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第捌話 二人のキョーダイ

 道人(どうじん)雲巌(うんがん)は本堂にいた。塵一つない清掃の行き届いた綺麗な本堂だ。そんな本堂の本尊仏(ほんぞんぶつ)の目の前で二人は向かい合い座っていた。


「お主はこれからどうするつもりだ」雲巌は髪の毛のない自分の頭をポリポリと掻いた。「今は天涯孤独のようだし、今後の見通しは立ってないのだろう」


「はい」道人は思いを隠す事なく素直に答える。「正直、困ってます」


「まあ、そりゃそうだろうな」腕組みをした雲巌は本尊仏の顔を見つめた。悟りを開いた仏は何も言わず、全てを包み込む慈愛の瞳をもって、ただただ優しく二人を見守っている。しばしの沈黙の後、思い立ったように雲巌は言い放った。「当面は久遠寺(ここ)にいろ」その一言に驚く道人を見て、葛藤と熱意のこもった口調で更に続ける。「はっきり言おう。儂は悩んだ。力になると言ったが、お主は海の物とも山の物ともつかない素性のよく分からない人物だ、ドージン。読み書き算盤(そろばん)を学ぶ為にこの寺に通ってくれる子供たちがおる。身寄りがなくこの寺で面倒を見ている子供たちもおる。そんな子供たちを危険から守るには、原因になりそうなものは最初から排除しておく事が最良だと儂は考えていてな。だが、ここは久遠寺なんだ。ここは久遠寺なんだよ。その久遠寺にお主が現れた。これも因果(いんが)だろうな。もしかしたら数百年の歳月(とき)を掛けた過去と現在を繋ぐ因果なのかもしれない。そして、久遠童子の導きとお主に言った儂の気持ちに嘘偽りはない。だからな、お主がお主自身の歩むべき道を見つけるその日まで、久遠寺(ここ)にいるのが最善であると儂は考えるが、どうだろうか」


 道人は返答に(きゅう)してしまった。感謝しかない申し出だったが、身の振り方を具体的に考えていなかったので、どう答えるべきか頭の中で思考がぐるぐると回る。思えば、あの森を抜けてから、まだ一日も経ってない。それにも関わらず、多くの出来事を経験し、多くの親切な人と出会った。

 そんな道人の心を見透かしたかのように、本堂から望む外の景色を雲巌は眺めながら「犬塚村はな、これといって何かあるわけではないが、心温かき人だらけよ。良い土と水に恵まれ、作り手も優秀。ここで育つ米や雑穀、野菜はどれも一級品だ。だからこの村の飯は本当に旨い」と、茶目っ気のある言い方だったが、彼の善意は確かに伝わってきた。


「僕もそう思います」雲巌と同じように道人も視線を遠くへ向けた。そこから見える山門の遥か上空に、雲一つない快晴の青空が、どこまでもどこまでも広がっている。ふうっと浅く一呼吸し正面へ顔を戻すと、温和な表情の雲巌が静かに道人の言葉を待っていた。


「和尚様、ご迷惑をお掛けする事になり大変申し訳ございませんが」と神妙な面持ちで道人は切り出す。「しばらくの間こちらにお世話になります」


 雲巌は膝をポンと軽く叩き、ニヤリと口角を上げて笑った。「よし、決まりだな。お主を歓迎しよう」


 道人は深々と一礼し「ここに来た意味、ここにいる理由、今後進むべき道を見つける事が出来たら、その際は改めて和尚様に相談させて頂きます。その時までよろしくお願い致します」そう言ってゆっくりと頭を上げた道人の口元には安堵の笑みがこぼれていた。


「後で境内の案内をせんとな」と、雲巌が話を進めていた時だった。


「和尚様ー、兄ちゃんが帰ってきたー」


 信次郎の嬉しそうな声とドタドタけたたましい足音が近付いてくる。

 それと同時に「こら、信次郎、本堂を走るな」と低音だがハッキリ聞こえる注意の声と、チャラチャラと響く聞き覚えのある音が道人の耳に入ってきた。

 何となく嫌な予感がした。そして、その予感は当たった。


「あっ…」


 信次郎の後に顔を出した人物をみて、道人は口を半開きにしたまま固まってしまった。犬塚村へ来る途中すれ違ったモヒカンオールバックでイカツイオーラのザ・ヤンキーが立っていた。ただ、あの時と違って鋭い眼光でも血走った瞳でもなく、目尻を下げて信次郎を追う男の姿がそこにあった。


「逃げるな、信次郎」ハハハと声を上げながら男は信次郎を捕まえると、そのまま自分の方に引き寄せてぎゅっと抱きしめた。

 はにかんだ笑顔を浮かべた信次郎は「苦しいよ、兄ちゃーん」と甘えた声を出して男の顔を見上げる。

「可愛いなあ、信次郎は」男は軽く日焼けした傷一つない筋肉質な両腕で力を込めて覆い被さると、信次郎は本当に息苦しくなったようで、男の腕を何度も叩いて助けてといった仕草をした。

 すると、男はごめんごめんと呟き慌てて信次郎を解放する。


その光景を見ていた雲巌はゴホンと一回咳払いをして、「仲が良いのは結構な事だが、いい加減そろそろ良いか、荘太郎(そうたろう)」とモヒカンオールバックの男に呆れるように呼び掛けた。


「和尚、いたのか」雲巌の存在に全く気が付かなかったのか興味がないのか、荘太郎は抑揚のない口調でしれっと答える。


「前はもっと素直で雲巌(ひと)の後ろをてくてく付いて歩く子供だったのに、歳を重ねる度に儂の事なぞ存外に扱うように成長してしまって…。荘太郎、儂は本当に悲しいぞ。あの頃のお主はどこにいってしまったのか」恨めしそうに大袈裟(おおげさ)な手振りを付けながらも、雲巌はどこか楽しそうで揶揄(からか)うような口ぶりだった。「まあ、ここ座りなさい。お主から聞きたい話もあるし、こちらにいるドージンの事も言っておかねばならんからな」


 荘太郎はドカッと音を立てるように胡坐(あぐら)をかき、信次郎はその隣りでちょこんと正座をした。道人をチラッと一瞥したが気に掛ける様子はなく、荘太郎は雲巌に顔を向けて淡々と話し始める。


「和尚に言われた通り、村外れの家へ行ってきた。状態は以前と変わってない。あの時と同じままだった。取り敢えず家や小屋を壊して建材を小さくして、一か所に集めてから持っていった(ふだ)と一緒に火をつけてきた。最近乾燥する日が続いたせいか、想像以上に早く燃えたよ。そのまま三刻ほど経った頃かな。遠吠えが聞こえたかと思うと、いきなりアイツ等が裏の茂みから襲ってきた」そこまで言うと、荘太郎の唇の端がピクっと動いた。「狼の群れだよ。野獣になってた。和尚の懸念していた事が現実になっちまった」


 雲巌は大きく息を吸い、荒々しく鼻から吐いた。「そうか、そうかー…。残念だな。残念だが、致し方あるまい」


「一匹は仕留めた。だが残りは片付け損ねた」


「逃げたか。もしかしたら、近いうちに村の中に現れるかもしれんな」


「警戒はする。弟に万が一の事があったら嫌だから」荘太郎は隣りに座っている信次郎の頭をクシャクシャと撫で回した。


 ふむ、と雲巌は頷き、視線を荘太郎から道人へ移した。真一文字に口を結び、眉間に皺を寄せる。

 そんな雲巌の表情の変化を一向に気にする素振りもなく、荘太郎は信次郎の頭を撫でて触れ合っていた。


「どう説明したら良いのか」雲巌はもごもごと言葉を濁す。「しばらくの間、ドージンを久遠寺で面倒見る事になった」


 雲巌がそう言った途端、荘太郎は道人を親の仇のように睨みつけた。


「今、久遠寺で生活しているのはお主ら兄弟と儂しかおらんが、まあ、家族が増えたと思って、仲良くやってくれないか」


「俺の家族は信次郎だけ」間髪入れずに荘太郎は語気を強めた低い声で即答する。「長い間和尚の世話になっているし、俺は和尚を父と思って接している。だから和尚は家族と言えなくもない。だが、ソイツは駄目だ。素性の知らない余所者(よそもの)は家族ではない。そもそも、ソイツはこの村の住人ですらない。もしかしたら野盗や異国の間者かもしれない。弟を危険から守るのは兄である俺の役目だ。だから知らない者を久遠寺(ここ)に置くのは反対だ」 


 あまりの迫力に道人はすっかり気持ちが萎縮してしまった。揉めているようなので僕がここから出ていきまーすと言おうか言うまいか、頭の中で考えが逡巡する。しかし、場の雰囲気に飲まれてしまって何の言葉も出てこない。

 そして、荘太郎は鋭い視線を一切動かす事なく、道人へ怒りの眼差しを向ける。

 そんな中、空気を読んでか読まずか、信次郎は自分の頭の上にある荘太郎の手をとり、屈託のない笑顔で握りしめ、語りかけるように言った。


「オレは兄ちゃんの優しいところが好き。オレの自慢の兄ちゃんは和尚様がよく話してくれる久遠童子みたいに、困った人がいたら誰でも助けてあげる村の英雄なんだぞ。しかも兄ちゃんはすげえ強いんだ」


「信次郎~」すっかり毒の抜けた表情になった荘太郎は、優しく包み込むように何度も何度も信次郎を抱きしめた。へへへと信次郎は照れ笑いで応える。


「では、困っているドージンを久遠寺で面倒を見るという事で良いかな」ここぞとばかりに雲巌は畳みかけた。「信次郎もこう言っておるし、荘太郎もそれで良いだろう。のう、自慢の兄ちゃん。儂の息子よ」


「良いよね、兄ちゃん」


 荘太郎は道人にチラッと視線を投げたがすぐに信次郎を見つめる。「優しい弟を持って俺は嬉しいぞ。信次郎の願いだから、どこの馬の骨と分からんヤツでも困っていたら助けないとな」


 その後道人は信次郎の案内で境内を回り、どこに何があるか教えてもらった。行く先々で荘太郎と会い、その度に小言を並べられたが、信次郎の一言で揉めるのを回避するというのを繰り返した。

 歩いている道人がふと境内の片隅を見ると、シロツメクサが薄暗くなった(あかね)空のもとで白い花を咲かせていた。まるで絨毯のように敷き詰められている…という程ではないが、道人の気持ちに一区切りをつけてくれる風景だった。ここに来てからどのくらいの時間が経ったのかと考えながら、空を舞う雀たちを見つめた。


 その夜――。


 真っ暗な闇の中、道人は石段を必死に駆け降りた。巨大な杉木立(すぎこだち)の隙間を抜けるように走り続ける。道人は彼女の左手を離さないように力強く握り、ただ、前だけを見て走り続けた。






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