~俺はあの日を忘れない~
世界が変化を迎えてから三日目。
ダッゾ族を退けた事で疎いが晴れ、勇達に日常が戻って来た。
しかし心に受けた傷は深く、勇の想いは未だ過去に置いてきたまま。
事態が僅かな前進を見せる中、勇は一体世界に何を想うのだろうか……。
勇とちゃなの活躍によって、ダッゾ王は見事討ち倒された。
とはいえ犠牲や残った疑念もまだ多く。
世界の転移問題が完全に解決した訳では無い。
それでも驚異を祓った事は世間にとっては少なくとも大きな進歩と言える。
その活躍こそ讃えられる事は無いが、きっと二人にとってそんな事はどうでも良かったのだろう。
もう人の死ぬ事が無い平和な日常が戻ればただそれだけで……。
そして迎えたこの日、月曜。
世界各地で起きた変容事件の始まりから三日目。
東京の朝は―――いつもと何ら変わらぬ様相を浮かべていた。
ほんのりとした雲を残した青い空、眩しい朝日が密集した住宅街を照らす。
夏の陽気が街の活気をも温めるかの様に、道を行く人々の歩みはどこか逞しく見えて。
あれだけの事件があったのにも拘らず、彼等は普遍的なままだ。
変容地域の範囲に学校や会社があった者も多いだろう。
それでも東京という街が巨大で、それでいて変容地域はそのほんの一部だったから。
何事も無くいつも通りの生活を送れる者達の方が圧倒的に多かったのである。
朝のニュースでは、変容事件以外の話題が上がり。
特集は組まれていても、それを注視する者は余り居ない。
被害者の数に悲しみを覚えても、涙を流すのは被害者関係の者だけだ。
一部地域が機能を失おうとも補う事の出来る程のインフラが整っているおかげか。
それとも、人々が「自分だけは大丈夫」と思い込んで無関心を貫いているだけか……。
いつもと変わらぬ生活を送れてしまうのは、平和が続いた末に生まれた国柄だからなのだろう。
この国柄に則るかの様に、勇もまたいつもと変わらぬ姿を見せていた。
灰色のパーカーを羽織り、人が少ない道を走り行く。
毎日欠かさぬ朝練と、ついでに命力で鍛えられた体の調子を感じ取る為に。
「フッ……フッ……」
その息遣いはいつもよりも軽快で、力に満ち溢れている。
少なくとも、魔剣を持った時よりは格段に。
連日の戦いは勇にとって間違いなく激戦だった。
先日こそちゃなのおかげで苦戦しなかったが、何度も死を覚悟した事には変わりない。
それでも、その最中で想像を超えた自身の成長を垣間見る事が出来たから。
自身でも実感出来ぬ程の身体成長速度が次々に疑問を呼び込んでならない。
気になる余りに、色々と試してみたい事が思い付く程だ。
今の勇にはそれが許されるからこそ……。
今日は平日。
しかし彼の通う白代高校は本日休校とのこと。
親友の心輝からの連絡は元より、学校から正式な通達があったのだ。
そういう事もあって、今日のランニングはいつもよりも気持ち長めだった。
いつもよりもペースを増したランニングをこなし、家路へと就く。
帰ればいつもの様にシャワーを浴び、いつもの様に用意されている朝食を摂る。
平日ならば、この後統也と合流して学校へ行くというルーティンが組み込まれていた。
しかし今日からは、その最後のルーティンが除外される事になる。
朝食を食べ終え、背もたれに体を預けながらふと想う。
「どこから間違ったのだろうか」、と。
渋谷の事、魔剣の事、魔者の事。
小さな彼が許容しきれない程に大きな出来事があまりにも多く起き過ぎた。
誰しもが惑い、恐れ慄くような出来事が。
だが今こうして生きている。
あの場に居て生き残った勇だから、誰よりも何よりも強くそう実感出来ていた。
だからこそ全てを終わらせる事が出来た今、こうして落ち着く事が出来るのだろう。
「こんな事考えたって答えなんか出る訳無いよな」
迷っても、悩んでも、悔やんでも、答えが出ない事を考えても意味は無い。
たった二日間でその事が理解出来たから。
ふと脳裏に過った悩みを振り払わんとばかりに顔を横に振る。
雑念を取り去った後に残ったのは、緩やかさを纏う微笑みが浮かんだ表情だった。
「さて、そろそろ行くかぁ」
そんな事を呟き、席を立つ。
それというのも、勇にはこの後行かねばならない所があったから。
またしても例の人物からメッセージが入っていたのだ。
『心輝:今日の登校時間に学校前に来いよな』
ランニングの最中にメッセージを入れていた様で。
相手も随分と早起きな様だ。
この心輝という人物は、いわゆる「言い出したら止まらない」性格。
こんなメッセージを一方的に送り付けて来る事からも察せるだろう。
きっと勇が来なければまた怒涛のメッセージが送られてくる事請け合いな相手なのである。
とはいえ勇としても断る理由も無く、ほっとくとそれはそれで面倒で。
元より選択肢も無いという事もあって、敢えて彼の誘いに乗る事にしたのだ。
元気な母親と眠気眼のちゃなに見送られながら、再びパーカーを纏って外へ躍り出る。
そのまま軽快な足取りで、友が待つであろう学び舎へと向けて力強く駆け出したのだった。
◇◇◇
登校時刻、白代高校正門前。
閑静な住宅街の中に佇むその場所は静けさで包まれ、殆ど人気を感じない。
通るのは精々、無関係な車や遅れて出勤する者、ゴミ出しに出た主婦くらいだ。
しっかりと生徒全員へ通達出来ているのだろう、生徒らしき姿は誰一人として見られなかった。
そう、誰も居ないのだ。
呼び出した某人物すらも。
そこで一人辿り着いた勇がそんな景色を前に顔をしかめ。
思わずスマートフォンを手に取り、時刻をまじまじと見つめるが……
当然、予定時刻に間違いは無い。
「言い出した奴が先に居ないってどういう事だよぉ」
思わぬ仕打ちが堪らず本音を口ずさませる。
一方的に、半ば強引な形で呼んでおいてこれなのだ、愚痴の一つも浮かびはしよう。
相手の性格をよく知る勇だからこそ、予想出来ない事では無かったのだが。
統也とは違う意味で一つ抜き出た厄介な奴。
それが園部心輝という男なのである。
校門の柱に背を預けながらスマートフォンを弄る事、数十分。
遂に登校時刻が終わりを迎える。
たちまち無人の校内からチャイムが鳴り響き、時刻を見るまでもなくその刻を伝えていて。
当然、当人達は未だ姿を見せないままだ。
「さて、帰るかー」
勇の態度はもはや後ろ髪を引かれる事すら無い素っ気ないもの。
誘いに乗った後悔も併せて呆れ果て、これでもかという程に据わった目が顔に浮かぶ。
途端に柱から跳ねる様にその身を離し。
待ち疲れて固まった首をぐるりと回しながらトボトボと歩き始めたのだった。
正門から少し歩けば、フェンスを挟んで校庭を覗き見る事が出来る。
珍しく静かな校舎ともあって、勇は感慨深く校庭を眺めながら小刻みに歩を刻んでいた。
それというのも、誰も居ない校庭がいつかの渋谷の風景と重なっていて。
校庭にも転移が起きたのではないか、そう錯覚してならなかったから。
その光景を眺める勇の眼は細り、悲哀の色が滲む。
気付けば立ち止まり、横目で眺めながら想いを馳せていた。
世間は忘れても。
世界が忘れても。
きっと彼は忘れない。
あの時見た光景は……絶対に忘れられない。
起きた出来事も全ては過ぎ去って、大切なモノも置いて来たから。
忘れない様に、消えない様に。
その意思を持ち続ける事が、多くの危機を乗り越えた彼にとっての希望なのだから。




