~彼女が躊躇う、その理由~
朝のニュースで【謎の生命体】として名が挙がっていた魔者。
けれどその目撃情報は殆ど無い。
つまりは警察が封鎖した領域から外には出ていないという事になる。
もし出ていれば誰かの目にも留まるし、マスコミがそれを見逃すはずも無いから。
しかしそれは逆に言えば、〝変容地区に魔者が留まっている〟という事に他ならない。
つまり、魔者達は密集している可能性が高い。
となれば奥に行けば行くほど遭遇する可能性はより高くなるだろう。
先日見たのは精々一○人前後。
でももしその総数が想像を超えているならば。
最悪の場合は直ぐにでも出会いかねない。
何せ公安がこれだけ広い領域を封鎖しているのだから。
その予測が要因となって、勇に強い集中力を生む。
何せ相手は人間を軽く殺せる生き物なのだから。
強くなったからといって油断すれば足を掬われかねない。
故に警戒しながら、二人が変容地区を歩き進む。
周囲を見張りつつ、出来る限り物音を立てない様に。
するとそんな時、そのお陰でふと勇が気付く。
逆に、聴こえるはずの足音が聴こえなかったのだ。
そして後ろを振り向くと―――ちゃなが立ち止まっていた。
それも荒い呼吸を立てながら、膝に手を当てて項垂れていて。
「あ……ご、ごめん、足速かったかな?」
勇はつい自分のペースでここまで歩き続けてしまっていたらしい。
それがどうやらちゃなにとっては速過ぎたのだろう。
オマケに相当な距離を歩き続けて来たから。
体の細い彼女には無理があったのかもしれない。
それでも文句一つ言わず一生懸命に付いてきた辺りは健気と言うべきか。
でももうそれも限界だった様で。
「はぁ、はぁ、大丈夫、です……」
そうは言うが、もう一歩も踏み出せない状態だ。
それが勇にはどうにも罪悪感を感じずにはいられなくて。
だから息が整うまでと、勇がそっと寄り添う。
ここまでに至らなかった分も気遣う様に。
ちゃなの体は非常に軽く細い。
それはすなわち筋肉や脂肪が乏しいという事で。
つまりとても貧弱で脆弱という訳だ。
そんな体付きで手伝おうにも、この様に足手纏いにもなりかねないだろう。
もしかしたらちゃながこの場に居る事自体、誤りだったのかもしれない。
だが少なくとも勇にとっては「足手纏い」では無かった。
ちゃなの助けのおかげで父親を説き伏せられたから。
それに一人でこの地に訪れなくて済んだという事もあって。
何より、ちゃな自身が手伝いたいと願い出てくれた事が嬉しかったから。
だから勇はその手を取る。
今は逃げる事も、焦る事も、脅える事も必要無いのだから。
「もう隠れる必要は無さそうだし、ゆっくり行こうか」
「……はい」
とはいえ、これからはちゃなを意識しながら魔者にも警戒しなければいけない。
もしも疲弊状態で出会ってしまえば、二人の命が危険に晒されるだろうから。
だから自身も含め、今のうちに一旦休憩しておく必要がある。
そう感じたからこそ、勇は焦らず歩を止める事にしたのだ。
焦らなくても、今度の時間は沢山あるのだから。
息を整え、今度はちゃなのペースで歩くこと十数分。
二人は【ファーストクック】という店の前に立っていた。
この地域に根付いたファーストフード店である。
もっとも、もちろん人が居る訳も無いが。
けれど人が居ないのも今は好都合だ。
勇はそこを指し示すと「少し休もう」とちゃなを誘う。
恐る恐る店内の様子を伺えば実に静かなもので。
パッと見えたのは乱雑に倒れた椅子や机などなど。
見る限りでは人の遺体や血糊なども無く、ただ荒れているだけで。
とはいえ表の惨状と比べれば幾許かマシと言えるだろう。
店内は未だ明るく、人が居ればすぐにでも営業再開出来そうなので。
安全を確認し店内に入ると倒れた椅子を起こし、二人が机を挟んで座り込む。
状況が状況でなければ、これもちょっとしたデートにもなるのだろうが。
「何か食べる物もあればいいんだけどね。 勝手に食べたら怒られるだろうし」
何をしようと怒る相手さえ居ない。
そんな状況が妙な解放感さえ催してならない。
ただそれでも悪事に走らないのは、勇が真っ当な倫理感を持っているからだろう。
だからかカウンターを覗き込むも、すぐに視線をちゃなへと戻していて。
「朝ご飯を一杯貰ったので……今はお腹は空いてないから大丈夫です」
「そっか」
そう相槌を打つと、水筒の蓋を開けて中の飲み物を口に含む。
中に入っていたのはスポーツドリンクだろうか。
ほんのりとしたグレープフルーツ風味の酸味と甘さが口一杯に広がり、美味しさが体に染み渡るよう。
ちゃなも勇の真似をして水筒の中身をちびりと口に付け、乾いた喉が求めるままに口にし始めていて。
きっと疲れた体が求めたのだ、よほど美味しかったのだろう。
「足りなかったら俺の分も分けてあげるよ。 お金も預かってるから最悪自販機もあるしね」
何かがあってはいけないと、父親からお金も預かっている。
変容区域内で使えるとは思っていなかったのだが、そこは意外にも使い道があるもので。
そう、例えどんなに緑に包まれていても、自販機はまだ動いているのだ。
それに、お金を入れてボタンを押せばちゃんとドリンクは出て来る。
キンキンに冷えた内包物にだって混じる物は無い。
道中でそれを見つけて試しに買ってみた所、そんな事が判明したのである。
一体どうやって動いているか、それは定かではない。
そもそもどうやって電気が通っているかも。
スマートフォンの電波だって同様に。
道中もそうだ。
信号も建屋の灯りも何もかも。
このファーストフード店内の灯りもしかり。
蔓の一部になろうとも、しっかりと光を放ち続けているのだ。
二人はそんな不思議に気付かされながらここまで歩いてきた。
だからか、余裕以前にどこか楽しそうでもある。
まるで冒険の様な気分を味わえたから。
とはいえ、この二人だと会話自体はそこまで弾まない。
気付けば二人の間に静寂が生まれていて。
勇はどうにもその空気に耐えられなかった様だ。
頭を一掻きしながら、思っていた事をちゃなへと打ち明ける。
「でも、なんで君も付いてくるって言ったりしたの? 家に帰った方がよかったんじゃ」
それは出発する前から抱いていた疑問だったから。
どうしても訊いてみたくて。
考えもすれば当然だろう。
落ち着けばすぐにでも家に帰りたくなるのが普通だ。
しかしちゃなはそうもせず勇の家に厄介になっていて。
勇の両親は別段気にする事も無かった様だが、勇はやはり気になっていたらしい。
何せ相手は年頃の女の子で、まだ名前しか知らない様な娘だから。
もちろん純粋な意味で。
するとちゃながその顔を俯かせ、僅かに目を細めさせる。
それは先日にも見せた抵抗感を感じさせる様相で。
ただ一つ違う所があるとすれば―――自ら口を開いた事か。
「朝のニュースで、変容区域の情報見てたら、そこに私の家のある場所も出てて」
「あ……」
そう言われ、勇が今までに眺めたニュースの事を思い起こす。
緊急特番では避難区域や変容区域が繰り返し映されていた。
それもしっかりと地域名や地図をも載せて。
その領域は限定的でもかなり広域で。
もしほんの僅かでもズレれば、勇の家もが巻き込まれても不思議ではない。
それがあろう事か、ちゃなの家のある場所をも包んでいたのだ。
「じゃあもしかして君の家は―――」
勇にはこれ以上の言葉が見つからなかった。
想像を超えた悲惨な状況にただただ狼狽えるしか無く。
もし今日戻る事が出来ても、彼女は一体どこへ帰ればいいのだろうか。
「でも私……家出したから」
「え、そうなの!? だから昨日あの格好だったんだ」
いや、そもそも帰る所が無かったのかもしれない。
それは当初の境遇が特殊であったが為に。
先日の彼女が制服だったのは家出が原因だった様だ。
その姿のまま家から飛び出してきたから。
何故あの場所に居たのかまではわからないが。
でも勇は敢えて訊かない事にした。
そこに踏み込んでしまえば、彼女の浮かない表情が更に沈んでしまうかもしれない。
そんな気がしてならなくて。
「そっか、じゃあ仕方ないよね。 これが終わったら、今日はまたうちに帰ろう?」
「え、いいんですか……?」
「も、もちろん変な意味じゃないからさ。 うちの親もそれ程抵抗無いみたいだし。 落ち着いたら家族の人も探せばいいんじゃないかな、実はどっかに逃げてるかもしれないからさ」
「そ、そう……ですね。 もし迷惑でなければお願いします」
ちゃなが小さく頭を下げ、感謝を示す。
それはきっと、勇が受け入れてくれた事への。
家出する程だったのだ、きっと家に帰りたくない理由もあるのだろう。
すんなりと話は進んでしまったが、方向性のおかげか彼女の様子も落ち着いていて。
勇としても嫌では無かったから、そんな彼女に微笑みで返していた。
ただ、親の事を口に出した時の反応だけが勇には気掛かりで。
その時ちゃなの顔が少し強張りを見せたから。
彼女の秘める想いはまだまだ根が深そうだ。




