CHA−LA HEAD−CHA−LA
彼は齢十六にして、部屋でかめはめ波の練習を続けていた。ドラゴンボールの連載が終わって、すでに11年が経過した日のことだった。
もう11年か。彼は遠くの空を眺め、かめはめ波を練習し続けた自分の歴史を振り返っていた。
通販で亀の文字が入った道着を買い、暇があればヤムチャの不幸な顛末を念で鳥山明に訴え続けていた。
ブルマがベジータと結婚することなど彼には許せなかったのだ。
おかげでヤムチャは脇役に追いやられ、中盤に入ってからは狼牙風風拳を使う間もなく、ちょい役であるナッパのさらに格下に位置するサイバイマンにすら自爆で不幸な顛末に追いやられてしまった。彼はある日、ヤムチャの戦績を三日かけて入念に調べ上げたことがあった。8勝8敗2分けであった。予想よりはいくぶん勝率が高かったが、それでも彼には納得がいかなかった。なぜなら、後半に入ると終いにはクリリンの方がヤムチャより格上になってしまったからだ。それにクリリンは18号と結婚することができたが、ヤムチャの方はと言えば、どんどんと現る強力な味方にポジションを奪われ、それどころか異星から来たわけのわからぬ侵略者に恋人までを奪い取られてしまったのだ。
あるいは杉田かおるも彼を見れば自分が負け犬だなんて思わないのではないだろうか、と彼は考えた。
それからチャオズ。チャオズはひどい。
ヤムチャはある点でネタ的においしいとも思える。彼は長年その自論を抱き続けてきた。
だがチャオズだけは別だった。チャオズは半ば善行的な人間(初期は除く)であったことから、いじるにいじれなかった。
チャオズは常に、ただ死地に向かう旅人だったのだ。チャオズが指で数えることでしか算数の出来なかったことを彼は今でも忘れていなかった。
そしてテンシンハン。彼の説明は気功砲で十分だった。おしまい。
全世界を驚愕させたのはその後の展開だった。
主人公の孫悟空が死んでしまったのだ。その頃、子供ながらに彼は衝撃を覚え、身を震わせてわなないた。
悟飯が主人公なんて絶対に嫌だ!
そもそも、彼は悟飯に素晴らしい才能があることを憎んでいた。ついでに言うと、悟飯がピッコロを尊敬している点についても少々鼻についた。簡単に言うところ、彼は孫悟空全肯定派だったのだ。今のところ、彼の近所ではフリーザ派とブロリー派の存在も確認されている。
さておき、物語が進むにつれて悟空を呼ぶ読者達の声が届いたのか、後半になって悟空は再び紙面に姿を見せた。
彼は歓喜し、悦びに震え上がった。正しく神が降臨した瞬間であった。
そして42巻で連載が終了し、その後でドラゴンボールGTの放映などがなされた。
アメリカでは”dragonball”が検索件数第一位となったこともある。全世界ではなんと発行部数3億部を超える。
だが連載の終わった今、彼は永遠に解き明かされることのないであろう謎を胸に秘めていた。
彼はかめはめ波を打ち出そうとするたびに考えていた。
クリリンって18号のこと普段なんて呼んでるんだろう……。
ちなみに初代オープニングテーマ「CHA−LA HEAD−CHA−LA」は130万枚売れました。