物語、開幕。
大陸の大地に、風が吹く。
宵闇の重い淀みを吹き飛ばす、荒々しき旋風が。
今はまだ取るに足らない、地の底をどこへ行くとも知れず這いまわり吹き溜まる風だけど、きっとこの風は嵐になる。
唸りをあげ、竜を巻き、全てを巻き込み飲みこんで、天上から見下ろす神々まで震わす強い強い嵐に成る。
これは混沌の中で足掻きながら混沌を巻き込み、混沌を呑みこみ、そして打ち晴らす、一陣の突風と……それに巻き込まれながらも運命を回されて進む人間たちの物語だ。
(序幕――可愛い従者の呟き――)
この世の中には不思議な「巡り合わせ」というものがある。
神様の御意志というのは、なかなか私達の都合や予定など汲んではくれない。
ふとした小さな巡り合わせが、誰も予想もしない大きな運命への入り口になっていたりする。
そこで私の主に当たる人の話になるのだが…。
この人は、何故だか神様の寵愛が人より重いようで、やたらとその大きな運命への巡り合わせ、という奴を引いてしまうのだ。
もともと厄介事に首を突っ込むのが好きな人だが、そのちょっと首から覗きこんだ事が、信じられない命のやり取りに発展したりする。
一国の軍隊に包囲されたり、魔神に追いかけられたりするような…。
あの時もそうだった。
私がちょっと目を離した隙に、もうあの人はその巡り合わせというやつを引いてしまっていたのだ。
あの時は私も予想していなかった、大きな流れに乗る巡り合わせを。
……やれやれ、なのだ。
そんなあの人についていく私は、あと何回絶対絶命を味わえばいいんだろう?
―――――――――活劇を、開幕致します。
それではどうか皆様、万雷の拍手で、彼らの戒めをお解き下さい――――――。
「…………………………………。」
――――――――――――沈黙。
燻製された独特の匂いのする空気を混ぜ合わせる、どこか濁った喧騒の中に一箇所だけ、空気すらも固唾を飲んでいるような、張り詰めた静寂が落ちていた。
ひりひりと、震えるような緊張が走る中、俺は真剣そのものの眼差しで目の前の男の顔を睨みつけ、観察している。知らずの内に手元にも無駄と言えるほど力が入っていた。
その男も、事、此処に及んでは表情を引き締め、俺に思考を悟られないように努力しているようだ。しかし、それでもやはりどこか、雰囲気に余裕が感じられる。
俺は知らず知らず、心の中で舌打ちしていた。
奴に対して俺には、すでに余裕などこれっぽちも残されておらず、むしろ勝負を呑んでしまったことを後悔するほど完全に追い詰められていたからにほかならない。
しかし――――、しかし、だ。
俺と奴の一騎打ちに決着がついたわけでは、まだ、……そう、まだ、ない。
勝負というやつは完全決着までどこでひっくり返されるかわからない、紛れもなく面倒なしろもんである。
実際、俺は今最後の最後背水の陣も極まれり、くそったれのド畜生……というところまで来てしまっているわけだが、それでも目の前のクソジジイを仰天させ、のたうちまわらせることができるとぉっッッても素敵な逆襲の機会を得ているわけだ。
ふはははは!!余裕があんのも今だけだ、すぐにこの俺が絶望ってやつを教えてやるぜバァァーーーカめ!!!
一秒一秒寿命をすり減らすような膠着を破り、俺が動く。
いくぜっ―――――――乾坤一擲!!
「吠え面かきやがれいっ!!」
気合いの叫びとともに俺の切り札を奴に向かって叩きつけた。間に立っていた堅いテーブルが悲鳴のように軋みをあげる。
俺の手が叩いたそこには、安っぽい紙切れが5枚ひろげられている。
さあ――――――どうだっ!!?
自信に溢れた笑みと共にカードから奴へ、俺は視線をあげる。
しかし。
……………我ながら、嫌になる。
どうしてこう……いや、いい。もういい。わかった。
手応えのほうだが、―――――まあ芳しくない。
たっぷりと勿体つけてから奴ァ笑いやがった。
「いやぁ、やれやれだ。この場面でフルハウスなのかええオイ。惜しかったなあサガ。ああ惜しかった。」
っ……マ、……ジ、………かぁぁぁ~~~っ!!!!?
本っ、っっっ当に!!!神様ってやつはよぉ……っっ!!
いや、嫌な予感はしてたんだよなあーーーーッッ!!!!!?
俺の広げた手札の役より、奴がたった今明かした手役の方が、ちょびっとだけ強い。ほんとにちょびっと。ちょっぴりだ。
だがつまりはそのために、俺の敗北が決定したわけだ。
「だああああああ畜生っっ!!!くゥ、そっ!た、れぇええええええ~~っっっっ!!!!!!!」
絶叫が酒場に響く。我知らず俺は頭まで抱えて天井を仰いでいた。なんつーかもう、正直そうするしかなかった。
「せっかくお前にしちゃあ上々の役を引いたってのによォ。やっぱ神様に見放されてるんだわお前。」
半ば呆れたような顔で笑う奴の顔が視界に入り、手近な酒瓶でもぶんどってぶったたいてやりたくなったが、………今の俺にはそれを実行に移すだけの気力もなかった。
せめてもの憎まれ口に、しわがれた声で怨嗟のとぐろを巻いておく。
「俺だってそんな奴大嫌いだ畜生……!!ばーかばーか!!」
「いや、あのな……子供か、てめえは。」
あまりにもあんまりな俺の言葉に奴が苦笑いをするように顔をひきつらせた。知ったことじゃないので男の面なんか見ずにぐったりと椅子に沈み込む。
「あーあ。」
やってられねえ。一体全体どうして博打だけには俺の第六感が通用しねえんだ?
『確かに主の勘というものはなかなか大した精度であるのだが、それ以上に運が悪すぎる。主のツキのなさは私の知る中でも筋金入りだ。』
「人間以外は黙ってろ。頼むから。」
頭の中に直接響いてくる女の声に、俺は思わず声を出して答えちまった。
机を挟んで目の前の、例のむさいギョロ目のうっとおしいおっさんが訝しげな顔を向けてくるが、ひらひらと力なく手を振ってなんでもないと伝える。奴は眉を少し動かしただけでそれ以上は何も突っ込んでこなかった。大方俺が現実を受け入れたくなくて一人でぶつぶつ毒づいてるとでも思ったんだろう。心情的には大当たりだよ。
ただ、そこに突っ込まない代わりのように奴は奴で自分にとっての本題を切り出してきた。
まずい。まったくもって大変非常にまずい。
「さあて。これでお前が駆けずりまわって必死に作り上げた財布の中身はすっからかん。そっくりそのまま俺の財布の中に移動する手はずになる。ああ、哀れかなサガ・ケイオス。何の前触れもなく準備も出来ず、たった今からお前は腕に見合わぬ貧困の中に真っ逆さまだ。」
ぶん殴りたくなるほど大げさに抑揚をつけて、でかい身体に似合わなすぎる劇俳優のような身振り手振りを交えながら奴は語り始めた。
「……しかし、だ。今日の晩飯にも困るこの状況を打破する方法が一つだけある。」
「パンツでも渡しゃァ丸く収まんのか?」
俺の軽口を野郎は鼻で笑って流しやがった。
「ちぇ。」
面白くもない反応に舌打ちする。
「お前の持ってきた例の胡散臭い仕事の依頼を受けろ……ってか。」
にやりと薄笑い、というよりももうスンバラシイしたり顔を浮かべる顔に向かって可能な限りのしかめっ面を返した。
「そうだ。そうすりゃ今日の賭けの負け分はチャラにしてやるし、仕事の報酬も耳を揃えてきっちり払ってやろう。どうだ?悪い話じゃねえだろう?」
「あーあいい話だ。てめえの話をこの俺が馬鹿正直にそのまんま受け止めればなあ……!!」
俺はテーブルから身を乗り出し、少し頭を引いた奴の目を睨みつけながら不満を述べていく。
「てめえの持ってきた仕事ってのはいつもいつも、報酬と契約をあっさり超えるような厄介事まで押し付けられなかった試しがねえんだよ!!アアン!?街の領主が払えるような額で、魔神と戦わされてたまるか!!」
俺の鋭い剣幕に奴はたじたじと頭を退く。
しかし返ってきたのはとぼけた言葉だ。
「おいおい、無茶言うなって。俺がいつ魔神が関わるような馬鹿げた仕事を持ってきたよ?」
「い!つ!か!持ってくる―――っっッ!!―――――つってんだよ!!調子に乗って最近どんどん厄介事のスケールが上がってやがりますんですよォ!!!エエ、おわかるゥ!?」
今にも噛みつきそうな俺の猛抗議に、野郎が大きく肩をすくめた。
……待てや、心外だとは言わせねえぞオイコラ。
「確かに俺はその辺に吐いて捨てる程いやがる、はったりをきかせて契約金を吊り上げるしか能のない普通の傭兵や冒険者にはやってられねえような仕事をお前に紹介してるよ。……そらぁ正直焦げついた仕事だと言ってもいい。」
口を尖らせながら奴は長々と反論してくる。
「けどよ、それはお前の腕を信用してるからだ。リスクに見合うようにその分、依頼主からはしっかり金をぶんどってるつもりだぜ?はした金で苛酷な仕事を押し付けて、現場の奴を使い捨てにするつもりはねえ。ただ……な?お前の持って生まれてるもともとの凶運が、俺どころかクライアントですらも予想してねえ、洒落にもならない厄介事をひきよせてんだよ。……他の奴に仕事を預けても、普通これほどの想定外はおこらねえ。お前はそういう星の巡りに生まれてる。勝負の女神様の寵愛は薄いようだが、戦いの女神には我が子のように溺愛されてんのさ」
「うまい事言ったつもりなのか知らんがな……!!そんな与太話で納得すると思うなよ!!?お前の仕事でびっくりするようなトラブルが山ほど舞い込んでくるのはッ!裏で俺に知らされてねえ小賢しい思惑がありすぎるからだろうがっ―――!!!なぁにが戦いの女神だァ!??俺は平和で一向に構わねえっつーんだよ!!」
そんなアホみたいな理屈で毎度毎度ォ、途轍もない貧乏くじ引かされてたまるか―――っ!!
しかしそれでも話を続けようとする奴の口が開きかけたその瞬間、話の腰を折るように酒場の分厚いドアが開き、カランカランというベルの音と共に独特の淀んだ空気が混ぜ返される。
話を邪魔されて迷惑そうな奴の視線が客の姿を見ようと俺の背後、ドアの方へ向かう。
―――――――ナイスだ、客!!
この機に席を立って逃げ出そう。
そう思って腰を引いたその時、間の抜けた女の高い叫び声が酒場を渡る。
こんな空気の澱んだ場所には明らかに場違いな、その少女のような声は更に空気を回転させた。
「アーニキー、アニキ~?……どこですか~。」
その声が聞こえた瞬間光の速さで椅子を元の位置に戻し、机に突っ伏す。
まずい!―――――――アアさっきよりまずい!!!
「うん??あれァ……?」
見覚えのある顔を見たのだろうハゲ野郎の目が俺と客、二人を交互に見比べていた。
俺もなるべくドアから自分の顔が見えないよう気をつけながら、うつぶせたまま、入ってきたそいつの状況を確認する。
するとドアの前で少し不安げにキョロキョロと周囲を見回している、綿毛みたいな白い髪をポニーテールにしたちんちくりんの女の、予想通りの姿が目に入った。
(っかぁぁ………~~!!なんつう間の悪いタイミングで帰って来やがんですかァ!?あの馬鹿はっ!!)
後ろを見るため捻っていた身体の向きを自然な前向きに戻しながら頭を抱えたくなっていると、その頭の中にまた直接声が響いてくる。
『いや、というより今まで帰って来なかったのが普通に僥倖だっただけで、帰ってくるまでにこの男と話をつけようという主の計画が端から無茶だったとおもうぞ?』
美しい女の声が、完全に人ごとのように言った。
(うるせえ!!男には無茶だと思っていてもやらなきゃならねえ時があるんだよ!!)
『ふむ。それにはまったく同感なのだが、先の状況はその限りではなかったと察するがな~。それにしても我が主はやはり、事がすんなり上手く行きそうになるとそこで邪魔が入る素晴らしく稀有な体質らしいな。』
(そんな体質有ってたまるかァっ!!そもそも上手くいきかけてる要素が一つもねえんだよ!!)
『ああ、なるほど。確かにそれもあるな。危機に際してさらに絶体絶命の危機がやってくるのも我が主の生まれ持った素質だったな。』
(いらねえっ!!?さっきからお前ら人の運命的なもんをぼろくそ言いやがって、事態が好転するようないい感じの素質は持ってねえってのかよおいこら!?)
『その酷い運の巡りを己の力でなんとかしてしまうのが、我の敬愛する主の魅力なのではないか。』
(知ったことかっっっ―――――――!!!?……もういいから急いで頭使わねえといけねえ時に出てくんな、アドバイスもできねえってんならだまってろ!)
『いや、一応助言ならあるのだぞ?』
(……な、何!?――――それを早く言え!!で……、なんだ!?)
『男なら潔く諦めろ。我が主。』
(死ねっ!!もしくは俺が死ぬわアホッ!!こちとらあきらめたら終わりなんだよ色々と!!)
『ふふっ。ならば仕方ない。我が言えることは何も無いな。せいぜい足掻いてみせてくれ、影ながら応援しているぞ主。』
応援している奴の台詞でも、主人に向かって言う台詞でもねえよボケ!!
と言う間も本当は惜しい。こいつの事も追々説明しなければならないが、ちゃんと説明しようと思ったら面倒だし長い話になるので今の状況じゃとても無理だ。またの機会にする。せめてこいつと二人きりか、居てもラタトスクだけぐらいの状況が望ましい。
「……おい、呼んでるぞ。」
さっきから奴、奴と言って名前を言うのを忘れていたが、実はジェイスという目の前のオヤジが小声で俺に今の状況を伝えてくるがそんなことは百も承知だ。
「話しかけるな!今取り込み中だ!」
少しだけテーブルから頭を浮かせて、奴にだけ聞こえるような声でぼそぼそと叫ぶ。
何が取り込み中なんだ馬鹿たれが、と言わんばかりの呆れと非難がこもった視線を向けられるが今はそんなことどうでもいい!いや、このオッサンに白い目で見られても最初から痛くもかゆくもないが。
「あ、いた。」
げええっっっ!?もう見つけやがった!!?
思わず全身が総毛立った。椅子から跳ね上がりそうになったのを必死にこらえるはめになったわ!
「ちょっとアニキー、何やってんですかー?読んだら返事ぐらいしてくださいよ!」
パタパタとこっちに近づいてくる声に慌てて頭を下げる。
……普段は間抜けてるくせにどうしてこんな時にだけ素早いんだあのばかは?
「お前みたいな目立つ奴を見つけるのに苦労する奴が居るわけないだろ。」
人の心の声を読んだようにやたら的確な、溜息まじりのジェイスの声が届く。
大ーーーきなお世話だっっ!!!
視線だけをほんの少し上に向けると、野郎頭まで抱えてやがった。ほっとけ!
「もー!アニキってばいきなりガルガン茶が飲みたいから買ってこいなんて無茶苦茶ですよう……!時間が時間だから町中探し回ったんですよ?こんなお願いもう無しにしてくださいね。……アニキ?聞いてま
すかアニキ?ちょっとアニキってばー!」
アニキアニキうるせえ。
相変わらずやっかましいなーもォこいつは。
わーわー不満を言いつつどんどんとこちらへ近づいてくる。
「へ?あろ、えぇ?……ん~~?……まさか、寝てる?」
とうとうすぐそばまで来やがった。
気配で何度も首をかしげているのがわかる。人が寝てるって結論を出すのにどれだけの時間がかかってやがんだお前は。見りゃあわかるだろうが。わかります。わかれ。……バカ!!
「ちょっとちょっと、馬鹿みたいにお酒強いくせにどうしたんですか。いくら時間がかかったからって、私が戻るまでの時間で酔っぱらっちゃうような人じゃないでしょう?大丈夫ですか?」
馬鹿みたいは余計だ。心配せんでも寝るほど酔う金なんかさっき消えてなくなったわい。
……いや、心配するところなんじゃね?それは。
「起きてくださいよ~……!」
小さな手が背中を叩いたり体を揺すったり、容赦なく俺を起こそうとする。従者のくせに疲れた主をゆっくり寝かせといてやろうとかそういう心遣いは皆無らしい。絶対起きんけどな!
どれほど苛酷な妨害も耐え抜いて見せよう!サガ・ケイオスの誇りにかけて!!
『格好よさそうな物言いだが、やっていることは死ぬほどかっこわるいぞ主よ。』
「…………………………………。」
なにか、さっきからすごく精神的にくるものがあるなー……。
「あー、い、いいかな……?よう。久しぶりじゃないかラタトスクのお嬢ちゃん。」
俺がまったく反応しないのでどうしようか悩んだのか知らないが、ジェイスがそのごつい手で居心地悪そうに自分のハゲ頭を撫でながら、俺の脇のこいつに声をかける。ラタトスクはこのちんちくりんの名前で、呼ばれたこいつはびくりと驚きながら振り向く。
「ふぇえぃっ!??あ……ああー!ジェイスさんじゃないですか!久しぶりですねえ。」
ラタトスクはパチンと両手を合わせた。俯いているので見えはしないが、声で笑っているのがわかる。どうやら普通に懐かしい顔との再開を喜んでいるようだ。
怖がりで魔獣だの幽霊だのを見ると泣きそうになる奴だが、ごろつきも遠慮するジェイスの強面はまったく平気らしい。あほの感性はよくわからん。
「やっぱりお仕事ですか?前会った時とはだいぶ離れた街ですけどほんとにいろんなところをまわってるんですねえ。あ、アニキと飲んでたんですか?でも寝ちゃってますよねこれ。どうしたんだろ?」
言いながらラタは俺の肩をぺしぺしと叩く。寝てると思って態度でかいな。いや、普段からこんな感じか。これだからこいつは。
そのまま手は肩に置かれて止まった。奴は体温が高いので俺の体に熱が伝わってくる。
かと思えばまた手に力がはいったので、揺さぶるつもりらしいとわかる。
いや、せわしいなオイ。なんなんだよ。
「起っきてくださいってば!ほんとどうしたんですかアニキ~!?」
絶対に起きません。ここで名案が浮かぶまで待機っ。
なんとしてもこいつに全財産を失ったことを誤魔化さねばならない。それができる策が浮かぶまでは時間稼ぎに徹する。
と、言いたいところだが……。
「えーと、……うむ、そのことなんだが……、」
ばらす。ジェイスの糞馬鹿たれは絶対にばらす。昔から空気を読もうとしない奴だからな。
くっ―――――――――仕方あるまい!!
「あーあ!!よく寝たーっ!!!」
勢いよく机を叩いていきなり立ち上がる。そのまま大きく伸びをした。
今からやろうとしているのは我ながら無茶だと思う悪あがきだがやるしかない。
そう、男には無理でも無茶でもやらなければならない時があるのだ!!
「いや、寝たなー!滅茶苦茶寝たなー!!死ぬかと思ったなーッッ!?」
『……主、それは……ツッコミ待ちなのか?』
溜息が聞こえてきそうなダメ出しは無視する。喋るのを止めてはならない。考える暇を与えずに無理やり押しきって外へ連れ出す。そのまま賭けごとうやむやにしてとんずらだ。
行け、負けるな俺!大事なのは勢い。大事なのは勢いなんだ!!
「あ、アニキ……?お、起きたんですかそれ……?」
いきなりの俺の起床と行動に目をぱちぱちさせるラタ。若干引き気味プラス困惑している顔をさらに混乱させるため、すばやく奴のほうに向きなおりぱっ、とその肩に両手をおく。
「おーう、ラタじゃねえかどこ行ってたんだ心配したんだぞーっっ!?」
「え?いや、いきなり私をお使いに行かせたのはアニキですけど、……アニキでしたよね?」
おう。俺だ。
わけのわからない展開に目を白黒させて固まりかけているラタと顔同士を近づけ、至近距離から大きな金の瞳を覗きこむ。
「そういやそうか、なんだそうだったか、そうだったな!?なんだよオイほんとに俺のためにわざわざあんなもんを買いに行ってくれたのか!!」
「いや、行かないとまた頭たたかれるし……。」
「いやー悪いなー!なぁんか気ぃ使わせちゃったナー!?」
奴がぼそりと呟いた言葉は無視して話を続ける。ボクシナイヨソンナコト!?
…………ウン。タマニシカ。
「これはお礼でもしないとなぁー!?よし、飯をおごってやろう。」
唐突な決定にラタトスクは怪訝そうな顔をする。
「あ、アニキがご飯をおごってくれる……!?だ、大丈夫ですかアニキ!!なにか悪い物でもくったんじゃあ!?」
「はっはっは。逆さにして天井から吊るすぞテメ―!!」
どつきそうになるのをぐっとこらえた。いかんいかん。今はひたすら下手に出ねば……!
「おお!!なんだいつもどおりだ。」
「……色々言いたいことはあるがまあそれは後でいいとしてやる。」
「はあ。」
何か言いたそうな顔のラタトスクに対し、一つ咳払いをして出来る限り穏やかな声を作る。
「俺はなあ、いつも面倒をかけているお前に、たまにはせめていいもんでも食わせて、感謝の気持ちを示そうと思っただけなんだ。」
……これは、思った以上に精神的に辛いぞ。笑顔を浮かべてはいるが、正直歯の浮きそうな台詞に内蔵へんから泥を吐きそうな気分だ。
……き…、気持ちヴぁぁぁリぃぃ……!!
「………………。」
ぴたり。自分のじゃない手が額に添えられる。
「……何、してんだ?」
「いや、熱でもあるんじゃないかと。」
コノヤロウ。
真顔で自分と体温を比べるラタトスク。批判できない俺はだまりこむしかない。
従者だけあって俺のことがよくわかっているらしい。だが、胸の中に納得のいかない感情が残るのはなぜだろうか?
「うーん、大丈夫みたいですね?」
当たり前だ。
「心配してくれるのは嬉しいけどよラタ、俺はどこもおかしくなんかないぜ?ただお前の日頃の苦労を労ってやりたい、感謝を伝えたい、それだけなんだ。」
「そ、そんな……、感謝だなんて……。」
気恥ずかしくなったのか奴は視線を逸らす。やっぱアホだ。結局アホだ。
近くなので表情を観察しようとよく見ると少し頬が赤い。そういやもう外はさみーからなー。こいつ体はぬくいくせに寒がりなんだよなあ。
「あ、あ、アニキ!顔!かか顔が近、近いです!近いででですでやんす!?」
「ん?ああ、悪ィ。」
逃がさないよう肩を掴んでいる下で、ラタトスクはわたわたしている。
うっとおしい。
「けどよ、俺とお前の仲なんだから別に意識することもねえだろ?それともお前は俺が嫌いか?」
「……えっと…。」
ラタは顔を隠すように俯いた。そこで後ろにまで気が回らなかったのが俺の過失だ。
「――――やめんかアホ。」
「ぐおふ!!!?」
後頭部に鈍い痛みが走る。そしてそこに間髪置かず、考えるより先に俺の体は行動に移っていた。
「っ何、しやがる糞野郎ォっっっ!!」
即座に振り向き、俺を殴りつけたジェイスの襟を掴み上げる。
「それはこっちの台詞だ。一体何してやがんだてめえは?嬢ちゃんだまくらかして逃げようったってそうはいかねえ。」
「いッ!!!?」
ジェイスの放った言葉に顔が引きつる。
俺の馬ッッッ鹿野郎ぉぉぉ……!!!!
カッとなって不用意に会話を引き出しすぎたァっ――――!!
首だけ急いで振り向くと、眉間に皺を寄せて首を傾げるラタの姿が目に入る。
「……どういう、事です?」
「こいつは、さっき俺に賭けで有り金全部負けて、その話が嬢ちゃんの耳に入る前にこっから逃げようとしてたんだよ。多分ついでに賭け自体もうやむやにするつもりだったんだろうがな。もしここで逃がしたら次会ったときは絶対にしらばっくれるだろうお前は?」
いや、全部ばらしたよこの人ッ!!?
しかも言うだけ言ってラタトスクから目を逸らしやがった!そんなナリしてなんでラタみたいな小娘なんぞにビビってんだテメエはっ!??
再び振り向くとジェイスの言葉にみるみるラタの顔から血の気が引いていく。固まった表情のまま、実にぎこちない動きで視線だけをこちらに向ける。震える問いかけが耳に届いた。
「う、嘘ですよね……?」
……あー……、いやうん。これは、確かに、……怖い。
否定できない俺の姿に、ラタは表情を変える。先ほどのぎこちなさが演技にしか思えないほど滑らかに。
「説明してもらえますか、アニキ?貴方の口から。」
形作られた非の打ちどころのない笑顔の背後で、物質化しそうな殺気が渦巻いていた……。