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ヴァンパイアの娘  作者: 結糸
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栄養失調

 朝になり、太一はいつもどおり出勤する。リーゼロッテはクローゼットの中でいつもどおり寝ていたので、起こさずに家を出た。

「亀山くん、今日は午後から有給だっけ?」

「はい。ちょっといろいろ手続きがありまして」

「有給は権利だから。気にせずどうぞ」

 人間の牧村課長が有給届を受け取ってくれた。これで家庭裁判所と夜間小学校へ手続きに行くことができる、と太一は安堵した。


「亀山さん」

「え? あ、浅沼さん」

「この前はどうも」

「この前?」

 なんだっけ、と太一が記憶を巡らせると、リーゼロッテと浅沼さんの友人と会ったことを思い出した。


「ああ、偶然だったね。まさか浅沼さんと会うとは思わなかった」

「私もです。あの子、亀山さんのことおとうさんて呼んでましたけど…」

「違う違う。この前も言ったけど、知り合いの子でちょっと預かってるんだ。おとうさんていうのは、あだ名みたいなもので…。俺の娘にしては大きすぎるし美人すぎるでしょ」

 太一は片手を振って説明する。

「ですよね。そう思ったんですけど、ちょっとびっくりしちゃって」


 浅沼さんはなんだかほっとしたように見えたが、それは太一の願望だろう。

「あんな大きな娘がいるのに、その…私にアピールしたりしないですよね。ごめんなさい」

 太一がそんな度胸のある男のはずもない。浅沼さんの心配はそこか、と妙に太一は納得した。太一は気にしないで、と言って仕事に打ち込んだ。午後休む分、午前中にやれることはやっておかないと。

「それじゃ、お先に失礼します」

「お疲れ様」

「お疲れ様です」


 同僚や先輩たちに挨拶して、太一はまず市役所でリーゼロッテの住民票を人間の居住区に移した。次に家庭裁判所へ行き、リーゼロッテを養女にする手続きと届け出の方法を教えておらった。それから夜間小学校の場所を調べて、リーゼロッテが学校へ通える手続きと届け出をした。それであっという間に夕方になった。


 家へ帰ろうとバスに乗ると、スマホが鳴った。相手は滋だった。

「滋兄ちゃん。どうしたの?」

『検査結果が出た。取りに来いよ』

「もう出たんだ? 早いな」

『まあ期日は目安だから。あの娘は相変わらずおまえの家にいるんだろ?』

「リーゼロッテ? いるよ。そろそろ起きる時間だと思うけど」

 電話口でため息を吐く音が聞こえた。

『やれやれ。本当に面倒見てるとは、恐れ入るよ。おまえの人の好さはおじさんに似たんだろうな』

 滋が苦笑しているのがわかった。おじさんとは太一の父親のことだろう。滋にとっては叔父にあたる。


「俺、あそこまでお人好しじゃないよ。見知らぬ人の落し物一緒に探したり、ぶつかってきた人にお礼言うとか、意味わからんことしないって」

『どうだか…。中身は俺も見てないから、あの娘…リーゼロッテも連れてきたらどうだ? ダブルの娘が人間の居住区で暮らすのは、体調に変化が起きてもおかしくない。一度診せてもらったほうがいいと思ってな』

「わかった。リーゼも連れて行くよ。診療時間終わってからのほうがいいか?」

『そろそろ終わりだから、いつ来てもいい。医療事務は帰らせるから。あまり遅いのは困るけどな』

「帰ったらすぐ行くよ。ありがとう」

『じゃあな』

 太一は電話を切った。これで養女にするつもりだと言ったら、滋は呆れかえるだろうな、と思いながらスマホをポケットに入れた。


 すっかりあたりは暗くなっていたが、太一の家には明かりがついていた。家へ帰るとリーゼロッテが起きてマグカップを持って何か飲んでいた。

「おかえりなさい、おとうさん」

「ただいま。今起きたの?」

「うん。ココア飲んでた。おとうさんも何か飲む?」

「えっと…じゃあ、コーヒーもらおうかな」

「いいよ。待ってて」

 リーゼロッテは太一の台所に何があるのかも既に把握していた。さっき沸かしたらしいお湯で、太一の好みの薄めのコーヒーに砂糖とミルクをいれて、リビングに持ってきた。

「ありがとう。これ飲んだら、病院へ行こう」

「病院? どうして?」

 リーゼロッテがきょとんとして太一をみつめる。

「この前、俺と一緒に行った病院だよ。俺のいとこの滋兄ちゃんがやってるところ。あそこで、リーゼのこと検査してもらったの、結果が出たみたいなんだ。だから、それを聞きに行こう」

「…わかった」

 リーゼロッテが素直にうなずいたので、太一はほっとした。

 コーヒーを飲み終えて、太一は着替えてリーゼロッテと滋の待つ病院へ向かった。病院は開いていたが、滋以外は誰もいなかった。


「滋兄ちゃん」

「来たな。リーゼロッテも。ほら、これが検査結果だ」

「ありがとう」

 二人は滋の前の椅子に座って封書を開けて中身を見る。リーゼロッテが人間とヴァンパイアのダブルである確率は99,98%と記されていた。

「やっぱり、リーゼは人間とのダブルなんだな」

「嘘は言ってないよ」

 リーゼロッテに言われて、太一はそうだな、とリーゼロッテの頭を撫でた。


「それは証明書になるから、必要な時に使うといい。それからリーゼロッテ」

「はい」

「人間の居住区に来て、体調に変化はないか? どこか具合が悪いとか、おかしなところとか」

「…ないです」

 少しの沈黙の後、リーゼロッテは滋にそう言った。

「ちょっと診察させてもらえるかな」

「………」

 リーゼロッテは不安げに太一を見上げる。


「大丈夫だよ。滋兄ちゃんは腕の立つお医者さんだから」

「おまえ、出て行けよ。診察するって言ったろ」

「あ、そういうこと!? ごめんごめん」

 太一は鈍い自分にがっかりしつつ、診察室を出た。待合室で待っていると「入っていいぞ」と滋の声がしたので、診察室へ入る。


「どうだった?」

 リーゼロッテは無言で太一を見上げる。

「脈拍、血圧、ともに正常。だが…」

「だが?」

 滋は座ってカルテを触りながら、太一を見上げる。

「痩せすぎだな。おまえ、この子にちゃんと食わせてるか?」

「食わせてるっていうか、ヴァンパイアだから…」

「平気だよ。おとうさん、帰ろう…」


 リーゼロッテがそう言って立ち上がると、ぐらりとよろけて太一の腕に倒れこんだ。

「え、リーゼ!?」

「…まずいな」

「どうしたのリーゼ、しっかりして!」

 太一は血相変えてリーゼロッテを抱きしめた。


「………」

 リーゼロッテが目を覚ますと、そこは病院の診察室のベッドだった。病床があるわけではないので、そこしかベッドがないのだ。

「気が付いた? リーゼ」

「お、とう、さん…?」

 心配そうに太一がリーゼロッテをみつめている。


「まったく。ヴァンパイアの娘なのに、まったく血液を摂取させていないとはどういう了見だ」

 滋が呆れて背中から声をかけた。

「ごめん…」

 太一はうなだれる。

「俺、そういうの全然気が回らなくて…」


「いいの。私も言わなかったから…」

「なんで言わなかったんだ? 栄養失調になるって自分で分かってただろう」

 滋の責めように、太一は「言いづらかったんだよな」とリーゼロッテの頭を撫でた。


「俺がリーゼをちゃんと引き取るって言わないから。毎日血液が届くように住民票とかも手配しなきゃいけなかったんだってな。ごめん」

「おとうさんのせいじゃない」

「そうだ。おまえたち二人が悪い」

 滋がきっぱりと言いきった。


「一緒に暮らしてるなら気づかない太一も悪いし、同居するほど図々しいくせに、食事のことを言わないリーゼロッテも悪い。もっときちんと健康のことを考えて生活しろ」

「はい」

「はい…」

 二人は素直に返事をした。


「血液なら、輸血用のがある。これを人肌に温めてヴァンパイアは摂取するそうだな」

「うん。そう…」

「400mlしかないが、大丈夫か?」

「いつもそれで食事してるから平気。ありがとうございます」


 滋は血液をお湯で温めて出してくれた。リーゼロッテは血液パックにストローを指して飲む。

「おいしい…の?」

「うん。おいしい」

 リーゼロッテはちゅうちゅうと血を飲んだ。なんだかシュールな光景だけど、リーゼロッテは血を飲むところもかわいいなあ…と太一は微笑みながらその様子を見守った。


「それって、何型の血液じゃないとだめとか、そういうことはないんだ?」

「どれがいいとは希望は言えるけど、そうなると確保が難しくなるから、うちは何でもいいですって言ってたの」

「好きな血液型とかあるんだ?」

「私はO型が好き。別にほかの血でも飲めるけど」

「へえ…」

 血にも味があるのか…と太一は自分の腕をなんとなくさすった。


「血液は毎日届くの?」

「摂取用の血液は1週間分1回まとめて届くの。冷蔵保存して1日1回起きたとき飲んでた」

「そうか。じゃあ、住民票提出したから明日から届くかな」

「保健所に確認しておけよ。これからも一緒に暮らすなら」


「あ、それなんだけど俺、この子のこと養女にしようかと思うんだけど…」


「はあ? 正気か?」

「おとうさん…」

 いつも無表情なリーゼロッテが驚いたようだ。目を丸くしている。

「いいの?」

「うん。俺、この後も結婚できるかどうかわからないし、何よりリーゼはエレオノーラの娘だし…いい子だし」


「おまえ…他人の子を自分の娘にするなんて、どういうことかちゃんと考えたのか?」

「一応…」

「一応って…」

 滋はこめかみを押さえた。


「リーゼロッテはそれでいいのか?」

「うん。私、おとうさんならいい」

 リーゼロッテははっきりとそう言った。

「…なら、勝手にしろ。おまえたちが決めたなら、俺は何も言わない」

 言わないというより、呆れて何も言えないんだろうな、と太一は思ったが、苦笑いを浮かべるしかできなかった。


 リーゼロッテがもうお腹いっぱいなので大丈夫だというので、二人は帰ることにした。帰り際、滋が「太一」と呼び止めた。

「ん? 何?」

「ひとつ言っていくが、民法の規定で一度親子関係になったものは、その関係を解消しても結婚はできないからな」

「…そうなんだ?」

「つまり、仮に、の話だが、おまえとリーゼロッテが…ありえない話だが、恋愛関係になっても、結婚はできないということだ。覚えておけよ」

「わかった。覚えておく」

 太一はあっさりうなずいて、先に玄関で待っているリーゼロッテのもとへ急いだ。

「…ま、いいか」

 滋は息を吐いて病院を閉める準備をした。


「おとうさん、さっき先生と何話してたの?」

 手をつないで歩きながら、リーゼロッテは太一を見上げる。

「リーゼを養女にする話だよ。いろいろ手続きがあるみたいで」

「そう。…でも、本当にいいの?」

「もちろん。リーゼはいいの? 俺はほんとうのおとうさんじゃないけど」

 リーゼロッテは太一の手を握る力を強くした。

「私、本当のおとうさんのこと知らないから。今はおとうさんが本当のおとうさん」

「…そうか。わかった」


 書類をそろえたら、家庭裁判所へ届けに行こう。太一はそう心に決めた。


 家へ帰って、リーゼロッテがいつも太一の両親の部屋のクローゼットで寝ているのは忍びないので、ヴァンパイア用の棺のベッドを買うことにした。太陽光は遮蔽されるが、空気は入れ替えされるというもので、リーゼロッテが気に入ったデザインがあったのでそれをインターネットで注文する。在庫があるので翌日届くということだった。

「ありがとう、おとうさん」

「どういたしまして」

 こうやってちょっとずつ、家族っぽくなっていくのが太一にはなんだか気恥ずかしくて、嬉しかった。


「あと、学校のことなんだけどね」

 太一がそう切り出すと、リーゼロッテは表情を固くした。

「夜間小学校もバスで行くことになるけど、近いところがあったから。教科書も違うかもしれないけど、明後日から学校に行けることになったよ。夜は危ないから、行くときは俺が送っていくからね」

「…どうしても、行かないとだめ?」

 リーゼロッテはあまり表情が変わらないが、行きたくないと思っているのは太一にもわかった。悲しんでいる表情だ。


「だって…勉強したいだろ? それに、友達も…」

「友達なんていらない。おとうさんがいればいい」

 あまりにもはっきり言われて、太一は戸惑う。やはりというか、前の学校でいじめにでもあっていたんじゃないだろうか。

「…でもまず、学校へ行ってみよう。行くか行かないか決めるのは、それからでも遅くないよね?」

「………」

 リーゼロッテは唇をかみしめ、顔をそらしてしばらく考えてから「…わかった」と言った。


「学校、行きたくないのは理由がある? 俺が聞いてもいい?」

 太一に聞かれ、リーゼロッテは首を横に振った。本当にいじめられているとしても、はっきり口にするのは難しいかもしれない。子供にだってプライドはあるのだ。親に心配させたくないという思いもあるかもしれない。だから太一はそれ以上聞くのはやめた。


「じゃあまた明日ね。おやすみ」

「おやすみなさい」

 その夜は太一は眠りにつき、リーゼロッテはテレビを見て過ごした。


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