~Shouting <叫び>~
翌日、再び京都北部にて。
太陽を遮る程の厚い雲が覆う空の下、勇がたった一人で林に立つ。
その目に見据えるは当然―――隠れ里。
勇とちゃなは宣言通り、こうして再びこの地にやってきたのだ。
もちろん、昨日思い付いた妙案を引っ提げた上で。
それ程準備に時間は掛からなかったから。
必要な物を用意し、その上で早い内に就寝。
朝一番の列車に乗り、今こうして昼に差し掛かる前に訪れたのである。
リュックサック一つだけを携えて。
本当にそれだけだった。
魔剣も戦闘服も必要無いから家に置いたまま。
着慣れた私服だけを身に纏うという無防備状態で。
それが勇の考えた、対等に話し合う為に必要な第一歩だったから。
先日の巨人は魔剣どころか戦意一つ見せはしなかった。
それにカプロや子供達の行動はきっとおふざけの延長で敵意とは言い難く。
勇達だけがそんな彼等を無駄に警戒していたに過ぎない。
でももう誤解は何一つ無い。
全ては話を聞いてもらう為に。
その強い意思があるからこそ。
隠れ里を見上げる勇の姿は、これ以上に無いまでの気力に満ち溢れていた。
そんな勇を跡目に、送り届けた御味の車が走り去っていく。
見守るちゃなを乗せたまま。
こうして、二人を見届けた勇が再び結界内へと足を踏み入れ。
先日同様に入口の階段前へとその姿を晒す。
そして見上げれば―――その先には、昨日と同じ巨大な人影が。
その待ち伏せる姿はまるで、勇が訪れた事を知っていたかのよう。
再来の宣言こそしていたものの、こうしてすぐに訪れようとしていた事など知るはずも無く。
車の音で気付いたにしては、昨日よりもずっと素早い登場だったから。
互いが一歩を踏み出し、徐々に距離を詰めていく。
果てには先日よりもずっと近くなる程に。
そうして気付けば、二人の容姿が手に取ってわかる程まで近づいていて。
その距離、数値にしておおよそ三メートル。
大声を出せば吐息が届きそうなまでの間。
見上げる側の勇からしてみれば、首を真上に向けないと相手の顔が見えないという位置取りである。
でも怯まない。
例え相手が大きかろうと、恐ろしかろうと。
話が出来る様になるまで、もう一切たりとも引く気は無い。
勇はまるでそう主張するかの如く、胸を張っていたのである。
「性懲りもなく来たんか。 それで理由は見つかったんかいのォ?」
もちろんそれは巨人も同様で。
その太い腕を組み、相も変わらずの頑なな態度を見せつける。
いや、そんな姿はむしろ昨日よりもずっと険しい。
下目遣いで見下ろす様はまさに高圧的だ。
そんな相手を前に対する勇の第一歩、それは―――
「理由は……見つかりませんでした」
それはとても消極的な答えだった。
巨人が思わず顔をしかめてしまう程の。
その答えは言わば期待外れもいいとこで。
この様な堂々とした姿を見せた者が放つ言葉では無い。
例え最初から期待をしていなくとも、こうも真正面から言われれば戸惑いもするだろう。
「では何故ここに来たのか」と。
けれど勇には思惑があったのだ。
最もらしい理由が見つからなくとも、導き出す事は出来るのだと。
「俺はそれ程頭がいい訳じゃないし、それで理由をこじつけたって意味無い事くらいはわかってます。 だから見つけたいんです。 こうして貴方と話をして、知った上で相応しい理由を。 知らないまま自分勝手な理由を押し付けるよりかは、その方がずっといいって!」
だからこそ勇はそのきっかけとなりうる物を持ってきた。
勇にとっての今の行動原理とも言えるその本を。
そう、グゥの日誌である。
背負ったリュックを降ろして開き、そこから大きな一冊を惜しげも無く晒し。
仰々しく飾られた表紙をそっと巨人へと見せつける。
「これは仲良くなった魔者のグゥさんから譲り受けた日誌です。 グゥさんは俺に色んな事を教えてくれました。 隠れ里の事、世界の事、故郷の事も……そしてその故郷が突然水の底に沈んでしまった事も」
「突然水の底にだと……?」
「ええ、そうです。 余りにも突然な事で、グゥさんを残して皆死んでしまったと。 それにもしかしたら気付いているんじゃないですか? この里を取り巻く環境が突然変わったって事に」
日誌が表に出た途端、勇の思考は不思議と明瞭になっていて。
望んでいた言葉が次から次へと溢れ出て来る。
それだけこの日誌が勇にとっての心強い味方だったのだろう。
まるであの賢く優しいグゥが傍に居てくれていると思えたから。
その背中さえも後押ししてくれる。
「信じられない事かもしれないけど、今、世界は急激に変わってます。 俺達の世界と貴方達の世界が混ざった事で。 だから『そちら側』の常識と言える争いももう無いんです。 俺達の世界には人間しか居なくて、みんな魔者という存在を知らないから」
「ほぉ……?」
「残念ながらそれでもわかってくれない魔者も一杯いました。 人間に敵意を剥き出しにして、自分達の感情のままに襲い掛かって来て。 俺達もやり返すしかなかったんです……」
ここに至るまでに多くの血が流れた。
人間も、魔者も。
そしてそれは必然だったのかもしれない。
相手が知能よりも本能に準じた生物だったり。
賢くても憎悪に囚われていたり。
話し合いが出来ればいいとは言うが、きっとそんな彼等はずっと話を聞きはしないだろう。
彼等もまた、自分達の感情だけで独立して生きて来た者達なのだから。
だが、今は違う。
「でも貴方はこうして何も言わずに話を聞いてくれている!」
そう、聞いてくれているのだ。
もしこの魔者が本気を出せば、きっと勇を捻り殺す事も訳ないだろう。
それだけの力強さも迫力もあって、勇も抵抗の意思も見せていないから。
それに巨人は話をしたいとも聞くとも言っていない。
興味が無いと吐き捨てて、この場を去る事だって出来るのに。
否定の意思は見せているが、それでも余計な口を一切挟みもせず。
こうして相槌まで打って静かに耳を傾けてくれているのである。
「きっとこのままじゃそんな暴力的な奴等ばかりが目立って、魔者は悪ってイメージが付いてしまう。 それじゃあダメなんです!! それじゃ『そちら側』で起きてる事と何ら変わらなくなってしまう!!」
だからこそ勇は訴える。
仲良く成ってくれたグゥを否定されない為に。
そしてこうして話を聞いてくれる巨人もが否定されない為に。
「まだ魔者はそれ程周知されていなくて、皆そこまで悪いイメージを持っていません。 だから俺は貴方達やグゥさんの様な存在が居るっていう事を示したい。 話してわかってくれる人が居るって!!」
こんな大それた訳を考えた事なんて今まで無かった。
ただただ、仲良くなりたいという想いだけで。
でもきっとそこにはこんな根底があったから。
変容事件が悪い事ばかりじゃないって訴えたかったから。
やっと勇は、その理由を導き出す事が出来る。
「だから俺は貴方達を知りたい……互いを知り合う友達になりたいんだッ!!」
これこそが勇の心に秘められた真の理由だったのだ。
例えキッカケが自己満足の為でも。
欲から生まれた物であったとしても。
偽善にも足る意思であろうとも。
そこから生まれた目的が自己完結になるとは限らない。
別の答えを求めて思考を巡らせて。
自分なりに考えを崩し、新しい意見を取り入れ、組み立て、そして再構築する。
まるで不出来な創作品を最初から仕上げ直すかの様に。
そうして出来た別の誰かの為の新しい答えが―――相手の心をゆり動かす。
そこから生まれた理由を前に、巨人は何も言い返す事が出来なかったのだ。
余りにも単純な結論で、それでいてその背景が自身も与りきれない程に複雑で。
それでいて、とても〝理与的〟な答えだったから。
初対面の者が「友達になろうよ」と声を掛けるのは至って普通の事だ。
そう宣った者は、何かしらのきっかけがあって相手に興味を抱いたから。
友人になってから関係は発展し、結果的に友情や愛情が生まれる。
仲良くなった末の答えが生まれる。
だからこそ、理由などその一言で十分なのだ。
最もらしい理由や結論など、後から幾らでも生まれるのだから。
そして巨人もまた、そんな理屈を良く知っている。
長い年月を、閉鎖的であろうとも平穏な世界で生きて来たから。
そんな者が、「友達になろうよ」と言われて一方的に否定出来る理由が無かったのだ。
それこそが理与的。
相手に考える余地を与えるきっかけを生む、勇の答えが秘めた本質だったのである。
「友達になりたいから、今日は魔剣も持って来ていません。 これで俺は貴方と対等ですよね」
「んなっ!? おめぇ……」
更には勇が上着の裾をひらひらと舞わせては、身なりを見せつけていて。
リュックサック以外は何も持っていない事を知らしめる。
それがどれだけ大きな衝撃であるかを知る事も無く。
魔剣使いが魔剣を手放す事―――その意味を知る巨人は絶句するばかりだ。
その驚愕は表情だけでは計り知れない。
「……こんな理由じゃ、ダメでしょうか?」
とはいえそんな巨人の態度を前に、勇もほんの少し不安を抱いた様だ。
なおも返らない答えを待ち望みながらも、眉間をぐいっと寄せていて。
遂には互いに押し黙り、静寂がその場を包み込む。
「師匠~別にワケくらい聞いてもいいんじゃねッスか? 」
―――というのも束の間。
突如、場の雰囲気を打ち壊さんばかりの緩い声がその場に打ち上がり。
それに気付いた勇が見上げた視線をふと下げてみると。
巨人の脚の裏から、あの毛玉の姿がピョコリと。
(自称)里一の戦士、カプロである。
どうやらずっと見上げていた所為で、寄っていた事に気付かなかった様だ。
相変わらずの真ん丸な目を股下から巨人に向ける姿が。
「村長もそう言ってたし」
しかも突拍子の無い一言も添えて。
これには勇も目を丸くせざるを得ない。
思わず「へっ?」と声を漏らす程に唖然するばかりで。
でも、肝心の巨人はと言えば―――
「カップッロォ……! おめぁまた余計な事をぉう……!!」
先程の驚愕はどこへ行ったのやら。
ツンと吊り上がった鼻を更にグイっと持ち上げて牙を露わにし。
組んだ腕はミシミシと軋む程に膨らみ上がっていく。
更にはカプロを見下ろす目から電撃が迸らんばかりの血走りが浮かび上がり。
目尻をピクピクと震わせ、突き刺さんばかりに睨みつける。
勇がどこかで見た事ある様なドス黒いオーラを放ちながら。
「うぴっ!?」
そして今更に気付いた所で時すでに遅し。
巨人の巨大な手がカプロの細い腹回りをガチリと掴み取っていて。
そのまま成す術もなく、小さな体は大地から離れ―――
「すっこんどれてェ……言うたやろがぁーーーーーーいッッッ!!!」
あろう事か、直後その小さな体は憐れ空の彼方へ。
その巨木の様な腕に相応しい、実に見事な遠投である。
勇がポカンとしてしまう程に。
こうしてカプロ自身がお星さまへとなるも、彼の功績は流れ星の様に無為とは消えず。
突如舞い降りた希望が、勇の望む魔者との対話へと導く事となるのだった。




