転校初日の事件
「忘れもの、ない?」
「ない」
「筆記用具と、教科書と、ノートと、ハンカチとティッシュと…」
「持ってる」
「後これ、家の鍵ね。リーゼが帰ってくるとき、俺寝てるだろうから。あ、インターホン押して起こしてくれてもいいけど」
「大丈夫」
「後、これバスの定期ね。迷わないで帰ってこれるよね?」
「大丈夫だってば。おとうさん、心配しすぎ」
「あ、そ、そうだね。ごめんごめん」
太一は苦笑してコートを来て家を出る準備をする。
「じゃあ、いこっか」
「うん」
家を出て玄関に鍵をかける。太一は手袋をしたリーゼロッテと手をつないでバス停まで歩く。バスに乗ると中はあたたかかった。
「バスで20分くらいで着くはずだよ。雪が降ると遅れるかな…。でも、早めにつくはずだから」
「うん」
もともと無口なリーゼロッテは、さらに無口なようだ。初めての学校で、緊張しているのかもしれない。
「うちの近辺にも夜間小学校があるっていうのも知らなかったよ。リーゼと同じようなダブルの子がいっぱいいるのかもしれないね」
「うん」
「やさしい先生だといいね。俺が小学校の時も担任は女性のやさしい先生だったなあ」
「うん」
「リーゼの前の学校の先生も、やさしい先生だった?」
「うん」
…会話が続かない。リーゼロッテも太一も緊張しているのだ。
太一は仕方なく、窓の外の景色を眺める。太一には見慣れた風景だが、リーゼロッテにとっては、初めての風景ではないだろうか。
そういえば、決まったところしかリーゼロッテと出かけていないな、と太一は思いついた。
今度、二人で街を案内するのに出かけてみよう。まあお互いに生活リズムが反対なので、そう遠出はできないけど。
夜間小学校に到着して、二人はバスを降りる。12月の夜はさすがに寒かった。夜間小学校といっても、昼間は昼活動する人間や亜人たちの小学校として使われている。今は蛍光灯の明かりがついていた。太一はリーゼロッテと職員室へ向かった。
「失礼します」
「どちらさまですか?」
「今日からお世話になる亀山ですが…」
「はい。あ、こんばんは。えっと、リーゼロッテさんとその保護者の方ですね」
見た目は人間のようだが、このあふれでる色気はおそらくヴァンパイアかダブルではないだろうか。美しい女性の先生が太一たちを出迎えてくれた。
「そうです」
実際はまだおとうさんではないので、太一はとりあえずうなずいた。状況は一応事前に説明しているし、大丈夫だろう。
「はじめまして。私はあなたの担任のカミラよ。よろしくね」
「…よろしくお願いします」
リーゼロッテは無表情に頭を下げる。
「そんなに緊張しなくていいのよ。みんなあなたと同じ、人間とのダブルだったりするの。最初は慣れるまで時間がかかるかもしれないけど、いい子たちだから大丈夫よ」
「………」
リーゼロッテは無言でうなずいた。
それからフクロウの校長先生に挨拶して、先生はタブレットを渡してくれた。
「おとうさん、ちょっと授業を見ていかれますか?」
「いいんですか?」
「ええ。心配でしょうから。最初の1時間でいいですか?」
「はい、ぜひ。ありがとうございます」
3人は5年1組の教室へ向かった。すでにクラスの子供たちは教室の席に座って騒いでいる。
「おとうさんは後ろからお願いします」
「わかりました」
太一は教室の後ろからそっと中へ入って、後ろへ立った。先生はリーゼロッテを連れて教室へ入る。
「こんばんは、みんな」
「こんばんは」
生徒たちは元気に挨拶をした。見た目は人間に見える子はヴァンパイアのダブルの子だろうか。ほかにも角の生えた鬼人族らしき子や、フクロウや蝙蝠の亜人の子供たちもいた。
夜だからこんばんはって挨拶するんだな、と太一は当たり前のことに感心した。
「それでは、今日からみんなの仲間になる転入生を紹介します。ヴァンパイアのダブルのリーゼロッテさんです」
教室がざわつく。リーゼロッテを見て、きれいとかかわいいとか言っているようだ。
生徒たちからリーゼロッテをかわいいね、とか言われると太一は自分のことのように嬉しかった。
「リーゼロッテさん。ご挨拶して」
「はい。リーゼロッテです。よろしくお願いします」
リーゼロッテはぺこりと頭を下げた。生徒たちはまだリーゼロッテを見て話が止まない。
「それじゃ、席は柳さんの席が空いているから、その隣ね。後ろから3番目の窓側よ」
「はい」
リーゼロッテはうなずいて先生に言われた席へ歩いて、カバンを下ろした。柳はリーゼロッテより少し小柄な鬼人族の少年だ。好奇心旺盛な目でリーゼロッテを見ている。
教室は30人分の席があるが、夜間の場合は人が少なく、使っている席は15人程度だった。
「それじゃ、国語の教科書を出してください」
先生に言われて、リーゼロッテは教科書を取り出す。
「今日はまず一人ずつ教科書を読んでもらいますね。では、一夜さんから」
「はい」
一夜と言われた前の席の少年は立ち上がって教科書を読み始めた。
「なあ、おまえヴァンパイアのダブルなんだろ?」
「…そうだけど」
隣の席の柳にこっそりと小声で話しかけられ、リーゼロッテは無表情で返事を返す。
「あの後ろにいるおっさんが、おまえの父ちゃん?」
「そうだよ」
「人間だろ? ダブルのやつはだいたい片親なんだよな。ヴァンパイアの母ちゃんも人間とダブルのおまえに嫌気がさして、逃げてったんだろ」
リーゼロッテは教科書を置いて、無言で立ち上がった。そして徐に椅子を持ち上げた。
「え…」
「リーゼロッテさん!?」
「リーゼ、だめだ!」
「いてて…」
「すみません。亀山さん」
保健室で養護教諭が太一のこめかみに絆創膏を貼ってくれた。
「ごめんなさい、おとうさん」
リーゼロッテはうなだれて椅子に座っている。柳に椅子を投げつけようとしたリーゼロッテは、太一の捨て身の行動によってそれを阻止された。
教室は騒然となり、リーゼロッテと太一は保健室へ移動したのだった。
「いや、大丈夫。かすり傷だから。でもびっくりしたなあ、リーゼが椅子をぶん投げようとするなんて」
太一が笑うと、リーゼロッテはますます申し訳なさそうに小さくなる。
「ごめんなさい…」
「リーゼロッテさん、暴力で解決しようとするのは、一番よくない方法ですよ」
養護教諭は蝙蝠の亜人の女性だ。黒い羽が背中で揺れている。
「………」
リーゼロッテは黙り込んだ。
「なんで、あんなことしようとしたの? 何か理由があるんだろ?」
「…言いたくない」
リーゼロッテはぷいとそっぽを向いた。
「言わなくちゃ分からないだろ。どうしてあんなことしたの? ちゃんとあの子…柳くんに謝らなくちゃ」
「いや」
リーゼロッテはきっぱりと言った。
「いやって…あのね、いきなりあんなことされたら、誰だって嫌だろ?」
「………」
無言のまま、リーゼロッテは太一から顔をそらしている。
「おとうさん、リーゼロッテさんにも何か事情があるんでしょう。今日のところは、一緒に帰ってあげてください」
「でも、授業は…」
「大丈夫です。カミラ先生から話は伺っていますから。私の方で伝えておきますよ」
「…わかりました。帰ろう、リーゼ」
「………」
無言のままだったが、それでもリーゼロッテは太一の手をつかんだ。それにほっとして、太一は手をつないでリーゼロッテとバスに乗った。
「リーゼ、明日はあんなことしちゃだめだよ」
「………」
「クラスのみんなもびっくりするからね」
「………」
「まず、柳くんに謝ろうね」
「………」
まったく反応はない。リーゼロッテは唇を真横に引き締めたまま、太一を見ずに正面だけを見据えていた。
家へ着いて、太一は風呂へ入ってそれ以上リーゼロッテに何か言うことはせず、「おやすみ」と言って寝ることにした。小さい声でリーゼロッテから「おやすみなさい」と返事が聞こえたので、太一はほっとしてベッドへ入った。




