第13章「祭りの喧騒と忍び寄る破綻」(2)
午後のステージ発表のメインイベントが始まる時間帯になり、体育館や講堂には多くの観客が詰めかけていた。
シンたちのクラスも出し物を一通り終え、ホッと一息ついているところだ。
「シン、ちょっとこの段ボールを片付けるの手伝って! ナツミが呼んでる」
コウタが声をかけ、シンは「おう、わかった!」と気軽に応じる。
ユキは座って休んでおり、二人はなるべく離れないように心がけていたが、作業しないといけないことがある以上、仕方がない。
「ユキ、平気?」
シンが振り返り尋ねると、ユキは「ここで待ってるから……あとで迎えに来て」と返事をし、校舎の廊下の隅に腰を下ろす。
そのとき、急に校内放送が途切れがちな音を鳴らし、何か混乱したようなアナウンスが微かに届いた。
「ステージ音響……トラブル発生……落ち……」と断片的な言葉が聞こえる。
シンは胸がざわつき、「何だ……?」とつぶやいて、コウタと顔を見合わせる。
「なんかヤバそうじゃないか?」
「行ってみるか?」
二人はすぐに駆け出し、ユキも「私も行く」と後を追う。
階段を下り、体育館や講堂の方向へ向かうと、人だかりができて悲鳴のような声が飛んでいた。
「うわ、ステージのセットが……崩れかけてる!」
観客の一人が絶叫する。
見ると、天井から吊るされた照明装置や音響機材が不自然に傾き、ステージ床の端が割れかけている。
何人かの出演者が舞台上に取り残され、会場全体がパニックに陥っているようだ。
「やばいやばい、逃げろ!」「みんな落ち着いて!」という叫びが交錯し、シンは青ざめた顔で「これ、いったいどうして……?」と声を震わせる。
コウタは「絶対に、誰かが故意に仕掛けたんじゃないか……」と舌打ちし、ナツミが駆け寄ってくる。
「シン、ユキ、どうするの……? 観客がこんなにいて!」
「何とかしなきゃ……! 怪我人が出る……っ!」
シンは歯を食いしばり、頭痛が押し寄せてくるのを感じる。
でも、放っておけば舞台が崩落し、最悪の場合大勢の人が下敷きになる可能性がある。
ユキは感情ノイズに耐えながら、目を泳がせる。
「放っておけない……俺、やるしかない!」
そう呟くと同時に、シンは心の内で「頼む、もってくれ……記憶よ……」と祈りながら念動力を解放する。
すると頭痛が急激に増し、視界がチカチカと暗転しかけるが、歯を食いしばって踏ん張る。
「うおお……っ……!」
シンは両手を突き出すような姿勢になり、崩れそうなステージの一部を持ちこたえる。
機材が完全に落下するのを一瞬だけ食い止め、その隙にスタッフが上に取り残されていた生徒を助け出す。
歓声と悲鳴が入り混じり、会場は大混乱だが、最低限の救出は間に合った。
「シン! 大丈夫か!?」
コウタが階下から叫ぶ。
シンは「限界……!」と肩を震わせ、念動力を解き、ぐらりと倒れかけた。
機材の一部は音を立てて床に落下したが、誰も直撃を受けずに済んだようだ。
「シン、わたしも……!」
ユキが群衆の方に向き合い、強い声を張る。「落ち着いて! 怪我人はいないから、ゆっくり退場して……押さないで……!」と一斉に読心力を駆使して相手の恐怖心を読み取り、冷静な導線へと誘導する。
体の奥から激しい頭痛が起こり、感情がどんどん空っぽになる感覚に襲われても、ユキは必死に呼びかけ続ける。
「逃げ道はあっち……! 走らないで……安全だから……!」
シンも床に手をついて呼吸を整え、「ユキ……ありがとう……」と呟くが、視界が暗転しかけ、頭がグラつく。
逃げ惑う観客は次第に落ち着きを取り戻し、コウタやナツミが「こちらです!」「速やかに外へ!」と声を張り上げ、出口へスムーズに誘導している。
「何とかなった……みたい」
ナツミが青ざめた表情で息を呑む。
コウタは泣きそうな声で叫びながら近づく。
シンが苦しい呼吸をしながら、その眼差しがどこか焦点を失っている。
ユキは頭を押さえ、「……わたし……感情、が……」と力なく膝をつきかける。
「大丈夫、ユキ!」
ナツミが支え、コウタが「シン、立てるか?」と問いかける。
しかしシンはまともに返事ができず、こめかみを押さえて喘ぐように息をしている。
「シン……しっかりして、ねえ……」
ユキがふらつきながら手を伸ばすが、シンはかすかにうめき、「誰……?」と彼女を見て呟いた。
その言葉にユキは一瞬固まる。
「何言ってるの、シン……わたし、黒江ユキだよ。さっきまで、一緒に……」
「ユキ……? あれ……顔は分かるような、わかんないような……」
シンの瞳は虚ろで、明らかに記憶が飛んでいる様子を示している。
コウタが「嘘だろ……?」と声を詰まらせる。
「名前……なんだっけ……ごめん、思い出せない……」
シンがうわごとのように漏らすと、ユキは顔を青ざめたまま、「そんな……私のこと、忘れちゃったの……?」と微かに震える声を落とす。
「……わからない……頭が痛くて……あれ、何してたっけ……」
シンは立っていられず、膝をついて崩れ落ちる。
ユキが慌てて抱き留め、「シン!」と叫ぶが、彼の瞳は焦点を結ばず、まるで自分自身がどこにいるかさえ把握できないようだった。
「コウタ、ナツミ、どうしよう……! シンが……!」
ユキが泣きそうな声を上げると、ナツミは顔を歪めて「保健室……? でも、榎本先生がいるかも……」と逡巡する。
コウタは荒い息をつき、「この際仕方ねえだろ! このままじゃシンが……!」と声を荒らげる。
周囲のクラスメイトが「大丈夫? シンが……?」「なんか記憶を失ってるみたい」とざわめき、生徒や教師が駆け寄ってくる。
騒然とした空気が広がり、せっかくの文化祭の華やかさが一気に凍りついた。
「シン、しっかりしてよ……ねえ、わたしたち、クラスメイトで……ずっと同じ……」
ユキが懸命に呼びかけても、シンは「ごめん……わからない……」と頭を抱えて苦しむばかり。
ユキは涙がこぼれそうになるが、頭痛と空虚が交錯して、まともに思考できなくなっている。
「くそ……誰か先生呼んで! ……って、榎本先生は……どこに……?」
コウタが周りを探すが、保健医の姿は見当たらない。
ナツミが「さっきからいないよ……!」と歯ぎしりする。
ユキは唇を噛み、「榎本先生……いたらいたで怖いけど、どうすれば……?」と混乱の声を上げる。
そのとき、かすかに遠巻きで榎本の影が見えたような気がした。
だが彼女は一瞬シンの様子を見ただけで、足早に姿を消してしまう。
ユキはそれを見つけて「待って……! 先生……!」と叫ぼうとするが、声は届かない。
榎本の背後を横切るスーツ姿の男――研究員らしき人物も一緒にいるように見える。
「……なんで」
ユキが嗄れた声で呟き、シンは「ごめん……俺、ほんとに覚えてないんだ……」と弱々しくユキにすがる。
ユキはその言葉に胸を締め付けられ、涙をぽろりと落とす。
「シン……私を見てよ……私のこと思い出して……!」
周りはあまりの惨状に言葉を失い、一部の観客やクラスメイトがただ呆然と立ち尽くす。
朝まで大賑わいだった文化祭の会場は、突如として不穏な沈黙に包まれはじめる。
「シン!!!」
コウタが名を呼ぶが、返ってくるのは虚ろな視線だけ。
ナツミが震える声で「誰か先生! 誰でもいいから助けて!」と叫んでも、榎本の姿はない。
「……まだ、終わりじゃないよ……シン……絶対、取り戻すから……」
ユキは涙を拭い、シンの手をきつく握る。
シンは何か言おうと口を動かすが、「わからない……なんでこんなに……辛いんだ……?」と苦しげに呻くだけ。
まるでかつての記憶が断ち切られてしまったかのようだ。
遠巻きに見つめる榎本の視線――あるいはその不在――を感じながら、ユキやコウタ、ナツミはどうにもならない絶望に押し潰されそうになる。
舞台崩落は免れたが、シンの記憶が崩落するように失われてしまった。
賑やかだった文化祭が一転して混乱を迎え、先生や生徒が慌ただしく救護や片付けを始める姿が見える。
まるで“楽しいはずの日常”が一瞬で崩れ去ったようだった。




