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第十一話 夕立の前に その1

8月15日


 珍しく雨もないのに空は雲で覆われ、燦燦と照り付けていた太陽は今日はその姿を隠している。それが、どこか自分の心を示しているようで、また一つ無意識的に気分が落ち込んだ気がした。


 この町では珍しい洋風の一軒家の中で、私はソファーに座りながら窓の外のどんよりとした景色を見てほんの少し溜息をつく。一人きりのはずなのにどこか気まずい空気感が、私の心をざわつかせていた。


 気を紛らわそうとして、なんとなく辺りをを見渡す。その部屋は以前見た時よりもずいぶんと物が減っていて、その整然とした様子はどこか整いすぎているようにも感じられる。あの頃の名残を残しているのは、何年も過ごしたあの部屋だけだった。


「お待たせ、持って来たわよ」


 ガチャリとドアが開く音と共に、今日ここに来た目的のものを手にしてその人、清美さんは部屋へと入ってきた。


 清美さんは丁寧な仕草で箱を机に置くと、埃が舞わない様にかゆっくりとその蓋を開ける。そうして中から現れたのは、朝顔で綺麗に彩られた紺色の浴衣だった。


「まさか、貴方に頼まれてこれを出すことになるとは思わなかったわ」


 清美さんは、愛おしそうにその浴衣を眺めながらそんなことを言う。その口元は、穏やかな微笑を浮かべていた。


「すみません、急な話になってしまって」


「それに関しては気にしなくていいわよ、元々何かする予定なんてなかったから」


「……家の整理、もうほとんど終わってますもんね」


「あら、気づいた?」


「ここまで片付いてたら、流石に誰でもわかりますよ」


「まあ、それもそうね」


「全部清美さん一人で片づけてたんですか?」


「ええ。前に貴方たちに姉さんの分をやってもらったのをいい事に、それ以外のことは何も手を付けてなかったから、流石にまずいと思ってね」


「それは……すみません」


「どうしてあなたが謝るのよ」


「いえ、その、さっき言ってた前の時に、本当は祖父母の物も整理する予定だったんです。でも、私がその時途中で帰るって言いだしてしまって、結局あまり片付けはできていなかったんです。なので、迷惑をかけたかもしれないと思って」


「……貴方が気にする必要なんてないわよ、それくらいのこと。それに、これは元々、私が背負うべき責任だから」


「そういってもらえるなら、いいんですけど」


「……まあ、ともかくそういうことで、この話は終わり。それよりほら、今はこっちの話をしましょっか」


 少し誤魔化す様にそういうと、清美さんは箱から浴衣を取り出して立ち上がり、広げてその全容を私に見せる。二十年近くしまっていたという話だったけれど、浴衣は傷もないままいまだその鮮やかさを保っていた。


「一応ちゃんと管理はしていたから傷とかは無いはずだけど、大丈夫そうかしら」


「えっと、特に目立つ傷とかは無いと思います」


「そう、ならこれを貸すってことでいいかしら」


「はい、大丈夫です」


「わかったわ。それじゃあ早速お試しってことで、今ここで着てみましょっか」


「わかりました……え?」


「ん、どうかした?」


「え、あの、着るって、何をですか?」


「何って、浴衣に決まってるじゃない。元々姉さんのだから丈があうか確かめたりとかしないといけないし……あ、もしかしてやっぱり何か気に入らないところとかあった?」


「あ、いえ、そういうわけでは……」


「そう?ならいいんだけど。じゃあ、私はちょっと着付けの仕方念のために確認しておくから、着れるように準備しておいて頂戴」


「……わかりました」


 返事を聞いた清美さんは、いそいそと準備を始める。一方の私はというと、想定していなかった事態に未だ戸惑いを覚えていた。けれど、それを言わずに返事をしてしまった時点で選択肢は無かったため、仕方なく私も準備を始めるのだった。



「……よし、出来たわよ」


 あれから少しして、私は清美さんに自分で着方について教えてもらいながら浴衣を着ていき、最後にある程度手直しをしてもらった。ふぅ、と一息つく清美さんの表情は、どこか満足げな気がした。


「……」


「どう?着てみた感想は」


「……なんて言うか、その、落ち着かないです」


「まあ、それはそうでしょうね。浴衣なんて……あ、というかその、もしかして和服自体初めて?」


「記憶にある限りでは、多分そうです」


「そう、なら尚のことね。ま、慣れてもらうしかないんだけど」


 そういうと、清美さんは私の前からはける。すると、後ろに隠されていた大きな鏡がその姿を現し、鏡面に浴衣姿の私を映し出した。


 今までに幾度と見たはず自分の身体のその華やかな様子を見て、私の心はこれまで感じたことのなかった妙な高揚感を覚えた。


 自分自身を“綺麗”なんて思ったのは、生まれて初めてだった。だれかに言われたわけでもないのに、そんなことしてはいけないと思って、お洒落なんてしたことが無かった。


 だからか、今目の前に映っている自分の姿がおかしなものであるような気がして、けれど、それが何故だかうれしくて。そんな具体的に呼ぶことのできない感情が、私の中で渦巻いていた。


「……清美さん、あの……」


 得体のしれない感情を抱えていられなくなった私は、その状況を誤魔化す様に清美さんに話しかける。けれど、何故か彼女からの返答は無かった。


「……清美さん?」


 どうしたのかと思い疑問の声と共に視線を向けた私は、その先にある光景を見て硬直する。


 清美さんと目線が合ったその瞬間、彼女の目に私ではない誰かの幻影が映っている事を、私は嫌でも理解した。

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