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第七話 夢物語 その1

 顔も知らない両親の因縁は、私の人生のことごとくを縛り続けていた。


 祖父母は自分の娘の不始末を、孫に償わせようとした。


 綾音さんはかつての自分の後悔を、私を救うことで消し去ろうとした。


 友寄さんと清美さんは、私の後ろに佇む亡霊に自分たちの行いを見せることで許しを得ようとした。


 親戚は皆して私の背景を疎み拒絶し、友人は悪意と愚かさで誰もいなくなった。この町に私を私としてみてくれる人間なんて、誰一人としていなかった。


 町にいる限り、この呪いのような環境は永久に終わることはない。そう思った私は高校生になると同時に、逃げるようにこの町を出た。


 ここでは、私の過去なんて誰も知らない。私は他ならぬ私でしかない。今度こそ、今度こそ私は、何でもない普通になれるんだと、私はそう思っていた。けれど、そんな甘い夢物語は、一度その手で壊した咎人には許されなかった。


 誰かに伸ばそうとしたその手は、決して届くことはなかった。一歩踏み出そうとしたその足は、震えて前に進むことはなかった。


 普通になろうとするたびに、あの記憶は蘇った。一方的で理不尽な暴力が、何も知らない他人からただひたすらに続いたという事実は私の心を未だに病のように蝕み続けていた。


 何でもないはずの目線や会話が私への悪意を孕んでいるように感じられて、怖くて怖くて仕方がなかった。誰もが当たり前に信じているような絆は私が思い込んでいるだけで、本当はべったりと塗り固められた嘘なんじゃないかと思えて、どれだけ言葉で取り繕おうとしても信じることができなかった。


 そして何より、私はかつて平和の破壊者そのものだった。たとえどれだけ追い詰められていて、自分がどれ程苦しかったのだとしても、お前は確かにその手で大嫌いな暴力を振るい、誰かの日常を自らの身勝手な都合で打ち壊した罪人に他ならない。


 だから決して忘れさせない、無かったことにすることなどという事だけは許すまいと、頭を鮮やかな鮮血で染めた少女が、いつ何処にいたとしても、何度も何度も私の耳元でその恨み辛みを囁き続けた。



――もう、どうしようもない。



 死んでしまおうとも思った。でも、結んだ縄や鈍く光る刃物を手にするたびに、奥底にあり続ける生きる者としての本能がそれを拒んだ。


 かくして、現実にも心にも逃げ場所を失くしてしまった私が最後に縋ったのは、何より憎んでいたはずの母の形見だった。


 遺品整理に家を訪れたあの日に見つけて以来、母親への無意味な嫌悪感からあの一回以降プレーヤーを使ったことはなかった。けれど、なぜか手放すこともできないまま、お守りのように持っていたそれに、私は手を伸ばした。


 それからというもの、カセットテープの中にだけあるその世界に入り浸ることだけが私の唯一の安らぎとなった。


 私は自分の人生において、普通に生きることはもうできはしないのだと、忘却と諦観によって心を錆びつかせたまま、これからの長い未来を生き続けようとした。



 だから、本当に嬉しかった。


 私の過去のことなんてこれっぽっちも知らないまま、一切疑うことなくただ私を一人の友人として見てくれた澄希さんの存在は、暗闇に生き続けていた私に初めて差し込んだ、あまりにも眩い光だった。


 私を受け入れてくれなくていい、知ろうとしてくれなくていい。ただただ、何でもない普通の友人として、澄希さんには接し続けて欲しかった。彼女の前だけでは、無い見栄を張ってでもまっさらな私で居たかった。


 私の人生のほんのわずかな間でしかないはずのこの数日間は、あり得るはずのない理想が叶い続けた、奇跡としか言いようがないような素晴らしい日々だった。


 諦めの印だったはずのプレーヤーは、気づけば私と彼女を繋ぐかけがえのない絆の証となって、私に希望を与えてくれていた。


 でも、だからこそ。私は澄希さん対してだけは、どうしても誠実でありたかった。


 例え、もしそれが自らの願いを殺し、ずっと望んでいたはずの幸福な日々を、あの時のように自分の手で壊すことになるのだとしても。


 私は、私という見栄を彼女にだけは張り続けたかった。



「これが、私のに取り憑いた亡霊の話です」


 長い話を終えて私はふうと一息つく。それから下を向いたまま、澄希さんの言葉を待った。


 澄希さんの顔を、直視できる自信がなかった。彼女がどんな表情をしているか、どんな眼差しをしているのか知ってしまうと、体を無意識に動かして逃げ出してしまいそうだった。


 体は震え、息は微かに荒くなっている。心の奥底では、私の中に潜む何かがいやだいやだと子供のように必死な叫びをあげていた。


「祈李」

 

 静寂を打ち壊す合図がした。まったく勇気なんて湧いてこないし、話してしまったことをもう悔いそうになっている。


 でも、それでも。今にも逃げそうな体を無理やり留める。これから何を言われるのだとしても、私は彼女の話す言葉の全てを受け入れると誓った。


 目を開き、覚悟を決めて、私はゆっくりと顔を上げた。澄希さんはどんな顔をしているのか、どんな気持ちを抱いたのか、目で見て受け止めようとした。



――けれど、考えていた予想のことごとくは外れ、気づけば私は、柔らかなぬくもりに包まれていた。



 あまりに唐突なその行動に、私の頭は困惑で埋め尽くされた。何をどうしたらいいのか分からず、ただただされるがまま彼女の胸に顔をうずめる。澄希さんからは鼓動の音が響き、これが現実なのだということだけを感じさせる。


「あ、あの、澄希さん?」


 思わず声を出すと、それを待っていたかのように彼女は更に私を強く抱きしめた。そして、この場で私にだけ聞こえるような声で一つ、その言葉を私に告げた。


「……頑張ったね」


 電撃が走ったような感覚と共に、私の身体は硬直する。頭の中でその言葉を何度か反芻して、生唾と共にそれを飲み込む。その直後、私の心は強い熱を帯びた。熱は血流にのって全身へと巡り、手足の先まで行き届いたところでやっと、私はその言葉の意味を理解した。


 それは、肯定だった。なんの確証のない慰めでも、ただ取り繕っただけの優しさでもない。他でもない私の生きてきた今までを、あまりにも純粋すぎるほどに認めてくれる言葉だった。


「頑張れてなんか、ないです。ただ、もうどうしようもなくなっただけで……」


「どうしようもないっていうのはね、自分なりに精一杯頑張って頑張って、それでも諦めるしかなくなった人だけが言える言葉なんだよ」


 私はそんなのじゃない。生き方を知らなかっただけ、ひたすら逃げただけ。


「私は、そんな大層な人間じゃないです」


「私が出会って、話して、友達になりたいと思えた祈李って女の子は、とっても素敵な人だよ」


 そんなこと貴方に言われる資格なんて、友達になれる資格なんてない。


「でも、でも私は……」


「不幸だったかもしれない。過ちを犯したかもしれない。必要とされなかったかもしれない」



 “でも、私にそんなの関係ない”



「誰かの評価なんて、過去なんてどうだっていい。私にとっての貴方は、この場所で一緒に過ごした貴方だけ。音楽を教えてくれた貴方だけ。私は今の祈李と一緒にいたいって、そう思ったんだよ」


 

 頭の中に溢れかえっていた言葉が、胸の奥底で渦巻いていた淀みが、最初からなかったかのように消えさったと気づいたのは、零れた雫が肌を濡らしてからだった。


 感情をくべられた胸は熱を帯び、声は嗚咽となって溢れ出る。嫌がられる、迷惑になる、嫌われる。だから封じた、だから忘れた。そうしたって自分は救われない、誰も手を差し伸べてはくれない。でも、今はもう違う。



 何度も何度も押し殺した分をまとめて取り返すかのように、抑えきれなくなった感情に任せて、私はただ、何も考えず声を上げて泣いた。人目も気にせず、鼻水まで垂らして。優しく頭を撫でる澄希さんに甘えながら、ずっとずっと泣き続けた。


 私の願いはこの日、やっと叶ったのです。

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