第12章「迫る文化祭と選択の分岐」(2)
文化祭当日の朝。
いつもより早めの時間だというのに、校門付近は既に生徒たちで賑わっていた。
ポスターを貼り出す担当、生徒会や実行委員が指示を飛ばす光景、ステージ発表の道具を運ぶ生徒……そこには活気と熱気が溢れている。
「うわ……ほんとにすごい活気だな」
シンは頭に響くざわめきをこらえながら、校門をくぐる。
コウタとナツミが声をかける。
「お、シン、おはよ。頭痛は大丈夫か?」
「おはよ! 今日は絶対無理しないでね。あんたが倒れたら洒落にならないんだから」
「大丈夫。ありがとう。俺も、今日はなんとかやりきりたいよ」
そう答えたシンの隣に、ユキがそっと並ぶ。
彼女はやはり無表情で、ブレザー姿をきちんと整え、今日は薄いリボンだけは付けている。
だが、その足取りはまだどこか頼りない。
「ユキ、どう? 大丈夫?」
ナツミが心配そうに訊ねると、ユキは小さく頷いた。
「……平気、とは言えない。でも、ここに来たいって思ったから」
「そっか……そりゃあよかった。あたしたちも、二人とも守るからさ」
ナツミはニカッと笑顔を浮かべ、コウタもそれに続くように拳を握る。
「そうそう。何かあったらすぐ言えよ。頼りない俺たちかもしれないけど、先生がヘンな仕掛けしてきたら、体張って止めてやるから」
「コウタ……ナツミ……ありがとう」
ユキは言葉少なだが、いつもよりほんの少し柔らかい声を出す。
シンはそんなやり取りを傍らで聞きつつ、校門の内側を見渡す。
グラウンド側には模擬店の看板がずらりと並び、生徒たちが屋台の装飾に励んでいる。
通路では「ステージ発表は○時からでーす!」と拡声器で呼びかける姿が見える。
クラスメイトたちが賑やかに笑い合う様子は、まさに“普通の高校生が作り出す楽しい文化祭”そのものだ。
「……俺たちも、混ざりたいよな。普通に」
シンがつぶやくように言うと、ユキは一瞬その顔を見つめ、目を伏せた。
「うん。……混ざりたい、よね。わたしがそう願うのは……普通なのかな」
「普通だって思う。……うん、普通さ」
シンはそう断言する。自分の中にある不安を振り払うかのように、言葉をはっきりさせた。
コウタがニヤリと笑い、ナツミが「よーし、気合い入れてくか!」と声を張る。
四人は昇降口へ向かい、クラスの控室を担当する教室へ移動することにした。
廊下には色とりどりのポスターや飾り付けが施され、白い壁には花形の切り紙やイラストが何重にも貼られている。
ところどころに「特設ステージはこちら」「模擬店A組のパンケーキ!」といった案内が貼られ、先輩後輩がワイワイ駆け回っている。
「なんか、すごくキラキラしてるな……」
シンが言うと、コウタが軽口を叩く。
「だろ? 俺たちのクラスも負けてらんねーよ。劇と展示、頑張らなきゃな」
「でも……その前に、シンとユキが変なトラブルに巻き込まれないか、しっかり見張らないと」
ナツミが意気込む。ユキは気恥ずかしそうに、か細い声で返す。
「……そこまで気を遣わせるのも、悪いなって思ってはいるんだけど」
ユキが視線をそらすと、コウタが苦い笑みを浮かべる。
「ユキ、気にしすぎだって。大丈夫、俺たちがついてる。……な?」
シンも後押しするように口を開く。
「そうだよ。俺も――正直、自分じゃ全然頼りにならないかもしれないけど、ユキのこと守りたいって思ってるし。……ここまで来たからには、全力で楽しもう」
「……うん、ありがと」
ユキは小さく頷き、薄っすら笑みを浮かべる。
まるでずいぶんと硬い氷が、かすかに溶け始めたような表情だった。
だがその一方で、保健室の前に目を向けると、榎本真理の姿はどこにも見当たらない。
ドアは開いていて、パイプ椅子が無造作に置かれているだけ。
薬の補充か何かで席を外しているのか、それとも……と、シンは脳裏に嫌な予感がよぎる。
「先生、やっぱりいないみたいだね……」
ナツミが眉をひそめて呟く。
コウタも「ちょっと見張っとくか」と興味なさそうに言いながらも、確かめたい気持ちが滲んでいる。
「まあ、いい。先生がいないならいないで、今のうちに落ち着いて準備できるかも。……とりあえず、俺たちはクラスの出し物の会場に向かおうぜ」
コウタがそう提案すると、シンとユキはうなずき、ナツミも「そうだね。行こ行こ!」と同意した。
◇◇◇
クラスで企画している劇の舞台裏に到着すると、男子数名がマイクや照明のテストに追われていた。
女生徒たちは衣装のアイロンがけや、小道具の修正をしている。
「シン! もっと早く来てよ! 打ち合わせどうなってんの?」
リーダー格の女子が声を張り上げ、シンは「あ、わるい、頭痛で遅れて!」と慌てて頭を下げる。
ナツミが苦笑いでフォローに入った。
「ごめんごめん、でももう大丈夫。さ、シンはステージ袖の物品チェックしてきて!」
「わかった!」
シンはノートを取り出し、自分の役割を再確認する。
ユキは端のほうで読心をセーブしようと耳を塞ぐように立っている。
「ユキ、大丈夫?」
ナツミが小声で心配すると、ユキは「……うん、耐えられる」と答えるが、顔が少し青ざめていた。
「そっか、何かあったら言って。あたしもできるだけ力になるから」
「ありがとう……わたし、上手く言えないけど……本当に、感謝してる」
ユキが視線をそらしながら言うと、ナツミは「ふふ」と微笑んだ。
「当たり前でしょ。クラスメイトだもん。でも、忘れないでね。あんた一人で抱え込んじゃダメだから」
「……うん。わかった」
◇◇◇
シンはステージ袖へ回り、小物がきちんと配置されているかをチェックしていた。
ギターやマイク、脚本、ライト……どこも問題なさそうに見えるが、頭痛のせいか、注意力が落ちている。
メモを読み返しながら一つひとつ確認していく。
「……よし、大丈夫……あれ、メモに書いた時間が……いつだっけ……?」
シンは眉間を押さえ、また記憶が怪しくなりかけているのを感じる。
だがここで倒れるわけにはいかない、と自分を叱咤して立ち上がった。
「シン、どうだ?」
コウタがこっそり覗き込み、声をかける。
シンは苦笑いして首を振る。
「いや、まだなんとかなりそう。……ちょっと頭が痛いだけで」
「そっか。……無理すんなよ。マジで」
コウタは真剣な目で念を押す。
シンは「わかった」と苦笑いを返した。
◇◇◇
四人が昇降口を抜けると、「お化け屋敷はここだよー」「出店がオープンしまーす!」という声が飛び交う。
廊下の先で「ステージ発表は○時から始まりまーす!」とメガホンで呼びかける委員の姿が見える。外からは保護者や近所の人々も入り始め、ちょっとした観光地のような賑わいだ。
「よし……俺たち、今できる限りの力で、守り合おう。……頼りないけどな」
コウタが決意を口にし、ナツミも「いざってときは、いつでも声かけて!」と笑う。
ユキはまだ不安げだが、下を向くばかりではなく少し前を向いて歩き出した。
シンは心の中で(忘れるな、今日はユキと一緒に笑うんだ)と繰り返す。
「……うん、行くか」
静かにそう言って、シンはユキと並んでクラスの展示会場へ向かい始める。
その背後で、保健医・榎本真理が物陰から彼らを見つめているとも知らずに――。




