~その実力は伊達じゃない~
隠れ里を進む勇達の前に現れたのは、弱りきった一人の魔者だった。
しかし今までと違って理性を見せるかの者を前に、勇とレンネィの意見が対立する。
命を救いたい者と刈り取りたい者。
二人の異なる意思のぶつかり合いはまだ収まる所を知らない。
「貴方の言っている事がよくわからないわ。 例え救いを求めていようが、相手は魔者よ。 今もこうしている間に貴方を襲うかもしれない相手なのよ?」
勇もレンネィも今渦中にいる魔者の事を何も知らない。
ここに居る目的も、思惑も本性も何もかも。
こうしている事さえも相手の策略だという事すら有り得るのに。
なのにも拘らず守ろうとしている勇は普通に考えてみれば無知で無謀としか言えない。
ただそれは勇にだってわかっている事だ。
いくらなんでも無暗に信じ過ぎているという事くらいは。
それでも信じたかったのは、可能性はゼロじゃなかったから。
「そんな事はわかってます! でもこの人に戦う気が無いってくらいはレンネィさんだってわかるでしょ!? 」
魔者に敵意が無い事くらい、誰が見ても明らかである。
それは抵抗すらせずに首を差し出す程で。
苦しみから解放される為に、魔剣使いに死を請うくらいなのだから。
それに魔者と話が全く通じない訳じゃない。
ウィガテだけではなく、未だ知らぬ二か所の魔者の件もある。
福留から話を聞いて、戦わずに話だけで事を納めた魔者達が居るのだ。
そう出来る可能性がある以上、平和的に進める事が現代のやり方。
戦うのはあくまでも最終手段に過ぎないのだから。
「どうやら話しても無駄みたいね。 貴方と私とでは住む世界が違い過ぎる。 価値観の隔たりが余りにも大き過ぎるのよ」
そしてこの世界に来たばかりのレンネィに、勇側の価値観を受け入れらる程の余裕はまだ無い。
ここまでの道程で多くを語り合って来たものの、全てを納得するには至っていないのだから。
それは勇が『あちら側』での魔剣使い同士の暗黙のルールを知らない事と同様にして。
「―――それに事情はどうあれ、魔剣を向けられた以上はもうこちらとしてもタダでは引き下がれない。 その意味はまだ経験の薄い貴方でもそれとなくわかるでしょう?」
そう、勇は魔者の事だけでなく魔剣使いの事もまだほとんど知らないまま。
こうして互いに魔剣を打ち合う事の意味さえも。
それはすなわち、訣別の意。
互いに魔剣の刃を向け合うという事こそ彼等にとっての禁忌。
例え訓練で互いに刃を交わす事になろうとも、例え間違いだったとしても。
同じ人間の仲の良い仲間同士であろうとも、これを破ればその瞬間から敵同士となる。
それこそ互いが再び理解し合って解消しない限り、殺し合う事さえも吝かでは無い程の。
勇は知らず内にそれだけの禁忌を犯していたのである。
「如何な事情があろうとも、もう私は貴方に対して容赦するつもりは無い。 それが魔剣使いとしての定めであり、【死の踊り】の名を冠した私の誇りだ!!」
叫びとも足るレンネィの怒号が戦意を周囲へ一瞬にして撒き散らす。
その突風たる勢いは【波】とはまるで比べ物にならない。
堪らず勇がその身を強張らせてしまうほどに強烈。
それには当然、命力が篭められていたのだから。
この様な命力の波動を撃ち放てば、命力を扱う者は当然認識する事が出来る。
互いがこうして対峙しているならなおさらだ。
そしてその行為は相手に対する強力な威嚇ともなる。
自身の力を知らしめる行為として最も単純で、最もわかりやすいのだから。
それ故に勇は感じ取ってしまったのだ。
自分とレンネィの命力差が圧倒的に離れているという事に。
まともに戦えば、勇が負ける事は必至だと思える程の差が。
でも、勇も負けてはいられない。
格上相手との戦いばかりを経験してきたから。
この一ヵ月、死に物狂いで激戦を乗り越えて来たから。
強張らせた体をもゆるりと構えさせ、魔剣を両手で握り締めて戦意を見せつける。
そこに覗くのはただならぬ戦士としての気迫。
そう、今の勇はもはや新人魔剣使いなどではない。
れっきとした経験豊富な魔剣使いとして成長を果たしているのである。
たじろぐ様さえ見せない勇を前に、レンネィの目付きが僅かに細まる。
予想もしない程の強い気迫が彼女の認識を変えたのだ。
新人が出せるはずも無い、意思と自信に満ち溢れたその姿を目前としたから。
―――この子、ずっと新人だと思っていたけれど……違う!―――
詳しい話はまだ聞いていないから知らないのだろう。
数々の魔者達を退けた勇の戦いを。
精々「倒した時に一緒に居た」程度にしか思っていなかったのだ。
だが、例え事実が異なろうとも実力が拮抗している訳ではない。
戦士としての実力は測るまでも無く、自身の方が上だという自負がある。
「そう……戦士としては出来上がっているという事ね。 でもそれだけでは―――」
その自信が、プライドが、遂に彼女の足を動かした。
それも生半可な速度では無い。
一瞬にして勇に接敵する程の―――圧倒的速度で。
「―――私は止められないッッッ!!!!!」
その様子はまさに【死の踊り】の名に相応しい動きだった。
まるでステップを踏むが如き足取りと、舞うが如き軽やかな体の動作。
しかもそれが自身を軸として回転力を生み出し、斬撃の力とも変わる。
その姿はまるで全てを飲み込む竜巻が如く。
加えて勇の動きすら遥かに凌駕する瞬足は間を与えない。
強力な命力を駆使して成し得た人知を超える速度は、もはや常人に捉える事など不可能。
その全てが折り重なって生まれた斬撃が今、勇へと容赦なく襲い掛かる。
しかし勇にそれが見えていない訳では無い。
何故なら勇は鋭覚化された五感を持ち得ているからだ。
中でも戦闘に最も寄与する視覚・聴覚・触覚はそんな速い相手であろうと捉える事が出来る。
迫り来るレンネィの瞬足斬撃に対処する事も不可能では無いだろう。
ただそれも、一筋縄ではいかない。
その時勇に見えたのは、自身の首を搔き切らんばかりに迫り来る斬撃。
それもただの斬撃では無い。
なんと二連撃。
二つの刃が重なる様にしてほぼ同時に迫ってきていたのだ。
自慢の鋭感覚でさえもそう見えてしまう程の速度をレンネィは体現していたのである。
それでも勇は諦めない。
その斬撃が分かれている訳でも無く、ほぼ同じ軌道を描いていたから。
ただ力の限りに魔剣を構え、軌道に沿えて耐えきるのみ。
ギギィーーーンッッッ!!!!
その瞬間、凄まじい衝撃音が周囲に響き渡る。
勇がレンネィの斬撃を見事防ぎきったのだ。
それだけでなく、反動すらも全て受け流しきって。
ウィガテ戦の様に防御しきれなかった訳ではない。
完全に斬撃での衝撃をも勇の体が吸収しきったのである。
「な に ィ ッ!?」
しかもその反動はレンネィを跳ね返す程の衝撃で。
身軽なその体がたちまち宙を舞う。
その顔に驚愕を浮かばせながら。
でもレンネィがその程度で引き下がる訳も無く。
宙に浮いた体を途端に捻り、華麗に空を舞い踊る。
そう見えてしまう程しなやかな動きで再び着地を果たしていた。
もちろん戦闘態勢が解かれる事は無く。
警戒心を露わにし、魔剣を構えたままで動かない。
ただただ勇の動向を見張るかの様に。
「フウッ、フウッ!! 見えた……! これなら防ぎきれる!!」
一方、勇は今の攻防に手応えを感じ、息巻く姿を見せる。
攻撃や反撃をするならまだしも、防御するだけならば幾ら達人が相手でも太刀打ち出来るのだと。
そう、勇は攻撃するつもりなど無い。
それはつまり、戦う気こそあってもレンネィを倒すつもりは毛頭無いという事。
曲がりなりにもさっきまでは仲良く話を交わしていて。
必要以上のスキンシップも打ち解けるには充分で。
教えてもらった事も沢山あって感謝も忘れていない。
そんな相手を斬ろうなどと、到底思えるはずが無かったのである。
だから勇は防御に徹しようとしたのだ。
なんとしてもレンネィから敵意を削ぎ、戦いを辞めさせるのだと。
決して不安が無い訳ではない。
予想以上の速度を見せるレンネィの攻撃は防ぐので精一杯で。
自分の持つ鋭感覚を過信し過ぎるのは危険だと悟る程、今の二連撃は恐ろしかったのだから。
二連撃が同時に迫り来るなどという現象は物理的に考えれば本来有り得ない。
何故なら、もしスローモーションであれば斬撃は二つになるのではなく一つが連続して動いて見えるはずだからだ。
俗に言う分身などもこの類で、余りにも速いが故に分かれて見えるという視覚的効果に過ぎない。
物理的に増えない限り、同時斬撃という行為は事実上不可能なのである。
それでも二つに見えていたとはどういう訳か。
それはすなわち、勇の鋭感覚が物理的視覚ではないという事に他ならない。
いわば予測反応の類。
勇は予知にも近い映像を心で見せられているのだ。
脳は異常状態にある際、周囲の動きをスロー再生する事がある。
突然炎が噴き出したり、何かにぶつけられそうになった時など。
危険から身を守る為にそう感じさせて回避を促す様になっているのだという。
しかし勇の鋭感覚は少し違う。
勇を取り巻くこの力は五感を加速させるのはもちろん、意識をも先行させている。
つまりは一瞬の間に常人を超えた速度で想像させる事が出来ているという事に他ならない。
相手がどう動くのか、どう攻撃するのか、どう躱すのか。
その一手先を相手の動きから読み取り、限り無く正解に近い予測を勇に見せているのである。
それが鋭感覚の正体。
命力による肉体と反射神経の強化、そしてこの鋭感覚が合わさる事で成し得る力の在り方という訳だ。
だが恐るべきはレンネィか。
その予測反応さえも全て映しきれない程の速度を誇る斬撃を繰り出せるのだから。
それもまだ全てを曝け出した訳ではない。
彼女の猛攻はまだ続くだろう。
二人のどちらかが諦めるまでは。
緊張が包む場で、二人の意思はなお―――ぶつかり続けて止まらない。




