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第伍話 犬塚村でメシを食う

 犬塚村――。


 家の前で5羽の鶏が放し飼いにされ(せわ)しなく動き回っていて、その近くで首輪のない赤毛の柴犬がのんびりと寝転がっている。扉が開いたままの玄関に道人が近寄るものの、鶏も犬もまるで興味なさげに顔すら向けない。


「すみません」玄関の外で家人に聞こえるように道人は声を張り上げた。「どなたかいませんか」


 怪訝(けげん)そうな顔をした女性がカランコロンと音を立てながら家から出てきた。年齢は20代で肩まで伸びた髪。紺地に朱色の絣模様(かすりもよう)のもじり袖の上衣と藍色のもんぺを履いている。足元を見ると赤い鼻緒の下駄で、先程の音の正体はこれか…と、道人は思った。


「何か御用でしょうか」


「僕は弟切道人という者です。旅をしているのですが、昨晩から何も食べてなくて…。少しで良いので食料を分けて頂けると嬉しいです。何でも良いです、お願いします」


「…旅人のわりに何も荷物を持ってないようだけど」女性は道人を一瞥する。「本当に旅人?」


「山賊に襲われて荷物を奪われて…」咄嗟に噓をついて誤魔化した。


 女性は少し考え込むような仕草を見せ「そういえば、最近都へ観光に行ったユキさん、この近所の街道で追落(おいおと)しに遭ったって言ってたわね」と呟き、再度道人を見る。「まあいいわ、(うち)に入りなさい。朝食(あさげ)の残りで良ければ用意するわ」


「ありがとうございます」道人はお礼を言い、彼女に続いて玄関に足を踏み入れた。


 家の中は全ての窓が開放されて、外から明るい光が射し込んでいる。囲炉裏に火がついているようで、薪を燃やした時の匂いが漂っていた。囲炉裏の上の煙は日差しを浴び、光線になって現れるのが道人の目に映る。そして、囲炉裏の近くで2人の幼子が父親らしき男性に寄り添い道人を目で追っているのが見えた。そんな温かみのある暮らしの様子は、道人に久々の安心感を与えてくれた。


「おはようございます。こんにちは、かな」ぎこちない笑顔で道人は幼子に語り掛ける。


「こちらの旅人さん、追落しに遭って荷物を盗まれたらしいの」


「それは大変だったね」幼子のうち小さい方を膝に座らせながら男性は同情するように言った。


「何も食べてないって言うんで、朝食を用意してあげようと思って」


「困った時はお互い様。良いんじゃないか」男性は膝に座った幼子の頭を撫でた。「まあ、こちらに来て囲炉裏の傍に座りなよ」


 道人は靴を脱いで板敷の部屋に上がった。囲炉裏の周りに御座が敷かれており、そこに座るよう男性に促される。


「失礼します」


 囲炉裏を挟んだ男性の向かい側に、道人は膝を曲げて腰を下ろした。改めて自己紹介すると、男性も自分の家族の紹介を始めた。男性は道人の予想通り父親で名前は三郎太。女性の名前はアキ。幼子の兄の方は菊丸で妹はハル。7歳と5歳との事だった。今日は村の名主が定めた休日で、日が昇る頃に田畑の様子を見に行ったきり、後は家でくつろいでいたらしい。濃紺木綿のもじり袖の上衣と腰に布紐、下はももひきを履いている。すっと目尻が上がった涼しげな目元と短く整えられた髪の毛から、落ち着いた人だなという印象を受けた。

 旅の話をしてほしいと菊丸とハルにせがまれた道人は、時代劇で見た世直し道中の話をアレンジして語り始める。ただし、三つ葉葵の紋所や勧善懲悪シーンは再現を求められても困るのでカットした。菊丸やハルだけでなく、三郎太も興味深そうに、時折、「世の中は広い」と相槌を打ちながら耳を傾けている。

 そうこうしていると、アキが米に雑穀の混ざったおにぎりと漬物を持ってきてくれた。おにぎりは冷えて少し硬くなっていたが、腹の減っている道人はお構いなしに口へ運ぶ。


「旨い!」


 思わず笑みがこぼれた。


「ハハ、そりゃ良かった」そう言ってアキは湯呑を差し出した。「ツヅミグサのお茶だよ。熱いから気を付けて」


 湯呑の中に一輪の黄色の花が入っている。ツヅミグサというのはタンポポの事か…と思いつつ、お茶を一口飲んだ。体中に優しい温かさが染み渡っていく。


「旨い…」


 理由は分からなかったが、不意に感情が高ぶり、一筋の涙が道人の頬を伝った。


「おいおい、どうした。大丈夫かいドージン君」突然の涙に三郎太は驚いて声を掛けた。


「すみません…」


「ごめんね、熱すぎたかな」申し訳なさげにアキが言った。


「いえ、大丈夫です。何か、ほっとしちゃって…。すみません、大丈夫です」


「お兄ちゃん、どうしたの」菊丸とハルは道人の隣に寄ってきて心配そうな表情をしている。


「ごめんね。2人のお父さんとお母さんがとても優しくて、その優しさが嬉しくて、それで涙が出ちゃったんだよ」道人は笑顔で幼子に語り掛けた。「こんな見ず知らずの僕を家に入れてくれただけでなく、ご飯まで食べさせてくれた。この先、どうしようかと悩んでいた事もあって、僕の心は僕が思った以上に弱くなっていた。そんな時にこんな暖かい気持ちのご飯を頂いて、それが嬉しくてね」


「大袈裟な旅人さんだね」アキは豪快な笑い声を上げた。「さっきうちの旦那も言ってけどさ、困った時はお互い様。助け合うのが人ってもんでしょ。こういう質素な朝食で良ければいつでも食べにおいで。人は腹さえ満たされれば心も満たされる。そうすれば、今日一日も頑張ろうって気持ちになれるでしょ、ね」


「ありがとうございます」


「いやいや、お礼を言われるほどの事じゃないさ、ドージン君」微笑みを浮かべた三郎太はハルを呼び寄せて再び膝の上に座らせる。「それより、この先どうしようかっていうのはどういう事」


 道人は取り敢えず犬塚村へ来たものの、着の身着のままの状況で今後どうすれば良いのか困っている事を説明した。何も分からないこの世界にたった一人で放り出され、生きる目的、頼れる人、進むべき場所は一切ない。

 一通り話を聞いていた三郎太はハルを抱きしめたまま考え込んで、少しの間をおいてこう言った。


「村の外れの山の中腹にお寺さんがあるからそこへ行ってみるのはどうかな。和尚(おしょう)様はいろいろな相談に乗ってくれる博識の方だから、ドージン君の悩みに答えを出してくれると思うよ」


「あのね、あのね」突然ハルが会話に割り込んできた「ハルね、ハルはベンキョーしてるの」


「ボクも勉強してるよ」菊丸も負けじと声を張り上げる。


「ハハハ。二人とも頑張って勉強しているね」三郎太は菊丸に顔を向けつつハルの頭を撫でた。「ドージン君、和尚様はお寺さんの仕事以外に子供たちを集めて読み書き算盤(そろばん)を教える寺子屋もやってる、本当に高徳なお人でね。そのお陰で私たちも読み書き出来るようになったんだよ。なあ、アキ」


 そうね、と土間の方から返事が聞こえる。


「俺とアキは幼馴染(おさななじみ)でさ…」


三郎太は懐かしそうに昔の話を始めると、苦虫を噛み潰したような顔をしたアキが道人と三郎太に新しいお茶を差し出す。


「昔の話なんて恥ずかしいから止めてよ。ほら、旅人さんも困ってるじゃない。そろそろお寺さんの場所でも教えてあげたら」


「あー、ごめんごめん。お寺さんの場所なんだけど、(うち)を出て西へ向かって歩くと川があって、その川の手前の道を右へ曲がると…」身振り手振りを付けて三郎太は寺までの道順を説明してくれた。「…で、山の中腹にお寺さん、久遠寺がある」


「久遠寺…。ありがとうございます、まずはそこへ行ってみます。あっ、ところで、今日は何年何月何日ですか。旅をしていると日付の感覚がなくて」


「今日は戌年6月4日」大きな声でハルが答えた。


 正解と言いながら三郎太はハルの頭をポンポンと優しく叩いた。


「元号って分かりますか」道人が尋ねる。


「元号。昔の本で見たような…。それこそ和尚様に聞いてみると良い。和尚様なら知ってるかもしれない」


 和尚様、と道人は呟き、すっと立ち上がった。三郎太もよいしょと言いながら膝を伸ばして起き上がる。


「いろいろとありがとうございました。今から久遠寺の和尚様へ会いに行こうと思います」


「そうか…。そういえば、最近村外れに住んでいた一家が熊に襲われて、酷い有り様だったらしくてさ。普段は人里まで下りてこないんだけどねー。大丈夫だと思うけど、用心するに越したことはないよ」


 あの家か、と道人は先刻見た惨劇を思い出した。


 そうこうして道人は三郎太一家に挨拶をし、一路久遠寺を目指して歩き出す。

 菊丸とハナは道人が見えなくなるまで、ずっと手を手を振り見送っていた。道人の手元には腹が減ったら食べなと言いアキが持たせてくれた団子がある。夫の三郎太も含めて、本当に良い人たちだ。


「この一飯の恩をいつか返せたら良いな」


 道人の心は晴れやかだった。






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