彼女がこの場に居る事が余りにも不思議でならなかったからだ。
彼女の名は相沢 瀬玲。
勇の数少ない女子の友人であり、心輝達の幼馴染でもある。
「シンが朝からいきなり来て『ちょっと来い』って。 でも全然ちょっとどころじゃないし」
途端に瀬玲の口からここに至るまでに募った想い想いの言葉が堪らず漏れ、頭を抱えて溜息を零す。
勇はそんな彼女を見て、「あー」と声にならぬ声を漏らして同情の目を向けていた。
何故なら今の彼女は普段ならぬ、みっともない姿だったからだ。
彼女は普段ならば清潔感とお洒落を同居させた身なりと服装で着飾り、殆ど隙を見せる事は無い。
しかし今日の彼女はセミロングの髪が所々に跳ね上がり、ラフでくたびれたピンクのジャージを纏っていたのだから。
そんな彼女、相沢瀬玲は勇達の同級生でもある。
キリッとして整った顔立と、無駄の無い手入れの行き届いた素肌。
僅かに高い鼻と鋭い目尻、それらを生かしに生かした佇まいががクールビューティを演出する。
おまけにさらりとした髪質を持ったセミロングストレート髪が彼女の清潔感の証だ。
単に言ってその容姿は美形の一言に尽きる。
彼女もそれを意識して体づくりに励んでいるという事もあり、その成果が体現されていると言えよう。
時折キツい発言もあるが、基本的には周りに気を回す事の出来る優しい少女。
心輝とあずーという特異な人物を唯一制する事が出来る、常識を持った人物である。
この三人、いわゆる仲良しトリオは大概の場でいつも一緒だ。
当人の意思が尊重されているかどうかは別として。
どうやら彼女、心輝によって強引に連れてこられた様子。
何せ白代高校は彼等の家から比較的近いものの、およそ五百メートル程とそれなりに離れているのだ。
その間を家着とも言える姿のままで連れ回されたのだ、この上無い羞恥プレイである。
「ホント、勘弁してよ……」
「ドンマイ……」
とはいえ半ば巻き込みとも言える状況で、勇が掛けられる言葉はこれ以上に無く。
精々彼女と一緒に項垂れて気持ちを共有する事しか出来はしなかった……。




