魔法の証明
輝く杖を振り回す魔法使い。まるで筆を使ったかのように夜空に赤や青やら虹色の絵を自由自在に描いている。そして、箒にまたがった魔女たちが華麗に夜空を飛び回っている。ドラゴン、妖精やエルフ達も魔法使いに混じって、めくるめくダンスを踊っている。キラキラと輝く神秘的な光景。それは、まさにハロウィンの夜に相応しい光景であった。
少年はそんな空想を思い浮かべていた。そして、現実に返ると大きなため息をついた。ここは小学校の教室。授業中だ。神秘的な光景なんて何処にも無い。あるのは教卓に座る禿げオヤジと、皆同じような顔をしている同級生達だけ……。ハロウィンまでもう1ヶ月を切ったというのに、少年は、ドラゴンはおろか魔法の一つも見ることが出来ないでいた。もちろん、魔法なんてそんなに簡単に見ることが出来るとは考えていない。しかし少年は同級生たちからいくら馬鹿にされようが魔法という神秘的な力に憧れ、魔法や魔法使いが存在するのだと強く信じていた。
少年は学校からの帰り道、同級生達3人と出くわした。いつも少年をいじめている奴らだ。
「よお! 魔法は使えるようになったのかぁ?」
一人が早速、少年に突っかかってきた。少年はこいつらと話しても無駄だと思い、無視しようとした。しかし、少年が通り過ぎようとすると、肩をぐいと掴まれた。
「おい。無視すんなよ!」
同級生は少年が首から下げているペンダントに気付き、少年からひょいとペンダントを奪った。
「なんだこれ? サソリか? うげ。気持ちワリー」
「返せよ! それは魔除けなんだ!」
「返して欲しければ、魔法とやらを見せてみろよ~」
同級生達はニタニタと意地悪い顔で少年をからかった。少年は奪い返しにかかって行ったが、同級生達に敵わず、簡単に突き飛ばされた。その時、同級生達の背後から大人の男が近づいてきた。同級生達は男に気付き、ペンダント放り投げ、そそくさと逃げていった。
男は40代くらいだろうか、まだそんなに寒くもないのに大きなコートを身に付けていた。男はペンダントを拾い、少年に差し出した。少年はお礼も言わず、ムスっとした顔で奪い取るようにペンダントを取った。
「君。魔法を信じているの?」
男は少年に声をかけた。大人は魔法と言った非科学的なものを一番信じないものだと少年はよく分かっていた。
「君。運が良いね。僕は魔法使いなんだよ」
少年は少し驚いたものの、魔法を使える人間にそんなに簡単に会えるわけがないと思い、この大人を怪訝な眼差しで見つめた。
「良いもの見せてあげるよ」
男は得意顔でそう言い、少年に自分の空の手のひらを見せて、ぐっと拳を握った。男は呟いた。
「さあ。君の好きなものを思い浮かべて。そして、それを強く念じるんだ。そうすると……」
男は手のひらを開けた。すると、そこには可愛い包装に包まれた飴玉が現れていた。確か、さっきまではその手のひらにはなかったはずなのに!
少年は目を見開いてその飴玉を見つめた。
「これは君にあげる」
少年は嬉しそうにその飴玉を掴んだ。それは紛れもなく少年が欲しかった魔法の飴玉であった。
男はそれから少年に様々な魔法を披露した。突然に手の中から火の玉を出したり、少年の消しゴムを消したと思ったら、少年のポケットに入ってたり、と。少年は初めて魔法を直に見ることが出来たことに驚嘆した。そして、この男は本当に魔法使いなんだと信じて疑わなかった。
その日以来、少年は学校帰りには毎日のように、魔法使いの元へと通った。魔法使いは様々な魔法を少年に披露した。少年はある時、魔法使いに尋ねた。
「ねえねえ。おじさん。その魔法を他の人にも見せてあげてよ」
少年は魔法使いが居るということを周りの人間、とくに大人に証明してやりたかった。だが、魔法使いの男は少しバツの悪そうな顔をしていた。
「魔法はね。あまり大勢の人間に見られると力が弱くなってしまうんだ。だから、大勢の人間に見せるときは魔力をうんと貯めておかないといけない」
「そうなの……」
少年は肩を落とした。
「でも、安心して。今は魔力を貯めているから。今度とっておきの魔法を皆に見せてあげる。もちろん君にもね」
それを聞いて、少年の顔に笑顔が戻った。
翌日以降、少年は魔法使いが披露するという大魔法の日を心待ちにしていた。これで同級生達や大人達を見返すことが出来ると確信していた。そんな事を思っていたある時、学校の休み時間に少年は大勢の子供達が集まっているのを見かけた。集団の真ん中には、一人の女の子が居た。長い赤髪が印象的な女の子だ。少年はこの学校にこんな子が居たとは知らなかった。それよりも、その赤髪の女の子が魔法を披露するというのだ。少年は興味を惹かれ、人ごみを分けて女の子の前を出た。
「皆。見ててね。私、魔法を披露するわ!」
少年を含む子供達は固唾を飲んで見守った。赤髪の女の子は手のひらを皆に見せ、ぐっと拳を握った。
「さあ。皆が大好きなものを思い浮かべて! そして、念じるの。さあさ、出ておいでってね♪」
少年はこの魔法を知っていた。あの魔法使いがやったのと同じ魔法だ。女の子は握った手を開いた。その手にはあの時と同じように飴玉が現れていた。
辺りから歓声が上がった。少年もここにも魔法使いが居たのだと驚いた。少年は期待の眼差しで女の子を見た。しかし、女の子は周りの歓声とは裏腹に、意地悪そうな、少年達を見下すような目線を向けていた。
「何をそんなに驚いているの? こんなちゃちなマジックで。あんたら馬鹿じゃないの?」
周りの子供達は一斉にしんと静まった。
「こんなの子供だましって思ってたけど、本当に子供なら騙せるものね。あ~面白かった♪」
それから女の子はマジックの種明かしを始めた。周りの子供達は、今度はそっちの種明かしの方に釘づけになった。それを見せられるうちに子供達の何人かも、それなら知っていた、と声を揃えて言うようになった。女の子はその後もいくつかマジックとその種明かしを見せた。それは少年が魔法使いの男から見せてもらったものとほとんど同じだった。女の子のマジック披露は続いていたが、少年はもうその場から離れていた。少年はあんなものを見せられた後でも、あの魔法使いは本物だと信じたかった。
学校からの帰り道、少年はいつものように魔法使いの元へ行った。
「あの魔法は本物だよね! タネなんて無いよね!」
少年は魔法使いの男に会うなり、ぶしつけに言い放った。男は面を食らったような顔をした。
「な、なんだい? いきなり……」
少年は今日あったこと、女の子が披露したマジックを事細かに語った。男は、赤髪の女の子という言葉が出た瞬間、少しだけ動揺した表情を見せたものの、魔法をマジックと言われたことに対しては特に反論することもなく、落ち着いて少年の話を聞いていた。
「その子のやったのはマジックかもしれないけど、僕のは紛れもなく魔法だよ」
「本当に本当?」
「うん。本当さ」
魔法使いの眼は真っ直ぐ少年を見つめており、嘘を言っているようには思えなかった。
「だったら皆の前で証明してよ! 本当の魔法をさ!」
男は少し考えて口を開いた。
「皆の前でやっても良いんだけど……、せっかくだから、あとちょっとだけ待てないかな?」
「待てない! 今すぐあいつらを見返してよ!」
少年の目は涙ぐんでいた。魔法使いの男は困った顔をしていた。
「もういいよ! どうせ、偽物なんでしょ? だから皆には見せられないって言うんだ!」
男は少し言い淀んだ。しかし、反論する前に少年はもうその場から姿を消していた。
男は頭を掻いた。そして、物陰に向かって呟いた。
「余計なことはしないでくれよなぁ、もう」
すると、物陰から呟くような声が聞こえた。
「何よ。私はマジックを披露しただけじゃない。それにあれぐらいマジックと見抜けないと名探偵にはなれないわ」
「お前はあの子を名探偵にしたいのかよ……」
「だから、簡単に騙されないように教えてあげただけ。それに、もうすぐアレやるんでしょ? 実は私も期待してるからね。楽しませてよねっ」
「はぁ。お前のためにやるんじゃないんだからな。まぁ、あの子の事もあるしな。今回はしっかりやらなきゃな」
そして、魔法使いの男は暗闇の中に消えていった。
少年は家に帰るなり、すぐに自分の部屋に入り布団に包まった。少年の部屋の中には魔法関連の書物、ハロウィンの時に着ようと思っていた魔法使いのローブや杖。魔法に関するいろいろなものが揃っていたが、もうそれらは少年には必要なかった。魔法が存在すると信じていたのに、一番信じていた相手に裏切られたのだ。少年はもう何も信じたくなかった。
それから少年は学校の同級生に会うのも嫌になり、不登校を繰り返すようになった。もう魔法の本やローブや、あのサソリのペンダントも捨ててしまった。あの魔法使いの男にも会うことはなかった。
そして、10月31日。少年はいつものように学校には行かず、部屋に篭っていた。今日がハロウィンだということは少年には分かっていたが、あえて忘れようとしてずっと布団の中に入っていた。辺りもすっかり暗くなってきた頃、外が何やら騒がしい事に少年は気付いた。明るい光が部屋に入り込む。
お祭り? ハロウィンの?
しかし、この街でハロウィンにそんな街ぐるみでお祭りをやったことなど無かった。少年は不審に思い、窓を開け、外を見渡した。少年は愕然とした。それが夜空に描かれていた。
HAPPY HALLOWEEN!!
七色の光る文字が夜空に浮かんでいるのだ。夜空に電光掲示板を飾ったのか? いや、そんな大掛かりなことが出来るわけがない。ましてや花火などでも無いし。
これは……、魔法だ!
そして、夜空に光る線がまるで飛行機雲のように次々と描かれている。よくよく見ると、箒にまたがった魔法使い達が箒をまるで筆のように扱って、次々と七色の文字を描いているのだ。
少年は居ても立っても居られなくなり、興奮して窓から身を乗り出した。と、その瞬間、少年は自分の身体に違和感を覚えた。
か、身体が軽い?
少年は自分の身体が窓から離れ、風船のように上にプカプカと上がっていくのを感じた。気が動転しそうになったが、次の瞬間、少年の腕は掴まれた。
「おおっと危ない危ない。空中浮遊の魔法はなかなか難しいもんだな」
あの魔法使いの男だ。箒にまたがって少年を拾い上げたのだ。
「これって魔法? 僕どうなっちゃったの?」
「まあ落ち着いて。さあ、こっちに捕まって」
魔法使いの男は少年を箒の前に乗せた。少年の身体はもう勝手に浮かんでいく事はなかったが、代わりに魔法使いの乗った箒はぐんぐんと空を上昇していった。少年が下を見ると、自分の家がどんどん小さくなっていく。少年は振り落とされないようにしっかりと箒を掴んだ。夜の空を切ってどんどんスピードが上がっていく。
「お、おじさん。これは何? どうなっちゃったの? あの空の文字は何? この箒も何?」
「質問が多いなあ。まあ一言で答えてあげよう。全部、魔法さ! だって、今日はハロウィンじゃないか。ほら言っただろう? 大魔法を見せてあげるってさ!」
「これ全部魔法なんだね! 凄いや! 凄いや!」
少年は興奮して我を忘れていた。そして、目を見開いて、辺りの光景に酔いしれた。
「そうだ。少年よ。これ忘れものだ」
魔法使いの男が手をパチンと鳴らすと、少年の身体が光に包まれ、気が付くとあの捨てたはずの魔法使いのローブを身にまとい、サソリのペンダントが胸にかかっていた。
「さあ。今日はハロウィンを思いっきり楽しむぞ! 今夜の舞台は君のために用意したものなんだからな!」
魔法使いと少年は夜の空に描かれた七色の文字の間を飛び回った。
「少年よ。あれを見たまえ」
魔法使いが指差した先には、赤く輝く大きな鳥……、いや鳥なんかよりももっと大きい。大きな翼をもったドラゴンが空を飛んでいた。ドラゴンは空中で停止し、空に向かって大きな咆哮と共に真っ赤な炎を吹き出した。その炎は夜空を煌々と照らし出した。
「凄い! 凄い!」
しかし、ドラゴンだけではなかった。少年もお伽話の中でしか知らないような、妖精や天使と言った幻想的な生き物が夜の空を飛び交っていた。また、見るからに怖そうなヴァンパイア、かぼちゃのお化け、ゴーストと言ったものの混ざっていた。
「あれ。大丈夫なの? 襲ってきたりしない?」
「ああ。心配ないよ。気さくな奴らだよ。せっかくのハロウィンだし。彼らがいないと盛り上がらないだろう?」
よくよく見ると、箒に跨って空を飛んでいる魔法使い達の中にあの赤髪の女の子も居たような気がした。
少年はその幻想的な光景を飽きることなく眺め続けた。そう。これは少年がいつも空想していた世界そのものだった。ハロウィンの夜に遂に夢が叶ったのだ。少年は、はしゃぎ疲れたのか、しだいに眠くなってきた。
「ねえ。おじさん……」
少年は恐る恐る話した。
「これって夢じゃないよね? あまりにも夢みたいな光景だから……」
魔法使いは笑って答えた。
「もちろん夢じゃないよ。君が信じている限り、これは魔法になるのさ。おや、眠いのかい?」
「うん……」
少年は魔法使いに寄りかかってもう眠りそうになっている。
「いいかい。眠る前によくお聞き」
「うん……」
「魔法の力は信じるという事から始まるのさ。疑いを持つと魔法の力は急に弱くなるんだ。大勢の人間、とくに大人の前で魔法を使うときは注意が必要だ。疑いの目を向けられるだけで魔法の力はすぐに解けてしまう。分かるかい?」
「うん。何となく……」
「僕が君に見せた魔法。あれを全てトリックだと思ってみてしまえば、魔法はすぐに解けて、ただのマジックになってしまう。だけどね。それを信じれば魔法になるんだ」
「じゃあ、この光景も疑っていれば、無くなっちゃうの?」
「君は今、この光景を疑えるかい?」
魔法使いは得意げに少年に尋ねた。少年は首を横に振った。
「そういうことさ。魔法は信じる力によって成り立つんだ。今日のこの光景も君の中にずっと生き続けるだろう。これを信じて疑わなければ、きっと素晴らしい魔法が君の中に残り続ける」
少年はこの光景をずっと忘れたくないと思っていた。そして、ずっと信じていたいと思っていた。この魔法の力がずっと失われないように。
そして、少年は魔法使いの腕の中でまどろみに包まれていった……。
翌日、少年は久しぶりに登校した。不思議なことに誰も、あのハロウィンの夜の祭典を覚えていなかった。しかし、少年はあれが空想だとか夢だとかとは思ってない。その証拠に少年の胸にはあのサソリのペンダントがしっかりと掛けられているのだから。あれから、何度かあの魔法使いのところに行ってみたが、もう既にこの街を去っていたようであった。しかし、少年はあの魔法使いの事を信じていた。そう信じていれば、あの日の光景は、魔法としていつまでも少年の心の中で残り続けるのだから……。
あの魔法は集団催眠? 私がいつそんな事をしたんだい。
街ぐるみで隠蔽? 私にそんな権力があると思うかい。 そもそも、街の人達がそんな事をする理由がない。
じゃあ、あの夜空に描いた文字は何だって言うんだい? ドラゴンは? 妖精やハロウィンのお化け達は? トリックだと言うなら説明して欲しいものだね。いい加減に認めたらどうだい? 魔法は実在するんだよ。信じていればね。だって、誰も魔法が無いってことを証明することなんて出来ないだろう? まさに悪魔の証明ならぬ、魔法の証明ってところだね。
旅の魔法使いの手記より