~緊張は程ほどにね~
淡い木漏れ日は地表にも届かず、林間に微かな彩りだけをもたらしていて。
水気をふんだんに含んだ緩い土面が進む者達の足を引く。
先日までに雨でも降ったのだろうか、低木を飾る草花に斑点の様な雫を纏う。
そんな静かな森の中―――そこに勇とレンネィの歩き行く姿があった。
所々に足跡が見られる辺り、この地点は恐らく先日までに自衛隊が調査済み。
福留が勇達に伝えた情報にもあった調査活動の際に出来たものだろう。
こんな場所にハイキングしに来る変わり者が居る訳でも無く。
つまり、まだここは変容区域外という事。
そんな事など周囲を見渡せばすぐにでもわかりそうなものなのだが―――
勇はと言えば、視線を景色ではなく気配だけに向ける様を見せていて。
どうやら相当緊張している様で。
今すぐ敵と遭遇しても戦えてしまえそうな程に。
歩き方さえもどこかぎこちない。
前情報がそう緊張させてしまうだけの余計な不安を引き出していたのだ。
そんな様子で先行する勇を背後で見ていたレンネィは一体何を思うのか。
ただただ静かに、ゆっくりとした歩調に合わせて動向を見守り続ける。
それだけの余裕はあるのだろう。
既に自衛隊員の気配を全く感じなくなる程に歩き続けている。
にも拘らず問題の隠れ里らしき場所にはまだ着く気配も無いのだから。
しかしそんな二人の距離もいつの間にか狭まり始めていて。
緊張感に包まれた勇はその様な事にも気付かない。
そしてその時、勇の強張った両肩に突如としてレンネィの手がそっと添えられる。
それはまるでなぞる様に。
しかもその手からは何故かグローブが外されていて。
露わとなった柔らかな素指が優しく肩を包み込むかのよう。
その拍子に指の一部が首筋を掠め、たちまち勇の背筋に「ゾクゾク」とした快感をもたらした。
「え、レ、レンネィさん、な、何を……?」
当然、勇としてはこんな事をされるのは初めての経験で。
それに相手が如何な不信感を持つ者でもれっきとした女性でしかもお世辞無く美人。
戦士であるにも拘らずそれほど筋肉質ではなく、むしろ女性的にふっくらとしていてスタイルも良い。
そんな人物にこの様なスキンシップを迫られれば、男なら誰でも別の意味で緊張するものだろう。
レンネィの行為はそれだけには留まらない。
振り向く余裕すら与えないままに勇の肩を、首筋を、背筋を、両手を駆使してゆっくりと優しくなぞっていく。
ベルトと肩掛け箱の合間を縫い。
その鍛えられた体を堪能するかの様に。
夏場故の薄着がその感触を余す事無く伝え続ける中で。
「この近くには誰も居ないと思っていいわよ……だから、ねぇ?」
「えっ……?」
もはや勇はされるがまま。
気付けばその歩みも止まっていて。
間も無くその背中に「ツン」と突く二つの突起物の感触が。
レンネィがその体を押し付ける様に密着させてきたのだ。
「レ、レンネィさん!?」
「いいの、じっとしてて。 お姉さんに任せなさいな……」
その時零れた声が甘い吐息をもたらして勇の耳をそっと撫でる。
それもまた初めての感覚で、絶え間無い背筋の痺れが思考させる余裕すら与えない。
突然の事、突然の行為にその思考はもはや真っ白で。
溢れ出んばかりの不安と―――期待が頬を真っ赤に染め上げるばかり。
レンネィの両手はまるでそれぞれが別の生き物の様に妖しく艶やかに動き。
扱い方をよく知るかの様に快感を与え続け。
胸に、腹に、ねっとりと指先をなぞらせるだけで。
背筋に、脇腹に、優しく指先を走らせるだけで。
勇の体が今までに無い程の火照りを催していく。
更に行為はエスカレートしていき。
遂に両手が腰部へ。
もう勇に何の声を上げる事も叶わない。
ただただ彼女にその身を委ねるのみ。
股間へと向けて指が突き進んでいく感触を愉しむかの様に……。
ッスパァーーーーーーンッッッ!!!
だがその瞬間、突如として勇の尻にとてつもない衝撃が走り込む。
その体が跳ね上がるまでの強い衝撃が。
「いッてッッッ!!」
思わず「ピョンピョン」と跳ねさせてしまう程の痛みを伴って。
そうさせたのは当然レンネィだ。
その顔に「ニンマリ」としたいやらしい笑みを浮かべていて。
腰部に構えた手からは余りの衝撃故に煙が立ち上る。
今の不意打ちの一撃はそれだけの威力を誇っていた様だ。
「アッハハハ!! ダメよぉ、変な期待しちゃ!」
「え、えええ!?」
これには勇もただただ戸惑うばかりだ。
レンネィの行為の全てが余りにも突拍子過ぎて。
加えて妙な期待をしていた後ろめたさがあるだけに。
恥ずかしさと困惑が入り混じり、先程までとは違う「カーッ」とした火照りを呼び起こしてならない。
「ウフフッ! ユウ君ったらいつまでも緊張してる様だったから、ちょっと解きほぐしてあげようかと思ってねぇ」
「そ、そんなぁ……」
レンネィがその時見せたのは小悪魔の様な微笑みで。
少なくとも勇にはその様にしか見えなかったのだろう。
たちまち「ぷくぅ」と膨れっ面を見せつける。
でもどうやらレンネィ当人としては至って真面目だった様だ。
「―――確かに緊張は集中力を生むのに必要だけど、過度にもなれば体に強張りを呼んでしまうわ。 そうなるといざという時になかなか動けないものよ。 それに言ったでしょう? 周りには誰も居ないって」
「あ……」
「そういう事も見えなくなってしまうからあまり良い事は無いわ。 要は適度な緊張でいいの。 リラックスしましょう?」
そう、彼女は気付いていたのだ。
勇が出会った当初から余りにも無駄に緊張し過ぎていた事に。
そしてそれが空回りしていた事にも。
きっと勇がそんな事もわからない程に未熟である事も見抜いていたのだろう。
だからこうして彼女らしいスキンシップで伝えようとしていて。
それが車中から行われてきた行為の正体なのである。
そんな説明を終えた途端、レンネィの微笑みは明るさを伴ったものへと変わっていて。
彼女の意図を理解した事で、勇も感心のあまり呆気に取られる姿が。
「もしかして、ずっとその事を伝えようと?」
「さぁ、どうかしらねぇ~? フフッ」
しかし本人は押しつけがましい本音を語る気などさらさら無い様だ。
優越感に浸る趣味など持ち合わせていないのだろう。
でもそれが勇にとってはレンネィの持つ優しさとしか感じられなくて。
明らかに普遍的な「お節介」といった雰囲気が漂っていたから。
何せ親切心を押し出して騙してきたヴェイリとは真逆。
見返りを求めずに助言だけを残す姿は剣聖にも通じていて。
そんな彼女の在り方が安堵感をもたらさずにはいられなかったのだ。
「……すいません。 何だか俺、迷惑かけちゃったみたいで」
だからその事に気付いた時、勇はそっと頭を下げていた。
気に掛けてくれた事への感謝と、不甲斐なさの清算の為に。
最初からずっと不信感だけが先行していて。
「あのヴェイリと一緒だ」と勝手に疑っていて。
スキンシップにも気付かないままに。
レンネィという存在をちゃんと見なかった事が無性に腹立たしくて。
その想いが勇に謝る事の出来る素直さを取り戻させていたのだ。
「―――ふふ、いいわよ。 疑うなんて私達にとっては当たり前の事だしね」
それでもレンネィは至って普通に返す。
なんて事の無い、緩やかな微笑みを向けながら。
ここまでで勇が見せてきた反応もきっと『あちら側』の人間にとっては普遍的な事に過ぎないのだろう。
それに対してレンネィが行ってきたのはその真意を確かめる行為に他ならない。
相手が背中を預けるに足る人物か否か、を。
ただそれも勇に限っては何の意味も成さなかった様だ。
余りにも自分に正直で、真っ直ぐで。
こうしてすぐに過ちを認めては謝罪の意を送る。
その在り方が既に彼女の知る基本的な人間像とは根本的に違ったから。
そう、剣聖やフェノーダラ王と同じ側の希有な存在であるという事を。
「それに、貴方に余計な心配なんてする必要ない様だもの。 あのフェノーダラ王やエウリィが気に入る気持ちもわかるわぁ」
「はは……そこが俺には不思議でならないんですけどね」
とはいえ、未だ『あちら側』の考え方に馴染めない勇としては首を傾げるしかなく。
勇としてもフェノーダラ王達の扱いが妙に持ち上げられた様に感じていて。
素直であるという事は一つの自身が望む在り方の様な物で、かつこの世界においても普遍的なもの。
それを突然こうも望まれたかの様にちやほやとされれば戸惑いもするだろう。
悪い気こそしなかった訳ではあるが。




