~懇願 の 否定~
剣聖―――これが大男の名だった。
とはいえ本名ではなく通称らしいけれど。
当人が気に入っているのならば追求する必要も無いだろう。
なお、当人曰くこの名はとても有名なのだとか。
しかし実の所、勇はその名称そのものを知らない。
剣道を嗜んでいればその手の名前も知りそうなのだが。
でも勇は剣道そのものが好きであって、背景には一切興味が無いらしい。
では別の方面ではどうだろうか。
例えば、その名がよく聞かれるのはサブカルチャー方面だろう。
しかし勇のサブカル知識はほぼ皆無だ。
精々友人から聞かされるくらいで、殆ど観る事もプレイする事も無いという。
加えて、テレビやネットでも剣聖という名は聞かない。
異形―――【マモノ】を屠れるくらいの実力者なら聞きそうなものなのだが。
少なくとも、格闘技番組などは嗜む勇ならば。
だからこそ勇は剣聖という名に未だ首を傾げていた。
それはまるで「説明して?」と言わんばかりに。
それ程に自慢出来る知名度とは思えなかったからだ。
「あぁもぉーうめんどくせぇ!! そんなんどぉでもいいんだぁよぉ!!」
すると途端に剣聖が「ふんすっ!!」と鼻息を荒げさせていて。
どうやら極度に面倒臭がりな様だ。
それどころか突然「プイッ」と勇達に背を向け、のしりのしりと離れていく。
「あっ……」
もう勇達に興味は無いのだろう。
これ以上共に居た所で得られる事がある訳でも無く。
それにきっと、剣聖にはやる事があるだろうから。
でも勇にはまだ用が残っている。
それに、置いて行かれる事も不安だったから。
そんな想いが絡み合って、剣聖の背へと手を伸ばさせていて。
けれどその背はもう手の届かない場所に。
何も掴めず、掌が空を切り。
しかしその手は無念を体現する様に強く握り締められて。
そして今、抑圧出来ない願いが声として解き放たれる。
「待って! 待ってください!!」
一心の叫びだった。
剣聖ならもしかしたら望みを叶えてくれるかもしれないと。
心の奥底に潜む、叶うはずも無かった望みを。
それは相手が【マモノ】を屠る事の出来る剣聖だからこそ。
この出会いで生まれた些細な希望が勇を突き動かしたのだ。
「剣聖さんッ!! 俺の、俺の親友の仇を、仇を取ってください!! どうかお願いッ、しますッ!!」
それはもはや土下座だった。
地面に這いつくばり、頭を垂れて。
その上で甲高いまでの叫びで願いを請う。
先程の昂りがまだ残っていたのだろう。
それだけの想いが詰まっていたのだろう。
何せあれだけ仲の良かった統也が殺されたのだ。
なら【マモノ】を怨んでいない訳が無い。
だから一矢報いたい。
統也の仇を取りたい。
ただただその一心で、額を地面へと打つ。
その上で、自分自身の情けなさに歯を食い縛りながらも。
必死の懇願である。
恥をもかなぐり捨てての。
己が非力であるが故の、最後の手段だった。
「嫌だね、めんどくせぇ」
けれど、その想いが届く事は無かった。
剣聖は振り返りすらしなかったのだ。
それどころか、片手で払う仕草まで見せつけていて。
たったそれだけで勇の懇願を吐き捨てたのだ。
興味の一片すら滲む事の無い、鼻で笑うかの様な一言で。
そんな一言が、勇の心に火を付ける。
憤りだ。
己の身体を震わせる程の憤りが立ち所にして全身へと駆け巡って。
その激情が思わず、拳を大地へと叩きつける事に。
「なんで、なんでですか!? 貴方はそんな強いのにッ!? それくらいしてくれたっていいじゃないですかッ!!」
その勢いで身体が持ち上がる。
膝を突きながらも激情を声にして咆え上げる。
これはよくよく考えれば理不尽な要求である。
まるで頼む側が言う様な事では無いから。
それでも言い放ててしまったのは、勇がそれだけ必死だったからだろう。
目の前に居る剣聖という男にしか成せないと思ったから。
自分達を助けてくれた彼ならきっとやってくれると信じたかったから。
でも現実は非情で。
振り返った剣聖はといえば―――
まるで興味の無い、無味な表情で返していて。
「んなの決まってんだろうがよぉ。 そんなん、俺がとっても何の意味もねぇ」
「意味が無いって、意味が無いって何なんですかッ! 死んだら意味が無いっていうんですかッ!!」
そう叫ぶが応えは返らない。
だからこそ勇も止まらない。
「あいつは凄い奴だったんだ。 俺なんかよりよっぽど! なんで俺じゃなくてあいつだったんですかッ!! 俺じゃなくてぇ!!」
「まぁ、そいつの運が悪かったってぇだけだろ」
満を持して返って来たのは他人事の様な辛辣な答えで。
その一言が勇の感情を逆撫でし、肺を絞らんばかりと叫ばせる事に。
「あいつはッ!! 本当なら統也はッ!! 俺なんかより何でも出来て!! 優秀でえッ!!! 」
「だが死んだ」
「―――ううっ!?」
だがそこまでだった。
唐突な剣聖の真理が勇に現実を取り戻させたのだ。
はたから見れば何気無い囁きに過ぎない。
でも勇にとっては、まるで心臓を突き刺されたかの様な一言で。
不思議と、言葉そのものが凶器であるかの様に感じたのだろう。
故に今、勇は息をする事さえ忘れさせられていて。
するとその時、剣聖がその身を振り返らせる。
ただし、睨む様な鋭い眼差しを勇へと向けたままに。
「こんな話ったぁよくある事だから教えてやる。 どんな優秀な奴だろうが、死んじまえばそれで終わりだってな」
きっと剣聖は人の生き死にを当たり前の様に見て来たのだろう。
勇の様に訴える人間も、仇を取った事さえあるのかもしれない。
「仇討ちィ? 上等じゃねぇか、やれるならやりやぁがれ。 だがな、それに拘る奴ぁすぐに死ぬ。 自分でやろうとした奴も、頼まれた奴も。 おめぇみたいに頼んだ奴だってな、いずれはテメーに返ってくんだ」
語る声に重みが宿る。
命のやり取りを繰り返す人間にしか語る事の出来ない、深く強い重みが。
「そうやって死ぬ奴ぁ総じて『運が無かった』。 こいつぁ真理だ。 逆にどんな弱い奴でも運がありゃ生き残れるからな、ならなんだって出来らぁ」
「そんな―――」
「そしておめぇは生き残った」
「―――ッ!?」
「ならおめぇにしかやれない事をやれ。 仇討ちも、返り討ちも。 逃げる事だってかまやしねぇ。 それに逆らって死んじまえば、おめぇの親友と同じ『運が無かった』だけになるんだからな」
そんな剣聖の放つ一言一言が勇の心に響く。
まるで感情を指で打ち鳴らされたかの様に。
それだけ思い知らされたのだ。
生きる、その真の意味を。
「だから、生きて事を成せ。 おめぇの力で、心の望むままに」
〝死んでしまえばそれまでだ。
だから死ななければ、いつか何でも出来るだろう。
例え歩が遅くとも、望まぬ道を歩む事になろうとも〟
至極当然の事だが、真理でもある。
それを僅かな言葉で伝えられたのは、剣聖の言葉に説得力があるからなのだろう。
これがこの男の培ってきた言葉の重みという事か。
そしてこの言葉は、勇の脳裏に響く言葉と絡み合う。
統也が最期に残したあの言葉と。
―――お前だけは、生きて―――
それはまるで剣聖と同じ、〝生きて事を成せ〟と言っている様にも思えていた。
そう統也に教えられたような気がしてならなくて。
その想いが、勇の頬へ熱い雫をなぞらせる。
しかしそれは決して悲しみなどでは無かった。
剣聖に教えられた気がしたから。
統也にも教えられた気がしたから。
貰ったのは、勇気だったから。
二人の絡み合った言葉が、心という井戸から感情を引き上げる。
既に諦めて、沈みきった希望を汲み取るかの様に。
たった一つ、叶えたいと強く願っていた希望を。
「な、なら俺にも―――」
「んん?」
両手を大地に突き、恐怖と高揚で唇を小刻みに震えさせながら。
勇の俯いていた顔が持ち上がっていく。
願いと、想いを握り締めて。
そして今、貰った勇気を振り絞る。
「―――俺にも出来ますか、あの化け物に一矢報いる事がッ!!」
その時、勇は自身でもにわかに信じられない言葉を言い放っていた。
剣聖の言葉に奮い立ったのか、それとも勇気をそれ程までに強かったのか。
だがそんな事など勇にはどうでもよかったのだ。
人すら一撃で殺せる怪物に一矢報いる事が出来るのであれば。
故に今、少年は願う。
己の力を奮う為の手段を。
それこそが何よりも心から求めた願いだったからこそ。




