リーゼロッテの家出
「おかえりなさい、おとうさん」
「ただいま」
「それ、なあに?」
リーゼロッテはすでに起きていて、人工血液を飲んでいた。太一は隠すのを忘れて、ラッピングしたマグカップを手に持ってリビングに来てしまった。
「あ、これは…」
太一は隠そうか迷い、いまさらかとリーゼロッテに差し出す。
「ちょっと早いけど、リーゼにクリスマスプレゼントに買ってきたんだよ」
「クリスマス…?」
リーゼロッテは首をかしげる。
「それ、私たちは祝わないの」
「え、そうなの?」
「知らない? ヴァンパイアの嫌いなもののひとつ」
「…あ、十字架」
「そういうこと」
リーゼロッテはちゅうちゅうとストローで血液を飲み続ける。
「えっと…じゃあ、これは…普通のプレゼントっていうことで」
「でも、冬至の日はヴァンパイアのお祭りの日なの」
「そうなんだ?」
「一番夜が長いでしょ。今日はその日」
「あ…そうか」
すっかり忘れていた。今日は冬至だ。1年で一番夜が長い日。
「だから、冬至のプレゼントでもらっておくね。開けていい?」
「もちろん、いいよ」
それなら、帰りに小豆カボチャ買ってきたらよかったな…と太一は思った。すっかり当時であることなど忘れていたのだ。もっとも、食べるのは自分だけになるけど。
「わあ、マグカップだ」
リーゼロッテは嬉しそうにラッピングから出てきたマグカップを手にする。
「いつもココア飲んでるだろ? それ用にいいかなと思って」
「かわいい。ありがとう、おとうさん」
「気に入ってくれてよかったよ。ブルーとピンクがあったんだけど、浅沼さんがピンクのほうがいいって選んでくれて…」
「浅沼さん?」
リーゼロッテは顔を強張らせた。太一は自分の失言に気づいて慌てた。
「あ、あの、たまたま! たまたま浅沼さんと会って…」
「…今日、仕事の人と出かけるって手紙にあった。それ、浅沼さん?」
「えっと…うん」
嘘を吐くより、正直に言ったほうがいいだろうと思い、太一は肯定する。
「なんで嘘つくの?」
リーゼロッテは太一をにらみつける。
「その…リーゼ、浅沼さんのこと苦手みたいだから…」
「どこに行ってたの?」
「あの…」
太一はリーゼロッテに詰問され、小さくなった。
「リーゼのおとうさんの家に…」
「なんで、行ったの」
リーゼロッテはマグカップをテーブルの上に置いて立ち上がった。
「私、行かないって言ったよね?」
「リーゼが行かないなら、俺が代わりに行こうかと思って…。エレオノーラの手がかりがあるかと」
「勝手なことしないで! 私は本当のおとうさんのことなんかどうでもいいの! どうして余計なことするの!」
リーゼロッテはだん、と床を踏みつけた。リーゼロッテは感情の起伏がかなり激しい。それはこの前の件でわかっていたはずだが、かなり情緒不安定なようだ。普段おとなしいだけに、ギャップがすごい。これがいわゆる切れる現象だろう。太一は落ち着かせようとなだめようとする。
「落ち着いて、リーゼ。おとうさんとは会えなかったんだよ」
「おかあさんは私を勝手において出て行ったんだから、もう関係ない! 本当のおとうさんも、私のことなんか気にしてなかった! 前の学校でだって、ダブルのヴァンパイアはいつもいじめられてたのに、みんな見ないふりしてた! だから、どうでもいいの! どうしてわかってくれないの!」
リーゼロッテは感情的になってわめきちらした。だんだんと床を踏みつける。
「…もしかしてリーゼ、おとうさんが亡くなったこと、知ってたの?」
「………」
リーゼロッテはいら立ちを隠さず、太一から目をそらした。
「…知ってたんだな。なら、どうして言ってくれなかったの?」
リーゼロッテは無言でリビングを出て行こうとする。太一は慌ててその手をつかんだ。
「話は終わってないよ」
「何も話すことなんかない」
「俺はあるよ。…もしかしてリーゼ、本当はエレオノーラがいる場所も知ってるんじゃないの?」
リーゼロッテは太一の手を振り払い、どすどすと音を立てて階段を上った。
「…まいったな」
飲みかけの血液とマグカップを見て、太一は途方に暮れた。リーゼロッテはああなると手が付けられないんだな、ということを太一は一つ覚えた。
とりあえず片づけをして夜食を食べて、風呂に入った。リーゼロッテの部屋をノックしても、返事はない。
「リーゼ、勝手なことしてごめんね。でも、心配だったから。…明日、ヴァンパイアの居住区へ一緒にスマホを買いに行こうか」
太一が声をかけても、リーゼロッテの返事はなかった。太一はため息を吐いて、自分の部屋のベッドに入った。
ベッドの中で大学の時、好きになった女子のことを思い出していた。
同じゼミで明るい性格で、誰とも仲良くなれる女子だった。女子に不慣れな太一にも気さくに声をかけてくれた。そして自分に脈があるんじゃないかと勘違いした太一が映画に誘って二人で出かけた時、お茶を飲みながら実は同じサークルの男子が好きで、告ろうと思っていると言われた。
男子はどういうアプローチされるのが好きかと聞かれ、ああ、まったく相手にされてないんだな、と痛いほど思い知らされた。素直に思いを伝えてくれるのが嬉しい、と言った気がする。内心はすぐにでも逃げ出してしまいたかった。泣きそうだった。実は君が好きだったんだ、なんて失恋確定で言えるような度胸は太一にはない。
高校の時好きになった女子も似たような感じだった。自分にも誰にでもやさしい彼女のことを勘違いして好きになって、実は既に他校の男子とつきあっていたとか。しばらく落ち込んだ。
なんで今更、そんなことを思い出したのか。太一はいきなり切れだしたリーゼロッテを思いながら、何度となく寝返りをうち、眠りに入るのにしばらく時間がかかった。
朝になり、太一はとりあえずリーゼロッテがまだ起きていたら声だけかけようとそっとリーゼロッテの部屋のドアを開けた。
「リーゼ…」
棺は、開いていた。中にリーゼロッテはいなかった。
「え…え、ええ!?」
太一は慌ててクローゼットを開けるが、中にリーゼロッテはいない。今度は家中のクローゼットや押し入れを開けて、太陽の光の入らなそうな場所を探したが、リーゼロッテはどこにいなかった。
「嘘だろ…」
動揺のあまり、太一はソファに足の小指をぶつけて、悲鳴をあげた。この時間に外に出たら灰になってしまう。一体どこへ行ったんだ。どこへ…。
太一が思いついたのは、カミラ先生だった。でも彼女はヴァンパイアだし、この時間は寝ているかも…。いや、非常事態だ。
太一はカミラ先生に電話をかけたが、留守電に鳴っていた。やはり寝ているのかもしれない。留守電にリーゼロッテがいなくなったとメッセージを入れると、太一は家を出た。
「リーゼが行きそうなところ…」
学校以外に思いつかない。でも、太陽の光が入らない場所なんてあるだろうか。ほかに心当たり…。
「そうだ、滋兄ちゃん」
太一は滋に電話した。リーゼロッテがいなくなったと話すと、すぐに行くと車で太一の家まで来てくれた。
「まったく、何やってるんだ、おまえは」
滋はため息交じりに言って、状況を太一から聞き出す。
「だから言っただろう。他人の子を、ましてヴァンパイアのダブルの娘なんかと暮らすのは大変だって。普通の親になるのだって、大変なんだぞ。世の中、どれだけの親が育児放棄や虐待をしでかしてると思ってるんだ」
「うん…。ごめん」
太一はうなだれる。
「俺、本当の意味でわかってなかったんだ。リーゼは普段はおとなしいし、聞き分けもいいし」
「誰だっていろんな面を持ってるんだ。ったく…。どこかリーゼロッテの行く場所に心当たりはないのか?」
いろいろ言いながらも、滋は太一を見捨てたりしない。いいいとこを持ったもんだと太一は心強く思いながら、ううん、とうなった。
「そうだな…。夜しか行動できないから、たぶん今はどこか太陽の当たらない場所に…」
「となると…ヴァンパイアの居住区か?」
「それはあるかも。あそこなら、リーゼはよく知っている場所だ」
「じゃあ、行くぞ。乗れ」
滋に言われ、太一は助手席に乗る。シルバーのミニバンで二人はヴァンパイアの居住区へ向かった。
「といっても、ヴァンパイアの居住区も広いぞ。どこへ行くんだ?」
「そうだな…」
太一が手にしていたスマホが鳴った。浅沼さんからだった。




