魂に聞け!
「アニキ!やっと来てくれましたか」
ヘルハウンドの灰の近くにしゃがみこんだラタトスクが、待ちかねたと言わんばかりに立ち上がって戻ってきたサガを迎える。まるで主人の帰りを出迎える子犬のようでもあった。
「おう。ジェイスの奴に今回の仕事の情報を洗い直すように念押ししてた」
「ええ!?今回の仕事とこの事件、なにか関係があるんですか?」
「……わからん。だがタイミングが妙にそこに結びつく。奴が偶然店に入ってきたのではないなら、現状ジェイスが狙われたという理由が真っ先に思いつくしな」
眉間に深い皺を寄せて口許を引き結ぶサガの姿にラタトスクもただならぬ緊張を覚えて黙り込む。
「で、でも、どうしてヘルハウンドが?裏で引かれた糸があったとして、どうしてこんなことをするんです?」
ラタトスクの言葉には不安や恐怖と同時に、怒りが垣間見えた。
「……さあな。一番わかりやすい目的はジェイスや俺たちに対する脅しだが……」
サガはそこで言葉を切る。……自分にはどうしてもそう単純に思えない。どれもこれも何一つとして確証のない直感による推測ばかりだが、やはり偶然ではないとしか思えないし、あのヘルハウンドは確かに何かを狙っていた。
そこまで思考が何度もたどり着いた考えに戻ってくると、同時に背筋が冷たくなる。
頭では自分の憶測を否定しつつも否定しきれず、一人でに汗がじわりと滲む。
「アニキ?何か気づいたんですか」
「……いや。気にするな。少し、今分かることを整理してるだけだ」
一瞬ラタトスクの顔を確認するように真正面から見据えたが、すぐに考え事をする素振りで目をそらした。
今頭に浮かんでいるこの思いつきはジェイスにも伝えなかったただの感覚でしかないのだが、あの時、ヘルハウンドは、……ラタトスクを狙ってはいなかったか?一度は確かに自分に向けられた殺気が、ラタトスクが出てきた直後、翻ってもう一度二階を向いた。これをどう判断すればいい?もちろんあの時一緒に出てきた客の中に標的がいたのかもしれないし、あるいはあの場に居た人間なら誰でも良かったのかもしれない。
……いや、それは自分で否定したはずだ。あの魔獣はまず一階を見回してから、二階に向かって一直線に走った。やはりなにか、標的を見分ける水準があったのだ。だがあの場で一番抵抗力の無い人間を狙った可能性もあるのではないか?
考えれば考えるほど混乱する。
もし仮にラタトスクが狙われていたとして、俺が同じ場所にいる時に襲ってきたにも関わらず、俺を狙わず先にラタを狙う意味がわからない。私怨なら間違いなく狙われるのは俺だ。ラタではない。人質にするつもりなら俺が一緒に居ない時を狙ったほうが確実だ。目の前で殺そうとした?そこまで俺を恨む奴が、こんな不確実な手段をとるか?やはり一度ラタトスクを捕らえてから俺を呼び出す方がいいだろう。
少なくとも、綿密に狙いすまされた瞬間にあたる状況が、あの時に重なっていたとは思えない。ではやはり俺に対する私怨ではない?
“自分達と全く関係のない他の標的を与えられていたが、ラタトスクを見つけた事で優先順位が入れ替わった?”
閃光のように一つの仮定が頭をよぎる。いやいや待て、どういう状況だそれは?例えば始めはジェイスを狙うように命令されていたが、ラタの姿を偶然見つけてそっちの方が高い優先になった?目の前に俺が居たのに?逆に俺は邪魔だっただけで、本来の目的とは全く関係ない?それはそうだろう。
ではあいつらの目的は、ラタトスク個人……?
……いや、やはり俺の思い込みか。論理で言えば狙いはジェイスで、無駄な戦闘を避けようとして俺を無視したと考える方がはるかに可能性が高い。
『今更自分の直感ではなく、頭の中でこじつけた可能性などを頼るのか?』
「タナトス……。いや普通人間ってのはそういうもんだぞ」
『主が普通の人間か?あえて言葉にするならば。自分の思考回路と本能、どちらを司っている脳の分野が今、己にとってより秀でているのかわからないのか?』
「難しい言葉でアホって言おうが理解できるんだからな俺ァ」
『余程現実から目を背けたいらしいな。そんなにとぼけなければならないことか?』
冷やかすように言ったサガの言葉に、いつもより馬鹿にしたようなタナトスの薄笑いが帰ってくる。
「別に。何もぼやけさしちゃいねえだろ」
『そう言いつつも、分かっているのだろう?個人的に狙われる理由も、ラタトスクにはないわけではなかろう』
「あいつが狙いだというのなら、まず邪魔者の俺を消すか、俺が居ない隙にあいつを狙ってくるはずだ!!わざわざ二人一緒にいるときを狙ってくれたりしねえんだよ!連中は!」
『何故過去の遺恨にこだわる』
「何?」
『御主ら二人共気づいておるのかおらぬのか……、人間の考えというものはどうにも、私にも読みかねるが。私から見ればこんな路傍を裸も同然で歩かせているなど考えられぬほど、あの娘の力は得難いものだ。きっと強欲な人間が見れば誰でもそう思うさ』
「そんな大層なもんじゃねえよ、あいつは」
『そう思うのは勝手だが、それで済まない事を貴方こそ本当は理解しているのだろう。愛しき我が主よ』
諭すように、あるいは慰めるように優しい声音でタナトスは囁いた。
『大切なものを失くしたくないのなら、曖昧な可能性とやらとも目を背けず向き合うのだな、主よ』
言いたいことを言い終えたのか、それだけ言い残してタナトスの気配が消える。サガの中でまた眠りについたのだろうか。
「……くそっ」
胸の奥に黒い靄がかかったようで、サガは思わず顔をしかめた。
本当にラタが狙われているのか、……どうして。あのちんくしゃが何をしたって言う。……駄目だ。同じところを回ってばかりで思考が全く纏まらない。
……とりあえずはまだ何も分かっていないようなものなのだ。これ以上頭を悩ませても仕方ない。
無理にそう自分を納得させる。
今は伏線を探るのはジェイスに任せて、自分達は向こうにできないこと、しないだろうことから思考を補足するべきだ。
「そんじゃ、とりあえず始めるとすっか」
「はい」
少し緊張した声で返事をしたラタトスクは、焼け焦げたヘルハウンドの傍へ跪く。そして双方の瞳を閉じ、小さな両手を胸の前で組み合わせた。それはまるで、神の前で祈るようようなポーズだ。周囲の人間からすれば、魔獣に対して鎮魂の祈りでも捧げているように見えるだろう。
俺はその横で腕を組み、これから始まる行為が終わるまでをじっと待つ。要するに、手持ち無沙汰という奴だ。俺がラタトスクを手伝えることは何もない。ただ傍らで戻ってくるのを待つだけだ。
当たらずとも遠からず、ではある。死後の魂を落ち着かせる行為ではある。ラタトスクがやっているのは。しかしそれは、魂が安息して神の御元へもどれるように、とかそういう慈悲の心からやっているわけではない。いや、もしかするとラタの阿呆助にとってはそういう意味もあるのかもしれないが、俺が待つこの行為の目的は違う。
ラタトスクを中心にした場の空気が、段々と澄んでいくのを感じる。ただそれは、特に濁ったものを浄化するというより、むしろ濁っているのが至って普通で、それを特に澄んだ場所、例えば教会の内部のような場所に近づけているような感じだ。
それも、副次的なことに過ぎない。浄化するのが目的ではなく、それは過程に過ぎない。
自分の魂と相手の魂を感応させる、とか、連結させるとか、悩みながら自分ではそういう言葉を選んでいた。余計な濁りを削ぎ落とし、同時にそれは干渉にたいして無防備にする行為でもあり、そこにある二つの魂を出来るだけ同じ状態にもっていく。さらに、結びつける。出来るだけ深く、根強く、同化する。
ま、俺なりにらしく説明するなら安心させて懐に入り込んでいく、って感じだろう。で、話を聞くと。適当に相槌を打ち、適当に同情してやりながら。そのまんま詐欺師のやり口と同じだな。要するにそういう話だろうとドヤ顔をしてタナトスに言ってやったら、そんな単純なものじゃないと怒られたが。
同化するということは、望む望まざるに関わらず全てが流れ込んでくるということだ、と。隠したいという意識もなければ、無意識に閉じ込めた記憶も感情も全て流れ込む。それを受け止めねばならぬ。と。
詐欺師だって聞きたいことだけ聞けるわけじゃねえんだぜ、と反論したら溜息まで吐かれたが。
あの娘がどれほどのことをしているのか理解して支えになってやらねば、報われまい、などと言われたが、いまいちピンとこねえ話だ。
どれだけ混ざろうが自分は自分。それ以上にも以下にもなれねえし、なりもしねえ。
自分を変えられるのは自分だけ。そうじゃないのかよ?