~勇気を持って、踏み出して~
剣聖曰く、勇の実力は更に強くなっているのだと言う。
たった一日だけ魔剣を持ち続けただけなのだが。
それでも嘘を言わない剣聖の事だ。
何かしらの確証があるに違いない。
ならば試してみたくもなる。
勇がそう思い悩んでいる時の事だった。
誰かの階段を上がってくる音が場に響く。
この重量感は―――やはり勇の父親だ。
「どうですか剣聖さん、痛みの方は?」
ようやく道路の整頓が終わったらしい。
トラック自体はいいとしても、破片の散乱は片付け必須な状況だったので。
残骸は後で連絡先と共に直接警察へ届け出すれば問題無いだろう。
ぶつかった対象は平気でした、とでも適当に言っておけばいい。
それは本当の事なので。
「おう、大人しくしてりゃ大分楽だぜ」
なお、その平気な当人はと言えば相変わらずの余裕っぷりである。
先程の痛がる姿はどこへ行ったのやら。
「ケロッ」とした顔がたちまち姿を現し、勇の父親をも驚かせる事に。
我慢強いのか、それとも只の見栄っ張りか。
しかし足の骨が折れたとなると相当痛そうなのだが。
それに応急処置も当て木だけで麻酔も痛み止めも無い。
だからと言ってやせ我慢している風にも見えないし。
なら痛みを自ら抑え込んでいるとでもいうのだろうか。
事故に遭ってからまだ二時間程しか経っていない。
つまりその短時間で痛みを抑えたという事で。
これも【命力】の賜物なのだとしたら、まさに驚くべき能力だ。
「どこまで規格外なんだ……」
これには勇も「ハ、ハハ……」と失笑気味である。
信じられない様な話でも、剣聖の事となれば途端に真実味が纏い始めるもので。
だからか「俺にもそれが出来るようになるのかなぁ」などと思ってやまない。
そんな思考を重ねる勇の横を過ぎ、父親が剣聖へと歩み寄っていく。
本人は平気そうにしているが、やはり気になるには気になる様で。
「本当に大丈夫なんですか……?」
しまいには腕や肩に指を押し付け、触診の様な事まで始める始末だ。
勇同様に父親も剣聖の言う事に懐疑的なのだろう。
当の本人は「ししし」と笑う有様であるが。
「まぁ動けねぇ事にゃ変わりねぇがな」
「無理だけは止してくださいよ?」
「おう、心配掛けてすまねぇなぁ」
そんな素直な態度が勇の父親を安心させたのだろう。
疑念の顔も和らぎを見せていて。
そうして和んだ空気が剣聖の語りも思わず弾ませる。
「そんでな、今ちょっとこいつに、動けねぇ俺の事を伝える伝達役をやって貰おうかと思ってんだぁよ」
「伝達役……?」
だがその途端、勇の父親の顔に陰りが生まれる事に。
ゆるりと揺れていた体をもピタリと動きを止めて。
剣聖の一語一句を逃すまいと聞き耳を立てながら。
「ちぃと昨日のところに戻って仲間に俺の事を知らせに―――」
「それは了承出来かねます!」
そして突如、その言葉を低く唸る様な声で遮る。
それは怒りの感情を乗せた静かなる一声で。
冷静と激情を重ねた、温和な勇の父親らしい怒りである。
しかし心に灯す怒りは声からでは到底計り知れない。
何故なら、今の一声は勇でさえも聴いた事が無い程に強かったから。
自分の知る父親からとは思えない強い感情を伴っていたのだ。
「渋谷に戻るという事は、つまり例の怪物がいる所へ戻るという事でしょう!? 息子を死地へ送るのを簡単に了承する親がいますかッ!?」
それは当然の怒りだろう。
例え今は生意気な勇でも、手塩を掛けて育て上げた大事な息子に代わりは無い。
少なくとも父親はそんな彼を大事に思っているからこそ、こうして猛っているのだ。
勇を真に守るべき者の一人として。
だからこそ今の彼は、相手が誰であろうとも臆しはしない。
「ですが貴方には恩もある」
それと同時に、勇の父親は義理にも堅い。
協調性を是とする社会へ前向きに立ち向かう人間だからこそ。
恩を仇で返す様な真似は絶対にしない。
「だから私が……私が行きましょう」
唇を強く噛み締め、恐怖を押し殺す。
多くの人の命を奪った怪物が居るという話を聞いたからこそ。
それでも息子の事を守ろうとする意思は強い。
そしてその息子の命を救ってくれた人物への恩に報いる為にも。
今こそ自分が立ち上がるべき時―――そう思ったのだ。
「そりゃだめだ」
「えっ!?」
……が、勇気を振り絞って放った言葉を、あろう事か剣聖が一蹴。
あまりの即答ぶりに、拍子抜けもいい所である。
しかも目を丸くして唖然とする勇の父親に対し、剣聖の更なる追い打ちが。
「おめぇじゃあこいつよりもっと危ねぇ。 魔剣を使って慣れてる以上、他に適任は居ねぇよぉ。 今ならそこまで苦戦しやしねぇだろうしなぁ」
左手の親指を勇に向けながら。
自信たっぷりに。
迷い一つ無く。
おまけに配慮さえ無く。
「な、なら私がその剣を持っていけば済む事ではないですか!!」
勇の父親が必死に食い下がるが、剣聖の反応は相変わらずだ。
たちまち苦い顔と手を左右に振り回し、「ダメだダメだ」と全身で言い表す始末で。
それどころか「はぁ~……」と深い溜息を伴った落胆すら見せるという。
それはどうやら勇の父親の体に問題があるらしい。
「おめぇさん結構歳はいってるみてぇだが、なんも鍛えてる様にも見えねぇなぁ。 そんな体じゃもう魔剣が受け付けねぇよ」
「そ、そんなぁ……」
どうやらご指摘もごもっともの様で。
当人に反論する余地はもはや無い。
勇の父親の仕事はデスクワークで日夜殆ど動かない。
元々体を動かす方では無いともあり、運動不足は否めないという。
つまり、その体は贅肉の塊なのである。
どうしてそんな父親から勇の様な肉体派が生まれたのかは定かではないが。
きっと母親似なのだろう、全体的に。
「ついでに言っとくが、付いていくのも駄目だ。 おめぇさんじゃあ足を引っ張るだけだからな。 足手纏いがいりゃ生存率もかなり下がる。 ハッキリ言って邪魔だ」
そしてその一言がとどめを刺した。
途端、勇の父親がガクリと肩を落として項垂れる。
天と地ほどもあろう自分と息子の扱いの差が余りにもショック過ぎて。
意気揚々と息子を守ろうとしたのに。
「息子より弱い」「足手まとい」などと言われてしまえば落胆するのも無理は無い。
何より、剣聖の言葉は必要以上にやたらと心に刺さる。
そこから生まれた精神ダメージは計り知れない。
勇もそれを身を以って味わった身だからこそ、父親の気持ちがわからなくも無いらしい。
これには「ご愁傷様」と困惑顔を浮かべずにはいられない。
とはいえ、またしても新しい事実が浮上したもので思わず勇の興味を惹く。
すると沈み込む父親を気遣う事も無く、惹かれるままに剣聖へと振り向いていて。
「魔剣に適齢みたいなのがあるんですか?」
「おう、あるぞ。 基本的にゃあ個体差があるが、大体三十歳くらいまでには魔剣に触れとかねぇと、そいつぁもう魔剣を使う事は出来ねぇんだよぉ。 体を鍛えてりゃなんとかなる事もあるがな」
「そうだったんだ……」
そうして明らかとなる事実を前に、またしても勇が声を唸らせる。
思うよりも狭き門、という事か。
魔剣使いを目指す者は意外と早い段階で決断しなければならないのだろう。
戦いに明け暮れる若年時代を迎えるという事を。
もちろん、剣聖の言う三十歳が地球時間の暦と同じであれば、であるが。
ただそれは当然、剣聖達の理屈だ。
魔剣を使えない事だけが引き下がる理由とはならない。
少なくとも、危険である事には変わり無いのだから。
だからこそ、勇の父親がまたしてもその拳を握り締める。
どうやら諦めが悪いのは息子だけではないらしい。
「ですが、私はそれでも―――」
「待ってくれよ親父、俺は行けるよ」
しかしそんな抵抗を見せた途端、すかさず勇が間に割って入る。
その時、勇の瞳に秘めていたのは決意の光だった。
いつも決断を迫られた時に見せてきた強い意思の表れに近い輝きだ。
「別に危ない事をするつもりはないし、生き残る事を前提として行くから。 それに俺だって剣聖さんに返しきれない程の恩があるんだよ?」
そう、勇はもう決意している。
剣聖の恩に報いる事を。
死地に赴く事になろうともやり遂げて見せるという強い意志を以って。
命を救ってもらった恩があるから。
統也の仇を取る事に力貸してくれた恩があるから。
そしてその恩よりも何よりも、自身を頼ってくれているから。
こうして自分の力を評価してくれている。
それが何より嬉しかったのだ。
「だが、それでは―――」
「剣聖さんだって、俺が成長してるって事を見て言ってるんだ。 俺はその判断を信じたいと思ってる。 多分だけど、やれると思う」
だからこそだ。
だからこそ、勇の父親は今―――無念を感じていた。
自分の不甲斐なさと、そして息子を守る事が出来ない悔しさと。
そして息子の言葉に反論する術を持たない無力さで。
歯がゆい気持ちが彼の脳裏を駆け巡り、歯を食い縛らせる。
それだけ、歯痒かったのだ。
勇が真剣な眼差しを向けて自身の望む道を貫こうとしていて。
剣聖が親子の会話を静かに見守り。
勇の父親が無念に駆られて震えを見せる。
平行線とも言える状況。
進みそうも無いその場を静寂が包み込んだ。
「あの……」
だがその時、聞き慣れない声がその場に小さく響く。
それは本当に小さく、それでいて優しく高い声色の。
ちゃなである。
三人の傍らで静かに耳を傾けるのみであった彼女がその口を開いたのだ。
小さな手を胸元で挙げながら。
「私もお手伝い、します。 させてください……」
それは驚くべき提案だった。
勇も父親も絶句する程の。
大人しい彼女の言う事とは到底思えなかったから。
「私も剣聖さんに、恩があるから……」
ちゃなも悩んでいたのだろう。
誰からも助けられてばかりで。
付いていく事しか出来なくて。
でも今、こう伝える事が出来たから。
彼女の勇気を振り絞って放った一言が、あの剣聖をも動かす。
「―――まぁもし魔剣使いが二人居るなら、よほどの事がねぇ限り大丈夫だろうよぉ」
それは剣聖にとっても根拠の無い言葉に過ぎない。
恐らく勇の父親を宥める為に放った一言だ。
でもきっと、そう言いきった事にも何か意味があっての事なのだろう。
「剣聖さんもこう言っているし。 親父、俺を行かせてくれよ」
勇もそう感じてならなかったから。
剣聖が示す自分の可能性も知りたかったから。
ちゃなの意思も無為にしたくなかったから。
故にとうとう、勇の父親の肩がガクリと落ちる。
強張っていた顔も緩み、唇を小刻みに震えさせていて。
勇の意思は固く、もう父親の意思では止める事は叶わないだろう。
見せた決意はそれ程までに、自立の意思を感じさせたのだから。
これが普通の状況での事だったらどれだけ嬉しかった事か。
でも死地に向かう為の決意なら喜ぶ事など出来はしない。
そう悟った父親の姿はどこか、嬉しさと哀しさが同居していて。
喜ぶ事も苦しむ事も出来ない複雑な心境が、まるで勇への想いを溶かし消すかのよう。
それが勇の父親を茫然自失へと追い込むには充分だった。
「約束してくれ、必ず戻ってくるって。 無茶はしないって……」
勇はそんな父親を前に、ただ静かに力強い頷きを見せる。
「何も心配要らない」、そう訴えるかの様に。
「あぁ。 俺は死ぬ気なんて無いからさ」
「そうか……」
父親が踵を返し、部屋の外へと歩んでいく。
するとふと足が止まり、その顔を振り向かせた。
「途中まではお父さんが連れて行くから、行く時は声を掛けてくれ……」
「うん、ありがとう」
これが父として出来る唯一の助けだから。
ただそれだけでも、息子の力になれるならと。
そんな想いが残っていたからこう言い出す事が出来たのだ。
全ては、〝息子に無事帰ってきて欲しい〟という願いを叶える為に。




