~決意 に 猛る~
統也の事だ、最悪の事態も想定済みだったのだろう。
だから近くに転がっていたデッキブラシにも気付いていた。
どういう逃走経路を取ればいいかも予想が付いていた。
そしていざという時、異形とどう立ち向かえば良いのかも。
今、統也の前に現れたのは先の異形とは違う個体で。
個性があるのだろうか、頭髪が黄色で他より長い。
肌の色こそ同じだが、近くで見るとやたらと筋肉質にも見える。
見るだけで恐怖が伝わってくる程に。
だがそんな恐ろしい相手でも、想定していればその恐怖は抑え込める。
その上で思考を制御すれば立ち向かう事さえ可能だ。
それが人間という高位知的生物の長所なのだから。
その準備はもう全て整っている。
現思考は全て異形の足止めだけに注がれている様なもので。
ならば、もはや戦う事さえも可能である。
―――間近に立つとデケェ……!! だが、それでも二足歩行生物だ!!―――
相打つで思考が加速する。
異形の身体、力強さなどの己との比較など。
勝てる要素は不明、見た限りでは自身の方が圧倒的に不利だという事も。
しかし、それでも退きはしない。
それは単に、勝機自体は見えているからこそ。
―――来るッ!!―――
勝負慣れしているからこそ見えるものがある。
統也にはそれだけ、相手の動きが筒抜けだったのだ。
統也の強みは思考だけに留まらない。
その反射神経もまた常人よりズバ抜けている。
だからこそ今、統也は強く振り下ろされた左腕を躱していた。
それはまさに紙一重。
まるで動き全てが見えているかの様だった。
攻撃手段も、腕の振るう軌道も、その範囲すらも。
故に振り下ろされた巨腕の軌道から、身体ごと横に逸らしていて。
その全ては反射と予測の賜物である。
勇と共に培ってきた技術が今生きたのだ。
しかも統也の動きはそれだけに留まらない。
異形が攻撃を躱された事に驚く中、統也の身体が捻りを生む。
回避行動を行うままに、その身体全身を回転させていた事によって。
それも、両手に握るデッキブラシを深々と引き込んだままに。
そしてこの時、長々と掴んでいた得物が空を弧に切り裂く。
大気を抉るかの様な轟音を掻き鳴らしながら。
それも統也自身の身体の捻りと、強靭な足腰による回転力をも加えて。
全てを力と換えて今、異形の脳天へと重い一撃を見舞い込む。
ドッガァァァッッッ!!!!!
重心と、遠心力と、回転力。
その全てが合わさった渾身の一撃だった。
それも得物はたかがと侮れないデッキブラシだ。
その殺傷力は木槌などよりもずっと高い。
槌部に当たるブラシ部こそ、扱い次第では人頭をも割れるのだから。
当たり方によっては、熊にさえも大傷を負わせる事が出来るだろう。
その槌部が粉々に砕け散る。
余りに強い力で叩き付けたからこそ。
それだけ今の一撃には統也の本気が籠っていたのだ。
―――全てが遅ェ……これなら俺でも対処出来るぜッ!!―――
異形の攻撃を読み、渾身の一撃を加える。
窮地へと陥った者が早々出来る事では無い。
ただ〝窮鼠猫を噛む〟ということわざがあるのもまた然り。
人間もまた、窮鼠の如く脅威に牙を剥く事の出来る生き物だ。
そしてその牙を冷静に穿てる統也こそ、まさに真の天才と言えよう。
だが、その天才さえも予期出来ない事は当然ある。
「うッ!?」
相手が人型ならば、脳のある頭部が弱点に違いない。
ならそこに一転集中の打撃を加えれば耐えられはしないだろう。
そう思っていたのに。
しかし、なんと異形はまだ立っていた。
それどころか強烈な一撃を受けてもよろける事さえ無く。
デッキブラシが砕け散ろうとも全く微動だにしなかったのだ。
まるで攻撃を一切受けていなかったかの様に。
それどころか異形が鋭い睨みを利かせていて。
予期せぬ事態を前にして、統也が遂に怯みを見せる。
「う、嘘、だろ……!?」
それも当然か。
今のがこれ以上無い最高の攻撃だったから。
本気で熊を討ち取る気で奮った一撃だったから。
これで勝ったのだと思い込んでいたから。
でも現実は残酷だった。
天才であろうと凡才であろうとも、突き付けられた事実は避けられない。
今この時、統也の顔に強い衝撃が走り込む。
その意志を、意識を、真っ黒に塗り潰す程の衝撃が。
異形が振り下ろしていた腕を、そのまま返す様に叩きつけた事によって。
―――ごめんな、勇。 お前だけでも逃げ……―――




