第9話(その3)
振り返り、トンネルへと走り出した。
「待て」
声が聞こえ、俺はすぐに止まった。
壁のクレーター近く、崩れた瓦礫の中から、金髪の男がよろめきながら立ち上がっていた。片腕を押さえ、マスクの半分は砕け、40代らしい青い瞳が覗いている。息は荒く、体中から血が滲み、苦しそうに言葉を絞り出した。
「お前は…何もわかっちゃいねえ…」
目を閉じ、覚悟を決めたように続ける。
「俺たちは悪党じゃない…世界を救うんだ!!」
俺は動かず、ただ彼を見つめた。
「大丈夫か?」
からかっていると誤解されたようだが、俺は彼を殺すつもりはない。
「レイヤーを一つ、また一つと越え…人類の終わりまで…俺たちは最初のレイヤーだ」
「ああ…そうだな、何言ってるかわかんねーぜ」
「妻や子供…いや、全ての人間のために…お前を生かせねえ!」
「おいおい、そんな大げさな…」
彼はナイフを握った。
「『アライグマ秘伝』第三位…ボスと俺だけが使える技だ…」
深く息を吸い込む。
「他の使い方もあるが…これが一番効率的で簡単だ…もっとも、自殺行為に近いがな」
ナイフを構える。
おい…まさか自分を刺すのか?!やめろ!
「おい!やめろってば!」
「本当にわかってねえな…『お前すら』俺が守ってやる…!!」
「何からだよ!?」
ナイフが自分の右足へ突き刺さった。
「『全血』」
次の瞬間、傷口から血の根っこのようなものが噴き出し、猛スピードで俺に向かってきた!
反応する間もなく、その赤い根が俺の右鎖骨を貫いた!
そのまま伸びた根は背後にある壁にぶつかり、バン!と音を立てて止まる。
「ちっ…このやろう…」
鎖骨近くの血の根を拳で殴ると、血は溶けるように消えた。
「ネックウォーマーに当たらなくてよかった…でも痛え」
「俺の方が…もっと痛えんだよ!」
マスクの隙間から見える金髪の表情は、痛みに歪んでいた。意識を保つのもやっとだろうが、それでも立ち続けている。
ナイフを足から引き抜くと、
「全人類のため…これくらい…『全血』!ぐああっ!」
今度は反対の足へナイフを突き立てた。
再び、稲妻のような血の噴射が襲ってくる!
予測はしていた。素早く手を開き、その軌道上に掲げた。
硬化させたサンカルパなら血は通さないはずだ。だから手の前で―
「なっ…ぐああっ!」
血の根は俺の手の前で二つに分岐し、上下から襲い掛かってきた!
片方は腿、もう片方は肩を貫く。
すぐに血の根を両方叩き潰し、溶かす。
「げほっ…!なんで…そんな真似すんだ!自分も死ぬぞ!」
「どうでも…いい…『全血』!」
今度は右腕を刺す。
だが、もう作戦はある。
「『スーパーウォール』!」
両腕のサンカルパを利用し、黒く硬い小さな壁を作り出した。代わりに腕のサンカルパは弱まるが、壁に触れれば再吸収できる。
血の根が迫る―が、壁に触れる直前、複数に分かれて上下左右へ回避。一本も当たらなかった。
金髪は疲労困憊しながらも、薄く笑った。
「えっと…狙いは…自在だ。問題ないぜ…」
深く息を吸い込み、
「よし…人類のために…『全―』え!?」
目を開けた彼の眼前には、サンカルパの壁が迫っていた。
投げつけられた壁に反応する暇もなく―
ドン!と金髪の顔面に直撃し、背後の壁へ叩きつけられる。
「なっ…どうやって…ああ…壁を強く押し出しただけか」
よろめきながら立ち上がるが、既に満身創痍だ。
しかし、ふと前方を見れば―『スーパージャンプ』で飛びかかる俺の姿があった。
壁は再吸収され、腕は元通り。
ダッシュしながら、両手を背中に回す。
「てめえこそ何もわかっちゃいねえ!俺がみんなを救ってやる!『スーパー…』」
金髪は俺を見つめ、敗北を悟ったように呟く。
「願わくば…お前が全てのレイヤーを越え…『アライグマ』も倒せますように」
「『ダブルスマッシュスラップ』!!!」
両手の平を合わせ、思い切り金髪の横っ面へぶん殴る!
衝撃で壁が粉々に崩れ、俺は外へ放り出された。
森と岩地帯、太陽の光が視界に広がる。
黒い手のひらを見れば―
「血…人間の血が…」
ただ、じっと見つめる。
「死んだか?…いや、生きてるはず…あいつは…殺さないって決めてる…でも『アライグマ』の野郎なら…?いや…金髪は…大丈夫だ!」
人を殺さない。誓ったはずだ。
だが、ふと考えると怖くなる。最悪の敵でも…そんなことできない。誓った。絶対に―
「ムオホホホ、おやおや、来たねえ、ダーリン達♡…」
開けた空間では、クラウンとアライグマの戦いが続いていた。
血の軌跡、飛び交うナイフ、地面の亀裂、突如現れる壁―まさに修羅場だ。
クラウンの顔には切り傷がいくつか。服も血で染まっている。アライグマはマスクが無傷だから、この血はクラウンのものだろう。
アライグマの攻撃を華麗にかわしながら、クラウンは遠く離れた俺に話しかけてくる。
「正直、手強いよ?攻撃せずに戦うのって難しいね。それに、こいつほとんど喋らないんだ。ロボットみたいだ」
そして、ぴょんと洞窟の天井へ飛び移り、つま先立ちで着地。腕を広げながら俺へニヤリと笑う。
「こいつがお前のターゲットだろ、カイ?」
ああ、こいつを倒すために来たんだ!悪党だからな!
金髪のことは後で確認だ。今はアライグマが目標だ!
「当然だぜ!!そのために来たんだ!!」
振り返れば、サンカルパはかなり消耗している。正確な量はわからないが、限界近いだろう。
だが、構わねえ。これで十分だ!
アライグマは動かないが、若干イラついているように見える。
「相手ではない。弱すぎる。お前だ」
クラウンは上着を脱ぎ、赤いシャツを露出。
「ムオホホ、残念ながらこの戦いの主役は私じゃないんだよね」
アライグマは無言。次の瞬間、クラウンの眼前にいた!
だが、既に遅い。
クラウンは上着を掴み、体の前で下から上へ―体に触れずに―ふりかざす。
上着が通過すると、その部分の体がまるでマジックのように消えていく。
しかし、上着が口元に達する直前、クラウンは最後の笑みを浮かべて言った。
「観察は続けるよ」
そして、完全に消え去った。
アライグマはしばらく虚空を見つめた後、ゆっくりと俺の方へ振り返る。
「よかろう。お前の執念が死を招く」
こいつ…もう怖くねえ。ただ腹が立つだけだ…前より強くなったんだ、今度こそ―
「俺が勝つ!!」
構えを取る(左腕を開いてアライグマに向け、右腕は後ろに引いて拳を握り、矢のような姿勢だ)。
「かかってこい!」
自信と怒り、決意に満ちている!
無言で、アライグマは俺の横に現れ、ナイフを振るう。
だが、腕で受け止め、弾いた。
隙だ!
「『スーパーパンチ』!」
ナイフを構えた腕を抑えつつ、もう一方の拳を放つ。
アライグマは冷静にもう一方の腕で防御。
衝撃で数メートル後退するが、着地は軽やか。平然としている。
くそ!サンカルパがもう…あとどれくらい残ってる!?
無言で、背後に回り込んだアライグマが俺の腕を掴む。
「なっ…放せ!」
振りほどこうとするが、アライグマは巨大な跳躍で雲の高さまで上昇する。
まさか…そんなジャンプ力!?
「おい!待て…うわああっ!」
両手で俺の腕を掴み、背負い投げの要領で地面へ叩きつける!
気がつくと、洞窟の天井へ激突し、地面にめり込んでいた。
「がはっ…!動けねえ…サンカルパはまだ…続いてるが…」
血を吐き、息も絶え絶え。体力は限界だ。
「どうすりゃ…いや…そんな…」
天井の穴から見上げると、アライグマが降下してくる。
「まずい…『スーパーウォール』!」
再び黒い壁を作り、身を守る。
「くっ…ここから…」
その瞬間、壁が粉々に砕ける音。
アライグマが壁を蹴り破り、着地。俺の上に立つ。
「なぜ俺を憎む」
体の黒い装甲が剥がれ、ただの動けない男に戻った俺。
「そりゃあ…お前がモンスターだからだ!」
「モンスター。ならば恐怖か」
「違う…憎いんだ!」
「ならばモンスターではない。モンスターは恐怖の対象だ。そして俺は知っている…真のモンスターを」
膝をつき、耳元で囁く。
「俺は恐れている…『アライグマ』を。だが、最も恐ろしいのは…俺が死んだ後の人類の行く末だ」
「もう一つのレイヤーを越えれば…人類の終わりが始まる。アポカリプスだ」
「俺は自らを『感情のない獣』に変えた。アライグマを抑えるためだけの存在に。だが、本来の俺は違う」
「もっと多くのことができる。だが、人類のために全てを捨てた」
「殺すのは嫌だ。守るべきものを。だが、慣れた。必要だからだ」
「最初は毎晩泣いた。今でも泣きたい時はある。だが、何も変わらない。人類のためなら…やるしかない」
「人を殺す時、俺はまだ哀れみを感じるのか?それとも…もう何も感じないのか?答えは出ない」
「嘘をついた。俺は『アライグマの守護者』ではない。人類を『アライグマ』から守る者だ」
「『アライグマ』の名を口にするだけで…鳥肌が立つ。あれは…恐怖そのものだ」
ナイフを構える。
「これが最後の秘密だ」
ナイフが振り下ろされる―俺は目を閉じた。
ああ…怖い…
が、金属音が響く。
目を開けると―
「赤髪!?」
ギルドで会った赤髪の男・イウリウスだ!
彼はアライグマと刀とナイフで斬り結び、火花を散らしている。
「カイ、やっと見つけたぞ…!」
数秒の攻防の末、アライグマが後退。
イウリウスは刀を構え、緊張感なく、むしろ自信に満ちた表情だ。
「カイ―」
その時、アマリとサユリが門から現れた。
アマリが叫ぶ。
「赤髪!?カイ!?なんで…何が起こってるの!?」
イウリウス:
「君たちが『アライグマ殺し』の依頼を受けたと聞いて、危ないと思った。俺も前からこの依頼を狙ってたからな。足跡を辿ってようやく到着だ」
アライグマから目を離さず、片手で俺たちを促す。
「行け!カイを連れて!心配するな、俺が相手だ!」
アマリとサユリは驚きと困惑の表情だが、頷く。
アマリが鎖を伸ばし、俺をぐいっと引き寄せる。
「わ、わかった!赤髪、頼んだよ!」
三人で走り出す俺が叫ぶ。
「赤髪!…なんで助けるんだ!?」
彼は微笑み、こう言った。
「俺の『ヒーロー』のように、一人でも多くの人を救うヒーローになるんだ!」
以上、第9章はこちらで完結となります。




