~安堵 の 帰還~
「ただいま……」
そこは藤咲家の自宅。
ようやく辿り着いた安息の地だ。
しがみ付く様にして玄関の扉を開く。
重く感じるのは、彼がもう既に心底疲れ切っているからだろう。
そうして項垂れる様に扉を開いた勇の前には―――彼の母親が立っていた。
母親の名は藤咲 真子。
勇は彼女に似たのだろう、おっとりとした顔付きにゆるりとした雰囲気を持つ。
一方で整えられたショートヘアはふわりと持ち上がっているかのよう。
体格は平均的で僅かに膨らみがある程度だ。
家着であるウサギの絵柄がプリントされた衣服を身に纏っている。
仕事から帰った後はいつもこんな感じだ。
たまたま偶然玄関前を歩いていたのだろう。
突然の帰宅に、彼女が驚きを隠せないでいる。
「ゆ、勇君無事だったのね!? 今まで一体どこで何してたの!?」
「その……色々あったんだよ」
実の所、勇は今も反抗期を引きずったまま。
そんな彼にとって、この様な母親の心配はどこか照れくささを感じるもので。
だからかそっと視線を外し、むず痒くなったこめかみを掻く姿が。
「あのさ、急で悪いんだけど……ちょっと今日、泊めたい人がいるんだ。 いいかな?」
「え?」
そしてこれもまた突然の事で。
母親もキョトンとして立ち尽くすばかりだ。
そんな折、勇に誘われた人物が軒先からゆるりと現れる。
少女である。
しかし勇が連れて来たのは女の子。
そんな子を家に泊めたいとまで言ってきたのだ。
その事実が別の意味でヒートアップを促した様で。
「まぁ!! ちょ、ちょっとお父さん、勇君が、勇君が女の子連れてきちゃったぁー!!」
それは喜びの余り、とても甲高い声で。
勇が無事だった事でタガが外れたのだろう。
オマケに息子が女の子まで連れ込んで来たのだ。
よほど嬉しかったのか、中年女性が年甲斐もなくぴょんぴょん跳ねる。
ほんのり膨らんだお腹もビョンビョン跳ねる。
もちろんそこに詰まっているのは余計な物だけだ。
「ほんとか勇!?」
そして間も無くリビングから父親もが頭を覗かせる。
父親の名は藤咲 徹
勇と比べてわずかに面長、しかし丸みがある所はやはり親子か。
短髪の髪はそれほどお洒落に気を使っておらず、ボサボサとした雰囲気を醸し出す。
身体の造りこそ大柄だが、その殆どは贅肉だ。
妻同様、既に家着用のスウェットに着替え済みである。
母親の声に駆り立てられたのか、それとも既にこっちに向かっていたのか。
それ程までの間髪入れずの事に、勇までもがビックリする程だ。
だがそんな二人の喜びも束の間。
体を屈めた剣聖が続いてその巨体を現していて。
「おう、ずいぶんせまっこい家だなオイ」
突如現れた大男に、勇の両親は別の驚きでただただ丸い目を向ける他無かった。
その巨体と風貌はやはりそれだけ衝撃的だった様だ。
◇◇◇
自宅での騒ぎが落ち着きを取り戻す。
詳しく説明する事を引き換えに、剣聖達の宿泊許可が下りたからだ。
とはいえ、勇も少女も身なりはもうボロボロ。
おまけに力尽きんばかりのヨロヨロで。
さすがに血の匂いに塗れたまま話をする訳にもいかない。
という訳で先ずは入浴を、という流れへ。
とはいえ少女は話に加わる必要も無かったので勇が先に入る事に。
ちなみに剣聖は入浴しないとの事。
当人が「別にかまやしねぇよぉ~拭くモン貸してくれりゃそれでいい」と一言で片づけたからだ。
そして勇達が帰還してからおおよそ一時間後―――
勇と両親、そして剣聖がリビングで揃って顔を合わせる事に。
ダイニングテーブルを囲む様にして四人が座る。
奥に勇、その向かいに両親、そして床に剣聖が。
そこで勇は何一つ隠す事無く、全てをぶちまけた。
渋谷の街が突然変貌した事。
魔者と呼ばれる恐ろしい怪物が現れた事。
統也が魔者に殺された事。
そして剣聖に助けられた事。
そうしたかった。
そうしなければ、心が耐えられないと思った。
それだけ、信じられもしない事ばかりが起きたから。
「―――という訳なんだ。 とても信じられない事かもしれないけど、全部本当の事だよ」
「そうか、そんな事が……」
話を聞いている内に、両親もその辛さが十二分にわかったのだろう。
押し黙りながら耳を傾けていて。
勇の感情が持ち上がる度に、「ウンウン」と共感を見せる。
ただその表情は言うほど驚いてはいない。
伝える事の何もかもが非現実的だったのにも拘らず。
まるで既に事実を受け入れた後の様に。
「その節はどうもありがとうございます。 勇がとてもお世話になりました……」
勇の語る全てを受け入れ、こうして剣聖に深い礼までしてみせる。
その声、その姿はまさに感謝に尽きるの一言で。
これは二人とも勇の事を我が子として大事に思っているからこそ。
その命を救ってくれた恩人に出来る、彼等なりの感謝の証だったのだ。
対して剣聖はと言えば、面倒くさそうに「かまやしねぇよぉ~」とあしらっていた訳だが。
きっと細かい事は気にしない性質なのだろう。
そんな訳で、勇が予想していた両親の抵抗も無いまま話はすんなりと終わり。
落ち着いた雰囲気がたちまちリビングを包み込む。
しかし勇はどこか納得がいかない様だ。
それはもちろん、両親が妙に素直だった事に。
「なんか、随分物分かりが早いんだけど、不思議に思わないの? 正直俺自身も信じられない事で一杯なんだけど……」
何せ当事者である勇自身がまだ理解しきれていない事ばかりだ。
まだまだ身近で知らない事だって沢山ある。
剣聖から譲り受けた【マケン】もその一つ。
それを当事者でない両親が簡単に受け入れる事が不思議でならなくて。
でもそれは、勇が事実の根底に気付いていないからに過ぎない。
その時両親が浮かべるのはどこか浮かない顔で。
まるでその質問を待っていたかの様に、二人がゆっくりと口を開く。
「今、どこもすごい事になってるのよ? だから渋谷に行くって言ってた勇君がすごい心配で……」
「まあこれ見ればすぐわかると思う」
すると父親が机の上に置いてあったリモコンを手に取り、テレビの電源を入れる。
でも画面に映り込んだのは、決して普通の番組ではない。
そこに映っていたのは、なんと「緊急速報」の文字で。
『―――続報です。 現在日本各地で起きている変容事件につきまして―――』
ニュースキャスターが深刻さを醸し出す声質で語りを続ける。
その傍には渋谷の上空と思われる、見た事のある映像が映し出されていて。
「これって……」
「最初は東京中心部だけだっていう報道だったんだがな、あれよという間に日本各地になったみたいなんだ」
「しかも土地が変わっちゃった場所はなんだか人も居なくなっちゃったっていう噂もあってねぇ」
「だから何が起きても不思議じゃないってな」
しかも渋谷だけではない。
日本各地で同様の事が起きていたというのだ。
さすがにここまでの大都市の一部が変わったという話こそ無かったが。
更には人が消えたという噂まで飛び交っているのだとか。
でもそれは決して噂などではない。
勇はその話が真実である事を知っている。
渋谷の街並みは普段、途切れる事が無い程に人で溢れ返っていた。
でも地震が静まって建物の外に出た時、それらは全て消え去っていて。
あの場に居たのは建物から出てきた人々だけだ。
恐らく、建物の外に居合わせた人は全て何らかの原因で消えてしまったのだろう。
当事者から見た限りは、そうとしか考えられない。
そしてもし消えた人達の代わりにあの魔者達が姿を現したのだとしたら―――
「なぁ、変な怪物が~とかそんな話ってあった?」
「いや、無いなぁ」
「え、じゃあ地震は?」
「地震? そんなのは無かったと思うが……」
その様な不安が過り、思わずこんな質問が飛ぶ。
自分達の見て来た魔者の存在をどうにか証明したくて。
ただ、その問い掛けに両親は顔を横に振っていた。
報道ではまだそこまで詳しい話は出ていないらしい。
それどころか地震があった事さえ知らないという。
まるであの大地震が渋谷だけで起きたかの様な。
「しかもこれ日本だけじゃなくて、どうやら世界中で起きてるらしい」
「え……」
しかしどうやら、問題はそれだけに留まらないらしい。
勇はただただ耳を疑うばかりだ。
まさか世界規模での事件だったなどとは。
―――世界中……? じゃあもしこのまま奴等が人間を襲い始めたら―――
そう考えると、勇の手中に冷や汗のようなじわりとした感覚が滲む。
今日起きた惨劇が脳裏に過り、悲壮感が彼の心を支配したのだ。
〝世界中であの惨劇が起きているかもしれない〟
〝世界はどうなってしまうのだろうか〟
そんな想いの末に、たちまち緊張が場を支配する。
勇も、両親も押し黙る程に強く。
今起きている事態が如何に深刻かを悟ってしまったから。
だがその緊張の静寂を―――野太い声が打ち砕く。
「まぁ別にどうにだってぇなるだろぅよぉ、ここでどう言ったって何も変わりゃあしねぇ」
途端、剣聖の一言が勇達から緊張をも取り払う事に。
そののらりくらりとした声色が冷静さを呼び戻したのだ。
しかも何か妙な説得力の籠った一声として。
きっと剣聖自体も事態を把握していないだろう。
テレビ映像を前に首を傾げている辺りは。
もしかしたら勇達と同等にしか理解していないかもしれない。
それでも、彼の言う事も間違いではない。
『世界を今すぐ元の姿に』など、勇達にはがだい無理な話で。
それこそ悩んでも無駄、という訳だ。
勇達もそれに気付かされて。
間も無く両親もが揃って小刻みに頷く様を見せる。
「そうねぇ。 自衛隊も動いてるって言うし、多分大丈夫よぉ」
既に一般へ向けてこんな報道が流れているからこそ。
日本が、世界各国の政府が動いていないはずが無いのだ。
そう、この世界には警察や軍隊が沢山居る。
彼等の強力無比な武装を前にすれば何の問題も無く対処出来るだろう。
魔者とて生物には変わり無いのだから、きっと。
それに危険があれば緊急事態宣言や避難勧告が出るはずで。
でもどうやらそういった情報はまだ出回っていないのだそう。
だとすれば今回の事件はそこまで酷くないのかもしれない。
なら危険から離れられた以上、変に心配するだけ損というものだ。
そんな事実が勇達に安堵をもたらして。
たちまち、息が詰まる程に淀んでいた場の空気が澄やかに。
「そうですねぇ、どうこう言ったって始まらないですし」
「それじゃあ晩御飯にしましょう。 折角の大人数だし、皆お腹空いてるでしょうから簡単に仕立てましょうか!」
「ならお父さんが準備するからお母さんはあの子の準備をしてあげてくれ」
「あら、それじゃあお願いするわね。 鍋とコンロお願い!」
するとその空気を更に弾ませんばかりに、両親が明るい雰囲気を振り撒き始める。
この両親、実は結構なおしどり夫婦。
喧嘩も一度しかした事が無い程に仲が良い。
そんな二人が交わす会話はこの様にテンポも良く、こんな息の合った行動も日常茶飯事である。
勇が無事だった事での安堵がその行動力を押し上げた様だ。
こうして事情説明も済んで一件落着。
二人の雰囲気がたちまち日常の空気を呼び込んで。
気付けば剣聖共々、いつものゆったりとした時間を享受し始めていた。
しかし勇にはまだ一つ心残りがある。
それは統也の事だ。
こうしている間にも、統也の両親が心配をしているかもしれない。
〝自分だけがこうして落ち着いていてもいいのだろうか〟と。
そう思うと居た堪れなくて。
だからこそ勇は決めていた。
もう少し休んだら、すぐにでも統也の事を伝えに行こうと。
それが今自分に出来る唯一の事だと思ったから。




