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ヴァンパイアの娘  作者: 結糸
8/15

ごめんね

 朝になって太一が起きると、リーゼロッテは寝ているようだった。といっても、棺の中に入っているので見ることはできないが。支度をして太一は市役所へ向かった。

「はあ…」

 書類をコピーしながら太一は今日何回目かわからないため息を吐いた。

「どうしたんですか? 亀山さん」

「あ、浅沼さん…」

 今日もかわいいな、と太一は思いつつ愛想笑いを浮かべた。

「ちょっと、リーゼロッテといろいろあって…」

「そりゃあ他人の子なんだから、いろいろありますよね。けんかでもしたんですか?」

「けんか…っていうか、うん…」


 太一は言い淀んだ。いきなり隣の子に椅子を投げつけようとしたなんて、言ってもいいものかどうか。

「…亀山さん、今日お時間あります?」

「え?」

「よかったら、またこの前のところでお茶でも。話、聞きますよ」

「…あ、ありがとう」

 なんだかリーゼロッテと暮らし始めてから浅沼さんと距離が縮んだなあ…と思いながら、太一はうなずいた。


「お待たせしました」

「そんなに待ってないよ。行こう」

 お互いの仕事が終わってから、市役所の入り口で待ち合わせて、近くのコーヒーショップに向かう。なんだかデートみたいだな、と太一は内心浮足立ちながら店へ入った。


「今日も結構人多かったですね」

「住民票取りに来る人はいつでもいるからね」

 二人はカフェオレとミルクティを頼んで飲む。


「亀山さん、カフェオレ好きですね。カフェラテとかじゃなくて」

「浅沼さんも、ミルクティ好きなんだね」

 二人は顔を見合わせて笑う。前回も同じものを頼んだのだ。

「私、コーヒーより紅茶派なんです。亀山さんは結構甘いの好きですよね」

「そうだね。コーヒーには絶対ミルクと砂糖入れる派なんだ」

「そんな感じします」

 浅沼さんは屈託なく笑った。そして真顔になって言う。


「リーゼロッテちゃんと何があったんですか?」

「あ…うん。昨日、リーゼは初めて学校へ行ったんだけどね。俺も授業を見ていいって言うから、最初の1時間だけ後ろから立って見てたんだよ。そうしたらリーゼがいきなり隣の席の子に椅子を投げつけようとしてね」

「…ええ?」

 浅沼さんは目を丸くする。


「俺もびっくりしちゃって。普段、リーゼはおとなしいからあんなことするとは思わなくて…。どうしてあんなことしたのって聞いても、絶対言わないんだ。柳くん…隣の子なんだけど、その子に謝ろうって言っても、いやだって聞かないし。どうしたらいいのかな」

 太一はため息を吐いた。そしてカフェオレを一口飲む。

「俺が本当の親だったら、どうすればいいかわかるのかな」

「親でもわからないんじゃないですか?」

「え?」

 予想外の浅沼の言葉に、太一は目をぱちくりさせる。


「うちの姉も、子供がいるから親になるんだって言ってます。特に一人目の子の時は、何もかも初めてだから実家にもしょっちゅう来て、愚痴言ったり、わめいたり大変でしたよ。最初から立派な親になれる人なんて、そういないと思いますよ」

「…そうかな」

「まして、最近一緒に住んだばかりなのに、いきなり完璧な親子になるなんて不可能ですよ。亀山さんが悩むのは当然です」

「そう、なのか…」


 太一はなんだか安心した。そうだ。まだリーゼロッテとの関係は、始まったばかりだ。

 人は多面的な生き物だ。今まではリーゼロッテがおとなしい一面しか見ていないのだから、まだまだ太一の知らない面を持っているのだろう。


「でもリーゼロッテちゃん、どうしてそんなことした理由を言わないのかな。何か、言えない理由があるんじゃないですか?」

「言えない理由…」

 太一はカフェオレを飲んで考えたが、さっぱり思いつかない。浅沼さんもミルクティを飲んで息を吐く。


「例えば…そうですね。亀山さんのことを悪く言われたとか」

「俺のこと?」

「子供って、親の悪口とか言われるの嫌じゃないですか。授業参観してたんだとしたら、転校初日だし、供同士ってちょっとしたからかいみたいなのあるでしょ。それで言いたくないとか?」

「あー…そうなのかな。思いつかなかった」

「例えば、ですけどね。ほかにはおかあさんのことかもしれないし、全然違うことかもしれないし。私はリーゼロッテちゃんじゃないからわからないですけど。言いたくなるまで待つって言う手もありますよ」

「言うまで待つ、か…」

「謝らせるのも、強制しないで。悪かったと思うときは言おうね、くらいでいいんじゃないかな。子供は親が自分の味方であることがわかれば、満足なんです」

「浅沼さん、子供のことに詳しいね」

 太一が感心すると、浅沼さんは笑ってミルクティを飲む。


「うち、実家に姉が子供連れてよく来るから、自然と覚えちゃったって言うか。でも子供って千差万別だから、私の言うことが絶対正しいわけじゃないですよ」

「そうだね。でも、参考になったよ。ありがとう」

 太一は胸の重しが少し軽くなった気がした。


「浅沼さんの甥っ子さんと姪っ子さんていくつ?」

「上が甥っ子で、小学校1年生です。下は妹で育園の年中…年少だったかな? 二人ともかわいいですよ」

 見ますか、と言って浅沼さんはスマホの画像をいくつか見せてくれた。


「かわいいね」

「でしょう。将来はどうなるか楽しみです」

 それから浅沼さんの甥っ子と姪っ子の話を聞いて、太一は頃合いを見てコーヒーショップを後にした。今回は話を聞いてもらったから、と太一がごちそうした。


 家へ帰ると、リーゼロッテが血液を飲んでいた。

「ただいま、リーゼ」

「おかえりなさい、おとうさん」

 リーゼロッテは黙って血液を飲む。まだ昨日のことを怒っているんだろうか。なんと言うべきかな…。太一はとりあえず着替えてきた。


「昨日はごめんな。俺、いろいろ焦りすぎたよ」

「………」

「リーゼが言いたくないこと、無理して聞こうとしたり、謝らせようとしたり、嫌だったよね」

「………」

「でも、俺はリーゼの味方だから」


 太一がそう言うと、リーゼロッテは顔を上げた。これからどうするか、太一が話しかけようとしたとき、インターホンが鳴った。


「はい」

『あの、亀山さんのお宅でしょうか?』

「そうですけど」


 インターホン越しに女性の声が聞こえた。

『あの、私、リーゼロッテさんのクラスメートの柳の母親です。息子も一緒なんですけど、少しよろしいでしょうか…?』

「柳くんの?」

 予想外の人物の訪問に太一は戸惑う。リーゼロッテも驚いているようだった。血液を飲むストローから口を離して、ぽかんと太一を見上げている。

「えっと…大丈夫です。今、行きますね」

「私は?」

「んっと…リーゼはどうしたい?」

 太一に聞かれ、リーゼロッテは少し考えてから「行く」と言って血液をおいてソファから立ち上がった。


 二人で玄関に立ち、太一は玄関のドアを開けた。

「はい、どうぞ…」

「あの、初めまして。柳の母です。ほら、柳、ご挨拶して」

「…こんばんは」柳は仏頂面で挨拶をした。

「こんばんは。あの、昨日はうちのリーゼロッテが大変失礼を…」

「いいえ、謝るのはうちの子のほうです」

「…え?」


 てっきりリーゼロッテを責めるために来たのかと太一は思っていたが、柳の母親の言葉に一瞬、硬直する。

「うちの子がリーゼロッテさんにひどいことを言ったそうで。昨日、担任のカミラ先生から話は聞きました。それで、うちの子頑固はものですから、直接リーゼロッテさんに謝らせようと思って連れてきた次第です」

 柳の母親はぺこぺこと頭を下げる。柳はまだ仏頂面だ。

「ひどいことって…?」

 太一はリーゼロッテを振り返る。リーゼロッテはまただんまりだ。


「うちの子が、ヴァンパイアのダブルの子は片親になって母親が逃げだしたんだろうとか言ったそうで。どうしてそんなこと言ったんだか、もう私、恥ずかしいやら情けないやら」

 柳の母親はこっちが申し訳ないくらい何度も頭を下げる。

「そんなこと言われたら、怒るのも当然です。まあ、椅子を振り回したって聞いたときはびっくりしましたけど、この子には怪我も何もありませんでしたし、とりあえずお詫びに来させていただきました。ほら柳、謝りなさい」


「…ごめんなさい」

 まったくそう思ってないような口調で柳は謝った。

「こちらこそ、その…確かにあまりいい内容ではなかったにしろ、椅子を投げつけようとするようなことではありませんでした。ほら、リーゼも柳くんに謝って」

「…ごめんなさい」


 こちらもあまりそう思っていないような口調でリーゼロッテが謝った。

「もう、リーゼ…」

「いいんですよ。うちの子も片親で、父親が人間なんですけど離婚してしまって…。私が一人で育てたものだから、甘ったれでしょうがない子なんです。きっとリーゼロッテさんがうらやましかったんですよ」

「うらやましい?」

「この子、おとうさん子で…。おとうさんが授業を見てくれたのがうらやましかったんでしょう。私は仕事で忙しくて、家にはいないし」

「違うよ、バーカ」

 柳はそう言ってそっぽを向いた。


「もう、この子は!」

 柳の母親はばしんと柳の頭をたたく。

「…おとうさん、いないの?」

 リーゼロッテが太一の後ろからそっと柳に話しかける。

「…そうだよ。それがなんだよ」

 柳はじろりとリーゼロッテをにらむ。

「私もおかあさんいないから、一緒だね」


 リーゼロッテはふわりと微笑んだ。途端に、柳は顔を真っ赤にして母親の後ろへ隠れる。あ、これ、初恋だな。と太一は思った。

 リーゼロッテに微笑まれたら、たいていの少年はいちころだ。

「もういいだろ。行こうよ、母ちゃん」

「でもね、柳」

「いいじゃないですか」

 太一はにこにこと笑った。

「お互いに謝ったし。柳くん、これからもリーゼロッテと仲良くしてくれるかな?」

「…別にいいけど」

 柳はちらりと母親の背中から顔をのぞかせてそう言った。


「よかった、ありがとう柳くん。おかあさんも、わざわざ来ていただいてありがとうございます。そうだ、お茶でも…」

「私、これから仕事なので。この子は学校へ行かせますから。リーゼロッテさん、柳のこと、よろしくね」

「はい」

 リーゼロッテは素直にうなずいた。

 柳親子は二人で並んで帰って行った。太一たちはそれを見送って、玄関のドアを閉めた。


「おかあさんのこと、言われたからリーゼは怒ったんだな。でも、ちょっとやりすぎだけど」

「だって…」

 リビングに戻って、リーゼロッテはまた血液をストローで飲む。

「捨てられた子だなんて、言われたくなかった」

 太一は、はっとしてリーゼロッテの隣に座って頭を撫でた。


「リーゼには俺がいるよ」

「…うん」

「柳くんにもいろいろ事情がある。リーゼにもいろいろあるからね。それをちょっとずつわかって、仲良くして行こう」

「…うん」

 リーゼロッテはうなずいた。


「でも、リーゼっておとなしそうに見えて、すごい激情型なんだな」

「…嫌になった?」

「ならないよ。びっくりはしたけどね」

 子供の世界は、本音でぶつかりあう分、大人の世界よりシビアなのかもしれない。大人たちは適当に言い繕ってオブラートに包んでおきながら、爆弾を投げることもある。こちらも適切な処理が大変だ。生きていくのは、それの繰り返しなのかもしれない。


「おとうさん、今日も学校へ来るの?」

「一応ね。教室へは行かないよ。学校まで」

「わかった。でも、明日からはバス停まででいいよ」

「リーゼ…。大人になったなあ」

「おおげさだよ」

 太一が感慨深げに言うと、リーゼロッテは肩をすくめた。


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