浅沼さんの告白
土曜日。いつもより少し遅く起きて太一はブランチを食べた。リーゼロッテとは食事を一緒にできないので、一人でのんびりとした時間だ。
体がなまっているので、ジムにでも通おうかとインターネットを調べて、いくつかピックアップして、動画を見て時間まで過ごした。何を着て行こうかしばらく悩んでから、浅沼さんとの約束の時間に遅れないように家を出た。リーゼロッテには、仕事仲間と出かけてくると、書置きしておいた。帰りがいつになるかわからないからだ。
「お待たせしました」
「全然待ってないよ。俺も今来たところ」
浅沼さんはチェックのコートにロングのセーターを着てきた。浅沼さんのいつものオフィスカジュアルとはちょっと違う服装が見られて、太一は嬉しくなった。太一もコートにセーターだ。あまりラフにならず、でも緩すぎずと考えるのが大変だった。
「じゃ、行きましょうか。あ、バスの時間見てみますか?」
「今見たんだけど、あと十分くらいで来るみたい」
「すぐですね。並んでましょうか」
「そうだね」
二人は並んでバスを待つ。スマホで住所を調べて、バス停から少し歩いていくことを確認した。
「でも、ありがとう。わざわざつきあってくれて。せっかくの休みなのに」
「ただの好奇心ですよ。リーゼロッテちゃんのおとうさんがどんな人か気になるし。おかあさんの行方も分かるといいですね」
「そうだね」
バスが来て二人は並んで席に座った。太一は女性と二人でバスに乗るなんて、リーゼロッテと母親以外では初めてかもしれない、と緊張しながら浅沼さんの隣に座る。
「どんな人なんですか? リーゼロッテちゃんのおかあさんて」
「ああ…うん。すごく、きれいで色っぽい人だよ」
言ってから、太一はまずかったかな、と思った。浅沼さんの前でほかの女性をほめるなんて。
「リーゼロッテちゃんもかわいいですから、おかあさんも美人だろうなとは思ってましたけど、やっぱりそうなんですね」
浅沼さんは気を悪くしたふうでもなく、そう言った。太一はほっとした。
「ヴァンパイアって…この前、リーゼロッテが住んでた街に行ったんだけど、本当に夜しか活動していないんだよね。昼間はほかの人間とか亜人とかしかいなくて。リーゼロッテの母親…エレオノーラって言うんだけど、彼女の仕事仲間もなんていうか…すごく妖艶な感じで。ヴァンパイアの女性って、みんなあんな感じなのかなって」
「映画やドラマに出てくるヴァンパイアって、美男美女ばっかりですもんね。血を吸われたりしたんですか?」
「ああ、うん。エレオノーラに一度。俺もヴァンパイアにならないか、ちょっとだけ心配だった」
「ふふ。でも、大丈夫だったんですね」
「今も日の光の下で生きてるよ。リーゼロッテとは昼夜逆転の生活だから、夜しか会えないんだけどね。朝はもう日が昇ってるから、リーゼロッテは寝てるんだ」
「そっか。そういうことになるんですね。寂しくないですか?」
「顔を合わせないときは、手紙でやりとりしてるんだ。あと、スマホもそろそろ買ってあげようかと思ってる」
「連絡取りやすいですもんね」
浅沼さんは検索して、どこのスマホがいいとか教えてくれた。明日、リーゼロッテを連れて見に行ってみると太一は言った。
「でも、夜だとお店しまってるんじゃないですか?」
「ああ、そうか。だと、ヴァンパイアの居住区に行ったほうがいいかな。あそこだと、夜から店が開くし。市役所に行って、リーゼロッテの戸籍も取って来なくちゃいけないんだ。母親が行方不明の届も…」
「戸籍…」
浅沼さんは顎に手をあてる。
「やっぱり、養子縁組を?」
「そのつもり。一人で放り出すわけにはいかないし」
「…そうですか」
浅沼さんはそれ以上、何も言わなかった。牧村先生の住む七浦町まで黙って席に座り、バスを降りた。
「この先ですね」
「えっと…ここから少し歩いて、あの角を右だね」
住宅地を浅沼さんと太一は並んで歩く。ああ、これがデートだったらな…と太一は叶わない願望を抱く。
「きれいなおうちいっぱいですね」
「本当だ。古い家も新しい家もいっぱいだね」
「あ、あそこの家、クリスマスリースが飾ってある。きれいですね」
「そうだね」
浅沼さんが普通に話してくれるようになったことにほっとして、太一はうなずく。よかった。でもどうして浅沼さんはあんなにリーゼロッテを俺が養子にすることに反対なんだろう。いやそもそも、と太一は考える。
リーゼロッテと一回会ったばかりでその父親のことを知りたいなんて、おかしくないだろうか。浅沼さんとは何の関係もない娘だ。自分だったら、太一の立場の人間と一緒に探そうなんて思わない。何か、別の理由がある…?
「この近くですよね?」
声をかけられて、太一ははっとしてスマホの経路で確認する。
「そうそう、この近く…あ、ここだ」
浅沼さんは住所のところで立ち止まる。そこは、家が取り壊されて更地になっていた。住宅地の中でぽつんと更地になっている場所は、ひどく目立った。
「…そんな」
「家、ないんですね…」
太一は呆然として地面をみつめる。浅沼さんも何も言わなかった。
「あー…こんな結末とは。いや…こうしててもしょうがないな。ちょっと、近所の人に話を聞いてみるよ」
「あ、はい…」
太一は隣の家のインターホンを鳴らした。すぐに近所の人がインターホンに出た。
『はい』
「すみません。隣の牧村さんて、お引越しされたんでしょうか?」
『牧村さんのお知合い? 先月、亡くなりましたよ。土地も売りに出されたみたいで』
「え…」
太一は言葉を失った。まさか、亡くなっていたとは予想しなかったのだ。
「あ…そう、ですか。ありがとうございます」
太一はそれだけ言って、近所を後にした。浅沼さんも黙ってついてくる。
「ごめん。せっかく来てくれたのに、無駄足だったね」
「いえ、そんなこと…でも、やっぱり…」
「え? やっぱり?」
今、浅沼さんは「やっぱり」と言わなかっただろうか。太一は聞き返す。
「なんでもないです。まだバス時間もあるし…亀山さん、ちょっとそこでお茶でもどうですか?」
住宅地の中に、「森のカフェ」という小さなカフェがあった。さっき通ってきたときは気づかなかった。浅沼さんはよく見ているな、と感心しながら「そうしようか」と太一はカフェのドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
中には人間のウェイトレスとクマのオーナーらしき亜人がいた。店の中にも人間と亜人が数人いて、食事をしていた。
「こちらのお席どうぞ」
促されるまま、太一と浅沼さんは二人用の席に向かい合わせで座る。
「ただいまの時間でしたら、ランチもまだ大丈夫ですよ」
ウェイトレスがメニューを差し出す。4時までならまだ大丈夫らしい。そういえば、朝が遅かったせいで昼めし食べてなかったな、と太一は空腹具合を思い出した。
浅沼さんがメニューを先に太一に「どうぞ」と差し出してくれた。
「ありがとう」と言って、太一はメニューを開いて横置きにした。女性と付き合ったことがなくて、女性にメニューを差し出されたらそのまま見るのが当然だと思っていた太一だったが、そういうときは一緒に見るのよ、と亡くなった母に社会人になってから忠告されたことを思い出した。
「浅沼さん、お腹空いてる?」
「そうですね…。ミルクティとケーキセット食べようかな。シフォンケーキがおいしそうで」
メニューに載った写真を指さして浅沼さんが言う。
「おいしそうだね」と太一は言ってから、とりあえず確認する。「俺、実は昼食べてなくて。ランチ、食べてもいいかな?」
「もちろんです。ゆっくりどうぞ」
浅沼さんが笑顔で言ってくれたので、太一は安堵してウェイトレスを呼び、時間のかからなそうなカレーを頼んだ。浅沼さんの分も注文して、食事が来るのを待った。
「ごめんね、ここまで付き合ってくれたのに、無駄足になっちゃって」
「仕方ないですよ。リーゼロッテちゃんのおとうさんが亡くなってるなんて、知らなかったんですから」
ウェイトレスが持ってきてくれた水を飲んで、浅沼さんは自分の髪を撫でる。
「でも浅沼さん、どうしてここまでしてくれるの?」
「どうしてって?」
浅沼さんが聞き返す。
「ちょっと不思議だったから。リーゼロッテのことを知ってから、浅沼さん、ずいぶん俺と話すようになったなって。それまでは、その…そんなに俺と仲良いわけじゃなかったし。悪い意味じゃなくて。ただの同僚っていうか。でも、なんていうか…親切だけで今日もここまでつきあってくれるのには、何か理由があるのかなって」
「…そうですね」
浅沼さんはふう、と息を吐いた。
「…実は私」
「お待たせしました」
予想通りと言うか、すぐにカレーとサラダとスープを太一の前にウェイトレスが運んできた。戻ってすぐに浅沼さんの前にシフォンケーキとミルクティを置く。
「ごゆっくりどうぞ」
ウェイトレスはさっさと戻って行った。
「あ、それで…何?」
「冷めちゃうから、食べながら話しましょう」
浅沼さんは微笑んだ。太一はうなずいて、「いただきます」と言ってカレーを食べる。
「おいしい」
「そうですか?」
「うん。スパイスが効いてて、すごくおいしいよ。癖になる味」
「よかったですね。シフォンケーキもおいしいです」
浅沼さんはシフォンケーキを食べて、ミルクティを飲んだ。
しばらく無言でお互いの食事をして、太一が話しかけようとしたとき「実は私、牧村裕介の親戚なんです」と浅沼さんのほうから切り出した。
「牧村さんの?」
「ええ、そうです。正確には叔父にあたります。母の弟なんです。名前を聞いた時、ここの住所を聞いた時から、たぶんそうだろうとは思ってたんですけど」
「ということは、リーゼロッテとは…?」
「おそらく、いとこだと思います」
はあ、と太一はスプーンを置いて息を吐いた。だとしたら、なんで浅沼さんが太一に急激に接近してきたのか、わかる気がした。
「でも、いつから?」
「リーゼロッテちゃんと会った時から。実は以前、叔父にある女の子の写真を見せてもらったことがあったんです」
「それが…」
「ええ。リーゼロッテちゃんの小さい頃の写真でした。髪は珍しい紫だし、そうだろうとは思いました」
「でも、牧村さんには奥さんがいるって…」
「はい、そうです。エレオノーラさんとは一夜限りの関係だったみたいですね。でも、奥さんは数年前に亡くなりました。叔父は相当ショックだったみたいです。叔父と叔母の間には子供はいませんでしたから、夫婦二人だけでずっと暮らしてましたし。ただ、そのあと叔父のところへ彼の教え子だという女性がリーゼロッテちゃんのことを産んだんだと、私の母…姉に伝えに来ました。確か…」
「エレオノーラ」
「ええ、エレオノーラさんですね。叔父は彼女との結婚も考えたそうですけど、彼女のほうから断られたそうです」
「それは、どうして?」
「叔父さんが奥さんを好きなうちは、結婚したくないと言われたんだそうです」
「………」
太一は黙り込んだ。エレオノーラのことをよく知っているわけではないが、なんとなく彼女らしいという気がした。
「リーゼロッテは、牧村さんのこと知ってるのかな?」
「どうでしょう…。ただ、会いたくないというのであれば、なんらかの情報は持っているんじゃないかと」
「そう…だよね」
普通なら、会ったことのない父親には会いたいと思うのが人情ではないだろうか。それをリーゼロッテは頑なに拒んだ。父親に関して、何かを知っていてもおかしくない。
「リーゼロッテちゃんとは会ったことはないそうですが、エレオノーラさんからもらったというのがその写真です。たぶん、それ一枚だけだったと思います。それから、叔父ががんで亡くなりました」
「そうだったんだ…」
太一はカレーを食べ終えて、スープを飲んだ。透き通ったコンソメスープはとてもおいしかった。
「叔父さんのことがあるから、浅沼さんは俺がリーゼロッテの父親になるの、反対だったんだね」
「すみません。言い出せなくて」
浅沼さんは申し訳なさそうに笑った。
食事を終えて、二人は森のカフェを後にした。そのままバス停まで歩いていく。
「また、エレオノーラの手がかりがなくなっちゃったな」
太一は苦笑交じりに言った。
「全然手がかりがないんですか?」
「うん、今のところはね。牧村さんが何か知ってるかとも思ったんだけど」
「叔父さんもたぶん、詳しいことは知らなかったと思います。エレオノーラさんは気まぐれなところがあったみたいで、たまにふらっと叔父のところへ来る程度だったらしいですから」
「そうか…」
吐く息が白い。もしかしたら、今日は雪が降るかもしれないなと太一は思った。
「リーゼロッテちゃんに会わせてあげたかったですけど」
「そうだね…」
ちょうどバスがやってきた。二人はバスに乗り、市役所での先輩や課長の話をした。他愛ない話をして時間をつぶしたのは、リーゼロッテのことをこれ以上話しても仕方ないと思ったからだ。
バスが駅について二人はバスを降りる。太一はここで別れようと思ったが、浅沼さんから「ちょっとつきあってもらえませんか?」と言われた。
「いいけど、どこへ?」
「もうじき、クリスマスじゃないですか。私、甥っ子と姪っ子にプレゼント買いたくて。リーゼロッテちゃんにも何か買ってあげませんか?」
「ああ…いいね」
もう何年も自分と関係ないイベントだと思っていた太一は、そこに思い至ることがなかった。
「駅ビルの中にそういうのあったかな?」
「ジブリのコーナーとかあるんですよ。行きましょう」
浅沼さんはアニメが好きだという甥っ子と姪っ子のために、ぬいぐるみや文房具を買ってあげていた。太一は目移りしてしばらく悩んでいたが、マグカップを手に取った。いつもリーゼロッテがココアを飲んでいることを思い出したのだ。
「それ、かわいいですね」
「うん。リーゼロッテはココアを飲むのが好きなんだ。固形物は食べられないらしくて」
「そうなんですね。あれ? じゃあ、ご飯とかは?」
「人工血液が支給されるんだ。それを夜起き抜けに飲んでる」
「なるほど」
ブルーとピンクで迷っていると、浅沼さんがピンクのほうがかわいいというので、ピンクのマグカップにした。レジでラッピングしてもらい、店を出た。
「ありがとう、浅沼さん。おかげでリーゼロッテも喜ぶよ。俺、こういうの全然気が回らなくて」
「どういたしまして。私も買い物できてよかったです。リーゼロッテちゃん、喜んでくれるといいですけど」
二人は駅ビルを出た。すると、外にはちらほら雪が舞っていた。
「あ、雪…」
「本当だ。冷えると思ったら」
暗くなった空に雪は白く映える。リーゼロッテもそろそろ起きている頃だろうな、と太一は思った。
「じゃあ浅沼さん、今日はありがとう。気を付けて」
「こちらこそ、ありがとうございます。あの、リーゼロッテちゃんには」
「ん?」
「私のこと、折を見てていいですから彼女に話してみてください。いとこですから」
「そうだね。そのうち」
浅沼さんが手を振って歩き出した。手を振る姿かわいいな、と太一は思いながら太一も軽く手を振って、家へ向かうバスに乗った。




