第7話(その2)
ふと、俺は「目が覚めた」。
家のキッチンに立っていた。
さゆりはテーブルの上で猫の腹を撫でている。
「おや、誰が私の小さな王子様?ぽっちゃりふわふわの毛玉ちゃん?メルメルメルメル~」
アマリが怒鳴った。
「5秒前に売りつけようとしてたのと別人みたいじゃないか!」
「メルメルメルメル…」
ああ、俺は時間を戻されたのか…
ちょうどベルが鳴る直前の…
手をグッと見下ろし、胸に手を当てる。……全部無事だぜ。。
俺…復活した?二人が目の前で殺されるのを見たのに、今は何事もなかったようにいる。そしてあの仮面の男はまだ襲ってくるのか――
「ねえカイ、大丈夫?」
心配そうにアマリが声をかける。
さゆりに撫でられる猫を見る。
あの猫を今までと同じ目では見られない。無実だと分かっていても。
そうだ、アライグマだ!
急いでその場を離れ、玄関へ全力で走った。
「カ、カイ!?どうしたの!?」
アマリが叫ぶ声を背に、ドアに飛びつく。
サンカルパを手に纏わせ、覚悟を決める。
アライグマ…いるのか?確かめなきゃ!
勢いよくドアをガチャッと開けると――
……
何もいない。ただ木々と、周りの家々の緑が広がっているだけ。
こんなに安堵と混乱が同時に押し寄せたことはない。
後ろからアマリがゆっくり近づいてくる。
「んー、カイ…具合悪いの?顔色が――」
さらに後ろから、頭に猫を乗せたさゆりが。
「おほー、この子ゴロゴロ言って、俺の帽子を巣にしちまったみたいだな!」
アマリが突っ込む。
「でぶ猫は子じゃない!巣も作らん!」
さゆりは帽子の猫を撫で続ける。猫は気持ち良さそうに身を任せている。
「修行すればできるわ!…で、カイ…大丈夫?」
頭を振り、平常心を装って笑顔を作る。
「あー、別に…ただ、すごく嬉しいんだぜ」
父さんの教え通り、笑顔でいよう。弱みを見せるな。
二人は無言で視線を交わした。
「じゃあ、まずは「巨大ネズミ50匹討伐」ミッションに行くぞ!金も必要だしな、頼むぜ?」
この言葉に嘘はないのか自分でも分からない。
ただ横になりたいのか、それとも何事もなかったように振る舞いたいのか。
多分後者だ。
あの出来事を話したい、警戒するように伝えたい…でも猫に止められた上、そんな選択肢はない。
二人を見るたび、あの無残な姿が脳裏に焼き付く…ただ考えるだけで恐怖が襲う。
いや、恐怖じゃない。むしろ…良かった。
何も言わない方がいい。全て無かったことにしよう。
難しいが、これが最善だ。
ただ一つ学んだ。もっと強くならなきゃ。全力で成長する。
***
午後5時頃、三人でギルドへ向かう。
金は底を突いてる。家賃も払わなきゃ。
とりあえず適当な依頼を探そう。
…って、誰か一人留守番すれば良くない?
まあいいか。
あの記憶を消せるだろうか。
必要だけど、あまりに生々しくて。
二人を見る度に思い出す。
でも乗り越える。いつも通りでいよう。
仮面を被るんじゃない。俺はいつもこうだ。
何もなかった。
何もなかった。
何もなかった――
「カイ、大丈夫?」
先を歩くアマリが振り返る。
首を振り、笑顔でうなずく。
「ああ!そうだぜ!」
速足で追いつく。
でもあのアライグマ仮面が頭から離れない。
あの男はどうなった?まだこっちを狙ってる?それとも猫が殺した?
まあ、考えても仕方ない。でもあの化け猫が助けてくれるなら俺は不死身じゃん?!
…考えるのやめよう。
「カイ、ちょっと…家で休んだら?」
横顔に笑いかける。
「ははは!それでお前らを誰が守るんだよ!」
「は!こっちが守ってやるわ!…でしょ、さゆり!」
さゆりは訝しげに横目で俺を見ていた。
「ふむ…実際のところ、私がいれば十分ですが」
アマリが言い返す。
「え!?遠距離専門の非力な魔法使いが!タンクが必要でしょ!」
「タンク?…アンタがそう言うの?」
「まあ…そういうこと?」
さゆりはアマリの目をじっと見てから、杖を地面にドンと叩きつけ宣言した。
「よし!ではタンク命名儀式を始めます。我、さゆりは世界一の魔法使い――」
「うわっつまんねえ!タンクとかやってらんねーよ!」
二人が言い争う中、俺が指を立てる。
「おいおい、俺は?俺は何になるんだ?」
さゆりは顎に手を当てて考え込む。
「んー、あなたは…ぶっちゃけ喧嘩屋って感じ」
アマリも頷く。
「スレイヤーとかDPSとかそんなとこね」
さゆりが首を傾げる。
「でぃーぴーえす?」
アマリが答えようとする前に、俺が叫んだ。
「俺は最強になりてえ!」
二人が同時に怒鳴り返す。
「そういう話じゃないの!」
***
少し落ち着いてから、アマリが聞いてきた。
「ねえカイ、シスはもう決めた?」
さゆりも小さく頷く。
「私も聞こうと思ってた」
にやりと笑う。
「ああ、決めたぜ!…でもアマリが治癒能力を秘密にしてるみたいに、俺も教えねーよ」
「誰が喋ったのよ!?」
アマリが即座に叫ぶ。
しまった、知ってるはずないんだった…
「えーっと、まあ…適当に言っただけ?」
アマリは本気でムキになっている。
「一回で当てやがって!?」
さゆりは半ば興奮状態。
「当たったってことじゃない!」
アマリは諦めたようにため息をつく。
「あー…そうよ。指輪の一つは治癒能力…でももう一つは内緒!」
近づいて観察する。
「よし、当ててやる!…」
アマリの手をじろじろ見る。
「気持ち悪い!手フェチみたいじゃない!」
んー、なんだろう…なんだろう…わかった!
パッと手から目を離し、立ち上がる。
「空を飛べるんだろ!」
さゆりがくすくす笑う。
「え?指輪の鎖で飛ぶですって?ふふふ、そんなわけないでしょう!」
アマリも笑い出す。
「それでどうやって飛ぶのよ!バカじゃないの?」
二人に笑われている。
今までなら腹が立ったはずなのに、なぜか嬉しい。
わざとじゃない、本気で思ってたことだ…でも恥ずかしさより、二人が笑ってるのがただ嬉しい。
これはもう仮面なのか?それとも本当に元通りなのか。
答えは出ない。
***
しばらくして、ようやくギルドに到着。
今日はかなり混んでる。何かパーティーでもやってるのか、音楽がガンガン鳴ってる。
アマリが指図する。
「いい?作戦通り。依頼を見て、すぐ帰る。誰とも話さない」
はっきりと言い放つ。
「了解!あとは――…ねえアマリ」
さゆりがゆっくりとアマリを見て、ゆっくりと言う。
「カイがいない」
アマリが慌てて周りを見回す。俺の姿はない。
「あのバカ!ほんとにもう!!」
で、俺はというと――ギルドの隅で面白そうなものを見つけちまった。
「おっ小僧!君も遊ぶかい!?」
壁に縛り付けられたデブの中年男。
パンツ一丁で、なぜか満面の笑みを浮かべている。
声をかけてきたのは、大きなゴムハンマーを持ったキザ男。
「ん、何これ?」
キザ男が説明する。
「ミスター・ポークゲームへようこそ!」
ミスター・ポーク…聞いたことある名前だ。
「ルールは簡単。このハンマーでポークさんの腹を全力で叩くだけ」
まばたきを二回。無反応。
きっと酷いゲームだと思ったんだろう、キザ男は慌てて続けた。
「その、ポークさんはこれが大好きなんです!金のためだけじゃなく、本当に――」
遮る。
「これ…超クールじゃねえか!!」
キザ男は一瞬たじろいだが、すぐに笑顔に戻る。
「そうこなくちゃ!参加費はたったの1シールド。秘密の報酬も超豪華!…詳しくは――」
「報酬とかどうでもいいぜ!とにかくあいつの腹を叩かせてくれ!」
「では1シールドいただきます。それだけ」
ポケットを探るが、財布は空っぽ。
「ねえじゃねえぞ、こんちくしょう!」
この世界で金を握ったことなんて一度もない!
「待ってろ!すぐ持ってくる!」
走り出す俺に、キザ男が声をかける。
「急がなくていいよ!優先的にやらせますから!ポークさんも待ってます!」
アマリたちがまだ入口にいる。急停止。
「おいカイ!どこ行ってたの!?もう――」
さゆりに窓を指さす。
「おいさゆり、あそこに鳥が!」
むっとした顔。
「そんな手に引っかか――」
「おいさゆり、超有名な魔法使いが!」
「どこ?」
振り向くさゆり。その隙に金を奪い、全速力で逃げる。
「え?あ…ちくしょう!また騙された!」
アマリの叫び声。
「お金取られてるよ!」
ポケットを確認するさゆり。
「えっと…あ…この野郎!金を盗んだ!」
アマリを指さす。
「アンタのせいよ!止められなかったの!?」
「は!?私にどうしろっての!?最も古典的な手に引っかかって!」
「だ、でもアンタも悪い!」
一瞬の沈黙。
「追いかけよう」
「そうね」
一方、俺は「借りた」1シールドをキザ男に渡す。
「ありがとう!はい、どうぞ」
ゴムハンマーを受け取る。
「楽しんでね。ポークさんも喜ぶから」
壁に縛られた変態の前に立つ。
ポークは熱烈な眼差しで言う。
「おや?今日の挑戦者は若い子だ!ああ、たまらん…」
俺はストレッチを始める。
「俺を叩くのかい?その調子だ、全力で来い…」
ふと気づくと、大勢の男たちが囲んでいる。
「ん?何か?」
腕組みした男が答える。
「いや、むしろ歓迎だ。ポークさんの事情を知ってるか?」
首を横に振る。
「ポークさんはゴムハンマーで腹を叩かれるのが病みつきなんだ。毎晩ここに縛られてる。『最大の満足』を与えた者には特別な報酬があるらしい。『最大の満足』ってのは、特定の痛みのポイントを突くことらしい。気絶するほど強くね」
まだストレッチ中。
「今まで誰も成功してないの?」
「ああ。最初はみんな本気で挑んでたが、そのうちカジノみたいになった。街一の力自慢も呼んだが、全員失敗。もう諦めてる奴が多い。挑戦者は大抵、自信家か初心者だ。でも――」
男は周りに手を広げる。
「見物は楽しいんだよ!」
観衆が沸き立つ。
「やれ!やっちまえ!」
「ポークをぶっ飛ばせ!」
「終わらせろ!」
どうやらポークに散々やられた恨みがあるらしい。
でも多分、誰も俺が勝てるとは思ってない。ただ見たいだけだ。
にやりと笑い、宣言する。
「よーく聞け!俺が…勝ってやる!」
その一言で観客は熱狂する。
ポークに向き直り、ゴムハンマーを握りしめる。
ポークは至福の表情で囁く。
「さあ坊や、全力でおいで。遠慮はいらないよ…」
本章は全3部構成となっており、こちらはその第2部になります




