~対峙す、人の戦士と獣の女王~
闇覆う林を潜り、勇が素早く駆け抜ける。
腰に魔剣を下げ、可能な限り気配を殺しつつ。
迎撃も追撃も来る気配は無い。
恐らく防衛部隊は表の者達だけだったのだろう。
こうもなれば戦闘中にも拘らず実に静かなもので。
そんな中を走る勇の足取りに迷いは無い。
ただひたすら王へと向けて真っ直ぐに。
勇は既に王の存在を捉えていたのだ。
目でも鼻でも耳でもなく、その心で。
そう、命力レーダーを使ったのである。
この技術は見えない壁を探る為に教えて貰ったもの。
でもその用途は決してそれだけに留まらない。
むしろ今のこういった場で使う事こそが本来の用途とも言えよう。
何故なら、この技術の使用目的は隠れた異質的存在を探る事で。
異質的存在とは元来、潜んでいる敵や罠の事を指すからだ。
結界検知はあくまでその副産物に過ぎない。
そしてこの技術が生まれたキッカケもまた、対象が敵性物体であったからこそ。
その秘密は命力波の特性にこそ存在する。
命力波とは簡単に言えば、使用者の意思の分身。
遠くに飛ばした物に当てる事によって、手で触れたのと同意義の感触を得られる事となる。
しかもその触れた相手が生物だった場合、その感触は無機物よりもずっと強くなるのだ。
相手の意思が命力波と過敏に反応し、反発しあうからである。
これは人の触れた物でも一緒だ。
例え道具や罠だろうとも、触れて付いた意思の残り香が反応を示してくれる。
意思の素が死に掛けでない限り薄れる事も無く、誤魔化しも効かない。
その特性を利用し、生存戦略として組み込んだのが始まり。
すなわち、命力レーダーとは見紛う事無き索敵技術。
現代のレーダーと同じ、広範囲を探る為の手段の一つなのである。
その力を行使しているからこそ、勇はもう迷い無く突き進める。
王はもう知っているだろう。
勇達が攻めてきている事を。
もちろん、勇が単騎でこうして迫っている事さえも。
王がそれだけの強者ならば。
これ程までに重要とも言われる命力レーダーだが、欠点も同時に存在する。
相手が強者である場合、命力波を当てられた事に気付けてしまう。
自身の存在を知らせる手段ともなりうるのだ。
ただこれは双方にとってそれほど大きなデメリットにはならないが。
なにせ相手が居るとわかった以上、奇襲が成り立たなくなる訳で。
そうなれば互いに不利になる要素は消えて、実力だけが物を言う事になる。
後は直接対峙して勝てばいいだけなのだから実に単純明快だろう。
きっと相手はその単純明快さを求めている。
だから身動き一つせず、拠点に座し続けているのだろう。
王は待っているのだ。
勇が訪れるのを。
罠一つ置く事無く。
必要の無い雑兵を配置する事も無く。
それは自信を持つが為か、それとも王たる威厳が為か。
それは直ぐにわかる事だろう。
何故なら、その存在はもう目と鼻の先なのだから。
ザザッー!!
その時、遂に勇が立ち止まる。
大地を滑り、土埃を撒き上げながら。
この時見上げるは、闇に浮かぶ―――巨体。
「アンタが【オンズ族】の王か……!」
その体躯こそ、まさに王たる風貌。
その立ち振る舞いこそ、まさに強者たる威厳。
その手に握る巨大な金棍棒を地に打ち当てて、己が力を存分に誇示する。
そして返ってきたのは、その姿からとは思えぬ高めの声。
「クフフ、左様。 よく来た魔剣使い」
この者こそがオンズ王。
徳島に現れし魔者達を率いる者である。
その姿はもはや雑兵とは比べ物にならない程に屈強。
面影こそ、【オンズ族】の特徴を捉えてはいる。
だがその体格はもう兵士達とは似ても似つかない程に筋骨隆々。
身長はおおよそ三メートルと言った所で、勇が見上げなければならない大きさだ。
膨れ上がった肩と腕は携える武器が様になる程に太く。
とはいうものの、肩幅は今までの屈強な王と比べたら比較的控えめか。
白と黒の体毛に覆われた胸部は大きく膨れ、人間の女性と同様の特徴を見せている。
しかし体躯が体躯なだけに、それもまた強靭な大胸筋にさえ見えてならないが。
腰下も体毛と革鎧に覆われてはいるが、筋肉質的な特徴がガッシリと浮かんでいて。
脚部に至っては、太ももとふくらはぎが水泳選手も真っ青な程に太く強靭だ。
そしてその頭部はと言えば当然鼻が長く、舌をチロリと伸ばしていて。
その舌を辿れば鼻下の口が覗き見え、細かく並んだ牙をギラリと輝かせる。
そんな顔に浮かぶのは無数の傷痕。
幾多もの激戦を乗り越えて来た証なのだろう。
もはやそこに動物らしい可愛さは微塵も残されていない。
何より特筆するべき点は、右手に掴んだ武器だろう。
先端部が六角に仕上げられた巨大な金棍棒で、その長さは持ち主にも負けないほど。
所々には【大地の楔】と同じ古代文字らしき紋様が象られている。
その形状、その意匠からして恐らくは―――魔剣。
しかしその様な攻撃的な容姿であるにも拘らず、勇を前に堂々としたもので。
武器を斜に構えつつも、胸を張り上げて見下ろすのみ。
「思うたより早い参上であったがァ……なるほど、【大地の楔】。 ならばちょっとやそっとで止まらぬか。 ホホホ」
「これを知ってるのか……!?」
「【古代三十種】ならば当然よ。 ただ、欲しいとは思わぬがの」
加えて、王となれる程に卓越した者ならば知識もそれなりに。
どうやら勇の持つ魔剣は相応に有名な逸品の様だ。
もちろんその逸話も合わせてだろうが。
「という事はヌシ、フェノーダラの刺客という訳か」
「いや、魔剣を貰ってはいるけど……俺が来たのにフェノーダラは関係無いさ」
「ホゥ?」
ただ、今までの王とはまるで雰囲気が違う。
勇を前にして、こうして会話が成り立っているのだから。
そしてそれは相手側も同様に思っている事なのかもしれない。
ほんの少し話が交われば、斜に構えられていた棍棒が直上へと向けられていて。
それはすなわち警戒を解いたという事だ。
勇からそれ程強い戦意や敵意を感じ取れなかったからこそ。
「俺は日本政府の代弁者みたいなものだ。 アンタ達と交渉していた人間のな」
「ふむ。 つまりかの交渉の続きという訳かぇ」
「ああ、出来る事ならな」
そう、勇は話し合うつもりなのだ。
「まだ交渉の余地は残っているかもしれない」、そう信じているから。
確かに互いにもう傷付け合っている。
引く事が出来なければそれもやむを得ないとも言える状況だろう。
それでも互いに譲歩出来るならばしたい。
こうして会話を交わせるのなら、可能性があるならば。
今の勇はそう思えずにはいられなかったのである。
「一つ訊きたい。 交渉の余地はあるか?」
「フフ、それはお前達の対応次第だ。 だが―――」
そんな時、オンズ王がおもむろに左手の爪を「チャリン」と打ち鳴らす。
するとその背後から四人程の兵士達が姿を現して。
たちまち距離を取る形で勇を囲み込んだではないか。
その魔者達の手に握られていたのもまた、魔剣。
「わらわは寛大じゃ。 まずの話だけは聞いてやらんでもない」
勇も彼等の存在には今初めて気付く。
王に気を取られていたのと、命力レーダーを過信し過ぎていた所為で。
どうやら相手も一筋縄ではいかないらしい。
その特性を逆手に取られていた様だ。
「囲んでおいて寛大って、随分物騒だな……」
「魔剣を奪われないだけでもマシと思うが良い」
だからといって今更勇も驚きはしないが。
こういった切り札を見せられるのは初めてではないからこそ。
それに、交渉するにしろ勇は一応攻めて来た身で。
ここまで斬り込んで来たのだから、相手が警戒するのも当然だろう。
王が対話するというならばなおの事だ。
交渉の最中に「ブスリ」などされたくはないだろうから。
もっとも、それを許すほどか弱くはなさそうだが。
「ではここまで単騎でやってきた事を讃えて、まずはお前達の言い分を聞くとしよう。 人間、お前達は何を望む?」
恐らくは相当な自信がある。
でなければこうも耳を貸したりはしない。
それだけの余裕があるという事なのだから。
だとすれば勇にとっては好都合。
「俺が望むのはアンタ達との停戦だ。 今すぐ兵士を下げて、戦いを止めて欲しい!」
「ほう? そうする事で我々に何のメリットがある?」
「今後の生活の安定と、互いの発展だ。 戦う必要が無くなる程の」
そんな一方的な状況で始まった話が、二言目には早速彼等の動揺を誘う事となる。
兵士の一人に詰まらせた声をもたらしてしまう程の。
王はただただ見下ろすばかりで表情一つ変える事は無かったが。
彼等にも思う所はあるのだろう。
戦う必要が無い、それが如何に魅力的か。
彼等が抱く倫理を覆す、それが如何に背徳的か。
戦う事を常として生きて来た彼等にとって、その提案が完全なメリットであるとは言い難い。
でも、もし命を失わなくても済む様になるならば。
そんな淡い希望が、表に出ない彼等の心をこれ以上に無く撫で上げる。
「ほほう。 ではその結果が、ヌシらの用意した我々への支援だったと?」
「そうだ。 今は充分ではないかもしれないけど、これから互いに協力出来ればもっと譲歩出来る様になるはずだ! 食べる所だって住む所だって! だったら街を欲しがる必要だってなくなるだろ!?」
今は難しくても、いつかは。
勇も徳島に至る道中で、日本政府が【オンズ族】に提供した支援の事は聞いている。
彼等が住む為の簡易組立式家屋や水回り、食料の提供など。
それもフェノーダラ王国と同じ、無償での支援を行っているという。
その家屋も今の地点より少し先に行けば見えるはずで。
試算では、彼等が住むには充分なスペースがある。
今のままでも生活する分には一切不自由は無いはずなのだ。
だからこそ勇は訴える。
戦う意味はもう無いのだと。
互いに協力して生きていけば、もっと満足出来る生活が送れるのだと。
だが、勇はいつから魔者の価値観が自分と一緒だと思っていたのだろう。
いつからそれが最善の解決策だと思っていたのだろう。
でもそれが当たり前だと思える程に、勇はまだ―――〝魔者〟を知らない。
「ヌシはバカか?」
そしてそのたった一言が、勇に現実を知らしめる。
〝魔者〟という存在、その真なる本性の姿を。




