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ヴァンパイアの娘  作者: 結糸
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失恋誕生日

「あなたの血をいただきたいの」

「え? え? え?」

 太一をソファに押し倒した美女は、ヴァンパイアだった。












「ごめんなさい、これからも同僚でお願いします」


 三十歳の誕生日、仕事場の同僚の女性に振られた亀山太一は「…そうだね。同僚で」と笑顔でその場を離れた。

 本当はダッシュで逃げ出したかったが、それはカッコ悪いと思ったので、できるだけ気にしてない風を装い、彼女の視線に入らない場所へと移動する。


 泣きたいほどせつなかったが、三十路の男が路上で泣いてどうする、みっともない、と自分に言い聞かせて駅前の立ち食い蕎麦屋へ行き、ちくわとれんこんの天ぷらをトッピングしてずるずるそばをすすった。

 鼻水が出てきて、時折鼻をかんだ。いつもよりそばがしょっぱい気がした。


「はあ…」

 太一はため息を吐いて、蕎麦屋を出て冬の夜道を歩く。本当なら、彼女に告って受け入れられて、おしゃれなレストランで食事でも…と思っていたのに。

「まあ、俺らしい誕生日だよな…」

 吐く息は白い。一人暮らしの一軒家に太一はドアのカギを開けて入る。両親はすでに他界していて、この家が太一への遺産だ。都市伝説だと三十歳になっても童貞だと魔法使いになれるらしいが、太一に魔法は使えなかった。


 コートを脱いで、部屋着に着替えてテレビで動画を見ながら、身体を休めた。

 彼女は一つ下の後輩で、市役所に入ってきたときからかわいいと思っていた。人間の居住区で人間と亜人の出入りを管理する部署に配属されている。仕事を教えて、一緒に休憩したり、二人きりではないが同僚と一緒に食事に行くことがあった。

 いつもにこやかで、嫌われてはいないだろうという自負はあった。そして先日、彼氏と別れたと言っていた。これはチャンスだ、と思い、太一は「よかったら俺とつきあわない?」と言ってしまったのだった。


「…甘かったな」

 太一は砂糖を多めに入れたコーヒーをいれ、テレビの前のカウチソファに座った。次第に部屋が暖かくなり、ぼんやりとテレビを見ていると、また鼻の奥がツンとしてきた。

 暖房のきいた部屋はあたたかいが、少し空気の入れ替えをしようと思い、からりと窓を開けた。ひんやりとした空気が気持ちよくて、息を吸い込む。その瞬間、ものすごい速さで何か鳥のような影が家の中へ飛び込んできた。

「えっ…」

 それは蝙蝠のようだった。太一がそれを認識した瞬間に、今度は金髪の緑の目をもつ美女にのしかかられ、ソファに押し倒されていた。

「こんばんは、人間の男性さん」

「こ、こんばんは…」

 人間の、という限りではこの美女は亜人だろう。蝙蝠の姿で家の中へ入ってきたということは。


「あなたの血をいただきたいの」

「え? え? え?」


 太一はくらくらと眩暈がした。自分の上にのしかかっている美女の正体が分かった。

「あなたは…」

「あなたたち人間が言うところの、ヴァンパイアよ」


 美女は妖艶に微笑んだ。

 太一はその美女の微笑みにくらりと来てしまった。ああ。こんな美人に童貞を卒業させてもらえたら、どんなに幸せだろう。

 そういえば、とふと思い出す。吸血鬼は確か人間に許可がもらえないと、吸血できないんじゃなかっただろうか。


「ねえ、いいでしょ? あなたの血を、少しだけもらえるだけでいいの。配給されるものじゃなくて、あたたかい生の血」

 この色っぽい顔でそんなことを言われたら、すぐに、いいですよと言いそうになる。しかし、これは千載一遇のチャンスかもしれない。

「あの、血を吸ってもいいんですけど、その前にお願いが」

「何かしら?」

 ヴァンパイアはくんくんと太一の匂いを嗅いで言う。


「あら、あなた童貞ね。まだ青い果実の匂い」

「そ、そうです…。もしよろしければ、俺の血と引き換えに、あなたに童貞を卒業させていただけないでしょうか…?」

「は?」

 ヴァンパイアはぽかんと口を開ける。

「その、あなたみたいな美人と記念の一夜を過ごせたらな、と…。俺、今日、誕生日なんです」

 ヴァンパイアは顔を上げて、けらけらと笑い出した。

「あなた、面白いわね。そんなことを血の代わりに要求してきた人間は初めてよ」

「あ、で、ですよね、やっぱり…」

 太一は情けない笑みを浮かべる。


「すみません、変なこと言っちゃって。今日、好きな人にふられたばっかりで」


 こんな美女に相手にしてもらおうなんて、馬鹿な思いを抱いたものだ。ふられてやけになっているとはいえ。太一は服の首周りを引っ張って首筋を見せる。

「どうぞ」

「いいわよ」

「え?」


 太一はわが耳を疑って聞き返す。

「童貞の人間との経験はないけど、面白そうだわ。それに近頃ご無沙汰だったし、しましょうか」

「い、いいんですか? 本当に?」

「いいって言ってるじゃない。誕生日プレゼントよ。私の気が変わらないうちに、ほら」

「は、はい…。ありがとうございます」

 太一は起き上がって、服を脱いだ。そしてヴァンパイアに手を伸ばし、震えながらそっとくちづける。初めてのキスだった。ヴァンパイアは自分からソファに横になった。

「その…よろしくお願いします」

「いいわよ」

 太一はゆっくりとヴァンパイアの女性の身体にくちづけて、撫で始めた。あたたかい。それに、やわらかくてすべすべだ。

 彼女にリードされつつ、太一は初めて女性と夜を過ごした。


「はあ…」

 あっという間の夢のようなひとときだった。太一は満足げに息を吐く。

 しばらくソファの上に二人で折り重なっていたが、ヴァンパイアは身体を起こした。

「それじゃ、いただくわね」

「はい、どうぞ」


 ヴァンパイアは太一の首筋に噛みついて血を吸う。少し痛みはあったが、我慢できないほどではない。血を吸われる感覚は、献血するものとは違うようだ。背中がぞくぞくした。

「っ……」

「ごちそうさま」

 彼女がぺろりと舌を舐めるさまは妖艶だ。ヴァンパイアは服を着ると、立ち上がった。

「それじゃ、私行くわね」

「え…も、もう?」

 このまま何か飲み物でも…と言おうとした太一だったが、「夜は短いのよ」と彼女は言った。


「やっぱり、太陽の光は…?」

「ええ。灰になっちゃうもの。もう会うこともないでしょうけど」

「あの…」

「何?」

「よければ、名前を…」

「…エレオノーラ。あなたは?」

「太一です。亀山太一」

「太一ね。この家に一人で住んでるの?」

「ええ。両親がなくなって一人暮らしです」

「一人で住むには広すぎる家ね」

「…そうですね」

「誰か一緒に住む女性はいないの?」

「いたら、今日は振られてませんよ」

 太一は苦笑いを浮かべる。

「なら、一人くらい来ても大丈夫ね」

「え?」

「それじゃ、さよなら」


 エレオノーラは窓を開けて、蝙蝠になって夜空を飛んで行った。

 太一はそれを見えなくなるまでずっと目で追いかけてから、窓を閉めた。

「…寒」

 太一は風呂に入ることにした。


「引っ越しですね。今の居住区を出られるんですか?」

 夢のような一夜の後、太一は通常通り市役所に出勤する。

 ふられたから休むなんて、子供みたいなマネはできない。彼女と顔を合わせるのが気まずくても。

 今朝から人間の居住区を出る男性がいた。

「そうなんです。巨人族の彼女と結婚することが決まって」

 人間の彼は嬉しそうに笑う。

「おめでとうございます。ですが、人間と結婚すれば巨人族の方もこちらに居住することが可能ですが」

「そうらしいですね。でも、彼女がどうしても自分の住処に来てほしいっていうものだから。まあ…俺としては、彼女の色に染まりたいって言うか」

「承知しました」

 太一はいつもどおり書類を作成して照れている男性に渡す。

「これを巨人族の役所に提出していただければ、手続きは完了です。お幸せに」

「ありがとうございます」

 男性は喜んで書類を手に市役所を出て行った。昨日、童貞を卒業したばかりの太一からすれば、結婚はまだ先の話だった。正直、うらやましいな、と思う。


「おはようございます」

「ああ…。おはようございます」

 昨日、太一を振った同僚の浅沼さんが気まずそうに挨拶してきた。

「昨日はどうも…」

「ああ、うん。全然気にしないで」

 太一はにっこり微笑んだ。以前の自分なら、振られたのが気まずくて彼女を避けていたところだろうが、童貞を卒業した太一は妙に落ち着いていた。自信がもてたと言ってもいいかもしれない。

「よかった。避けられたらどうしようかって」

 浅沼さんはほっとしたように微笑んだ。

「いや、だってそれは君の自由だし。仕事しよう」

「そうですね。亀山さんていいひとですね」

「はは…」

 太一は頭をかいた。いいひとではなく、いい男と呼ばれるようになりたいな、と思った。でも彼女にとってはそうでないんだから仕方ない。


 同じ課内には、半魚人と河童と人間の同僚がいる。昼休みは交代で食事をとることになっていて、倹約家の太一はいつも食堂で持参の弁当を食べていた。

「暖房きいてるせいか乾燥しちゃってさ」

 河童の川村先輩が頭の皿にペットボトルの水をかける。すぐに水は吸収されてしまう仕組みのようだ。

「ああ…大変ですね。加湿器あってもだめですか?」

「全然だめ。やっぱり水は直接かけないとね」

「先輩、今日もきゅうりと生魚ですか?」

 河童の川村先輩はいつも弁当に生魚を入れている。

「そう。うちの奥さん、君と同じで人間だから、一緒の時は肉や焼き魚が食べたいって言うから、弁当だけは俺の好きなきゅうりと生魚にしてもらってるんだよ」

「刺身なら食べますけど、俺もやっぱり生魚はそのままは食べませんね」

「人間は面倒くさいよねえ。いちいち料理しなきゃ食べられないんだから。やっぱり魚は生が最高だよ」

 河童の川村先輩はうまそうに魚を飲み込む。苦笑いしながら、太一はテレビに目を向ける。


『それでは、次のニュースです。先日お伝えした、人間の居住区への不法侵入をしたヴァンパイアについてですが、政府としてはやはり厳格な方針を定めるべきと…』


 テレビで流れるニュースを見て、太一は昨日のヴァンパイアのことを思い浮かべる。いい女だったなあ…。と一人で悦に入っていると。

「あれ、亀ちゃん。首、どうしたの?」

 河童の川村先輩が今更気づいて、太一のヴァンパイアに噛まれた後を指さす。

「ああ、これ…。昨日、ヴァンパイアの女性に血を吸われちゃって…」

「ええ? マジで? そういえば、ヴァンパイアは人間の血が大好物だって言うもんなあ。でも、彼らって人工血液は配給されてるんだろ?」

「そうらしいですけど、昨日の彼女は吸血衝動を抑えられなかったみたいで…」

 おかげでいい思いもできたし、と太一は頬を緩める。


「そのヴァンパイア、大丈夫なの? ちゃんと居住区に住んでる奴だろうね? 勝手に人間の居住区に入ってきて吸血してるやつは、処罰の対象になるからね」

「え…大丈夫だとは、思うんですけど」

 そんなことまで確認しなかったなあ、と思いつつ太一は弁当のミートボールを口に運ぶ。

「ならいいけど。美人なんだろう? ヴァンパイアって」

「ええ、すごく色っぽい人でした。金髪の美女でしたよ」

「よっぽどいい女に吸われたんだなあ」

 河童の川村先輩はうらやましそうにきゅうりをかじった。


「なあ、頼むよ」

「ですから、条例で無理なんです」

 トカゲ族の男が同僚の浅沼さんにくいついている。

 いつもだったら遠くから見守る太一だったが、今日はどういうわけか怖がらずに彼女のそばにいった。たまたま手が空いたこともある。


「どうしたんですか?」

「あの、この方が独身だけど、どうしても私たちの居住区に住民票を移したいとおっしゃって」

「お客様、申し訳ありませんが亜人の方が人間の居住区に住民票を移すには、人間と婚姻する必要がありまして」

「わかってるよ、そんなことは。でも、結婚詐欺にあったんだって」

「結婚詐欺?」

 太一が聞き返すと、浅沼さんとトカゲ男はうなずく。


「実はこの方、人間の女性と結婚する予定だったらしいんですけど、お金を持ち逃げされたらしくて…。もうマンションも買って、契約も済ませたのでトカゲ族の居住区は空にしてしまったということで、どうしてもこちらに移りたいと」

「それは…」

 太一は心から同情する。

「大変なことが起こりましたね。ですが、実際に婚姻できない場合は、やはりこちらへ居住はできない決まりでして…」

「んなことは、わかってんだよ!」

 だん、とトカゲ男は受付の机をたたいた。

「俺のこと気の毒だと思うなら、住民票移せよ。無断で住まれるより、ずっといいだろ? なあ、なあ?」

「…少々お待ちください」

 太一は一度奥へ戻り、手短に半魚人の袴田先輩に事情を説明する。

「…こういった次第なんですが、どうしましょう? 警察に被害届を出してもらうのが一番かと」

「そうだねえ。ちょっと、私が話をつけてみるよ。亜人同士のほうが、話がわかることもあるからね」

 半魚人の袴田先輩は「お話伺います」と言って、トカゲ男の前に立った。

「聴いてくれよ、実はな…」とトカゲ男は語りだす。

 半魚人は激高していたトカゲ男をなだめ、うんうんと話を聞き、そのまま市役所の入り口まで送って行った。

「さすが、先輩…」

「ありがとうございます」

 二人の人間は半魚人の袴田先輩の小さないいねポーズに小さく笑った。半魚人の袴田先輩のくりっとした丸い目は、人を和ませるのだ。


 午後からの仕事を終え、やっと帰れると席から立ち上がると、半魚人の袴田先輩が「一杯どう?」と声をかけてきた。

「ああ、いいですね。みんなも?」

「いや、たまには俺ら二人で行こうや」

「わかりました」

 半魚人の袴田先輩が行く店は、駅前の赤ちょうちんだ。半魚人はわかめのサラダに刺身、太一は焼き鳥に豆腐サラダで日本酒をすする。

「先輩のおかげで今日は助かりましたよ。ありがとうございます」

「いいってことよ」

「先輩、今日は早く帰らなくていいんですか?」と太一が聞くと、「実はな」と半魚人はため息を吐く。

「うちの奥さん、二度目の奥さんだけど人魚だろう?」

「そうでしたね。美人な奥さんなんですよね」

 一度、スマホで画像を見せてもらったことがある。貝殻のブラジャーはしていなかったが、下半身が魚である以外は人間の美女そのものだ。上半身はTシャツを着ている。一度人間と結婚した亜人は、離婚してもそのまま人間の居住区に住めるのだ。


「それが里帰りしちゃったのよ」

「ええ? どうしてです?」

「ちょっと子供のことで喧嘩しちゃって。うちはほら、前の奥さんの子供が人間だからさ。人魚の嫁は人間の子供でも、水に関わる事させたいって言うのよ。水泳をやらせるって。でも娘は、興味ないって言うもんだから、やりたくないことさせる必要はないって俺が言ったもんだから、そこからだんだん話がこじれてきて、やっぱり元嫁のほうがいいんだろうとか、いろいろね…」

「ああ…」

 焼き鳥を食べながら、太一はうなずく。

「それで今日は俺を誘ったんですね」

「そう。娘は元嫁のところに行っちゃってさ。まあほとぼり冷めたら、迎えに行くけど一人の家に帰っても寂しくてね…」

 日本酒を飲みながら、半魚人はため息を吐いた。

「でも、こじれないうちに仲直りしたほうがいいんじゃないですか?」

「そうなんだよね…。わかってはいるんだけど、なかなか…」

 わかめサラダをかきこむ半魚人。しばらくの沈黙の後、「ところで」と切り出した。


「君、浅沼さんと何かあったの?」

「えっ…どうしてですか?」

 太一は動揺して、日本酒を持つ手が震えた。


「昨日、何かあったの? 今朝ちょっと話してたじゃない?」

「…聞いてたんですか」

「ごめんごめん、聞こえちゃって。相談に乗るよ?」

 それもあって声をかけてくれたのか、と太一は気にかけられているのを感じた。まあ興味本位で言ってるだけかもしれないが。

「まあ…浅沼さんに振られちゃいましてね」

 太一は笑顔でそう言っている自分に驚いていた。以前の自分なら、かなり落ち込んでいただろうに。やはり昨夜のエレオノーラのほうが衝撃だったから、落ち込む気にもならないのだ。

「そうかあ…。でも、女性は人間だけじゃないからな。人魚もいるし、そうだ、福祉課のゴーレムの會田さんなんてどうかな。亜人だけど、父親は人間だからダブルだし話も合うよ、きっと。気立てのいい子でね…」

「あはは…。ありがとうございます。でも、しばらくはいいです」

 今の太一の心を占めるのは、エレオノーラだった。また会いたいな、と思いながら太一は豆腐サラダを食べた。


 半魚人の袴田先輩と別れて、家へ帰ると不在配達表が入っていた。スマホで電話すると、すぐに来てくれるとのことだった。

 着替えてリビングでくつろいでいると、インターホンが鳴った。

「はーい」

「お届け物です」

 人間の女性の配達人が十二、三歳くらいの紫髪の茶色い目の女の子を隣に連れて、受取証明を差し出した。少女はリュックを背負っている。

「えっと…?」


「この子がお届け物ですよ。サインお願いします」

「ああ、この子が…って、はあああああ?」

 近所に太一の絶叫が響いた。


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