第3章「隠された記憶の断片」(2)
放課後に、コウタとナツミが「数学の宿題で参考資料を探すのに図書室行くから、お前も来いよ。どうせ一人だと忘れ物増えそうだし」とシンに声をかけてきた。
シンは断る気にもなれず、力なく頷く。
「まあ、俺らがついてりゃ安心だろ。ノート借りたまま忘れるとか防げるしさ」
「そうそう、あんたがいないところでノート無くされても困るからね。しっかり見張るわよ」
そんな会話をしながら三人で図書室へ向かう。
カウンターでは司書の先生が静かに本を整理しており、室内はあまり人が多くない。
ナツミが古い書架を物色し、コウタが後ろから「そんなとこに数学の本ある?」と突っ込みつつも手伝っている。
シンは少し離れた場所で立ち尽くしながら頭痛の具合を探る。
すると、ナツミが「うわ、これ何?」と埃っぽいファイルを取り出す。
「『特別支援センター』……『児童心理研究所』……? なんか古いパンフが混ざってるよ、ここ」
コウタが「へえ、なんだそれ」と覗き込み、ナツミがページを開く。
「文字かすれてるしロゴも破れかけ……よくわからないけど、子供の心理とか研究とか書いてある」
シンが近寄ってそのロゴを見た瞬間、頭に鋭い痛みが走る。
「あ……」と声が漏れ、コウタとナツミが「シン、どうした?」と心配する。
「い、いや……何かこれ、見覚えがある気がして……でも思い出せない……頭、痛い……」
「おいおい、またか? もういい、休めって」
「ごめん……」
シンはベンチに腰を下ろして額を押さえる。
脳裏にロゴのイメージが焼きつくが、どこで見たか思い出せない。
その鈍痛に耐えるシンを見て、ナツミは申し訳なさそうに「ごめん、変なの見せて」とうろたえた。
◇◇◇
ちょうどそのとき、ユキは本を抱えて図書室にはいった。
そこへナツミが手を振って声をかけてくる。
ユキは軽く会釈して、通り過ぎようとしたとき、シンの苦しそうな顔が目にはいった。
ユキの視線がわずかに揺れる。
ユキは、「また頭痛……?」と控えめに尋ねる。
シンは「うん、ちょっと……」と曖昧に笑って苦しそうに呼吸する。
ユキは近寄って顔を覗き込むようにして、「大丈夫?」と小さく声をかける。
その瞬間、ユキの読心力が働き、シンの“混乱と怯え”がビリビリと伝わってきて、ユキは胸を押さえる。
(また……この人の感情、こんなに直接伝わる……苦しい……)
ユキは顔をしかめてその場を離れようとするが、ナツミが「ユキ、具合悪いの?」と気づき声をかける。
ユキは首を横に振り「平気……」とだけ言い、急ぎ足で書架の奥へ消えた。
◇◇◇
三人は結局、参考資料を探すのを中断して図書室を後にする。
シンは頭痛をこらえながら、「ごめん、あんまり手伝えなくて……」と謝る。
しかし、コウタとナツミは「いいって。お前が元気じゃないと無理だろ」と返す。
シンは微苦笑を浮かべて「ありがとう……」とだけ言った。
「明日こそしっかりしてくれよ?」
「うん……今日は……早めに帰るわ」
そうして二人と別れ、シンはカバンを抱えて家路に着く。
歩きながら、メモ帳に“今日あったこと”をざっと書こうとするが、頭痛で文字が歪む。
なんとか「図書室で『特別支援センター』のパンフ発見。ロゴに見覚えアリ」と走り書きを残し、息を切らしながら自宅へ帰った。
◇
夜、自室で机に向かい、榎本からもらったメモ帳を改めて開く。
シンはペンを握りしめ、「今日の出来事」を箇条書きにし始める。
「朝、ノートを借りたこと忘れる……クラスメイトに指摘される……保健室で榎本先生にメモ帳を渡される……図書室でパンフ……ロゴが気になる……」などと書いていくうち、手が止まる。
「あのロゴ、やっぱりどこかで……」
次の瞬間、頭を鋭い痛みが貫く。
目をきつく閉じると、脳裏に薄暗い部屋の映像がちらつく。
白い壁、白衣の大人たちが何かの測定器を操作し、自分の頭にコードのようなものをつけている。
まぶしいライトが目を刺し、幼いころの自分が怯えている。
声にならない悲鳴の感覚がこみ上げ、シンは「うっ……」と机に突っ伏す。
記憶の断片を掴もうとするたび、頭が激痛で揺れ、呼吸が乱れる。
ペンが床に落ち、シンは握り拳を震わせながら呻く。
あまりの痛さに思考が飛びそうになるが、それでも確信しかけている。
今までの物忘れは、やはり念動力と結びついた記憶障害だと。
「やっぱり、ただの物忘れじゃない……。俺の過去に、あの施設が関わってる……」
唇を噛み、何とかペンを拾おうとするが腕に力が入らない。
小さく震えながらメモ帳を見つめるが、字を書く余裕さえない。
まるでブロックされたように記憶の扉が閉じかかっていた。
呼吸が荒くなり、背筋を震わせるように布団へ崩れ落ちる。
母親はリビングにいるらしいが、声をかけられる気力すらない。
「ああ、何とかしなきゃ……」と呟きつつも、思考が途切れそうになった。
◇◇◇
同じ頃、ユキは自室の机でノートを広げながらも、手が止まっていた。
母親は夜勤で留守。
部屋には自分一人だけで、静寂が押し寄せる。
図書室で感じたシンの痛みが、まだ胸に残っている。
読心によって他人の感情を拾うたび、ユキは自身の心が余計にわからなくなる。
「どうして、あの人の不安だけこんなに強く入ってきたんだろう……私には感情なんかもうないはずなのに……」
ぽつりと声に出すが、当然誰も答えない。
ユキの無表情の奥では、自分の感情を失っていく恐怖を抱えている。
しかし同時に、シンの不安に共鳴したとき、少しだけ“胸が痛む”という感覚が戻ってきたような気がして、混乱していた。
(私、何を感じてるの? 読心で伝わってきただけなのか、本当に私の心が動いたのか……)
ノートを閉じ、ユキはベッドに倒れ込む。
読心力の負担で頭が重い。
“自分が何を思っているのか”がわからなくなるくらいに他人の感情を拾ってしまうこの体質を、心底嫌っている。
でも、シンの不安や苦しみはなぜかスルーできなくて、こうして脳裏に焼きついて離れなかった。
◇◇◇
夜の保健室では、榎本真理が学校に残り、パソコンの画面をにらんでいた。
薄暗い廊下の気配を気にしながら、特別なファイルを開いてキーボードを打つ。
<被験体S:念動力の兆候、および記憶障害進行。被験体Y:読心力の強度上昇、感情麻痺の傾向>
そんなメモ書きを入力する手つきはどこか震えている。
「施設からの指示は“経過を見守れ”だけど……このままじゃ彼らが壊れてしまう……。でも、研究をやめたら私……」
榎本は深くため息をついた。
教師として子どもを守りたい気持ちと、研究施設に雇われている現実が衝突していた。
「シンくん、ユキさん……ごめんなさい。私……どうすればいいの……」
夜の静寂が保健室を覆い、榎本の小さな呟きは誰の耳にも届かない。
手帳を見れば、二人のデータや観察結果が淡々と記されているが、そこに彼女の苦悩も滲んでいるかのようだった。
◇◇◇
シンはメモ帳を半端に広げたまま、「やっぱり、ただの物忘れじゃない……」と零す声に誰も答えてくれない。
部屋の窓が風でわずかに揺れ、カーテンが翻ると、シンの意識が一瞬だけ暗転しかける。
(念動力を無意識に使ってるのかもしれない)——そんな予感がちらと胸をよぎるが、もう思考する力も残っていない。
もし本当にそうだとしたら、さらに記憶が削られていく恐怖とどう戦えばいいのか、現状ではわからないままだ。
◇◇◇
ユキは薄暗い部屋で「シンの苦しみばかり感じてどうするの……」と呟きながら目を伏せる。
感情がない——はずなのに、何かがちくりと心を刺す。
ひどくもどかしく、どうにもならない。
◇◇◇
榎本は保健室の扉を閉め、校舎を出ながら「研究施設に報告しなきゃ……でも、あの子たちを傷つけたくない……」と葛藤を抱えて鍵を回すのだった。




