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第7章「揺れる秘密と踏み出した一歩」(1)

 白山シンは、昇降口から教室へ向かう途中、ふと立ち止まった。

 朝のホームルームが始まる前にもかかわらず、頭が重くズキリと痛む。

 記憶のどこかにぽっかりと空白が生まれている気がするのだが、何を忘れたのかすら分からない。


「また、忘れたのか、俺……」


 シンは自嘲気味にそう呟くが、廊下を行き交う生徒たちに気づく様子はない。


「シン! やべーぞ、ホームルームもうすぐだってのに何ボーッとしてんだよ?」


 後ろから御影コウタが声をかけてきた。

 

「コウタ……おはよう。ちょっと頭痛くてさ……」

「最近ずっと物忘れ酷いんだろ? 大丈夫か?」


 コウタは心配そうに眉を寄せる。

 何よりコウタは、シンがただの“うっかり”では済まないほど深刻な記憶障害を抱えつつあるのを薄々感じ取っている。


「大丈夫……って言いたいけど……昨日お前と何話してたか、全部は思い出せないんだ……」

「マジか……ほら、行くぞ。とりあえず席につけって」


 コウタはシンの腕を軽く引き、二人で教室に駆け込む。

 もうすぐ始業のチャイムが鳴る時間。

 級友たちが各々の話題で盛り上がる中、シンは自分の机に腰を下ろした。

 しかし、その目はどこか宙を彷徨う。


 そこへ風間ナツミがパタパタと駆け寄ってきて、険しい表情でシンを見やる。


「シン、ちょっと! 昨日の放課後、あたしとコウタと三人で文化祭の買い出し行く相談してたの覚えてる?」

「買い出し……?」

「やっぱり忘れてる! あんた、最近ほんっとにヤバいよ!」


 ナツミは腰に手を当て、苛立たしげにため息をつく。


「ごめん……マジで覚えてない。手帳とかスマホのメモも見たんだけど……全然……」

「はあ、仕方ないか。コウタ、あんたどう思ってるわけ?」


 ナツミが話を振ると、コウタは苦い表情で首を横に振る。


「昨日、病院に行くよう説得したけど、シンは行かないっつーんだよな……なあシン、本当にこのままでいいのか?」

(病院行ってもどうやって説明すりゃいいんだよ。『能力を使うと記憶が飛ぶ』なんて言えないだろ……)


 シンはそう胸中で呟きそうになるが、もちろん口には出せない。

 念動力を持つことなど誰にも打ち明けられないまま、ただ焦りが募る。

 そんな彼の苦悩を知らないコウタとナツミは言葉を詰まらせるばかりだ。


「でもよ、保健室の榎本先生も最近やけにシンに絡んでくるじゃん。何かあったら相談に来いとかさ。でもどうもあれ、裏がある気がすんだよな」

「だよね。あたしも思う。先生、保健室でやたらシンを引き留めるんだって話を他のクラスの子からも聞いたし。絶対おかしいって」


 ナツミが声を落として言うと、シンは微妙な胸騒ぎを覚えた。

 榎本真理は美人で優しいと評判の女性だ。

 しかし、シンが保健室に行くと、どうも探るような目で見られている気がする。


「確かに、先生の視線はちょっと変かも。気のせいかもしれないけど……」

「はあ、余計心配になってきたわ……」


 ナツミはさらに嘆息し、チャイムが鳴る直前に「またあとで」と言い残して自席へ戻った。

 コウタもシンの肩をポンと叩き、苦笑いしながら席に着く。

 ホームルームが始まり、教師の声が響くが、シンはどうにも頭に入ってこない。

 何か大事なことを失くしてしまったかのような感覚が膨れ上がる。


(……頭……痛いな)


 シンは軽く目を瞑り、わずかに身体を前傾させる。

 代わりに脳裏をかすめるのは“保健室の奥からの視線”だ。

 彼がふと振り向いたとき、扉のガラス越しに榎本先生がこちらを見ていた気がする――あれは夢か幻だったのか、それとも本当の出来事かすら分からない。


◇◇◇


 一方、黒江ユキは黒板を見つめながら、ノートに淡々と板書を写し取っていた。

 漆黒のセミロングを丁寧に揃えた上で、制服はきっちりと着こなし、席では常に背筋を伸ばしている。

 クラスメイトたちからは「クールビューティー」「無表情で近寄りがたい」と評されるが、その本性は“読心力”に苦しむ孤独な少女だ。

 相手の感情を察知しすぎるあまり、自分の感情が麻痺していく――そんな副作用を恐れて、人を遠ざけている。


「うるさい……」


 彼女は声なき声でそう呟く。

 クラスのあちこちから届く“シン大丈夫かな”という心配や“榎本先生変じゃない?”という不信感が、ユキの頭をガンガン叩いてくるのだ。

 他人の感情の奔流がありのまま脳内に流れ込むせいで、彼女は常に頭痛と闘っている。


(最近……乱れがひどい。前はもう少し制御できてたのに)


 ユキは瞳を伏せ、息をゆっくり吐き出す。

 見かけは何も感じていない冷たい少女だが、その内面は苦痛の嵐。

 さらに、シンの苦しみまでも感じ取ってしまい、余計に心が揺さぶられていた。


(彼……大丈夫じゃないのに、何も言わないんだね……でも私も何も言えない)


 ユキは心の中でそう呟き、自分の無力感に苛まれる。

 読心力を使えば使うほど、自分の感情が希薄になり、この胸の疼きすら薄れていくのかもしれない。

 そんな恐怖が彼女の肩を強張らせた。


 ◇◇◇


 放課後、コウタとナツミが顔を合わせた。

 場所は校舎の階段下。二人とも少し落ち着かない様子で周囲に人影がないか確認している。


「じゃあ、行こうか。文化祭準備の名目なら資料室や倉庫を探し回っても怪しまれないだろ」

「うん。シンには『ちょっと別件あるから先に帰ってて』って伝えたし。見つかっても困るしね」


 ナツミは気合いを入れた声を出し、コウタは「うし、やるぞ」と頷いた。

 二人はシンを助けるため、保健室の榎本先生の“裏”を探ろうとしていた。

 最近、先生がどんな書類を扱っているのか、どんな資料が学校に保管されているのか――もしかすると“特別支援センター”に繋がる何かがあるかもしれない。


 薄暗い資料室のドアを開けると、埃臭い空気が鼻を刺す。

 古い段ボール箱やファイルが棚にぎっしり並び、どれが何なのか分からないが、とにかく手当たり次第に確認するしかない。


「はあ、すごい量ね。これ全部見てたら夜になるわ」

「しょうがねえ。ここで挫折するわけにはいかないだろ」


 コウタは重い箱を持ち上げ、床に降ろす。

 ナツミも紙をまくりながら「ふえぇ……古い文化祭のポスターだ」と声をあげる。

 「んで、こっちは……去年の卒業アルバム? いや、違うわ。何だこれ」と首をかしげる。


 二人はしばらく無言で作業を続けるが、なかなか有力な手掛かりは見当たらない。

 半ば諦めムードになりかけた頃、ナツミがある箱の側面に貼られたラベルに目を留めた。


「ねえコウタ……これ。“特別支援センター”って書いてある……!」

「どれどれ……本当だ。ロゴみたいなのも少し剥がれてるけど、そうだな……こりゃ怪しい」


 慌てて箱の蓋を開けてみると、中には何やらメモ用紙の切れ端が一枚だけ入っていた。

 そこに走り書きのような文字が……。


「被験体……適応実験……? なんだこりゃ」


 二人は顔を見合わせ、思わずぞくりとする。

 すぐにでもシンに報告すべきか……しかし、今あの体調でこんな情報を知らされたら、さらに追い詰められるかもしれない。

 それを思うと躊躇する。


「どうする、コウタ?」

「うーん、まだ決定的な証拠って感じもしないしな。写真撮っとくか?」


 ナツミはスマホを取り出し、メモ用紙を撮影。

 箱は元の位置に戻した。

 どこから持ち出したものかもわからず、不用意に動かして先生に気づかれれば逆効果だ。

 二人は声を潜め合いながら慎重に資料室を後にしたのだった。


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