~謀人と巨人、相まみえる~
勇達が魔者達との戦いを終えた頃。
ヴェイリは既にコンサートホールの中へと足を踏み入れていた。
先程までとは全く異なる冷徹な微笑を浮かばせながら。
「よもやここまで上手くいくとはな」
ここに至るまでに敵影は無し。
囮作戦が功を奏した事に喜びを隠せない様だ。
だとすれば勇達が魔者の大集団を蹴散らしたなどとは夢にも思わないだろう。
そんな事など露知らず、ヴェイリが正面の大ホール入口を見据える。
扉の先奥から禍々しい命力の波動を感じ取ったが故に。
もっとも、モダン調の壁や重厚感のある扉といった物々に惹かれたのもあった様だが。
その扉を勢いよく開き、遂にヴェイリが大ホールへとその身を踏み込ませる。
すると途端、予想を超えて広大な景色が視界へと映り込む事に。
僅かに薄暗いが、それでも見渡せる程に明るく。
逆扇上に広がる大ホールが見下ろす形で広がっていて。
先の先まで固定された椅子がびっしりと並んでいる。
更に奥中央にはステージがでかでかとその存在感を示しているという。
そしてステージ上に佇むのは―――巨大な影。
まさに王の名に相応しい、雑兵さえも霞む程に巨大な怪物が座り込んでいたのだ。
そう、【ダッゾ族】の王である。
その王の瞳がぐるりと動き、上目を向ける。
自身の領域に侵入した者へと向け、鋭く。
「魔剣使いが来たか」
巨大な図体に相応しく、発した声はとても低く唸っているかの様で。
それでいて貫禄すら感じさせる落ち着いた一声でもある。
しかして放たれた言葉からは恐れなど微塵も感じさせはしない。
まるで王たる威厳を見せつけるかの如く堂々としたものだ。
一方の風貌はと言えば、身長が四メートル程もあろうかという巨躯であり深緑の肌を持つ。
他の個体よりも全体的に、主に腕と腹回りが一段と太い。
あの剣聖すら凌駕するその体格は、大ステージですら王座にしか見せない程だ。
口元からは太い牙が覗き見え、照明の光を浴びて鈍く光っていて。
そんな牙を惜しげなく晒した不敵な笑みからは、揺るぎなき自信さえ垣間見せる。
そして全身に浮かぶ傷跡が歴戦を通して培われたその自信を証明するかのよう。
「ダッゾの王よ。 この私、【閃光陣】ヴェイリが貴様の命を頂きに来てやったぞ!」
しかしそんな相手を前にしてもヴェイリは怯まない。
それどころか勇ましい台詞をホール一杯に響かせては挑発してみせるという。
ただ、ダッゾ王はそれを歯牙にも掛けず「フンッ」と鼻で笑うだけだったが。
「勇ましいな人間の戦士。 だが貴様の様な若造がこの俺に盾突く事の愚かさよ」
もはや嘲笑さえ上がりはしなかった。
どうやらダッゾ王はヴェイリを脅威と思っていない様だ。
それはヴェイリの実力を見抜いたのか、それとも戦い慣れたが故の自信からか。
だがいずれにせよ容赦するつもりは無い。
それこそが王たる証ゆえに。
途端、巨大な体がその強靭さを見せつけんばかりに持ち上げて。
脚を、腕を伸ばし、大ホールに今、その巨体が全てを晒す。
その時見せた余りの屈強さはヴェイリが身を引かせる程に力強い。
「如何な強者と言えど俺が前に立った事を後悔するものと知れよ!!」
ウオォォォーーーーーーッッッ!!!!!
しかもその時、ダッゾ王の凄まじい雄叫びが大ホールを支配する。
音を拾い易くする立体構造が叫び声を増幅させたのだ。
余す所無く隅々へと強音波となって飛び交う程に。
その強さは壁や椅子達が共振して激しい震えを引き起こす程に凄まじい。
圧倒的な音量だ。
オペラ歌手の発声でさえ比較にもならない程に。
下手をすればこれだけで鼓膜が破裂しかねない。
これにはヴェイリも堪らず顔に苦悶を浮かばせ、一面に冷や汗を浮かばせていて。
しかし怯んでなどいられない。
これはヴェイリにとって千載一遇の機会だから。
ほぼ消耗無しで一騎打ちを挑めるという最高最良のシチュエーションなのだ。
故に左手の弓型魔剣を構えよう。
己の目的を果たす為に。
ダッゾ王討伐という名声を得る為に。
するとどうだろう。
たちまち弓に光の筋が浮かび上がって来たでは無いか。
そうして出来たのはなんと、光の矢。
物理矢ではなく、淡く輝く光の矢が突如として現れたのだ。
それもなんと瞬時にして。
「数々の蛮行をこの私が断罪するッ!! ダッゾ王よ、覚悟するがいい!!」
その光の矢先をダッゾ王に向け、番えた矢を引き絞る。
光で象られた命力の矢を。
無駄無き動きはまさに熟練のそれ。
迷いも怯えも無いその矢先にはもはや、震え一つありはしない。
そうして気付けば、二本の矢がダッゾ王へ目掛けて穿たれていた。
光の矢が真っ直ぐダッゾ王へと迫り行く。
勇のそれとは比べ物にならない残光と、まさに光と言わんばかり速さを纏って。
だが―――
ダッゾ王の巨体もまた、信じられぬ速度を体現する。
なんと巨大なその身を軽々と捻り、素早く回転しながら躱したのである。
しかしそれも布石に過ぎない。
その回転力のままに巨体がぐるりと宙を舞う。
大ホールの中で両手を広げ、勢いのままに横壁へと跳ねていたのだ。
ドゴォン!!
迫る壁に恐れ抱く事無く、巨体が蹴り上げ軌道を強引に曲げる。
目の前に立つ魔剣使いという敵へと向けて。
壁に巨大な亀裂が走る程の圧倒的な脚力を体現しながら。
その転身は余りにも速過ぎた。
ヴェイリが次の矢弾を番える間も無い程に。
「ウオォォォーーーーーー!!!」
「ちぃッ!?」
そしてその瞬間、ヴェイリの立っていた場所が突如として炸裂する事に。
ドッガァァァーーーンッ!!
それはダッゾ王の人より太い腕から繰り出された振り下ろし。
余りの威力ゆえに、床が、椅子が、扉が、砕けて周囲へ無数の破片を舞い散らす。
あろう事か強固な鉄と石と木材で仕立てられた物が。
いずれもがまるで発泡スチロール製かと思える程に軽々と弾け飛んだのだ。
この様な一撃を受けてしまえば人間の体などひとたまりも無いだろう。
でもダッゾ王の振り下ろした腕には一滴の血も付着してはいない。
それどころか、敵意を潜めたままの顔を振り向かせてホールを見上げていて。
なんとヴェイリは無事だった。
自慢の脚力で跳ね、辛くも攻撃から逃げおおせていたのである。
身をしなやかに捻らせ、ホール内の広い空間を弧を描いて舞っていく。
その間にも弓へ光を纏わせ、右手を引き絞りながら。
弓型魔剣は遠距離でこそ最もその力を発揮する。
つまり相手が立ち止まり、こうして再び距離を取った時こそがチャンスだ。
ならばしたたかなヴェイリが今の状況を利用しないはずも無い。
再び二本の矢が空を貫き巨体に迫る。
しかしそれも、ダッゾ王の予測していた事だったのかもしれない。
その時、ヴェイリはその眼を疑う。
なんとダッゾ王は既に床面スレスレで飛び込んでいたのだ。
何という判断力。
何という俊敏性。
その強引な動きは様相に違わぬ傍若無人ぶりと言えよう。
そんな怪物が椅子を次々と跳ね飛ばしながら目下から迫っていて。
「ぐぅぅッ!? 化け物かッ!!!」
続き三矢、四矢と続くが、ダッゾ王の動きは捉えられない。
巨体の抉り跡へと虚しく刺さるだけで。
その間にもダッゾ王が落ちるヴェイリを迎撃せんとばかりに駆け抜けていく。
それも両手、両足―――獣の如く四肢を突いて。
荒々しく走るその様は、まさに魔の王たる姿と言えよう。
それでいて悍ましいまでの迫力は地獄の悪鬼をありありと体現するかの様だ。
「ウオオオオオ!!!!」
その様相からはもはや理性や感情を感じられない。
本能と殺意だけで暴れている様にさえ見える。
まるで対峙する敵の心に恐怯を擦り込まんとばかりに。
ダッゾ王がどれだけ恐ろしい相手なのかという事を、ヴェイリは当然知っている。
にも拘らず今、間違い無く戦慄していた。
その執念とも言うべき、想像を絶すると迫力を前にして。
だからこそヴェイリに焦りが滲む。
冷や汗として、再びの苦悶として。
歯を食い縛らせたその顔にもはや余裕は皆無だ。
絶体絶命か。
「ぬうッ!?」
しかしそう思われた時、今度はダッゾ王が驚きを見せる事となる。
なんとヴェイリが、空中で跳ねていた。
あらぬ方向へと矢を放ち、その反動で落下軌道を強引にズラしたのである。
途端、勢い止めやらぬダッゾ王の体がステージへと乗り上げ、奥の壁へと激突して。
たちまちけたたましい音を掻き鳴らし、破砕された壁材が巨躯を埋める事に。
一方のヴェイリはと言えば、その間にしっかりと着地を果たしていたという。
沸いた恐怖を吐き出すかの如く、息を「フウッ!」と強く絞り出しながら。
窮地を脱するだけでなく精神安定をも行う所はやはり相応の熟練者という事か。
ならば戦意は消えない。
再び矢を番え、ステージ上の粉塵へと向ける姿がそこに。
〝こんな事で終わるダッゾ王ではない〟
そう確信していたから。
案の定それで終わりとはいかなかった。
たちまち瓦礫が振り払われ、ダッゾ王が再び姿を晒す。
場を包んでいた粉塵をも掻き飛ばす中で。
「ヌウッ!?」
ただその間も無く異変が。
何かの違和感に気付き、その左腕を上げて見て見れば―――
なんと光の矢が一本、見事に芯へと突き刺さっているではないか。
どうやらヴェイリは空中反転した際にも矢を撃ち放っていたらしい。
その一本がこうして左腕を貫いたという訳だ。
これにはダッゾ王も顔を強張らせずにいられない。
ただし痛みでではなく憤りで、だが。
「ほう……貴様、なかなかやるではないか。 これは油断もしていられん様だな」
「フッ、あと何本刺されば倒れるか見ものだな」
故にダッゾ王が再び睨み付ける。
見下す様に嘲笑うヴェイリを一心に。
この二人の戦いはまだ始まったばかりなのだから。
二人の戦士がぶつかり合い、その命を賭して戦い合う。
そうして成る戦いはもはや人知を超えた戦いに等しいと言えよう。
そう、これこそが魔剣使いと魔者の本当の戦いなのである。




