~見てもらいたくて~
東京某所、とある施設。
ヘリコプターに乗せられたグゥはそこへと搬送され、早々と治療を施される事となった。
彼を診るのは、フェノーダラ王国にも派遣された実績がある医者達。
加えて腕も確かとあって、最初は勇も感心したものだ。
しかし世の中そう上手くは行かないもので……
現状の症状はと言えば飢餓状態による衰弱。
診断を要する様な特異の症状は見られない。
おまけに相手が魔者とあって注射針すら入れられず。
結局、大した処置も出来ないまま診察は終了。
しばらくはしっかりと栄養を摂った上で養生する事となったのだった。
診察後、グゥが連れて来られたのは同施設内のとある一室。
ベッドが二つ並べられる程度の小さな部屋だ。
看護師と勇が協力してグゥをベッドへと寝かせ、今日やれる事はこれでひとまず終わり。
後はちゃんとした食事を摂りつつ、経過観察を続けるのみ。
思っていたよりも深刻な状態で無かった事もあって、勇もとりあえずは一安心の様子。
「ここには貴方を殺しに来る様な人は居ないですから、安心して寝てください」
ここは当然、関係者だけにしか踏み入れる事の許されない場所な訳で。
施設に居る人間は漏れなく変容事件の真相を知る者しかいない。
もちろん全員福留の息の掛かった者達だ。
なので多少出歩こうが何の問題も無い程、グゥにとっては安全な場所なのである。
「ありがとう。 それと、少し外の空気を吸わせてくれないか?」
「あ、はい。 あまり良い匂いじゃないかもしれないですけど」
部屋にはしっかりと窓も備わっていて。
勇が「ガラリ」と一度開けば、その先に東京の景色がチラリと覗く。
耳を澄ませば「ガタタン、ガタタン」という音が微かに聴こえ、線路が近い事を暗に示していた。
しかし空は真っ暗、もう既に時刻は夜遅く。
日中ならごった返す程の通勤帰宅者でさえもまばらになる時間帯だ。
そんな夜の街の空気をふんだんに吸い込み、「ふぅ」と一息。
今まで緊張続きだったのだろう、さすがに疲れは隠せない様子。
とはいえ、出会った頃と比べるともうだいぶ落ち着いている。
「なるほど、草木の香りが無いんだな」
「やっぱりわかります?」
「いや。 なんとなくそう思っただけさ」
少なくとも、こんな他愛も無い話を交わせるくらいには。
全快もそれほど遠い話ではないかもしれない。
どうやら本人の言う通り、グゥの嗅覚はそこまで発達してはいない様だ。
犬にも似た容姿とはいえ、特徴までもが同じとは限らないという事か。
こう言えたのはただ森に住んでいた者として嗅ぎ慣れた匂いを感じなかったから。
今まで森の中に住んでいたのだからそう感じるのも無理は無い。
その瞳は、まるでそんな故郷の森を懐かしむ様に窓の外を見上げていて。
語る事も無くただ静かに、今は無き生まれ故郷に想いを馳せる。
しかし気付けば開いていた目がウトウトと。
溜まりに溜まった疲れがとうとう眠気を誘った様だ。
「あ、そうだ……」
しかしそんな時、何かを思い出したままに自身の体をまさぐり始め。
その手が間も無く腰に備えた革袋へとぺたりと触れる。
「お。 よかった、無事だったか……」
グゥが探していたのは腰にずっと備えたままだった物。
厳重に縛り付けていたお陰で今の今まで落ちずに済んだのだろう。
余程大事な物の様で、疲れていようと構う事無く紐を解き始めていて。
腰から解き放って早々、袋を傍に置かれた机の上へと「ゴトリ」と置く。
「それは?」
置かれた内包物は明らかに四角くて平べったい固形物。
袋がその様な形に歪んで張っていたので丸わかりだ。
そんな物々しい物体が勇の興味をそそり。
触らずとも袋を眺める様に首を「グイッ」と伸ばさせていて。
それにグゥもまんざらでは無かったのだろう。
落ち着かない勇へと向けて袋を開く。
「これは我々エウバ族の生きた証だ」
そしてそのまま袋から取り出して見せたのは―――
――― 一冊の、本であった。
突然現れた文化物を前に、勇は驚きを隠せない。
人間側ならともかく、魔者側からこの様な物が出て来るとは思いも寄らなかったからだ。
「生きた証って、どういう事です?」
「そうだな、敢えて言うなら日誌の様な物さ」
すると、そんな仰々しく謳った日誌を……あろう事か勇の胸元へと差し出していて。
勇が思わず両手を本の下へと添えると、間も無くその重みがズシリと腕を通して伝わっていく。
「読んでいいんですか?」
「ああ構わない」
グゥはきっと勇を認めてくれたのだ。
その様な大事な物さえも見せて良い、信頼出来る相手なのだと。
そう思ってくれた事が勇にもなんとなくわかったから。
受け取った日誌を前に、思わず笑顔がほころんで止まない。
しかし、勇が受け取った本は想像以上の仰々しさで。
文化的であるどころか、高い技術力さえ感じる程の造りを誇っていた。
大きさはおおよそB4サイズ程度だろうか、本と一体化した紫色の布製ハードカバーが特徴的。
金や銀の刺繍が縫われ、僅かに綻びこそあるもののしっかりとその形を維持していて。
表紙絵は無く、見た事の無い言語のタイトルらしき文字だけが表紙を飾っている。
本自体は結構厚めで、親指と人差し指の第二関節でなんとか掴めるほど。
そして最も特筆すべき点として挙げられるのは―――紙だ。
随分と薄く仕上げられていて、現代で一般的に使われている物にも似た滑らかな質感。
それだけの物が『あちら側』でも作れるのかと思える程に精巧な造りだったのだ。
そして何より、あれだけ騒がしく動いていたのにも拘らず歪み一つ無い。
随分と頑丈な造りなのだろう。
そんな本を興味の赴くままに開いてみると―――
そこには詰め込まれた様にビッチリと描かれた文字の山が。
とはいえ、そこはやはり『あちら側』の産物。
もちろん勇に読める訳も無く。
「おお、すっげ……」と驚きの声を上げながら眺める事しか出来ない。
かろうじてわかるとすれば挿絵くらいか。
ペラペラと開けば、所々に墨で描かれた様な白黒の絵が載っていて。
それは魔者だったり、人間だったり、あるいは魔剣らしい物だったり。
現代の漫画や小説と比べれば味気無いが、神秘的な雰囲気が好奇心をひたすら擽り続ける。
「読めるかい?」
「はは……いえ、全然」
とはいえここまで意味不明だと、例え正直者でなくても「ハイ」などとは言えるはずも無く。
日誌の上縁から覗かせた顔に苦笑いが浮かび上がる。
「これは我等が生きてきた上で学んできたあらゆる知識と出来事を記したものだ。 私の―――いや、一族の宝さ」
「そうなんですね……凄く大事な物だ。 親友達との思い出もきっと一杯詰まってるんだろうなぁ」
勇が日誌を「パタリ」と閉じ、そのまま机上へ乗せる。
大切にそっと、傷がつかない様に。
そんな一連の様子を前に、グゥもどこか満足気で。
どうやら眠る事さえも忘れてずっと眺めていた様だ。
でももう夜は更け、いつ終電が訪れるかもわからない。
グゥも疲れているのだ、こうして話を続けるにもいかない訳で。
「じゃあ俺はもうそろそろ帰らないといけないので。 また明日来ますね」
「あぁ。 また会おう」
その挨拶を最後に、勇は一旦この部屋を後にしたのだった。
勇が間も無く姿を消し、それを見送ったグゥが再び夜空を見上げる。
すると丁度、視界に真っ白な月が浮かんでいて。
その光景がふと、かつての友との記憶を思い起こさせる。
同じ様な夜空の下で、友と熱い言葉を交わした思い出を。
「綺麗だ……あの時と同じ様に」
もうこの世に居なくとも、その心がある限り友との思い出が消える事は無い。
例え宝と言える日誌が無くとも。
例え凄惨な現実を目の当たりにしようとも。
だからこそ想う。
今は少しでも生きる時なのだと。
統也に生かされて今を生きる勇と同じ様に。
「友よ、願わくば私にもう少し時をくれ……」
そう願う姿は―――人と何も変わらない。




