エレオノーラの行方
何も浅沼さんの前でおとうさんて呼ばなくても。太一は走って駅の中へ入ったリーゼロッテを追って、太一は改札の前で立ち止まった少女をつかまえた。
「リーゼ、いきなりいなくなっちゃ、はあ、だめだろ…」
息を荒くしながら太一はリーゼロッテの肩をつかんだ。リーゼロッテは不満そうに太一を見上げる。
「どうしたの?」
「…あの人、おとうさんの何?」
「何って…」
太一は困惑して説明する。
「俺の勤めてる役所の同僚だよ。それだけ」
「…恋人とかじゃないの?」
「まさか」
彼女には振られたばかりだ、とは言えなかった。格好悪すぎる。
「浅沼さんに俺なんか釣り合わないよ」
「そんなことはないと思うけど。…何もないならいいの」
「ないよ。切符買おうか」
リーゼロッテはうなずいて切符を買って電車に乗った。電車に揺られながら、ヴァンパイアの居住区へ近づいてくる。
「どうして急に走り出したの?」
「だって…」
リーゼロッテは膝の上で手を組む。
「あの人たち、私のことじろじろ見るし」
「それはリーゼがかわいいからだよ。変な意味じゃない」
「…それにあの人、なんかいや」
「あの人って?」
「髪の長い人」
浅沼さんのことか、と太一は二人を思い浮かべた。浅沼さんは肩まで髪を伸ばしているが、速水さんはショートヘアだった。
「優しい人なんだよ?」
「いやなものはいや」
リーゼロッテはぷいとそっぽを向いた。太一が彼女にふられたことは知らないはずだ。でも浅沼さんを嫌うというのは、女の勘だろうか。おとうさんをとられると思ったとか? …そんなはずないよな。
太一は自分の妄想を止めて、電車の窓の外の景色を眺めた。暗い町が次第に夜のイルミネーションで明るい町へ移動していった。
「ついたよ」
ヴァンパイアの居住区の駅について、二人は電車を降りた。ここが中心街で市役所もここにあるのはスマホで確認済みだ。
「とりあえず、市役所に行こう。場所わかる?」
「うん」
リーゼロッテはうなずいて、太一と手をつないで歩き出す。ポケットにリーゼロッテの手を入れると、微笑んだ。街は太一の居住区よりひときわ明るく感じた。
夜から始まるヴァンパイアの市役所は、人間の居住区のものより小さかった。おそらく居住区の人数自体も、太一たち人間より少ないのだろう。とりあえず太一は福祉課のほうへまわった。
「すみません。ちょっといいですか」
「はい」
順番を待って、リーゼロッテを人間の居住区へ住ませたい意向を話し、リーゼロッテ本人の意思や母親が行方不明であることなどを説明した。
市役所ではリーゼロッテ本人であることを指紋や静脈から確認し、母親が不在なのも市役所ではエレオノーラの超音波追跡証明からわかった。ヴァンパイアは蝙蝠になれるので、そこから住民登録されている者は超音波で追跡ができるらしい。
「お話はわかりました。ヴァンパイアは子育てがある程度済むと、育児放棄することは珍しくありませんからね」
「そうなんですか…」
太一にとっては知らないことばかりだ。
「ただ、このくらいの年齢ではちょっと珍しいですね。まだ小学校も卒業していないのに。こちらで手続きはしておきますので、1階の住民課で住民票をもらってください。人間の居住区の市役所に届け出をして、学校の手続きなどもそちらでお願いします」
「わかりました」
太一はリーゼロッテと住民課へ行って住民票をもらう。それからリーゼロッテの家へはバスで行くことになった。
「歩くと遠いから」
「そうだ、リーゼロッテの学校にも転校しますって連絡しないとね」
「…別にいいよ」
リーゼロッテは横を向いた。あまり学校が好きではないのだろうか。確かにリーゼロッテは子供らしくない、どちらかといえばおとなしい子だ。そういう子はいじめなどの対象になりやすいが、リーゼロッテは大丈夫だろうか。
「…リーゼはあんまり学校好きじゃない?」
太一の問いに、リーゼロッテはちらりと太一を見て「好きじゃない」とぽつりと答えた。
「勉強が苦手? 友達関係? それとも先生?」
リーゼロッテは無言で答えなかった。
やがて住宅街へ近づいたころ、「次」と言ってリーゼロッテが降車ボタンを押した。
二人でバスを降りてリーゼロッテに続いて歩く。リーゼロッテは太一と手をつながないで歩いた。ヴァンパイアの家は人間の家と変わりないようだった。窓もあり、ドアもある。太陽の光が入らないのだろうか。
「リーゼ、ヴァンパイアの家って人間の家と変わりないんだね」
「…どんな家を想像してたの?」
「えーっと…光が入らないようにドアも窓もない家とか…」
「…どうやって出入りするの?」
「…それもそうだね」
「ヴァンパイアの家には必ず地下室があるの。眠るときはそこに置いてある棺の中へ。起きるのは夜だから、窓を開けても太陽の光は関係ないから」
「なるほど」
「ここ」
リーゼロッテが指した家は、確かに家の前に「売出中」の看板がささっていた。エレオノーラが不動産屋さんと取り引きしたのだろう。
「ここか…。中には入れない?」
「鍵、不動産屋さんに渡したから」
「そうか…。リーゼロッテの荷物はうちにあるだけで足りるの?」
「この家が不動産屋さんに売れたら、少しはお金が入るから。そしたら、おとうさんに迷惑かけないようにするから」
「いや、そういうことじゃなくて、君の持ち物がうちに来た時に背負ってきたリュックだけじゃ、心もとないと思って。お金のこととかはまた別だよ」
「おかあさんに、少しお金ももらってるの。家の中のいらないものは売れるものは売ったし」
「うーん…。ということは、リーゼの荷物はないんだね。わかったよ。必要なものがあれば持っていこうと思ったんだけど、ないならいいんだ」
「…そのために、わざわざ?」
「そうだよ」
太一が当然のように言うと、リーゼロッタは「…ありがとう」と小さく言った。太一はそれだけで、胸があたたかくなる気がした。
「いいよ。じゃあ、とりあえずビジネスホテルへ行こうか。部屋だけとって、リーゼに必要なものを買いに行こう」
「うん」
ビジネスホテルで人間用の部屋を予約して、リーゼロッテと買い物に服屋や雑貨屋をまわる。
ヴァンパイアは今からが活動時間なので、店はきらびやかな明かりを放っていた。店員もヴァンパイアが多いようだ。リーゼロッテの服を選び、下着を買うときは太一は一緒に行くのは恥ずかしいので、リーゼロッテ一人で選ばせて会計だけ太一がやった。
リーゼロッテの分の歯ブラシやコップなどを買い、太一は眠くなってきたので、ビジネスホテルへ向かうことにした。
「ごめんな。俺、徹夜とかできない体質なんだ」
「いいよ。私は本読んでるから」
太一は風呂に入り、そのままベッドで寝てしまった。大学受験の時も、夜はぐっすり寝て朝早く起きないと勉強できないので、太一は友人が徹夜したという話を聞くと、信じられない思いで聞いたものだ。
リーゼロッテはヴァンパイア用の棺のある部屋で一晩を過ごし、朝になると眠っていた。太一はその部屋へ行き、リーゼロッテに声をかけたが、ぐっすりと眠っていたようで太一の声には起きなかった。
「仕方ないな…」
太一は出かけてくると書置きだけしてリーゼロッテの部屋を出た。といってもリーゼロッテが起きるのは夜になってからなのだけど。
人間や狼男の給仕が出してくれる朝食ブッフェを食べ、太一はホテルを出た。
当然のごとく、ほとんどの店がしまっている。空いているのは24時間営業のコンビニとファミレスくらいなものだ。店員にヴァンパイアはいないだろう。
「うーん…」
どうしようかと太一は腕組みをした。エレオノーラの手がかりを求めて聞き込みをしようかと思っていたのだが、考えてみればヴァンパイアと人間は生活パターンが昼夜逆なのだから、昨日のうちにやっておけばよかった、と今更思い悩むのだった。
「あ、でも…ヴァンパイアだけが住んでるわけじゃないよな」
人間の居住区にもいろんな亜人が住んでいる。ということは、エレオノーラの家の近くにも人間やヴァンパイアではない亜人が住んでいないだろうか。太一はとりあえず昨日リーゼロッテが教えてくれたバスに乗って、リーゼロッテの住む家へ向かった。
リーゼロッテの近所の家のインターホンを押しても、人が出てくる気配はない。やはりヴァンパイアが住んでいるので、日中は眠っているのがほとんどなのかもしれない。この家でだめだったら、帰ろうと太一がインターホンが押した家は、最後の最後で人間のおばあさんが出てきた。
「はい、どなた?」
「あの、すみません。俺、この近所に住んでたエレオノーラさんの知り合いなんですけど」
「ああ、エレオノーラさんね。なんだか、急いで引っ越していったみたいだけど」
ということは、やはりあの家はエレオノーラの家で間違いないのか。
リーゼロッテが嘘を言った可能性もないわけではないと太一は思っていたが、嘘をつかれたわけではなかったようだ。太一は内心、ほっとして話を続ける。
「どうして引っ越したか、ご存じないですか?」
「さあ…。他人の家のことだからね。何か事情があったんじゃないの?」
「どこへ行ったかとか…」
「知らないねえ。母一人娘一人で暮らしも大変だったんじゃないの? リーゼロッテちゃん、あんまり学校にも行ってなかったみたいだしね」
「え…そうなんですか?」
「…そうらしいけど。あんた、エレオノーラさんとどういう知り合い?」
じろりとおばあさんににらまれ、太一はたじろぐ。
「あ、えっと、友人です。彼女に連絡を取りたいんですけど、どこに行ったかわからなくて…」
「ふうん…」
おばあさんは太一を値踏みするように頭のてっぺんからつま先までじっと見た。
「まあ、あんまり他人の家を詮索するような真似はやめたほうがいいんじゃないかしらね」
「あ、はい。気を付けます。ありがとうございました」
玄関先で頭を下げ、太一はおばあさんの家を後にした。
リーゼロッテに父親がいないのも本当で、エレオノーラは行方不明。彼女はどこへ行ったんだろう。
近所での聞き込みはこれ以上無理だと思い、太一はビジネスホテルへ戻ることにした。バスの中で、エレオノーラはどこで仕事していたんだろうと思い至った。リーゼロッテに聞いておけばよかった。ビジネスホテルの部屋で太一はニュースを見ながら、巨人族の居住区でヴァンパイアの灰が発見されたという内容を聞いて、はっとした。
「…関係あるかな」
ニュースでまれにみるのが、ヴァンパイアが太陽の光を浴びて灰になったというものである。これは太陽が昇っているのに気づかず外にいたというケースと、自殺という面があった。殺人もありうる。しかし、エレオノーラは自殺なんてするようには見えなかったが、どうだろう。
灰になったなんてリーゼロッテが聞いたら、ショックを受けるかもしれない。このことは黙っておこう。
太一は昼間空いているヴァンパイアの店をまわって、エレオノーラという女性を知らないか聞いてみたが、起きているのはヴァンパイア以外の亜人だ。行方不明のヴァンパイアの女性のことなど、知る由もなかった。
夜になり、リーゼロッテが起きてきて太一の部屋をノックした。
「おはよう、おとうさん」
「おはよう、リーゼ。起き抜けになんだけど、エレオノーラはどういうお仕事してのかな」
「…どうして?」
「もしかして、仕事先からエレオノーラの行方を知れないかと思って」
「…無駄だと思う」
リーゼロッテは眠そうにあくびをする。
「おかあさん、仕事先は辞めてからいなくなったから。ちなみに、駅前の服屋の販売員だよ」
「リーゼも行ったことあるの?」
「何回か…。今の時間なら開いてると思うけど、行ってみる?」
「いいの?」
「でもそうすると、おとうさんの家へ帰る終電がなくなると思う」
「ああ、そうか…。じゃ、ちょっとだけ行って話を聞いて、すぐ帰ろう」
「わかった」
リーゼロッテは太一と手をつないでホテルを出た。駅前のビルの一角に入ったテナントにある、カルミアという名前の店がエレオノーラの勤務先だということだった。
「いらっしゃいませ」
太一が店内へ入ると、妖艶な美女たちが出迎えてくれた。おそらく、店員はほとんどがヴァンパイアかその血筋だろう。いるだけで色気があふれ出いる感じは、人間の女性にはなかなか見られないものだ。
「どのようなものをお探しですか?」
店内は女性ものの洋服が上品に展示されている。太一は圧倒されながら、目の前の黒髪の美女の店員に尋ねる。
「あの、買い物じゃなくてですね、ちょっと聞きたいことがありまして」
「なんでしょう?」
「実は、エレオノーラさんのことなんです」
「エレオノーラのこと? …あれ、もしかしてあなた、リーゼロッテじゃない?」
「はい」
黒髪の美女はリーゼロッテに気づいて声をかける。リーゼロッテはうなずいた。
「知ってるんですか?」
「もちろんです。もっと小さいころに会ったことがありますから。大きくなったわね」
リーゼロッテは美女にやさしく頭を撫でられて、恥ずかしそうに微笑んだ。
「あら、リーゼロッテなの?」
「おかあさんは? 一緒じゃないの?」
ほかの二人の店員の美女も太一たちのそばへ寄ってきた。太一は圧倒されて後ずさりしてリーゼロッテの後ろへ下がる。
「おかあさんは…」
「あの、エレオノーラさんがこの子を俺に預けて行方不明なんです。それで、お仕事を一緒にされてるみなさんなら、知ってるんじゃないかって思ってここへ来たんですけど…」
太一が手短に状況を説明する。美女三人は顔を見合わせて「ああ…」とため息を吐いた。
「エレオノーラは退職願出して、それっきりよ」
「私たちにも理由はさっぱりなの。リーゼロッテのことも、今日初めて知ったわ」
「あなた、エレオノーラとどういう関係なの?」
「えっと…」
太一は視線を泳がせる。
「…友達です」
そういくらいしか、太一には思いつかなかった。
「でもあなた、人間でしょう?」
「エレオノーラに人間の友達がいたなんて」
「あ、でも」
金髪の美女が思い出したように言う。
「昔、リーゼロッテの父親が人間だって聞いたことがあるわ。どんな人とかは知らないけど」
「そうなの?」
「じゃ、あなたが父親?」
「ち、違います」
詰め寄られて太一はぶんぶんと首を横に振った。エレオノーラに童貞を卒業させてもらったばかりだというのに、そんなわけがない。
「じゃあ、父親の知り合いとか?」
「…そんなところです」
リーゼロッテの父親のことは全く知らないが、ここは適当に話を合わせておく。
「ふーん。そうなの。でも、困ったわね。エレオノーラが行方不明なんて。リーゼロッテも寂しいでしょう?」
「でも、おとうさん、よくしてくれるから」
リーゼロッテは太一の手を握った。やっぱりかわいいなあ、と太一は顔を緩める。
「おとうさん?」
「ち、違うんです。リーゼは最初に会ったときから、俺のことおとうさんて呼んでて…」
「エレオノーラがそうさせたんでしょ」
金髪の美女がため息を吐いた。
「やりそうね。彼女なら」
「あざといのよね。やり方が」
美女三人はわかるわ~とうなずいた。太一にはさっぱりだ。
「でも人間と同居じゃ、生活リズムも違うし大変でしょ。こっちに住んでるの? それとも、人間の居住区?」
「俺のほうです」
「そうなの? あ、リーゼロッテの学校とかはどうしてるの?」
「えっと…とりあえず、人間の居住区で夜間小学校があるかどうか調べてみるつもりですけど…」
「あなた、ただの知り合いの子供の面倒見る気なの? 正気?」
「ええっと…」
「人間てそんなお人好しなの?」
美女三人に囲まれ、またしても太一はたじろぐがリーゼロッテが前に出る。
「おとうさん、やさしいから私の面倒見てくれるの。あんまりいじめないで」
「ああ、ごめんね。リーゼロッテ」
「やさしいのか無防備なのか、何も考えてないのか…。ま、いいわ。リーゼロッテがいいなら。ヴァンパイアは放任主義だから、中学卒業前に育児放棄も珍しくないし」
「そうなんですか?」
「そうよ。だから、そういう子は施設に入ることが多いんだけど、エレオノーラはそうしたくなかったのね。あなたが馬鹿…いえ、やさしい人でよかったわ」
「はあ…」
今、思いっきり馬鹿って言っただろ…。と太一はツッコミたかったが、黙って愛想笑いを浮かべた。
「生活費はどうしてるの?」
「おかあさんの預金はあるから、後でおとうさんに渡そうと思ってる」
リーゼロッテは太一を見上げた。
「そこらへんはしっかりね。でも、あなたみたいに馬鹿…じゃない、やさしい人なら大丈夫よね」
また馬鹿って言ったな…。と太一は思ったが、やっぱり愛想笑いしか出てこなかった。
美女三人に見送られ、太一はリーゼロッテと手をつないで店を出る。駅へ行き、電車に乗って人間の居住区へ帰ることにした。
電車に揺られながら太一は窓の外を見ているリーゼロッテをみつめた。肩までの紫の髪が揺れている。
「帰ったら、俺は仕事だからもう寝るけど…」
「いいよ。私はこれから活動時間だから、おとうさんはゆっくり寝て」
「そうするよ。明日、リーゼの学校の手続きとかもするからね。帰り遅くなるかもしれないけど、家で起きてていいから」
「…うん」
うなずいたリーゼロッテの表情は相変わらずの無表情なのだが、なんとなくあまり嬉しそうではない気がした。学校が好きではないのだろうか。自分で家で勉強するくらいだから、勉強が嫌いというわけではない気がするのだが。
リーゼロッテは表情の乏しい子だから誤解されて、いじめにあっているとかでなければいいけど。太一はいろいろ頭の中で考えながら、でもリーゼロッテに直接聞くことはできずに家路についた。




