第九話 もう一人の彼女 その1
8月13日
――カチッ
「んっ、うーん……」
目の前に強い眩しさを感じた私は、未だ微睡む頭のまま、ゆっくりとその体を起こす。うっすらとその目を開くと、カーテンを開けっぱなしにしていた窓から、夏の熱気を伴う光が部屋へ差し込んでいるのが見えた。
目を擦り、一つ大きな欠伸をしてから、私はぐっと伸びをする。そうしていつも通りの目覚めを終えた私は、立ち上がって部屋の端へと向かった。そして、そこに畳んで置いてある衣服の内のいくつかを手に取ると、今度はそれをもって鏡の前へと躍り出た。
「……よし」
先ほどまで着ていた寝間着を脱ぎ、昨日選んでおいた衣服に袖を通した自分の姿を確認した私は、その出来栄えに納得する。すっかり眠気も覚め、外へと繰り出す準備を終えた私は扉へと向かい、今日もその一歩を踏み出した。
「あら、おはよう。今日も早いわね」
自分の部屋を出て階段を降り、朝食を求めて台所へと向かうと、一足先に起きていた伊織さんが既に準備を始めていた。
「おはようございます、伊織さん。何か手伝うことありますか?」
「そうね、じゃあご飯の準備をお願い」
「わかりました」
おかずを作っている伊織さんを横目に棚から茶碗を取り出すと、私はしゃもじ片手にその中へご飯を盛っていく。そして、人数分を準備し終えた私は、残った分を自分のに追加でよそってからそれらを机へと並べた。
それから暫くして、追加でお味噌汁とお箸の準備も済ませてから席に着いていると、最後の一人が眠たそうにしながら台所へとやってきた。
「ふぁ~あ。あ、おはようございます、澄希さん。お母さんも」
「おはよう、ずいぶんと眠たそうだね」
「あんた、また夜更かししてたんじゃないでしょうね」
「ちーがーう、暑くてなかなか眠れなかったの」
「昨日扇風機持って言ってなかった?」
「使っても温風しか来なかったの。」
「それはあんたが部屋を閉じ切ったままだからでしょ。扉どころか窓もカーテンも閉めちゃって」
「だって、眩しいの好きじゃないし」
「なら暑いっていうんじゃありません、自分で選んでそうしてるんだから」
「あーあ、私の部屋に冷房があれば、こんな思いしなくて済むのに……」
「そんなこと言ったって買わないからね」
「願望だよ願望、言われなくてもわかってるよそれくらい」
「はあ…どうしてこの子はこうもわがままなのかしら、ねえ?澄希ちゃん」
「いやあ、私に聞かれても…」
「ま、それもそうよね、っと。はい、準備出来たわよ」
そういうと、伊織さんは焼き鮭と卵焼き、それからサラダを机に並べていった。そして、全員分を並べ終えると伊織さんも席に着き、いただきますの合図とともに、朝食の時間が始まった。
「…あ、そうだ澄希ちゃん」
食べ始めてから少し経った頃、伊織さんが不意に私に話しかけてきた。
「はい、何ですか?」
「今日、この後私たちお墓参り行くんだけど、澄希ちゃんも来る?」
「お墓参り…ああ、そういえばお盆でしたね」
「そうそう。で、どうする?」
「すみません、遠慮しておきます。今日は外せない用事が入ってるので。後、そのせいで帰るのも遅くなると思います」
「夕飯までには帰ってこれそう?」
「うーん、どうですかね。正直なんとも言えないです」
「そう、なら一応準備だけしておくわね」
「すみません、お願いします。っと、ごちそうさまでした」
そうして今日の朝食を終えた私は、食器を下げて部屋に戻った。そして、日焼け止めを肌に塗り、必要なものを入れたバッグと帽子を身に着けた私は玄関へと向かう。
「行ってきます!」
その言葉を合図に私は戸を開け、外の世界へと踏み出した。
燦燦と輝く太陽の光が降り注ぐ中、私は目的地へ向かって早足で歩いていた。これからのことに少しウキウキしているのもあるけれど、何より彼を待たせてしまっているかもしれないからだ。
「今度、二人で出かけないか?」
数日前、喧嘩でできた傷を手当てしてあげているとき、彼は突然そんなことを言ってきた。
「え、どうしたのいきなり」
訳を尋ねると、彼は少し顔を逸らしながら話し始めた。
「いや、前々から言おうとは思ってたんだけどよ。金無かったし、お前ともここしばらく会えなかったから機会がなくて」
「だとしてもでしょ、もしかして夏に雪でも降らそうとしてるわけ?」
「そんなんじゃねえって……その、なんだ。今までなんだかんだ幼馴染だってだけで、お前には色々と迷惑かけてただろ?」
「そうだね、自覚があって何よりだよ」
「それでなんだけどよ、そんな感じで一方的に世話になってたから、そろそろいい加減お礼しないとまずいっていうか、俺の気が済まないっていうか。まあ、ともかくそういう事だ」
「なるほどねえ……つまりはそういう言い訳の元、私をデートに誘おうって魂胆ね」
「おう、まあ、そういう事だ」
「そっかそっかそうだよねえ……って、え?は?えっ!?」
「ちょ、急にでかい声出すなよ」
「いやいやいやいや、だってあんた、今の私の話聞いてた?」
「デートに誘ってるんじゃないかって話だろ?だからそういってるじゃねえか」
「いや、でも、だって。ええ……」
「なんだよ、文句あるなら素直に言えよ」
「や、文句じゃないんだけど…。まさか初デートをこんな風に、ましてやあんたに誘われるなんて思ってもなかったから……」
「何だ、お前一回もないのか?」
「無い無い、これっぽっちも無い。ていうか、逆にあると思ってたわけ?」
「いやまあ、うん。だってお前、男子の中じゃ人気ある方だったし」
「え、そうなの?どっちかっていうと避けられてた気がするんだけど」
「……そうだった、お前ってそういうとこあるんだった、はあ……」
「何その溜息」
「だって、そういう事ならこんな誘い方しなかったのにさあ……。焦って損したじゃねえか」
「何が損しただ、どうせ大して変わらないくせに」
「そんなことねえって、俺はこれでもロマンチストなんだぞ?」
「夢見がちの間違いでしょ、おまけに頑固で捻くれてるし」
「いらねえだろそのおまけ。まあいいや、それで、返事は?」
「……いや、まあ、別にいいけど」
かくして、私の初デートが決まったのだった。
「……はあ」
あの日の事を思い出したせいか、はたまた夏の日ざしのせいか、熱くなってきた顔を手でパタパタとあおぎながら歩いていく。そして、それでも暑さに耐え切れなくなってきた頃、わたしは目的地であるバス停へとたどり着いた。
うろうろ、うろうろ。そわそわ、そわそわ。
よほど落ち着かないのか、数十秒おきに立つ場所を変えながら、勇樹は私を待っていた。普通にずっと見ていられるくらい面白いが、生憎私もそろそろ日陰で休みたかったため、仕方なく彼の元へと向かう。
「おはよ、勇樹」
「……」
「おーはーよー!」
「へあっ!って何だ、澄希か。いきなり大声出すんじゃねえよ」
「話しかけたのにあんたが気づかなかったのが悪い、それに動揺もしすぎ。どれだけ緊張してたのよ」
「そりゃあするだろ、こんなの初めてなんだから」
「何言ってんだか、昔に何回一緒に出掛けたと思ってんのよ」
「ガキの頃の話だろ、今はその、色々違えし」
「妙に律儀なのは変わってないけどね、どれくらい待ってた?」
「確か、六時半にはもう着いてた」
「早すぎでしょ、私まだ寝てたわ。あ、ちなみに今八時過ぎぐらいね」
「……なんか、そっちはずいぶん余裕そうだな」
「人って自分よりひどい人がいると安心するもんだよ」
「ああ、なるほどね。っと、丁度来たな」
そう言われ、彼の見ている方を向くと、遠目にこちらへと向かうバスが見えた。
「あー、涼しー……」
「澄希、お前なあ……いくら人がいないからって寝っ転がってるんじゃねえよ。しかもスカートで」
「いいじゃん別に、誰も見ないし。あ、でも、もしかしたら思春期の男の子がのぞいてきたりするかもなあ?」
「するわけねーだろ、それはそれ、これはこれだ」
「なんなの?その線引き。まあいいけっ、ど!」
口ではああは言いつつも、流石にまずいかと思った私は勢いよく体を起こした。あの後、バス停に到着したバスに乗り込んだ私達は、町外へと向かっていた。降りる乗客こそ何人かいたものの、乗り込む人間は私たち以外おらず、車内はすっかり貸し切りだ。
「さて、十分涼んだことだし、そろそろ今日の予定でも聞かせてよ」
「ん? ああ、それもそうだな。といっても、都会に行ってショッピングするだけなんだけどさ」
デートということで、何をするのだろうかとも思っていたが、提案されたプランは思ったよりも控えめなものだった。
「前にロマンチストとか言ってた割には、ずいぶん普通だね」
「仕方ねえだろ、金があるって言っても、何でもできるほどじゃねえんだから。まあ、だからっていうのもあるんだけど、代わりに予算内なら服でも何でも好きなの買っていいぞ」
「え、マジ?」
「あくまで予算内だからな、予算内」
「ちなみに額は?」
「……4万くらい」
「私、幼馴染を警察に突き出したくないんだけ突き出したくないんだけど」
「してねえよ、何年も真っ当に稼いだり貯めたりした成果だわ」
「冗談だよ、あんた、喧嘩はしても犯罪するような奴じゃないもん」
「人として当然の話だろ、それは」
「残念ながら、普通の人は河原で喧嘩とかしないんだよねえ」
「うるせえ、若気の至りだ」
「それを若者が言ってどうすんのよ」
「それこそ知らねえ」
「適当だなあ……」
くだらない会話をしている間にも、時間は変わらず過ぎていく。今だ舗装されていない道を走りながら、バスは町の外へと向かっていた。




