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第8章「隠された過去と重なる痛み」(2)

 ユキはベッドの上で苦悶の表情を浮かべていた。

 寝返りを打つたびに頭が痛み、まぶたを閉じると白衣の大人たちの影がちらつく。

 幼少期の断片的な映像に、機械的な部屋や子どもたちの姿がぼんやり重なり、ユキは胸が締めつけられるような恐怖を覚えた。


「あれは、何……? 本当に私、あそこにいたの?」


 自問しても答えはない。

 だが、自分が“読心力”を意識するより前の時期から、何か特別な処置を受けていた可能性は否定できない。

 最近ますます頭痛が増え、感情がうまく働かなくなっているような感触がある。

 まるで自分自身が空洞になっていくような恐ろしさを感じるのだ。

 そこへスマホが振動した。

 画面を見ると、ナツミから「明日、ちょっと時間ある?」とメッセージが届いている。

 ユキは「わかった」とだけ返信し、スマホを握りしめた。


「また明日、あの保健室のこととか彼のこととか、話すんだろうな……」


 呟く声は限りなく弱々しい。

 読心力でシンの不安を感じ取って以来、ユキはさらに調子を崩し始めていた。

 自分の苦痛だけでなく、シンの記憶喪失への不安がダイレクトに流れ込んでくる気がするからだ。


「こんなの……嫌」


 嫌だと思うくせに、シンの姿を思い浮かべると胸がかすかに揺れる。

 「彼を助けたい、放っておけない」と、言葉にはならない感情が生まれる。

 しかし使えば使うほど感情が消えていくはずなのに、なぜシンのことだけはこんなにも心が動くのか。

 ユキは目を閉じて眠りに落ちるまで、その問いに苛まれ続けた。


 ◇◇◇


 翌日の放課後、ナツミから声をかけられたユキは廊下の隅へ向かう。

 そこにはコウタもいて、きょろきょろ周囲を確認しながらユキに声をかけた。

 三人だけの秘密の打ち合わせ――シンをどうするか、そして榎本の動向をどう見張るかを相談するためだ。


「先生、やっぱり怪しいよね」


 ナツミが先に口を開く。

 ユキは無表情のまま「うん」と短く返事をする。

 コウタが壁にもたれかかり、小声で続けた。


「俺とナツミで保健室に行ったけど、ファイルに“PSY_TB”とか“FocusTrial”とか、明らかに研究っぽいデータがあった。何か実験とかしてるんじゃないか?」

「それって、やっぱりシンのこととか、なにか実験みたいに扱ってるってことじゃない?」

「わからないけど。でも、もしかしたら私も昔、カウンセリングみたいに言われて何かされた可能性がある。最近、頭痛がひどくて……」


 ユキの淡々とした言葉に、ナツミはハッと息を飲む。

 「ユキも……?」と問いただすと、ユキはほんの少しだけうなずいた。

 表情こそ変わらないが、その声にはかすかな震えがある。


「たぶん……彼と同じように、施設の被験体だったかもしれない」

「そんな……。じゃあ、シンが忘れてくのも、全部その“研究施設”の仕業?」

「憶測だけど……。それに榎本先生は多分、その施設とつながってる。研究データを集めてるんじゃないかって思う」


 コウタは眉をしかめて拳を握りしめる。

「だったら、もう直接先生を問い詰めるしかなくね?」と力むが、ナツミが首を振る。


「証拠もないのに問われたら逆に疑われるわよ。先生だって黙ってるわけだし、下手したらもっと酷いことされるかもしれない。シンも今危ない状態じゃん。ここは慎重に証拠を集めるべきだよ」

「そうだな。確かに焦ったらあぶないか……」


 コウタは歯がゆそうに息を吐き、「でも、シンが限界だろ」と視線を落とす。

 昨日もシンはプリントを忘れただけでなく、ほかにも大事な用事をぽろぽろと落としていた。

 今朝はホームルームでまた別の資料を失くしかけたらしい。

 ペースが加速度的に悪化しているように思える。


「彼、今のままだと全部忘れてしまうかもしれない……病院に行くって考えてるみたいだけど、施設が動くかもしれない」


 ユキが口を開く。

 淡々とした声だが、その裏に焦燥感が見え隠れする。

 ナツミは頷き、「私たちでなんとか支えなきゃ」と決意を込めるように言った。


「そうね、シンをひとりにしない。先生が妙なことをしようとしたら止める。私たちで調査もしながら、シンを守る形にしよう」

「あいつとは昔から一緒にバカやってきた仲だから、こんなときに力になれないのは悔しい」


 コウタが拳を握り、ナツミは「いいのよ、あんたは行動力があるから調査面で役に立つわ」と軽く笑みをこぼす。

 ユキはそれを見て、ほんの少しだけまつげを伏せる。

 ユキの瞳には微弱な意志が宿っていた。

 

「よし、じゃあ、シンにはまだ深く言わずに、俺たち三人で情報集めよう。先生の動向を見張って、必要があれば資料を盗み見る。シンを巻き込みすぎると、かえってあいつが困るかもしれんからな」

「そうね。病院に行くにしても、私らがサポートすればシンも安心するでしょ」

「うん。大丈夫、私たちがいる」


 ユキが小さく頷く。

 三人で顔を見合わせ、そして再び学園の廊下を急ぎ足で戻る。

 風景は夕暮れに染まりつつあり、生徒の姿もまばらになっていた。


 ◇◇◇


 夜、シンは自室で母親から聞かされた話をノートにまとめていた。

 念動力を使うたびに記憶が飛ぶ。

 それが“特別支援センター”による実験の副産物なのだとしたら、自分はどうすればいいのか。


「もうこんな不安なままじゃ、何もできない。やっぱり病院に行くしかないか」


 スマホで近所の病院を検索する。

 神経内科や脳外科、どこにかかればいいかわからないが、「念動力が原因で記憶が飛んでます」なんて相談したところで信じてもらえるかどうか。

 だが、今は藁にもすがる思いだ。


 記憶は抜け落ちかけていても、まだ自分で決断して動ける段階だ。

 ユキのことも気にかかるが、まずは自分の状態をはっきりさせねばならない。

 力のせいで物忘れが進んでいるなら、対策しないと大事な友人も、母親も、全部忘れてしまうかもしれない。


(あの施設が何をしていたかも、調べないと。榎本先生が絡んでる可能性も……)


 そこまで考えたところで、シンは頭を押さえてうずくまるように机に突っ伏した。

 思考がノイズにまみれる感覚。

 痛みが走り、さっきまで何を考えていたかをまた忘れそうになる。


「くそっ……やめろよ……」


 叫んでもしょうがないが、思わず呻く。

 ペンを走らせて「病院に行く」「母親の話……支援センターは研究施設」などと走り書きしておく。

 こうでもしないと、明日になれば全部綺麗に忘れているかもしれない。

 ぞっとする想像だった。


 暗い部屋の中、シンは目を閉じても頭の痛みが微かに残っていた。

 明日こそ検査を受けて、はっきりさせる。

 念動力の秘密と記憶喪失の原因。

 そしてユキのことをどうにか支えられないか――そんな期待と不安が入り混じり、シンは浅い眠りに落ちていった。


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