リーゼロッテのおとうさん
「ただいま、リーゼ」
「おかえりなさい」
リーゼロッテはココアを飲んでいた。
「血液は飲んだ?」
「うん。さっき。おとうさん、最近帰り遅いね」
「…ちょっと、残業」
太一はぎくりとしながら、嘘を吐いた。リーゼロッテはなんだかわからないが、浅沼さんが気に入らないようなので、彼女と会っていることは伏せることにした。
どうせ浅沼さんとつきあう、なんてことはありえないのだから、真実を言う必要もないだろう。
「そう」
リーゼロッテは特に疑うこともなく納得したようだった。太一は内心、ほっとする。
「昨日、学校はどうだった?」
「うん。柳くんとも普通にしゃべれたよ。それでね、蝙蝠の亜人の杏奈とジュリエットとも友達になったの」
「へえ、そうなんだ」
「柳くんて、ああいう子だから、女子から嫌われてたみたい。でも、私が椅子ぶん投げたから、すかっとしたって」
「そ…そう」
それはそれでどうなんだろう、と太一は思いながら話を聞く。
「杏奈とジュリエットも、人間とダブルなんだって。夜間小学校は、そういう子が多いみたいなの」
「なるほど」
「それでね、杏奈とジュリエットはおかあさんが人間でね、昼夜逆だからいつも手紙を書いてやりとりしてるんだって」
「へえ…それはいいね。うちでもそうしようか」
「うん。でね、アンナはカミラ先生が授業の時、いつも言う癖があるって言ってね…」
珍しく饒舌になっているリーゼロッテを太一は微笑ましく思いながら、学校へ行くまで話を聞いた。
「あ、もうこんな時間だ。そろそろ送っていくよ」
「うん」
コートを着て二人は家を出る。道すがら、太一はリーゼロッテに聞こうかどうしようか迷っていたことを尋ねる。
「リーゼは、本当のおとうさんのこと、おかあさんから何か聞いてる?」
「知らない。人間だっていうこと以外は」
リーゼロッテは表情を固くして、そう言ったように見えた。
「実はさ、リーゼのおとうさん、もしかしたらみつかるかもしれないんだ」
「…え?」
リーゼロッテは驚いて太一を見上げる。
「どうしてわかったの?」
「ああ、昨日…」
「カミラ先生?」
「…そう。よくわかったね」
「昨日、カミラ先生と話、してたでしょ」
「そうだったね。エレオノーラと同級生だったらしいんだよ。それで、今度の休みに一緒に会いに…」
「…行かない」
太一が言い終わる前に、リーゼロッテはきっぱり拒絶した。
「どうして? せっかく本当の…」
「私のおとうさんは、おとうさんだけでいい」
リーゼロッテは太一の服の裾を引っ張った。
「…でも、おかあさんの手がかりに」
「いいって言ってるの。しつこいよ、おとうさん」
リーゼロッテにそう強く出られては、太一もそれ以上は言えなかった。
「ん…わかったよ。リーゼが会いたくないのに、会いに行ってもしょうがないからね」
「うん」
バスが着て、乗降口が開いた。リーゼロッテは「いってきます」と言ってバスに乗る。
「いってらっしゃい、リーゼ」
リーゼロッテは小さく手を振って奥の席へ座った。太一はバスが出るまで手を振って、リーゼロッテを見送った。
太一は帰り道、なんでリーゼロッテは父親に会いたがらないのか不思議だった。太一のことを父親だと言ってくれるのは嬉しいが、それだけが実の父親に会わない理由にならない気がする。
リーゼロッテは何か理由を知っているんじゃないだろうか。
太一は帰って風呂に入りながら、その理由を考えたが、これだと思うものは思いつかなかった。
寝る前に太一はリーゼロッテに「おかえり」と手紙を書きながら、彼女にもスマホを持たせるべきか考えた。
あんなかわいい子だから、道中何かに巻き込まれる可能性は高い。今度の休みに一緒に買いに行こう、と太一は思いそれも手紙に書くのだった。
朝になり、テーブルの上にはリーゼロッテから手紙の返事が書かれていた。おはよう、とスマホが使えるのは嬉しい、という内容だった。
手紙のやり取りはいいな、と思いながら太一は朝食をとり、市役所へ向かった。
いつもどおり仕事をしていると、浅沼さんが声をかけてきた。
「リーゼロッテちゃん、どうですか?」
「うん。昨日はすごく楽ししそうに学校に行ったみたいだよ。これも浅沼さんのおかげだね。ありがとう」
「私は何も…。その、本当のおとうさんには会いにいくんですか?」
「それが、リーゼロッテはどうにも会いたくないみたいなんだよね。だから、一度俺一人で会いに行こうかと思ってる」
「…そうですか」浅沼さんは少し考えてから、「私、一緒に行ってもいいですか?」と突然言い出した。
「は、あ、ええ?」
あまりに唐突な浅沼さんの発言に、太一は目を白黒させる。
「浅沼さん、ちょっと…」
課長が彼女を呼んだ。
「あ、はい。後で連絡しますね」
「え、えっ…」
浅沼さんはさっさと課長のもとへ行ってしまった。太一はぽかんとしてその後姿をみつめる。
「亀ちゃん、仕事仕事」
「あ、はい」
袴田先輩に促され、太一は急いで書類に集中する。目の前の仕事をまずこなさなければ。浅沼さんの連絡先は仕事仲間のグループLINEで知っている。しかし、友達登録はしていない。ということは、グループLINEでやりとりするんだろうか。ちょっと恥ずかしいな…と太一は動揺したまま、その日の仕事を終えた。
浅沼さんは仕事が終わると、さっさと帰って行った。連絡するのは後になってからかな、太一がバスで帰っているとスマホに浅沼さんから友達申請が来た。太一はドキドキしながら承認する。
女友達なんていない太一にとって、貴重な女性のLINE友達だ。よろしくお願いします、とスタンプを送ると、向こうからもかわいいスタンプが返ってきた。
----今度の土曜日空いてますか?
これはデートの誘い! と浮かれる太一ではない。何度も言うが、30年も童貞をやってきているのだ。女性に誘われて、即デートと呼ばれるような状況になるわけはないとわかっている。
----空いてるよ。昼間はリーゼロッテは寝てるし。
----じゃあ、2時くらいに待ち合わせして、リーゼロッテちゃんのおとうさんのお宅に行くのはどうですか?
ほら、こんな感じだ。浅沼さんは太一に興味があるわけではない。リーゼロッテの父親に興味があるだけなのだ。
----いいよ。七浦町なんだけど、どこかで待ち合わせしようか。
----駅前で待ち合わせしましょう。
そんなわけで話はとんとんと進み、太一は浅沼さんと出かけることになった。
家へ帰ると、リーゼロッテは勉強しながらテレビを見ていた。
「リーゼ、宿題?」
「うん。昨日、帰ってきてからやるの忘れちゃって」
「間に合いそう?」
「もう少しで終わるから、大丈夫」
太一は着替えてコーヒーを入れて、リビングのリーゼロッテの隣に腰を下ろした。
「リーゼって勉強は得意なの?」
「得意…っていうほどじゃないけど、嫌いじゃないよ。みんなに置いていかれないようにしないと」
「そうだね。教科書とかは前と同じ?」
「同じ。でも進み具合は違うかな」
「大丈夫?」
「なんとか。頑張れば平気」
「リーゼは努力家だなあ」
太一はリーゼロッテの頭を撫でる。リーゼロッテは太一を見上げて、微笑んだ。かわいいな、と太一もつられて微笑む。
そういえば、ヴァンパイアの居住区ではリーゼロッテはあまり学校へ行っていないと言われたな、と太一は思い出した。それでも学校の勉強についていけるのだから、勉強はできる子なのだろう。
「血液は飲んだ?」
「飲んだよ。お腹いっぱい」
リーゼロッテの宿題が終わると、太一はリーゼロッテをバス停まで送って家へ帰ってきた。
「ふう…」
太一はスマホのLINEを見る。友達になった浅沼さん。彼女にとっては大勢の中の一人だろうが、太一には特別だ。
浅沼さんが市役所へ入ってきたときから、かわいい子だな、と思っていた。最初は別の部署に配属されて、たまに見かけるくらいだったが、同じ部署に彼女が配属されたときは嬉しかった。やさしくて美人で気配りもできて。こんな子が自分の彼女になってくれたら、なんて妄想はいくらでもできたけど、現実にはならなかった。
「亀山さんて、名前太一さんて言うんですね」
「ああ、そう。浅沼さんは…」
「ひなです。ひらがなのひな」
「へえ、かわいい名前だね」
「ありがとうございます。でも、子供の頃はいいですけど、今はちょっと恥ずかしくて」
歓迎会の席ではにかんで言う彼女は、とてもかわいらしかった。太一はそれで恋に落ちたのだ。
「そんなことない。似合ってるよ」
太一にはそういうのが精いっぱいだった。
そこから仕事でしかコミュニケーションをとることもできず、それでも勢い余って告白した30歳の誕生日。見事にフラれた。苦い思い出だが、それで終わりではない。日常はどこまでも続いていく。それでも浅沼さんが変わらずに接してくれるのは救いだった。
あいつキモイとかマジウザいとか、態度に出されたら、太一は引きこもりになるところだったかもしれない。いや、ならないだろうけど。非常に気まずくなって、毎日出勤するのがさぞ苦痛だっただろう。
けれど何より大きいのは、エレオノーラとリーゼロッテの存在だと太一は分かっている。彼女たちのおかげで、自分は少しずつ変われた。
まだまだ頼りないが、リーゼロッテの立派な父親にならなくては。そう考えて、リーゼロッテの戸籍をとって来なければ、とまたヴァンパイアの居住区へ行く必要があるのを思い出した。またリーゼロッテと行かなければ、と決めて太一は風呂に入るのだった。




