~絶望 の 一重~
勇が少女を背負ったまま表通りへと飛び出す。
更にはその身を捻らせ、勢いを落とさぬまま角をも曲がって。
ただただ必死に、道の先へと駆け抜けていく。
もうそれしか考えていなかった。
それでも〝統也となら絶対に逃げ切れる〟と希望を抱きつつ。
「ハァッ!!ハァッ!!―――ッ!?」
するとその最中、統也の雄叫びが木霊して。
その叫びが聴こえた途端、足裏が大地を滑る。
それ程までの鬼気迫る一叫だったから。
今までに聴いた事も無い程に。
思わず足を止めてしまうくらいに。
「と、統也……!?」
振り返れば当然、統也は居ない。
でも確かに、統也と異形の存在感は曲がり角の先に在った。
故に勇はやっと統也のした事に気付く。
自らが身体を張って異形へと立ち向かったという事に。
けれどそんな事を望んではいない。
本当は隣に居るはずだった。
一緒に逃げているはずだった。
導いてくれるはずだった。
そして一緒に逃げ切って、また笑い合って。
なんて事の無い生活にまた戻れるって信じていて。
だから統也ならきっと、今すぐにでも路地裏から飛び出て来る。
さっき言った通り、一緒に逃げてくれるはず。
二人でなら、こんな窮地を脱する事なんてきっと難しくないんだって。
だが現実は、そんな少年にさえ非情を押し付ける。
ボッッ!!!
その時、まるで空気が弾けた様な鈍い音がその場に響いて。
それと同時に、裏路地から人影が。
統也である。
ただその様子はまるで跳ね飛ばされたかの様だった。
それどころか、そのまま表通りに力無く転がって行くという。
しかも赤黒の液体をおびただしい程に撒き散らしながら。
「あ……」
転がった身体は動かない。
覗き見えた顔も真っ黒で表情さえ見えやしない。
だからそれが統也だなんて考えたくもない。
でも受け入れがたい現実が勇の思考を凍結させる。
まるで先ほど殺された少女と同様に。
何も出来なかった。
助けに行く事も、逃げる事も何もかも。
身体が全く動かなかったのだ。
統也は窮鼠だったが、勇は違うのだろう。
今の勇は言わば、蛇に睨まれた蛙である。
それも、路地裏から現れた異形を前にしてもなお逃げ出せない程の。
「あ……あ"っ……ああ"……!!」
悲鳴さえ出ない。
震える事さえ叶わない。
例え異形がゆっくり歩いて来ていようとも。
きっと異形ももうわかっているのだろう。
勇がもう逃げられない事など。
まるで恐怖した人間の事をよく知っているかの如く。
「に、逃げろ勇……ッ!」
「「ッ!?」」
しかしこの時、双方の思い掛けぬ声が場に響く事に。
なんと統也がまだ生きていたのだ。
意識だけが辛うじて残ったのだろう。
でも体は動けていない。
真っ黒に染まった顔だけが動き、ただただ訴える。
掠れた声でただ必死に、訴え続ける。
「逃、げ、ろ……逃っげっろッ!! 勇ゥゥゥーーーッッ!!」
「統……也!?」
この叫びが引き金だった。
異形が踵を返しては統也の下へと駆けていく。
恐らく、統也が生きている事の方が厄介だと思ったのだろう。
ただそれと同時に、勇の身体にも自由が戻っていて。
そして思考が巡り巡る。
自分が今、一体何をすべきなのかと。
きっと統也を助ける事は出来ない。
敵わなかった異形を倒すなんて出来はしないのだと。
けれど、親友を置いて逃げるなんてしたくはなかった。
統也が居なくなるなんて考えたくもなくて。
その迷いが、きっとまた勇の思考を凍結へと追い込むのだろう。
「お前は、お前だけは、生きて……ッ!!」
「―――ッ!?」
けど、それを誰よりも許さない男が最期の想いを捻り出す。
自分の事よりも、恐怖や絶望よりも何よりも。
異形に跨られようが、腕を振り上げられようが構う事無く。
だからこの時、勇は駆けていた。
踵を返し、親友を背にして。
ただただ異形から逃げる為に、と。
「ああッ!!ああッ、あああーーーーーーッッッ!!!!!」
必死だった。
ひたすら逃げた。
何も考えずに。
追い掛けて来るかどうかなんてわからない。
だから統也に教えられ、言われたままに。
別の裏路地を交えながら、ただひたすら場から離れたくて。
背中に背負った少女の事などすっかり忘れていた。
それがわからないくらいの力で細い腕を回していたから。
恐怖で声が裏返り、醜い声を荒げて。
呼吸が出来ているかさえわかりはしない。
〝逃げろ!!〟
〝逃げろ!!〟
統也の言葉が頭の中で繰り返す。
血塗れの統也が繰り返す。
〝ニゲロ〟
〝ニゲロ〟
それはまるで呪いの様に。
「―――!!!フグッ……ブフッ!!!うあア"ッ!!」
走るうちに息も絶え絶えに。
授業や剣道の練習で学んだ呼吸法は全く働いていない。
地面を蹴る反動で内臓が押し上げられ、その度に鈍い声が滲み出る。
それ程までに強い恐怖と後悔が勇の心に渦巻いて。
それでもなお留まる事無く、その両脚を力の限りに走らせるのだった。




