承
散々殴られていい加減俺が大嫌いな神様にまで助けてくれと切実な祈りを捧げていた頃、酒場のドアがようやくまた開いた。
……来た!!
もうダメかと思ったぜ!
頼む!誰でもいい、知り合いであってくれ!そして俺を助けろっ!!
「……おいおい、変わった店の入り口開けちまったなあ。」
入ってくるなりのとぼけた口調。
結果は知らない奴だった。フードを被っているから顔は見えないが、ジェイス以外でこの辺に俺と張り合えるぐらいの身長をもった奴に知り合いはいない。
もういいわ……。好きにしてくれ。
「一体こいつは何の騒ぎなんだ?」
ゆっくり店に入ってきてそう言いながら、そいつはフードを脱いだ。旅慣れしている様子で落ち着いた雰囲気の、品の良さそうな整った顔をした銀髪の男だ。見た目の年齢では俺より少し上に見える。人間で言ったら30手前ぐらいか。その視線が床に倒れた俺と、それに馬乗りになっているラタトスクの背中、そして女将のレナへと移動する。
「ただの痴話喧嘩さ、気にしないどくれ。ここじゃァ割といつものことだよ。まあ今日のは……ちと愛情表現が激しめのようだがねえ?」
おい、これのどこが痴話喧嘩だ。目ェ腐ってんのかクソババア。
このとんでもねえ言い草に男の視線がこちらに戻った。
「そういわれてもな」、と呟いて薄い苦笑いを浮かべ、頬を掻きながら俺達の様子を道端でやってる見世物を見るように適当に眺めている。いや。おい。普通気にはなってもそんだけ堂々と見やしないだろ。
助けに入らないにしても殴られてる可哀そうな人に少しは気を使えよ?
「おーお、痛そ。」
同情の言葉とは裏腹にもう男は俺たちに興味を無くしたらしく、今度は店全体を軽く見回した。
各々テーブルを囲む男達も、あからさまに視線を送る者こそ居ないものの、ほとんどが気配でこの見慣れない人間を観察していた。田舎とはいえさすがに酒場には地元の住人じゃない旅の人間もちらほら居るが、たった一人でこれだけ悠々としている人間も珍しいのだ。
「……変わった店だぜほんと。……まぁいいか。他に宿開いてないし。じゃあ女将さん、しばらく泊まりたいんだが部屋は空いてるのかい?」
俺はお前も十分変わっていると思うが。
おそらく周囲が自分の事を探っている気配にも気付いているだろうが、男は別にそんなのは知ったこっちゃないと言わんばかりに飄々と店の真ん中を通り、軽くレナに声をかけて店の奥、カウンターに立った。
「あぁ、いや、開いてるし泊まってくれるのは構わないんだけどさ。……思った事を全部口に出すのはどうかと思うわよ私ゃ。……いや、自覚もそりゃ有るんだが……ねえ?」
微妙にレナの顔が引きつる。
初対面の客に面と向かって店に変なという形容詞を使われる程度は、口の悪い冒険者を相手にしているとまあよくあるだろうが、しみじみとした口調で言った挙句に、ここしかないからしょうがないとまで言って普通ににこやかに接する奴はもう結構変人の枠内だろう。
男の物腰を見ている限りは割と常識人に見えるから尚更だ。
レナが嫌がっているのは自分の店をけなされる事ではなく、店にまた変な客が増えることである。
「人間少し毒があるぐらいのほうが親しみやすいだろ?」
「うん、まぁそうだけど……。やれやれだわ。どうしてこうウチにくるのはちとずれた野郎どもばかりなんだろうね。」
常識も知ってはいるってだけで世間一般ではお前も変わった人間に分類されるからだろう、レナ。
それよりも、床の上から見ていて少しわかったことがある。
店に新しい客が入ってきたことにも気付いていなさそうな、俺の上で完全にデストロイモードに入っているバカ野郎と違って、爽やかな気風の良さと同時に冒険者に必要な用心深さも兼ね備えている俺は、ラタの拳という弾幕の嵐にさらされながらでも男を観察するのを忘れていない。
で、だが、見たところこの男はかなり腕が立ちそうだぜ。腰に提げた剣は二振りともいい作りで、かつ使い込まれている。そしてよく手入れされてもいる。得物を見るだけでもいい剣士だ。
他にも歩いた時の重心の掛け方とか周囲への注意の払い方とか色々あるが、何より空気だ。強い奴はみんな持ってる雰囲気みたいなものを、こいつも例外なく持っている。こんな田舎の酒場じゃこいつに勝てる奴なんぞいないだろう。当然俺は抜かしての勘定だが。
さて、会ったこともない奴をそんなに観察してどうするのかと思った奴はもう少し周りを見る癖をつけた方がいい。周りはお前がしてるよりよっぽどお前のことを見てるからな。酒場なんて場所なら尚更だ。
それに、な。何が縁で仕事やなんかの話に転ぶかわからんもんだぜ?
カウンターの男はやはりこの街に詳しくないらしくレナに色々と話を聞いている。どうでもいい話ばかりだが最後に出た話題がこれだ。
「ところでさ女将さん、ジェイスって人を知らないか?かなり顔が広いらしいから酒場にも顔を出すんじゃないかと思うんだが。」
レナを見ると顔色一つ変えずに聞き返してやがった。
「さあてねえ、ジェイスなんてよくある名前だからねえ。そいつに何か用事なのかい?」
「ああ、その人が今でかい仕事を仲介して人を集めてるらしくてさ、そいつに俺も一つ乗りたいわけよ。大本が領主からの依頼って話だから近辺の冒険者が集まって来てるぜ?」
「なるほど、最近ばかが多いと思ったらそいつのせいかい。」
「儲かるからいいじゃないか。でも、ってことは知らないのか……」
まいったなという顔をうかべた男に、レナは苦笑いと面白そうな顔が半々ぐらいの表情を返した。
「いや、残念だけど知ってるのさこれが。あんたが言ってるのは多分そこで縮こまってるでかいハゲだよ。」
「なに!?」
レナが指さすと驚いた顔で男が振り向く。同時にカウンターの会話なんかこれっぽっちも聞こえていなかったジェイスの青ざめた顔が二人の注目に気付いてそっちを向く。
「んで、その下で殴られてるこれまた無駄にでかいのが今日のジェイスの取引先だよ。」
「ええーーーーーーーっっ!?」
隠すことなく驚きを小さな叫びで表現した男が今度はこちらを向いた。
俺と目があって一瞬言葉にできない妙な沈黙が落ちる。そこでようやくラタは自分達に用がある人間が居ることに気付いて振り上げた拳を止めた。そのまま顔を上げると男と目が合い、気まずさと恥ずかしさで顔を赤くしながら青くなっている。……アホめ。思わず溜息をつきたい気分だ俺は。
予想外過ぎる展開に向こうも何を言っていいのかわからないようなので、とりあえず俺から挨拶しておく。
「よう兄さん久しぶりだな。店の入り口でぼやいてたの以来じゃないか。俺はジェイスの悪党に無理やり仕事を押し付けられた可哀そうな善人の、名前はサガだ。……で、物は相談なんだが、とりあえず助けてくれないか?」
俺は気安い感じで片手をちょいと上げた。
何の縁がどう転んで助けられるかわからない。そういう話だとしておくとしよう。